「東京駅」ミニ探訪

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日本航空の機体整備工場の見学を兼ねて、その機会に一度訪れてみたいと思っていた周辺を、気の向くまま歩いてきました、その報告です。
 
 新幹線で降り立った東京駅。まず東京駅からスタートです。
 
 明治41年1908年3月に着工し、大正3年1914年12月に開業した東京駅。その丸の内駅舎は東京だけでなく、日本の玄関口として歴史を刻んできました。
 平成24年には創建当時の姿に復元され、国重要指定文化財として、歴史的に貴重な建造物として保存され、また発展しています。
 その東京駅をちょっと探訪してきました。
 
 
 まず、東京駅丸の内中央口と皇居を一直線につなぐ、行幸通りからの1枚です。

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 丸の内中央部です。
 中央部高さ約28mです。
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 丸の内中央部正面です。
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 新丸ビル7階テラスから眺めた駅舎です。
 中央部と左に北ドームが見えます。
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 新丸ビル前から見た、北ドーム部です、
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 JPタワー(KITTE)6階 KITTEガーデンから見た東京駅です。
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 JPタワー(KITTE)6階 KITTEガーデンから、東京駅発着の電車群が眺められます。
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 丸の内南口の入ったコンコースです。
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 丸の内駅舎、南ドームの吹抜け天井を見上げたところです。
 ドーム下の八角コーナーには創建時に復元された、八羽の勇猛な鷲が取付けられています。
 両翼を広げた約2.1mの大鷲は細部にわたり躍動感にあふれています。
 また、干支の彫刻がその干支の方位に従って八ヶ所配置されています。
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 左右に見える干支の彫刻です。
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 大鷲です。
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 創建時のレンガ壁が残してあります。
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 東京駅の歴史の一端です。 
 
 丸の内南口の券売機の前に、原首相暗殺事件の遭難現場があります。プレートが壁面に取付けてあります。
 大正10年11月4日午後7時20分、時の総理大臣 原 敬が青年の凶刃に倒れたものです。
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 床の円い印がその場所を示しています。
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 浜口首相暗殺遭難現場、プレートです。
 昭和5年11月14日午前8時58分総理大臣浜口雄幸はプラットホームを歩いていて凶弾に倒れ、翌昭和6年8月に死去されました。
 場所は東北・上越新幹線の改札手前のところです。ちょっと分かりにくいですが、殆どの人は足早に通り過ぎて行きます。
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 床にその現場を示す床タイルが埋込まれています。
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 現在の東京駅は路線が集約されて、東京駅を始発とする多くの路線があります。
 その路線の起点となる起点票が路線毎に示されています、その主なものです。
 
 
 東海道・山陽新幹線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 16番線と17番線のホーム上の床面に埋込まれています。
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 東北・上越・長野新幹線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 20番と21番ホーム上の床面に埋込まれています。
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 京浜東北線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 3番線の線路脇に設置されています。
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 国鉄100年を記念して立てられた、起点票の起点となる基準原票(ゼロキロポスト)です。
 4番線と5番線の間の線路上に設置されています。
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 東海道本線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 6番線と7番線の線路上に設置されています。1996年1月23日の刻印があります。
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 中央本線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 2番線の線路脇に設置されています。
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 中央本線の起点票(ゼロキロポスト)です。
 1番線の線路脇に設置されています。
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このページは、Kが2014年5月 6日 08:35に書いたブログ記事です。

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