2014年5月アーカイブ

   火伏、防火の神様として、京都はもちろん全国から参拝に訪れる人が多い愛宕神社。
 特に京都の人は、昔から愛宕さんと親しみを込めて呼んでいます。
 また毎年夏、7月31日夜から8月1日朝にかけてお参りすると、千日の火伏、防火のご利益があるとされる千日詣りは(正式には千日通夜祭)多くの参拝者で参道が埋め尽されます。
 その愛宕神社は大宝年間(701年〜704年)に修験道の祖、役行者と白山の開祖、泰澄が開いたとされています。
 
 愛宕神社にお参りするには、愛宕山の山上にあるために、長い道のりを歩いて上がらねばなりません。
 昭和の初めから戦前まで、清滝まで電車が通り、清滝から山上までケーブルカーがありましたが、現在は自分の足で上がるしかありません。
 表参道で清滝からの高低差は800m以上あり、一汗も二汗もかいてしんどい思いをしなければなりませんが、神社に到着すれば爽快感はまた格別なものがあります。


 愛宕神社には各方面からいろいろな参道がありますが、今日は表参道を上っていきます。

 清滝川に掛かる金鈴橋です。
 ここからスタートです。
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 金鈴橋を渡ると、大きな表参詣道の立看板があります。
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 清滝口鳥居です。
 本来は奥嵯峨鳥居本にある一の鳥居が参道の出発点で、愛宕神社まで50丁に分けられて、一丁目毎に地蔵菩薩の地蔵型と、板碑型の丁石のどちらかが建立されています。
 現在でも、一の鳥居から歩く人もいますが、殆どの人はここから上っていきます。
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 愛宕ケーブルカーの駅舎跡です。
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 参道を上り始めると、右手にケーブルカーの軌道跡が見えます。
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 しばらく急な参道が続きます。石段も多くあります。
 五合目までが、勾配も急で、息が上がります。
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 嵯峨小学校の清滝分教場跡です。
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 「清滝社火燧権現跡」です。
 朱塗りの社があり、火の神火産霊命を祀っていた跡です。
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 20丁目の一文字屋跡です。
 ここに一文字屋という休憩茶屋があった場所です。
 昔は丁目毎に茶屋があったそうです。
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 急な参道が続きます。
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 太陽が昇って来ました。樹間の冷気を通して朝日が差し込みます。
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 参道の脇の23丁目の丁石とお地蔵さんです。
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 参道いたる所に、お地蔵さんがお祀りしてあります。
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 25丁目の丁石(町石)とその丁石の説明板です。
 このように、京都愛宕研究会による説明板が参道の要所に立ててあります。
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 25丁目「なかや跡」古典落語「愛宕山」にも登場する茶屋の跡の石碑です。
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 五合目の休息所です。
 ここまで来ると、ホットします。しばらく平坦な道が続きます。
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 杉の巨木をお祀りしている、大杉大神です。
 急な参道を上ってきて、ここまで来るとようやくパッと明るく視界が開けホット一休みするところです。
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 洛西の山々が眺められます。
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 京都市内の洛西部です。白く蛇行するのは桂川です。
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 平坦な道が終わると間もなく7合目です。
 昨年の豪雨で、七合目の休憩小屋が流されてしまいました。
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 七合目の表参道とJR保津峡駅に直接下りられる、通称「つつじ尾根」の分岐です。
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 八合目の水尾の分かれの休息所です。
 参道を直進(西方向)するとゆず湯で有名な水尾の里に下りていきます。右折(北方向)して愛宕さんに向かいます。
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 木立の間を進みます。
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 しばらく平坦な道を進むと、ハナ売場の小屋が左手に見えてきます。
 ここは愛宕さんの火伏の神花「樒」(しきみ)売場で、水尾の里から女性がここまで上ってきてお参りした人に売る場所で、火災を免れる神苻としてお土産として持帰ったものです。
 現在でもその風習は残っています。
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 このあたりから見た亀岡方向の眺めです。
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 ハナ売場の小屋を過ぎると、黒門までの、最後の急な長い参道が待受けています。
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 黒門(京口惣門)です。
 ここまで辿り着くと、ようやくにして苦しい上りが終わりに近づいたとホットする瞬間です。
 黒門は江戸時代の神仏習合時代の名残の門で白雲寺の惣門でした。
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 黒門を過ぎ、ようやく愛宕神社の神域に入ってきました。
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 静かな参道です。
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 神社へ辿る最後の石段を上ります。
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 このような石の急な階段です。
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 鳥居をくぐって行きます。
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 社殿です。
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 本殿です。
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 社殿前の摂社、神明社(右)と熊野社(左)です。
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 本殿正面です。
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 本殿左手奥に「奥宮」があります。
 欄間の透かし彫りが立派です。
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 石段を下りて帰路につきます。
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 愛宕神社へは気楽な気持ちではお参り出来ません。愛宕山へ登山する気持ちで雨具、弁当など、最低限の装備は必要でしょう。
  苦しい登りを、休憩を入れて2時間30分はかかると思った方が間違いないと思います。でも到達すれば、その思いは愛宕さんに通じるものと思います。
 お天気の良い日に、朝早くお出かけになることをお薦めします。



5月の「植物園」

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  5月の植物園の花。主役がチューリップやシャクナゲから、バラと芍薬に移ってきました。
 植物園の広いバラ園は今が盛りと咲き誇っています。そしてその品種の多さに驚かされます。
 そして少し離れたところの芍薬園が見頃を迎えていました。
 芍薬と牡丹がどう違うのかも分からない僕ですが、またバラと違ってその端正な美しさに魅了されます。
 江戸時代には茶花として珍重されたのも頷けます。
 
 
 ① まず、バラ園を見てきました。
 
 パーマネントウェーブ 1932 オランダ

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 マーガレットメリル 1977 イギリス
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 たそがれ 日本
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 和音 Waon  2004   日本
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 ミモレ 1973 日本
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 ベルニールポールセン 1965 デンマーク
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 ハニーブーケ 2000 アメリカ
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 ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ 2000 フランス
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  エミール ノルデ 2001 ドイツ
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 ふれ太鼓 1974 日本
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 ラベンダードリーム 1986 オランダ
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 みやび  1975 日本
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 聖火 1967 日本
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 アンネのバラ 1960 ベルギー
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 ケアフリーワンダー 1993 フランス
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 ゴールデンボーダー 1987 フランス
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 クィーン エリザベス  1954 アメリカ
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 フリージア ドイツ
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 群星 1986 日本
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 チンチン 1978 フランス
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 ブルーバユー 1993 ドイツ
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 アホイ 1964 ドイツ
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 アホイ 1964 ドイツ
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 ピース 1942 フランス
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 パーフュームデライト 1974 アメリカ
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 ミツコ 1970 フランス
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 エドガードガ 2002 フランス
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 連弾 1987 日本
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  ついで芍薬園に立ち寄りました。
 
 白妙(しろたえ)
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 超天巧(ちょうてんこう)
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 茜雲(あかねぐも)
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 潮騒(しおさい)
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 インスペクタアー
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 コーラル N ゴールド
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 佳人の夢
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 彩女の衣(さいじょのころも)
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 ときめき
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 氷点
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 マイフリューリ
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 帰り道のおまけ。
 ショウジョウ ウツギ(猩々空木) 中国西部 標高2000〜3000mの岩石帯
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 今年もまた恒例の京都市上下水道局、蹴上浄水場のツツジの一般公開が始まりました。
 久し振に訪れました。
 午前9時の開場前から多くの人が並んで待っておられました。


 当日頂いたパンフレットです。
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 場内の案内マップです。
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 通用口です。係員の方がパンフレットや団扇など配っていました。
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 工事中の取水池と思います。
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 「粉末活性炭接触池」です。粉末活性炭と原水の接触時間を長くするための池です。
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 「フロック形成池」です。水中の細かなにごりや細菌などを固まらせて大きくします。
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 「薬品ちんでん池」です。フロックを効率良く沈殿させて取り除き、きれいな水をつくります。
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 「急速ろ過池」です。沈殿処理した水を砂と砂利の層でろ過し、さらにきれいな水にします。
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 蹴上浄水場の「本館」です。
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「ツツジのトンネル」と名付けられた場所です。頭上まで覆い被さっています。
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 高台に上がってくると一画に、「与謝野晶子歌碑」があります。
 昭和29年に建てられて、晶子の自筆筆跡を刻んでいます。
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 「御目ざめの鐘は知恩院聖護院 いでて見たまへ紫の水」
 明治34年の新春、与謝野鉄幹、晶子の二人は、思い出多い粟田山麓の宿「辻野」
に宿泊。その時の作で、辻野は今はなく、その跡はこの浄水場の敷地となっています。
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 高台から浄水場と東山の眺めです。
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 明治45年建設当時の外観を残す、「第1高区配水池」です。
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 「第1高区配水池」です。レンガがその歴史をもの語っています。
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 「水質管理センター」です。浄水場の一番高い場所にあります。
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 色々な色彩のツツジが咲き乱れています。
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 珍しい黄色のレンゲツツジ(蓮華躑躅)です。
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 「第2最高区配水池」です。
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  「第1最高区配水池」です。
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 「第1最高区配水池」から見る、東山と比叡山です。
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 浄水場の下部の全景です。
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 本館からの北方向の眺めです。
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 だらだらと坂を下りながら出口に向かいました。
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「南座」舞台体験記

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 年末の、吉例顔見世興行が行われ、全国にその名を知られる、歌舞伎の殿堂、京都の南座、その南座の舞台を余すところなく体験出来るという催しに参加してきました。
 
 南座は、元和年間(1615〜1623)に四条河原の七つの芝居小屋の一つで、歴史と伝統を受け継ぎ、400年に亘り歌舞伎を上演し続けてきた、唯一の劇場です。
 昭和4年(1929)に竣工した現在の南座は、昭和の激動の時代を経て、平成3年(1991)に内部の大改修を行い、以後、多彩な舞台芸術に対応出来る機構を備えた劇場として、文化発信の拠点として活動しています。
 尚、歴史的建造物として、登録有形文化財に登録されています。
 

 舞台体験者に渡された、南座紹介のパンフレットです。
 表紙は、南座のシンボルマーク、大提灯が飾られています。
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 催しの紹介チラシです。
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 四条通りから見た、南座正面です。
 昭和4年に木造から鉄筋コンクリートに建てかえられ、桃山風破風造りと、屋根のある劇場は珍しく、独特の風情を醸し出して人気があります。
 年末には、顔見世の「まねき看板」が飾られて、テレビ等で紹介されます。
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 阿国歌舞伎発祥の碑です。
 南座、楽屋口の側に立てられています。
 慶長8年(1603年)この辺り鴨河原において、歌舞伎の始祖「出雲の阿国」がはじめて「かぶきおどり」を披露したという故事によります。
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 正面ホール、入ったところから見る舞台全景です。
 このように「素の舞台」を見ることが出来るのは、このような機会しかないでしょう。
 観劇の場合は、緞帳が下っているか、引幕や舞台装置が必ずありますから。
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 揚幕(あげまく)から見た花道と舞台です。
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 2階席正面から見た舞台です。
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 舞台上部の破風(はふ)と折り上げ格天井(ごうてんじょう)です。
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 緞帳(どんちょう)が下った舞台です。
 緞帳は「赤地草花連紋」あかじそうかれんもん。
 杜若の花、格調高い菊、可憐な小花、蔓、鴨川の飛沫、など自然豊かな京都を取り入れ、抽象的に組合せ連続模様として構成したデザインです。
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 2階正面、最前列の28席のみの特別席です。
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 2階特別席付近から見た舞台です。
 丁度写真の中央、舞台向って左(舞台下手)にあるのは「黒御簾」くろみすです。下座とも呼ばれます。
 この黒御簾は、小さな部屋になっていて、芝居の進行に合わせて、鳴物や唄、三味線などを演奏し、芝居を盛上げます。
 舞台側の格子窓に黒い御簾が掛かっていて、中からは舞台が見通せますが、客席からは見えません。
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 舞台上の破風は、江戸時代の芝居小屋は能舞台を模して作られました、そのため、舞台の上と桟敷のみ屋根がありました、そのスタイルを今に残しているのが唐破風です。
 大天井は、明治以降、瓦屋根が葺かれるようになり、井桁に組んだ格天井が作られ、中央部が一段上がっているのを折り上げ格天井と言われています。
 寺院の本堂などによく見られる天井で、細工が難しいと言われます。
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 折り上げ格天井です。
 中央のシャンデリアは、アール・デコ様式で宇宙を表現した、装飾模様になっています。
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  舞台前から客席を見ています。
  2階、3階と見上げると豪壮で華やかで、ヨーロッパの古いオペラ座に負けない雰囲気だと思います。
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 1階桟敷席からの花道と客席です。
 桟敷席は掘りごたつ式になっています。左右にあり、顔見世興行の時、京都花街の舞妓さんや芸者さんの総見でお馴染です。
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 揚幕(あげまく)です。
 「チャリン}という独特の音を響かせて幕が引かれ、登場人物が現れます。
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 ホールの階段です。
 凝った意匠の階段です。歴史の重みを感じます。
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 2階ロビーです。
 色々な展示が行われています。
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 まねき看板や錦絵。顔見世の解説など、盛り沢山の展示です。
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 白井松次郎・大谷竹次郎の彫像です。
 白井松次郎と大谷竹次郎は双子の兄弟で、松竹の創業者です、劇場の興行から映画の制作や配給に乗り出し今の松竹を創り上げた人です。
 松次郎、竹次郎の名前が、松竹の名前の由来です。
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 1階ロビーでは、歌舞伎上演に使用する乗物や、効果音のための小道具など、実際に乗って、小道具を操作し鳴らしてと、楽しめました。

 和船です。各自、棹を使用して、係の人が写真を撮ってくれました。
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 駕籠です。
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 馬です。
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 効果音を出すための、小道具類が沢山展示されています。
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 持上げて左右に傾けると、浜辺での波の大波小波の音が出せます。
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続いて、花道や追り(セリ),廻り舞台など、江戸時代に日本の芝居小屋で始まった歌舞伎特有の舞台機構を体験することができました。

 
 3階最上階から舞台全体を俯瞰しています。
 廻り舞台の円形の大きさや、追り(せり)の矩形の形などが分かります。
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 舞台の前です。
 花道の下に、通り抜けの通路があります。
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 舞台上から見た客席です。
 演者は常にこの光景を見ながら、そして客席の反応を見ながら演じているのですね。
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 舞台最後方からの客席方向です。
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 体験者は、揚幕から花道へ一列になって出て行きます。
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 舞台から揚幕を振返ったところです。
 手前は、花道の舞台寄りの七三にある「スッポン」です。
 スッポンは小型のセリです。原則として、妖術使いや妖怪、幽霊などが登場したり、退場したりする時に使用します。
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 廻り舞台です。
 全員が廻り舞台の縁に一列に並んで、実際に一周動かしていただきました、結構スピードがありました。
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 廻り舞台上からの客席です。
 右の女性は、舞台の解説をしてもらったスタッフです。
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 セリとは、舞台の一部をくりぬき、その部分を上下に動かすことができる舞台機構です。
 セリの矩形です。赤い線は安全線で、危険を回避するための目印です。
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 上がるセリと、下るセリを同時に動かして、体験します。
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 上がるセリが上がったところです。高さは約2mあります。
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 下るセリが動き出したところです。
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 このような感じになります。
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 下るセリが降り立ったところ、いわゆる奈落です。
 壁面はこのような感じです。
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 下ったセリから上部を見上げています。
 なかなか面白い感じです。
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 セリが上がってきたところです。
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 目線が舞台床と同じになりました。
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 約30分余りの舞台機構を体験して終わりました。
 最後にまた花道から、客席を眺めながら退場します。
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 生身の演者が、多くの裏方さんの協力で演じていく芝居という芸術、そこに同じ空間の空気を感じ、泣き笑い感動する、舞台は楽しの一語に尽きます。
(各コメントは頂いた冊子より、参考及び引用させていただきました)
 わずかの時間でしたが、品川駅近く、JR浜松町駅の「世界貿易センタービル」40階の展望台「シーサイド・トップ」からの夜景を見てきました。
 一周約200mの回廊のどこからでも、展望を楽しむことが出来ます。
 視界360度、地上152mからのダイナミックな夜景は素晴らしく感動しました。


 世界貿易センターのパンフレットです。
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 東南部を見ています。
 下の暗い部分は、旧芝離宮恩賜庭園です、上の暗い部分は、東京湾です。
 奥は竹芝桟橋と晴海埠頭です。明るく横切るのは首都高速環状線です。
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 遠くにレインボーブリッジが望めます。
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 足元には浜松町駅、東海道、京浜東北線が見えます。
 首都高速環状線が横切っています。
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 西方向です。
 手前はライトアップされた東京タワー、後方は六本木ヒルズの建物です。
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 東京タワー、六本木ヒルズと、右は新宿副都心です。
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 東方向の足元です。
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 北方向です。
 奥に、汐留シオサイトが見えます。手前は東京ツインパークスです。
 JRの線路と右はゆりかもめの高架線路です。
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 この後、新幹線に飛乗って帰京しました。

JAL工場見学

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 楽しみにしていた、日本航空の機体整備工場の見学をしてきました。
 時間に少し余裕がありましたので、新しくなった、羽田空港国際線ターミナルをちょっとのぞいて、後に整備工場へ向かいました。
 
 
 フロアガイドを頂いて、物珍しげに駆け足で回ってきました。
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 案内カウンターです。
 すじ雲をイメージした大屋根が斬新です。
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 3階、出発チェックインロビーです。
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 3階、出発チェックインロビーです。
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 4階、江戸小路です。レストランやショップエリアです。
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 4階、江戸小路です。レストランやショップエリアです。
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 5階、展望デッキへのホールです。
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 5階、展望デッキです。
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 同じく5階、展望デッキです。
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 5階、展望デッキです。
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 駐機場や滑走路を間近に見ることができます。
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 羽田空港国際線ターミナルを見た後、東京モノレール新整備場駅を下車して、JAL工場見学に向かいました。
 
 工場見学は、展示エリア、航空教室、工場見学の三つのセクションに分かれていて、まず随意に展示エリアを見学します。
 展示エリアには、日本航空の歴史を詳細に解説するパネルや展示物(歴代の乗務員の制服を展示したり、歴代の航空機のモデルプレーンを並べたり)DC9の実物の操縦席を設置して、自由に操縦席に座ることも出来るようなブースもあります。
 また男女別の制服が準備してあって、飛行機のパネルの前で、着用して撮影することも出来ます。
 その他、航空会社の仕事紹介エリアも有り、運行、客室乗務員、整備士空港スタッフ、などのブースがあり、人気はグランドハンドリングを使って、モニター画面で飛行機を誘導するなど、誰もが楽しめるような趣向が凝らしてあります。
 航空教室では、航空機の飛ぶ仕組みや、ボーイング社の航空機組立を順にビデオで紹介したり、羽田空港の概要などを説明してもらえます。
 
 その後、少人数に分かれて係員の説明を受けながら、第1整備工場と第2整備工場を順番に見学させてもらいます。
 
 
 
 当日、見学者に渡されるパンフレットです。
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 各、見学者は入構票を所持して、出入りにはバーコードを読み取るようになっています。
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 整備工場の入口です。
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 最新鋭の大型旅客機ボーイング777型機です。
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 歴代航空機のモデルプレーンの展示です。
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 日本航空の歴史パネルの展示ブースです。
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 航空機の部材などの説明展示です。
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 展示室と、歴代制服の展示です。
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 最新の座席シートの実物展示です。座って感触を確かめる事も出来ます。
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 DC9の操縦席の実物展示で、操縦席に座って記念撮影が人気です。
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 別の機種の操縦席の展示もありました。
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 展示室の見学と、航空教室が終わると、いよいよ整備工場の見学です。
 
 機体の整備は、T整備(飛行機が到着して次の目的地に出発するまでの整備)。A整備(約300時間飛行ごとに約6時間掛けて行われる整備)。C整備(約一年半ごとに7〜10日間かけて行われる整備)。M整備(4〜5年ごとに一度、1ヶ月かけて行われる整備)です。
 
 整備工場の見学は、第1工場の2階通路からの見学で始まります。
 
 階下ではM整備が行われています。機体の胴体、翼などが大掛かりな整備道具の影になっています。
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 エンジンもカバーなどが外されています。
 いろんな特殊な脚立やはしごが見えます。
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 エンジン部分が見えます。
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 機体から取り外した内装材や、各種部材が工場上部に整頓して置かれています、
 階下には整備の人が小さく見えます。
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 外された客席シートです、番号が付けてあります。
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 第2工場へと移動します。
 第1工場から第2工場へ長い通路を渡っていきます。
 自動車道路が通路下を横切っています。
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 第2工場(格納庫)です。
 2階から1階へ降りていきます。奥に2機の航空機が見えます。
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 2機の内、1機が整備を終えて、牽引車に引かれて格納庫を出ていくところです。
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 ここではAか、C整備を行われているようです。
 ここでも機体の場所ごとに応じて、いろんな整備台が用意されて活躍しています。
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 タイヤの保管場所の一部です。
 タイヤに傷がないか、摩耗してないか、入念に調べられます。
 写真以外に多くのタイヤが置かれています。
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 エンジンが取り外されて台に乗せられています。直径は3m以上、重さは、8トン以上あります。
 こんな間近で実物を見るのは始めてで、その大きさに圧倒されます。
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 このようなエンジン2ケで、777機では、機体だけで200トン、燃料や乗客、貨物などを含めると、重さ300トン近くのものを推進して、空中へ飛ばすのですから、念入りに整備されます。
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 航空機の前部が見えます。
 整備員の方が黙々と仕事に励んでいる姿が見えます。
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 前輪部分が整備されています。
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 いろんな作業車が出入りしています。
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 翼の部分の整備が行われているように見えます。
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 整備台の一つです。
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 よく見ると機内でも照明が灯され、多くの人の動きがあります。
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 整備の際に機体を支える、ジャッキです。
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 工場内の壁面の上部に、このような整備状況などが示される電光掲示板が設置されています。
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 整備工場から見る滑走路方向です。
 見学中も目の前の滑走路を何機も上昇していきました。
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 航空機を安全に運航するということに、多くの部署の人々が協力して、その持場を真剣に取組んでおられることが良く理解出来ます。
 パイロットを始めとする客室乗務員、空港スタッフ、過酷な気象条件のなか、グランドスタッフや貨物業務の人々、そして航空整備士の皆さん、華やかな業務も有れば、縁の下の力持ちに徹するなど、どの部署が欠けても安全に快適に乗客や荷物を送り届けることはできないでしょう。
 その一端を知ることができた、有意義な工場見学だったと感じながら整備工場を後にしました。
 

「旧芝離宮恩賜庭園」

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   JR浜松町駅のそばにある、「旧芝離宮恩賜庭園」は現在残っている数少ない江戸最古の大名庭園で回遊式泉水庭園です。
 この地はかっては海でしたが、明暦(1655年〜1658年)時代に埋立てられて、延宝6年(1678年)老中大久保忠朝の邸地となり、「楽壽園」と名付けた庭園が作庭されました。
 楽壽園は、潮の干満により景色が変化するよう工夫されておりました、
また、築山(大山)の上から、沖を行き交う船を眺める趣向を凝らしていました。
 その後、幾多の変遷を経て、宮内庁の所領となり「芝離宮」となりましたが、大正12年の関東大震災により、建物、樹木がほとんど焼失しました。
 翌年の、大正13年東京都に下賜され、庭園の復旧と整備がなされて、一般に公開されるようになりました。昭和54年(1979年)には国の名勝に指定されています。
 現在は、海の展望などは失われましたが、中島の蓬莱山をはじめとする石組の妙は昔日の面影を今に残しております。

 
 庭園案内のパンフレットです。
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 庭園のの案内図です。
 散策路に従って、ぐるりと回遊するようになっています。
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 道路に面して立てられている案内板です。
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 庭園入場口までのプロムナードです。
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 庭園を入ったところは広場となっていて、イベントにでも使用出来るのでしょう。
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 庭園の要となる池は約9.000㎡の広さをもっています。
 昔は海水を引入れていました、現在は淡水です。
 池は中島と浮島を配して海と湖を形づくっています。
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 浮島を眺め、池の一画には洲浜を設けています。雪見灯籠が景色を締めます。
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 枯滝です。
 山峡を流れ落ちる滝を表しています。流れの河床が散策路になっています。
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 西湖の堤です。中島へ渡り、八つ橋にて対岸に渡れます。
 中国の杭州にある西湖の堤を模した石造りの堤です。
 中島の石組は楽壽園の頃からのものです。
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 「大山」です。 園内が一望できる景勝地です。
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 大山です。
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 「石柱」 小田原北条家に仕えた、戦国武将の旧邸から運ばれた門柱です。
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 「大島」に渡る。互い違いに組まれた、二枚の面白い組合せの石橋です。
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 園内にはツツジやシャクナゲが咲いています。
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 「中島」(蓬莱山)への八つ橋です。
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 「中島」 この島の石組は蓬莱山(仙人が住むという中国の伝説の山)を表現しています。
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 「海水取入口跡」 「潮入りの池」に海水を取り入れるために設けられた水路です。
 水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構です。
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 「むらさきしらん」が咲いています。
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東海道「品川宿」

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 「東海道品川宿」は江戸時代に宿場町として栄えました。北品川から鈴ケ森までの3.8キロにわたって、江戸時代と変わらぬ道幅が旧東海道として、現在は商店街として残っています。
 品川宿は目黒川を境に、北品川宿と南品川宿と分かれています、それらを総称して品川宿と呼ばれています。
 この品川宿には一千年の歴史をもつ、品川寺や常行寺を初め、多くの神社仏閣があり、縁日も盛んで、猟師町(漁師町)でもあり、江戸前の魚介類や、魚釣り、北の吉原、南の品川と称される遊びどころを持ち、庶民の遊興の場所として大いに栄えたところです。
 
 
 品川宿のホームページのお薦めコースに従って、青物横丁から北品川を歩いてきました。

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 青物横丁の旧東海道です。
 この道幅が江戸時代と変わらないと、貴重な存在だと言われています。
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 商店街の街路灯です。
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 海雲寺です。曹洞宗のお寺で、慶長16年(1611年)八丁堀に創建されましが明治43年に現在地に移転されました。
 火と水の神、千躰荒神のお寺として親しまれています。
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 本堂です。
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 品川寺(ほんせんじ)です。
 大同年間(806年〜810年)の創立とされる、品川宿、最古のお寺です。
 ご本尊は観世音菩薩です。
 お寺の山門前には、石の台座に安置された大きな地蔵菩薩があります。これは江戸六地蔵の一つです。
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 山門です。
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 大梵鐘(国指定重要文化財)です。
 明暦3年(1657年)の鋳造です。
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 天妙国寺です。
 興安8年(1285年)に開かれた法華宗のお寺です。
 10月中旬のお会式は万灯が境内を埋め尽くすそうです。
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 天台宗常行寺です。
 承和15年(848年)の創建といわれ、品川宿最古のお寺の一つです。
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 「品川宿の松」この松は旧東海道品川宿のシンボルとなる街道松です。
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 目黒川にかかる品川橋です。
 この川を境して北品川宿と南品川宿とに分かれます。
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 目黒川に架かる赤い鎮守橋です。
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 荏原神社です。
 創建は和銅2年(709年)の創建です。品川宿、最古のお寺の一つです。
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 恵比寿さんが安置されています。
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 現在の社殿は、(1844年)江戸時代の建築です。
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 聖蹟公園(品川宿本陣跡)です。
 江戸四宿の一つで東海道五十三次の第1番目の宿場として発達しました。
 参勤交代の諸大名などの宿泊・休憩所として大いに賑わったとされています。
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 品川宿本陣跡です。
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 一心寺です。
 安政2年(1855年)に建立された真言宗のお寺です。
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 養願寺です。正安元年(1299年)の創建といわれる、天台宗のお寺です。
 虚空蔵菩薩をお祀りしています。毎月7の付く日は縁日が行われています。
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 法禅寺です。
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 本堂です。
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 「流民叢塚碑」です。
 天保の大飢饉で亡くなった人たちを祀る供養塔です。
 品川宿には農村などから流浪してくる者が多く、この付近で病や飢餓で倒れた人の五百余人が埋葬されたといわれています。
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 品海公園です。
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 かって海岸の荷上場の名前です。三代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が迎え出て問答をした故事に因んだ場所です。
(大軍を率いても将(小)軍とはこれいかに)
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 藤沢宿の街道松です。
 東海道が取り持つ縁で藤沢宿から寄贈された松を植栽されたものです。
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 江戸時代、品川沖に迷い込んだクジラの骨が埋められた利田神社です。
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 そのクジラ塚です。
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 クジラの頭部を表していますね。
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 品川神社です。
 文治3年(1187年)に源頼朝によって、創建されたと伝えられています。
 北品川宿の鎮守さんです。
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 大鳥居の左右の石柱に、昇り龍と下り龍が彫られている珍しい大鳥居です。
 この急な階段を、お神輿が上り下るという、天王祭のお祭りは品川宿の名物だそうです。
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 本殿です。ご祭神は天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)です。
 東海七福神の大黒さんが祀られています。
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 青物横丁から北品川まで、約2時間半の品川宿巡りを終えました。

「三菱一号館美術館」

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 東京駅に近く、皇居のお堀端に整然と建ち並び、皇居を一望でき、丸の内一等地と言われる、三菱系列の会社がオフィスを構える、通称「三菱村」。この一画に三菱一号館美術館があります。

 その赤煉瓦の美術館は、三菱が1894年(明治27年)に、丸の内に最初のオフィスビルとして建設された「三菱一号館」で、設計は英国人建築家ジョサイア・コンドルです。 
 その建物は老朽化のため1968年(昭和43年)に解体されましたが、コンドルの原設計にそって意匠や部材などすべて忠実に復元し、美術館として2010年春に開館されたものです。


「唯、美しく」ザ・ビューティフル と銘打つ美術展が開催されていました。
この美術展は19世紀後半の渾沌とした英国の美術界から新しい「唯美主義」を提唱し、賛同した多くの画家や建築家やデザイナーの作品を紹介しているものです。
 
 このポスターの作品は「真夏」アルバート・ムーアの作です。
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 美術館は3階建てで、L字形になっています。
 展示室は2階と3階で、1階はチケット売場、ショップやカフェ、歴史資料室、などです。
 内部の建物の廊下などの様式などを見るのも値打ちがあるように思います。

 大名小路から見た、美術館正面です。
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 美術館入口は、「丸の内ブリックスクエア」との間に設けれた一号館広場の中庭から入館するようになっています。
 中庭へのプロムナードです。右の円形の建物は丸の内ブリックスクエアです。
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 中庭は美術館に面しているだけあって、プロムナードを進むと、街中とは思えないような、自然と心安らぐような空間を提供しています。
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 美術館の入口です。
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 中庭には、ところどころに彫刻が置かれています。
 ヘンリー・ムーア(イギリス)  腰かける女 1957
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 アギュスタン・カルデナス 「拡散する水」
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 丸の内仲通りには、ストリートギャラリーとして、多くの彫刻作品が展示されています。
 仲通りに面した、一号館広場の入口の彫刻です。
 ジュリアーノ・ヴァンジ 「追憶」
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 丸の内ブリックスクエアの1階はカフェテラスになっています。
 多くの人が中庭を眺めながら寛いでいました。
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 また、仲通り面してお洒落なお店も並んでおり、多くの人で賑わっています。
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   東京駅から,行幸通りを皇居外苑に向って歩くと和田倉門に、お濠に沿って和田倉橋を渡ると、和田倉噴水公園があります。
 和田倉噴水公園は昭和36年に造られた公園で、小規模ながら噴水公園と言うだけあって楽しめます。
 また、夜間はライトアップされるそうで、昼間と違った光景が眺められそうです。


 お濠と左に見えるのが公園に入る和田倉橋です。
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 「和田倉橋」を渡って行きます。
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 いろいろな噴水が水柱を上げています。
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 滝のように流れ落ちているのもあります。
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 親子連れがのんびりと楽しんでいました。
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 和田倉公園を後にして、皇居東御苑に向かいます。

 皇居東御苑は、かって江戸城の本丸や二の丸、三の丸のあった場所で、常時一般に公開されています。
 面積は約21万㎡もある広大で、庭園として、また江戸城の遺構など整備されています。
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 大手門手前の「桔梗濠」です。
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 濠を渡って「大手門」に向かいます。
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 重厚な「大手門」です。
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 「旧大手門渡櫓の鯱」です。
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 「百人番所」です。
 江戸城本丸御殿への最大の検問所です。四組の百人の鉄砲隊が交替で昼夜を問わず警固していました。
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 大番所です。
 中之門に設けれた警固の詰所で、位の高い与力、同心によって警固されていました。
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 「皇居正門石橋旧飾電燈」です。
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 「中雀門跡」です。
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 「二の丸庭園」です。
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 「諏訪の茶屋」です。
 明治時代に吹上御苑にあったものを移築したものです。
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 広々とした広場の向こうに、「天守台」があります。
 天守閣は明暦の大火によって焼失して、現在は天守台石垣のみが残されています。
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 「天守閣跡」です。
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 「天守閣跡」から、本丸御殿跡や、大奥跡などを眺めています。
 現在は広大な芝生地となっています。
 本丸御殿は表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていました。
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 「石室」です。
 抜け穴とか金蔵とか諸説があります。内部の広さは約20㎡あります。
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 「松の廊下跡」の石碑が立っています。
 赤穂浪士討ち入りにつながった事で良く知られています。
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 「松の廊下跡」は、樹木の生い茂る散策路となっています。
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 「富士見櫓」です。
 明暦の大火後に再建されたものです。
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 「江戸城本丸跡」です。
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 東京駅丸の内周辺は、再開発により、丸の内駅舎の復元工事など、日々、変貌を遂げています、2013年12月に訪れた時とはまた変わっています。
 東京オリンピックの誘致決定により、まだまだその姿を変えていきそうです。

 
 新丸ビル前の行幸通りから、皇居外苑方向を見ています。
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 同じく、行幸通り日比谷通りから、皇居外苑を見ています。
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 反対方向、東京丸の内駅舎を眺めたところです。
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 東京駅前、行幸通りを挟んで、右に新丸ビル、左にJPタワーが相対しています。
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 「新丸ビル」は、東京駅丸の内地区の再開発計画に基づき、2007年4月に竣工した新しい超高層ビルです。
 地下4階、地上38階建、商業施設は地下1階から7階までで、多くのショップやレストランで賑わっています。
 また街のゲストハウスと位置づけされた、丸の内ハウスは、開放的なテラスで眺めも良く人気があります。
 新丸ビル一階、オフィスホールです。
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 今日は休日で、閑散としていますが、普段はビジネスマンが行き交います。
 奥に見えるのは、ショップやレストランへのホールです。
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 7階丸の内ハウス、オープンテラスから東京駅を眺めています。
 夜間も開放されていて賑わうそうです。
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 7階丸の内ハウス、オープンテラスから、皇居外苑方向の俯瞰です。
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 「JPタワーKITTE」は旧東京中央郵便局の敷地に、2012年5月に竣工した超高層ビルです。
 地下4階、地上38階建、商業施設は1階から6階までで、1階には東京中央郵便局、ゆうちょ銀行が入って営業しており、8階から38階はオフィスとなっています。

 行幸通りからJPタワーKITTEを見ています。
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 JPタワーKITTE、前面です。
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 中へ入ると高い吹抜けになっています。一階から見上げたところです。
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 6階のKITTEガーデンは、オープンテラスになっていて、東京駅周辺の風景が楽しめます。
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 同じく、KITTEガーデンから、東京駅発着の絶え間なく行き交う列車を眺めることができます。
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 吹抜けを最上階から見下ろしたところです。
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「東京駅」ミニ探訪

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日本航空の機体整備工場の見学を兼ねて、その機会に一度訪れてみたいと思っていた周辺を、気の向くまま歩いてきました、その報告です。
 
 新幹線で降り立った東京駅。まず東京駅からスタートです。
 
 明治41年1908年3月に着工し、大正3年1914年12月に開業した東京駅。その丸の内駅舎は東京だけでなく、日本の玄関口として歴史を刻んできました。
 平成24年には創建当時の姿に復元され、国重要指定文化財として、歴史的に貴重な建造物として保存され、また発展しています。
 その東京駅をちょっと探訪してきました。
 
 
 まず、東京駅丸の内中央口と皇居を一直線につなぐ、行幸通りからの1枚です。

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 丸の内中央部です。
 中央部高さ約28mです。
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 丸の内中央部正面です。
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 新丸ビル7階テラスから眺めた駅舎です。
 中央部と左に北ドームが見えます。
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 新丸ビル前から見た、北ドーム部です、
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 JPタワー(KITTE)6階 KITTEガーデンから見た東京駅です。
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 JPタワー(KITTE)6階 KITTEガーデンから、東京駅発着の電車群が眺められます。
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 丸の内南口の入ったコンコースです。
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 丸の内駅舎、南ドームの吹抜け天井を見上げたところです。
 ドーム下の八角コーナーには創建時に復元された、八羽の勇猛な鷲が取付けられています。
 両翼を広げた約2.1mの大鷲は細部にわたり躍動感にあふれています。
 また、干支の彫刻がその干支の方位に従って八ヶ所配置されています。
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 左右に見える干支の彫刻です。
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 大鷲です。
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 創建時のレンガ壁が残してあります。
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 東京駅の歴史の一端です。 
 
 丸の内南口の券売機の前に、原首相暗殺事件の遭難現場があります。プレートが壁面に取付けてあります。
 大正10年11月4日午後7時20分、時の総理大臣 原 敬が青年の凶刃に倒れたものです。
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 床の円い印がその場所を示しています。
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 浜口首相暗殺遭難現場、プレートです。
 昭和5年11月14日午前8時58分総理大臣浜口雄幸はプラットホームを歩いていて凶弾に倒れ、翌昭和6年8月に死去されました。
 場所は東北・上越新幹線の改札手前のところです。ちょっと分かりにくいですが、殆どの人は足早に通り過ぎて行きます。
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 床にその現場を示す床タイルが埋込まれています。
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 現在の東京駅は路線が集約されて、東京駅を始発とする多くの路線があります。
 その路線の起点となる起点票が路線毎に示されています、その主なものです。
 
 
 東海道・山陽新幹線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 16番線と17番線のホーム上の床面に埋込まれています。
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 東北・上越・長野新幹線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 20番と21番ホーム上の床面に埋込まれています。
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 京浜東北線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 3番線の線路脇に設置されています。
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 国鉄100年を記念して立てられた、起点票の起点となる基準原票(ゼロキロポスト)です。
 4番線と5番線の間の線路上に設置されています。
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 東海道本線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 6番線と7番線の線路上に設置されています。1996年1月23日の刻印があります。
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 中央本線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 2番線の線路脇に設置されています。
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 中央本線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 1番線の線路脇に設置されています。
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 南禅寺船溜まりです。噴水は高低差による水圧だけで噴き上げています。
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 船溜まり横の「琵琶湖疏水記念館」です。
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 南禅寺船溜まりから、疏水の流れは西方向、鴨川へと向かいます。
 右岸には京都市動物園があります。
 また、左岸の仁王門通りには、戦後昭和20年代まで市電が運行されていました。
 このあたりから鴨川までの疏水はプールが無かった時代の、子供達のカッパ天国で夏は各、橋上は鈴なりで、足から飛び込むもの、慣れてくると頭から飛び込むものと、流れに身をまかせて橋から橋へと泳ぎを楽しんだものでした。
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 動物園を過ぎると、同じく右岸には京都市美術館です、これから先は岡崎の文教地区に入っていきます。
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 京都市美術館です。
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 観光船の十石舟が疏水を行き交います。
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 神宮道の赤い橋と平安神宮の赤い大鳥居が見えてきます。
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 平安神宮の大鳥居です。
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 鳥居を過ぎると、京都国立近代美術館です。
 左下には白川への取水口があります。
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 疏水から流れ出た白川の流れは、三条通りを越えて祇園町へと辿ります。
 この辺り仁王門通りから三條界隈迄、一昔前まで友禅流しが日常行われていました、今は全く見ることもなくなりました。
 祇園町を東から西へと流れ、鴨川で放流されて終わりを告げます。
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 神宮道の赤い橋の上から、西方向流れの先を見ています。
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 京都国立近代美術館を過ぎると、「みやこめっせ京都市勧業館」の建物です。
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 みやこめっせから疏水は90度右に曲がり北へと流れます。
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 仁王門通りから二条通り、そして夷川通りへと流れていきます。
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 右岸には京都会館があります。
 現在、オペラ等も上演出来るように建替中です。
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 ここでまた左へ90度曲がって、西方向となり鴨川へと向かいます。
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 東山通りの橋を過ぎていきます。 
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 東山通りを過ぎると、夷川ダムとなります。
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 夷川ダムです。
 このダムでは一部を区切って、夏休みには踏水会が泳ぎを教えていました。
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 夷川発電所です。
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 夷川ダムの一画に疏水の推進者であった、京都府知事の北垣国道(1836年〜1916年)の銅像が立っています。
 また対岸には顕彰碑も立てられて、知事の遺徳を伝えています。
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 夷川閘門です。
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 夷川ダムを過ぎると間もなく鴨川です。
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 鴨川への放水路です、
 白川放水路と手前は冷泉放水路です。
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 雨量の関係で流量の調節の為、各所に放水路や閘門が整えられています。
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 右は鴨川への仁王門放水路です。
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 疏水は鴨川で左に折れて鴨川運河となり、鴨川沿いに左岸を南下して京都市の南部、伏見へと向かいます。
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 京阪電車の路線が出町柳から七条通りまで地下化となり、その影響で三條通り手前から暗渠となる部分が多くなりました。
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 これで琵琶湖取水口から、京都中心部の鴨川までの疏水を辿る道はおわります。
 またの機会が有れば、南下する疏水の宇治川や、疏水分流などを歩いてみたいと思います。
(琵琶湖疏水に関する資料等のコメントは、京都市上下水道局のホームページや琵琶湖疏水の冊子から引用および転載をさせていただきました。)



 赤い橋をくぐると、第2トンネル東口が見えます。
 第2トンネルは全長124mで明治20年12月完成しました。
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 第2トンネル東口上部の洞門石額です。
 「仁似山悦智為水歓歓」(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ) 井上 馨 筆 仁者は知識を尊び、知者は水の流れをみて心の糧とする(論語)
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 第2トンネルを抜けて、第2トンネル西口です。
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 ここ第2トンネル西口にも洞門石額があります。
 「随山到水源」(やまにしたがいすいげんにいたる) 西郷従道 筆 山に沿って行くと水源にたどりつく 
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  第2トンネルを抜けると、程なく第3トンネルに至ります。
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 第3トンネルの手前、右岸には、新山科浄水場へ水を送る、日ノ岡取水池があります。
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 トンネルの手前には、「日本最初の鉄筋コンクリート橋」が記念碑と共に保存されています。
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 第3トンネルの東口です。
 第3トンネルは日ノ岡山を貫通し、全長850mで、明治22年3月完成しました。
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 ここにも洞門石額があります。
「過雨看松色」(かうしょうしょくをみる) 松方正義 筆 時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる(唐・廬綸の詩)
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 第1疏水、第3トンネル西口です。
 ようやく蹴上インクラインまでやってきました。
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 第2疏水の蹴上の出口です。
 ここで第1疏水と第2疏水が合流します。
 (立入り禁止で写真を撮ることが出来ませんので、水道局の冊子より転載させていただきました。)
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 第一疏水、第二疏水合流トンネル出口です。
 残念ながら立入り禁止で上部しか撮れませでした。
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 この合流トンネルにも洞門石額があります。
 「藉水利資人工」(すいりをかりてじんこうをたすく) 田邊朔郎 筆
 自然の水を利用して、人間の仕事に役立てる
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 合流地点です。
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  合流地点です。
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 哲学の道等に流れる、疏水分線への水路の始まりです。
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 この疏水分線は、南禅寺境内を通っていきます。
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 疏水分線を流す、お馴染の水路閣です。
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 第1疏水、第2疏水が合流した、蹴上インクラインの船溜まりです。
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 蹴上インクラインの広場には、各種の顕彰碑や樹木が植栽されています。
 
 田邊朔郎の功績を讃えた顕彰碑と彫像です。
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 殉職者之碑 昭和16年京都市電気局建立
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 「一身殉事萬戸霑恩」(いっしんことにじゅんずるはばんこおんにうるおい)
 田邊朔郎 筆 昭和35年 田邊朔郎が私費建立した第1疏水殉職者慰霊碑
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 蹴上インクライン広場から京都市内を俯瞰しています。
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 インクラインの軌道下、南禅寺への道へ通じる、通称「ねじりマンポ」です。
 戦後昭和20年代まで、ここまで仁王門通りを通って市電が運行されていました、このねじりマンポが終点でした。
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 蹴上「ねじりマンポ」の石額です。
 「雄觀奇想」(ゆうかんきそう) 北垣国道 筆 見事なながめとすぐれた考えである
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 蹴上インクラインは、第3トンネルの掘削した土砂を埋立てて作られました。
 上部の蹴上船溜まりと、下部の南禅寺船溜まりを、複線の傾斜鉄道によって旅客や貨物を積載したまま昇降させるという画期的なものでした。
 着工は明治20年5月、竣工は明治23年1月です、翌年、蹴上発電所の運転開始により、インクラインの運転が始まりました。
 インクラインの延長は582m、落差は36mあります。
 ケーブルカーと同じような仕組みで、ドラム(巻上機)を回転してワイヤーロープを巻上げ台車を上下させる設計です。


 蹴上の船溜まりです、台車を牽引される軌道上部が見えています。
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 展示されている台車と水中滑車です。
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 台車と水中滑車の展示です。
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 蹴上軌道上部から南禅寺船溜まりへ下降する方向です。
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 南禅寺船溜まりへ下降する方向です。
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 蹴上合流点から、蹴上発電所への通水鉄管です。
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 蹴上発電所です。
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 インクラインの軌道下部です、奥は南禅寺船溜まりです。
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 軌道の下部(水中に没しています)と南禅寺船溜まり全景です。
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 琵琶湖疏水(3)に続きます。
   山科疏水沿いの桜が美しく咲き誇っていると聞き、早速出掛けてきました。疏水沿いの遊歩道を歩きながら、所々に設置されている説明板を読みながら琵琶湖疏水についてもっと知りたいと興味がわき、なんどか足を運びましたが、その拙い報告です。

 さて、京都市民の命の水を運んでくれている琵琶湖疏水、その恩恵を昔から当たり前のように享受してきたことに遅まきながら反省し、先人の偉業を偲びつつ、琵琶湖からの水の流れをたどってみました。

 京都市上下水道局発行の冊子を頂き、お話をお聞きしながら、ただ水を運んでいるだけでなく、京都の産業はもちろん日本の近代化の発展に欠かせない寄与をしてきたことを改めて深く感じました。

 琵琶湖疏水は第1疏水と第2疏水に分かれています。
私達に美しい景観を与えてくれている、馴染の第1疏水は琵琶湖取水口から伏見区堀詰町まで約20キロとなっています。
 特に明治時代の偉大な遺産と言われている、琵琶湖取水口から鴨川合流点までは延長19,968mで、明治18年6月に着工し、明治23年3月に完成しました。
 その後、疏水分線や第2疏水などが計画され明治時代に完成をみています。
 第2疏水は、琵琶湖取水口から蹴上まですべてトンネルで通水され、蹴上で第1疏水と合流して、私達の目に触れることはありません。
 
 この疏水を計画したのは、北垣国道京都府知事、工事を担当したのは大学を卒業したばかりの21才の田辺朔郎でした。
 紆余曲折のうちに、着工にこぎ着けたのは当時の知事であり、後押しをした京都の市民の力でしょう、工事担当者に若い田辺朔郎を起用した大英断など、驚く他ありません。
 この難工事を、日本の技術で、日本人の手で成し遂げた最初の工事として、忘れてはならないと思います。
 そして、明治の先人たちの西欧列強に、追付け追越せという気概に、学ぶべきことは多いと思います。                    
 

  京都市上下水道局発行の冊子です。
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  疏水の平面図と碑などの位置図です(冊子より転載しました)
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 疏水の断面図です。(冊子より転載しました)
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 第1疏水の琵琶湖取水口(大津市三保ケ崎、観音寺)に隣接している第2疏水取水口です。
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 取水口は、国道161号の橋を跨いで大きく広がっています。
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 これが第2疏水のトンネル手前の制水門でここからトンネルに入っていきます。
 この第2疏水は蹴上までトンネルで通水されて、地上には姿を現しません。
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 第2疏水、制水門です。
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 第1疏水の始まりです。

 琵琶湖第一疏水の水を取り入れるための、大津市三保ケ崎、観音寺の始点です。明治19年2月着工です。
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 国道161号線や、京津電車の鉄橋下を通り、疏水の流れが始まります。
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 まっすぐに長等山に向って流れて行きます。
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 琵琶湖疏水の大津分署です。                      
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 「大津閘門」明治22年10月完成(左)と大津分署(右)です。
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 第一疏水、第一トンネル東口(大津側)に向かいます。
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 第一疏水、第一トンネル東口(大津市側)です。
 全長2,436m 明治23年2月完成しました。
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 第1トンネル東口の上部の洞門石額です。
 「気象満千」(きしょうばんせん) 伊藤博文 筆 
 千変万化する気象と風景の変化はすばらしい(宋・岳陽樓記の一節)
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 長等山を貫く第1トンネル(2,436m 明治19年2月着工 明治23年2月完成)は、当時日本最長のトンネルとして計画され、完成を疑問視されたのですが、トンネル入口の東西から横穴を掘る工法に加え、山の上から2ヶ所で垂直に穴を掘る竪坑方式という画期的な工法を採用し完成しました。
 長等山への小関越えの途中にある第2竪坑です。記念の遺跡として最近整備されてフエンス越しに眺めることができます。
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 第1トンネルを抜けてトンネル西口(京都藤尾側)です。
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 第1トンネル西口上部に彫込まれた洞門石額です。
 「廊其有容」(かくとしてそれかたちあり) 山縣有朋 筆 
 悠久の水をたたえ、悠然とした疏水のひろがりは、大きな人間の器量をあらわしている。
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 トンネル西口を出て、四ノ宮方面に向かいます。
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 藤尾緊急遮断ゲートです。
 地震などの災害時に自動で閉鎖します。
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 重箱ダムと諸羽トンネルに向っています。
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 四ノ宮、一灯園を通って、水は滔々と流れていきます。
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 重箱ダムと諸羽トンネル東口です。
 諸羽トンネルは、国鉄湖西線開通により新設されました、全長520m 昭和45年5月完成です。
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 諸羽トンネル西口です。
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 諸羽トンネル西口と諸羽ダムです。
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 山科盆地の北の山裾に向っていきます。
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 毘沙門さんへの安朱橋を通ります。
 桜と菜の花が美しいところで、いつも人の通りの絶えないところです。
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 山科疏水として、川沿いの遊歩道を朝早くから散歩の人々が挨拶を交わしています。
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 この辺り、山沿いを大きく蛇行して第2トンネルへと向っています。
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 やがて永與寺への赤い橋が見えてきます。
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  琵琶湖疎水(2)に続きます


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