2015年8月アーカイブ

 京都市内の町内の、あちらこちらで「地蔵盆」が催されている、丁度、同じ時期の、8月の23日と24日2日間、奥嵯峨、化野念仏寺で毎年行事の千灯供養が行われます。また、この日に合わせて、地元の皆さんや、嵯峨芸術大学などの協力で「愛宕古道街道灯し」(あたごふるみちかいどうとぼし)が夜の奥嵯峨を彩ります。奥嵯峨の有名な化野念仏寺の千灯供養は、この地が昔からの葬送の地として知られ、葬られたお墓や多くの石仏、石塔が長い歳月を経て散乱していたのを、地元の人々の手で集められ「西院の河原」としてお祀りしたもので、この日、ローソクに火を灯し供養しているものです。一方「愛宕古道街道灯し」は今年第20回目を迎えるもので、化野念仏寺を中心に、愛宕神社一の鳥居から祇王寺に至る約1キロあまりの街道沿いの各家の軒先に行灯が置かれ、芸術大学の学生さんが竹と和紙を用いて制作した巨大な提灯、行灯が和紙を通して照らす灯が、奥嵯峨一帯に幻想的な風景を醸し出して、訪れた多くの人々を魅了しています。

 

  宵闇が迫る、「高雄パークウエイ」高架下に吊下げられた「巨大提灯」です。

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  街道沿いの「お地蔵様」も飾られてお化粧しています。

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  「茅葺の民家」沿いに立てられた「巨大行灯」です。

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  多くの人が「愛宕古道街道灯し」の「点灯式」のために「愛宕神社一の鳥居」に集まってきます。

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   23日午後6時30分「点灯式」が始まり、松明に火が付けられ、各行灯に火がもたらされます。

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   祭り太鼓も華やかに式典を盛上げます。

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   鉦や笛を千頭に行列が愛宕街道を練り歩きます。

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  多くの人が見守る中、行列は進んできます。

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    「ひょっとこ踊りの会」の小さなお子さんから大人までのユーモア溢れ、思わず微笑む「ひょっとこ踊り」の行列です。

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   各家の前にも「行灯」が並べられて、山あいの集落をほのかに照らしています、その数800だそうです。

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   「千灯供養」が行われる「化野念仏寺」への参道です。

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   境内に入ると「西院(さい)の河原」までは、お地蔵さんの提灯が吊下げられ、卒塔婆の立つ「西院の河原」は数千体の無縁仏に、ろうそくが供えられて、辺りを明るく照らしています。墓地の周りは、手にお供えのろうそくを持った人々のお参りで混雑しています。

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    見上げれば木の間越しに、お月さんも顔をだしています。

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   「念仏寺」を後に、「愛宕街道」を多くの「行灯」や「提灯」を眺めながら、ぶらぶら散策しました。

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    ぐるりと巡って、うまく制作された、巨大な行灯や提灯を楽しく眺めながら「愛宕神社一の鳥居」まで帰ってきました。鳥居のそばの「つたや」さんです。

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    こちらは「平野屋」さんです。

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   「点灯式」の賑わいが嘘のような「一の鳥居」が、静かに行灯に照らされています。

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    「平野屋」さんの茅葺の屋根の上にも月が顔をのぞかせ、暑い京都といっても、さすがに奥嵯峨、9時近くになると、冷気が辺りを包みます。

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 ふと思い立ち、京都五山の送り火を翌日に控えた、8月15日早朝、大文字山から蹴上へと久し振に歩いてきました。

 

 「銀閣寺道バス停」から出発、(7時6分)哲学の道を右に白川の橋を渡り、銀閣寺へと向かいます。昼間の混雑もなく、お土産屋さんなどもまだ眠りから覚めていないようです。

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 「銀閣寺門前」です。(7時9分)この門前を左に折れて、「八神社」を正面に見て、その手前を右に銀閣寺の境内の塀添いに登って行きます。

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  やがて沢に添うようになり(7時19分)勾配もきつくなってきます。

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  (7時20分)沢に架かる橋を渡り、沢と別れ、山道に入っていきます。

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  (7時21分)

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  雑木林の広い山道を登っていきます。時折京都市街も垣間見えます。(7時28分)

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  「千人塚」です。7時32分

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 やがて急な長い石段が大文字の「火床」まで続きます。(7時35分)

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   石段を登り切ると「火床」に出てパッと視界が開け、京都市街が一望できます。道標が立っています。(7時41分)

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  「大文字の送り火」の「火床」です。(7時41分)大の火床75ヶ所 一画80m、19床 二画160m、、     29床 三画120m27床、あります。

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 「大の」交点前に立つ大師堂です。

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  「大」の字の交点にあたる特大の「火床」です。薪を井桁に組んで積み上げます。

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  「松ヶ崎方面」で送り火の「妙、法」がみえます、またその先、山の中腹に静市にある、「東北部クリーンセンター」が見えます。

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  手前から「吉田山」「京都御苑」「双ケ岡」から「老ノ坂」右の稜線は「愛宕山」です。

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  「大」の第二画のてっぺんの「火床」を通して京都市街の俯瞰です。(7時49分)

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  「大」のてっぺんから、「大文字山」の山頂を目指します。(7時52分)

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  「山中越え」への道を左に見て、右に大きく曲がって「大文字山三角点」へ向かいます。(8時3分)

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 「大文字山」、3等三角点(466m)です。ここが山頂広場です。(8時6分)

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  山頂広場から、京都市内の眺めです。「御所と二条城」が見えます。また左を見れば「将軍塚」から「山科方面」も俯瞰できます。山頂から「蹴上、南禅寺方面」に向かいます。

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  急な山道を少し下ると。4差路に出ます。「京都一周トレイル」の立派な標識が立っていて、行く道を導いてくれます。これから先は、分岐点には必ずこのトレイル標識があって、道を間違うことはないでしょう。

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  正面の道は、「池丿谷地蔵」「大津三井寺」への道です。(8時13分)

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  こちらは「蹴上」「南禅寺」へいく東山の稜線です。(8時13分)

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  しばらく行くと、急に視界が開け、稜線を立派な林道が横切っていました。しばらくぶりに歩いて、その変わりように驚きです。(8時16分)

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  ときおり樹間から「京都市街」が眺められます。(8時26分)

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  (8時32分)左、「蹴上、日向神社」と右、「南禅寺」への最初の分岐です。

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   途中、「見晴台」があり、右下隅に「平安神宮」の赤い大鳥居、疎水に架かる「赤い橋」も、。正面の高い建物は「京都ホテルオークラ」、その左、「御池通り」の幹線が、右上は「二条城」の森が少し見えます。(8時36分)

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 左、「日ノ岡、山科方面」へ、右は「蹴上、南禅寺方面」です。(8時38分)

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  「山科盆地」が一望できます。「日ノ岡、御陵」方面です。(8時44分)

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  「山科盆地」、東海道新幹線の高架が見えます。左は「音羽山から醍醐方面」です。

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  (8時51分)「七福思案処」に着きました。「南禅寺」「日向大神宮2コース」「御陵」など、どこを下山路にしようか迷うところです。

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  「日向大神宮」への石段を下っていきます。(9時1分)

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  「日向大神宮」へ到着です。(9時3分)

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  「日向大神宮」を過ぎると民家が現れます。(9時5分)

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  やがて「蹴上インクライン」、橋を渡ると「国道一号線」の車の騒音が聞こえてきます。(9時9分)

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  「国道一号線」に面した「日向大神宮」の一の鳥居です。(9時12分)

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  目の前の京都市営地下鉄「蹴上駅」に(9時13分)無事到着しました。

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 引接寺(いんじょうじ)は正式寺名より通称「千本閻魔堂」でよく知られ、多くの人々の信仰を集めています。かって京都の三大風葬の地であった、化野、鳥辺野、蓮台野、その蓮台野の入口にあたり、千本鞍馬口にあります。百人一首で名高い小野篁卿(802〜853年)は、この世とあの世を行き来する神通力を持つとされ、昼は宮中に、夜は閻魔大王に仕えたとのいわれから、「精霊迎えの法」を授かり、その根本道場として篁卿自ら閻魔法王の姿を刻み、建立した祠が閻魔堂の開基といわれています。京都では、お盆に水塔婆を流し「迎え鐘」をついてその音にのって「おしょらいさん」とご先祖の精霊をお家に迎えします。その盂蘭盆行事に8月14日夜に六斎念仏が奉納されます。

 

   「千本通り」に面した入口です。

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   本堂「ゑんま堂」です。

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  本尊「閻魔法王」です。怖いお顔から恐れられていますが、実は人間界を司る、私達を三悪道にに行かせないための身近な仏様です。長享2年(1488年)仏師定勢により刻まれました。

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  「鐘楼」です。毎年8月のお精霊迎えの行事に「迎え鐘」「送り鐘」として撞かれます。

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   「梵鐘」(文化財)です。高さ148センチ、口径82センチです。南北朝時代の康歴元年(1379年)の刻銘があります。

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  「童観音」です。子供たちの災禍、除難を念じて建立されました。

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   「紫式部供養塔」(重要文化財)高さ6m 花崗岩製です。境内の西北隅に建てられています。南北朝時代の至徳3年(1386年)円阿上人の勧進により建立されたという銘刻があります。

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   「地蔵供養池」です。卒塔婆を流すことができます。

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   「千本六斎念仏」(無形民俗文化財)は、京都の14の六斎念仏保存会の一つで、他の保存会共々、8月のお盆を中心に活動しています。奉納は14日の午後7時から始まりました。京都の六斎念仏は、平安時代、空也上人が始めた空也踊躍(ゆうやく)念仏が始まりとされ、念仏踊りが中心の念仏六斎と 、音曲演技を取り入れた芸能六斎の二つに分類されます。今夜奉納される千本六斎は、芸能六斎に属しています。

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  「発願念仏唱和」から始まりました。

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   「保存会」の小さい子供さんが、四つ太鼓を一生懸命叩いています。微笑ましい姿です。

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  「四つ太鼓」の曲打ちです。

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   「祇園囃子」です。鉦や太鼓、笛など、祇園囃子を取入れ、楽しげに太鼓を振りながら踊る様は、見物客を引き込んでいきます。

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  同じく祇園囃子の中に組込まれた「奴姿」の「雀踊り」です。sen26.JPG

 

   「太鼓踊り」「堀川猿回し」です。

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    「引き抜き手踊り」「さらし」です。

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   「獅子と蜘蛛」 まず「獅子太鼓」です。

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   「獅子」の登場です。軽妙な仕草で跳ね踊り、「獅子舞」を演じ拍手喝采です。

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   難しい三段重ねの「碁盤」の上での宙返りなど、見ていてもハラハラします。

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   地元西陣織の金襴の衣装が華やかな「蜘蛛の精」が登場してきます。

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    「獅子と蜘蛛の精」の華やかな立ち回りです。

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    最後は獅子の「攻め太鼓」です。

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   「結願念仏ご挨拶と阿弥陀打ち」で無事目出度く終了です。

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 当初、宗教色の濃い念仏踊りが、江戸時代、京の町で広まった歌舞伎、能、狂言、祭囃子、神楽など芸能を取入れて、娯楽や楽しみが少なかった時代に、町衆に広く支持されてきたことがよく理解できます。鉦、太鼓、笛の音色と素朴な踊りとが相まって、演者と観客との一体感が醸し出されてあっという間の2時間が過ぎました。伝統芸能の保存と継承という熱意と市民の協力でこの素晴らしい芸能が将来に引継がれていくことを願っています。

 

 

 

 

五条坂「陶器まつり」

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 京都の夏の風物詩として名高い恒例の五条坂の「陶器まつり」。始まりは大正9年、清水焼発祥の地、五条坂に店を構える陶器店が、大谷本廟、六道珍皇寺へのお盆のお参りの人々を目当てに、一年に一度のバーゲンを始めたのが始まりです。その後、全国の窯元や卸店など400店が参加して、我が国最大規模の陶器まつりとして毎年8月7日から10日まで、多くの人に親しまれ賑わっています。特に最近では、若い陶芸家が南側歩道に意欲的な作品を展示しています。

 

 「陶器まつり」の西ノ端は、まず鴨川に架かる五条大橋を渡った京阪五条駅から始まります。

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  「京阪清水五条駅」から東に延びる五条通り幹線を挟んで「北側」と「南側」に出店をしています。テントの屋台が並んでいるのが見えます。

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  五条通りを東山に向って歩くと「大和大路通り」の角に道標が立っています。

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   陶器店が建ち並ぶ店舗と出店が、左右に所狭しと続きます。売り手と買い手の陶器に関する蘊蓄や、値段交渉はそばで聞いていても楽しいものです。

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   「五条坂」のほぼ中央に「若宮八幡宮」があります。別名「陶器神社」と呼ばれています。創建は天喜元年(1053年)後冷泉天皇の勅願によって、源頼義が勧請したといわれています。

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   長い石畳の参道が続いています。その参道に「京都造形芸術大学」の学生さんによる「戦後70周年×琳派400周年」をテーマに、地元の窯元さんたちが提供した陶器を使用し、陶器人形の展示が行われています。

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   「風神」像です。touki13.JPG

 

  「雷神」像です。

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  「ハレ神」像です。 (怒り悲しみそして希望)と銘うってあります。

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  「自転車妖怪」です。 (捨て置いて新たな二輪に不倫する)と表示されています。

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  「二の鳥居」を潜ると正面に「本殿」が見えます。

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  「本殿」です。照応3年(1654年)の建立で、八幡三神を始めとし、陶祖神 椎根津彦命が祀られています。

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  「蓬莱石」です。本殿の片隅に埋もれていたものを、650年ぶりに世に出された、御神威あらたかな石といわれています。

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  「鍾馗神社」です。古くから京都の町家の玄関庇の上に、守り神として置かれている鍾馗さん。今はだいぶ少なくなっていますが、まだ街中のあちこちに見られます。

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   「区民の誇りの木」「クスノキ」の大木です。

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   本殿横の「庭園」です。東門に通じています。

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   「若宮八幡宮」を出て「東山通り」に向かいます。「清水寺」に近く、多くの観光客も訪れています。

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   「東山通り」に出てきました。

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   「東山通」を隔てて「大谷本廟」が大きく広がります。

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