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懐かしの「太陽の塔」

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 今から約半世紀前の1970年に「大阪、千里丘」で開催された万国博覧会(大阪万博)六千万人以上の人々が集い。大成功を収めました、私も期間中、子供たちを連れて三度ほど朝早くから行き、人気のパビリオンに長時間並んで待った記憶があります。当時メインゲートを入ったところの大屋根を突き破りシンボルとして、前衛芸術家「岡本太郎」が考案した「太陽の塔」がその偉容(異様)な姿をみせていました。その後、すべてのパビリオンが撤去されるなか、この「太陽の塔」はモニュメントとして残され、2年前から内外部共、修復され、今年3月より内部公開が始まりましたので出かけてきました。

 

  モノレール「万博記念公園駅」を出てゲートに向かいます、

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  高架路から木立越しに「太陽の塔」が垣間みえます。

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   また公園内の大きな観覧車もみえます。

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   駅から5分ほどの万博公園の「中央口」です。

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   「中央口」を入ると目の前に「太陽の塔」の全景が眼に飛び込んできます。高さ70㍍、基底部の直径20㍍、腕の長さ25㍍もあります。

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   その姿をぐるりと見ながら、塔内部へと誘導されます。この「太陽の塔」には三つの顔を持っています、万博のテーマ「人類の進歩と調和」のもと、中央部の顔は「現在」を、頂部の黄金の顔は「未来」を、背面の黒い太陽は「過去」を表現していると言われています。

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  内部の見学は基底部から階段を使用して、順次上に上がって行き、腕の所まで行くことが出来ます、万博開催時は右腕に設置されたエスカレーターで、高さ30メートルの塔まわりに設置された大屋根に来館者を運んでいたそうです。

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   背面の太陽の顔「過去」の顔です。

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   ぐるりと回っていよいよ地下部へと降りていきます。

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    地下入り口全景です。

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      塔内「入り口」です。

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  地下塔内に入ると受付があります。以後は残念ながら撮影禁止です。

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   見学者に配られるパンフレットです。

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   太陽の塔の成立ちと、塔内部の説明とに分かれて良く理解できるパンフレットです。

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  塔内は中央に天井へと延びる一本の「生命の樹」に、下から上に向かって原生類から哺乳類へと生命の進化の過程が、大樹に展示されており、空間の大きさと音響、照明の素晴らしさと相まって、目を瞠る見事な出来栄えで一見の価値があります。

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  塔内は、10人程の少人数にまとめて見学者を誘導し、各パートには解説者が丁寧に解説、疑問に答え、ゆっくりと見学できるように配慮されています。  

    展示物の詳細な解説です。 

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   塔内を出ると夕闇が迫り帰路のイルミネーションが輝きを増しはじめました。

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 「爆発だ」と叫ぶ希代の芸術家「岡本太郎」。今さらながら偉大な芸術家であったと、再認識させられる太陽の塔の内部見学でした。これから先も永くその功績が輝き続けると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「須磨」探訪

  須磨と言えば源氏物語の「須磨」の舞台であり、また源平合戦の「一の谷の坂落とし」の戦いの古戦場であり、白砂青松の須磨浦の海岸と共に、多くの人々を惹き付ける魅力ある場所です。
 この須磨を半日の時間を利用して訪ねてみました。

 JR須磨駅」を降り立ち、「須磨の海岸」を、この後、駅近くの「村上帝社」から東へ歩き「綱敷天満宮」へ。
 町の人々に尋ねながら「松風村雨堂」、そしてすぐそばの「菅の井」へ立寄り、駅方向へ戻りながら、「現光寺」と「関守稲荷神社」へお参りし、山手の「須磨寺」を訪れます。
 その後、山陽電鉄「須磨寺駅」に戻り、駅のそばの「平秀衡とらわれの松跡」を見て、須磨寺駅から山陽電鉄に乗車して「須磨浦公園駅」に到着、「須磨浦公園」の山麓をひと回りして、国道2号線沿いの「敦盛塚」へ、須磨浦公園駅に戻り、乗車して「須磨駅」まで帰ってきました。
 約4時間の須磨探訪の散策でした。


 JR須磨駅を降りた、目の前の風光明媚な「須磨浦」です。
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 駅近くの「村上帝社」です。
 琵琶の名手だった藤原氏と、村上天皇との琵琶にまつわる故事から、村上天皇をお祀りしています。
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 「ご本殿」です。
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 「綱敷天満宮」です。
 学問の神様、菅原道真公をお祀りする須磨の天神さんです。
 道真公が九州に左遷された際、須磨の浦で海が荒れ、航海を中断されました。
 その時、漁師たちが綱の大綱で円座を作り休憩されたことに因んで創建されたものです。
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 「参道」と「大鳥居」です。
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 「ご本殿」です。
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 「三重塔」です。
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 「なすの願かけ」です。
 何でも願いが叶う「茄子」は「成す」と掛けて腰掛ければ幸せになります。
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 「筆塚」です。
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 「矢村三生句碑」
 (山裾は 山の唇 椿濃し)
 俳誌須磨千鳥創刊650号記念として建立されました。
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 「菅公母子像」です。
 菅原道真の母に抱かれる像です。
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 5歳の「菅原道真像」(天神さん)
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 「松風村雨堂」です。
 在原行平が京の地を離れ、この地でわび住まいをしているとき、多井畑村長の娘「もしほ」と「こふじ」の姉妹と出合い「松風」「村雨」と名付けて愛しました。行平がこの地を離れた後、姉妹は庵を建て、お慕いする行平の無事を祈ったとされています。
 現在のお堂はその庵の跡と伝えられています。
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 「観音堂」です。
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 「大久保些景句碑」
 (千木の空 澄みて厳櫃 実を降らす 些景)
 大久保些景は須磨中納言俳句道場主宰者です
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 「在原行平歌碑」
 (立ちわかれ いなばの山の 峰におふる まつとし聞かば 今かへりこむ)
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 震災後新しくなった道路です。
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 「菅の井」です。
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 「現光寺」です。
 永正11年(1514年)浄教上人の開基といわれています。
 昔は源光寺ともいわれ、また、源氏物語の光源氏の住居跡とも伝えられ、源氏寺とも呼ばれています。

 境内入口には、源氏寺と書かれた大きな石碑が置かれています。
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 境内への参道です。
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 「本堂」です。
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 「鐘楼」です。
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 本堂と「光源氏月見の松」です。
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 「芭蕉句碑」
 (見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋 芭蕉)
 延宝6年(1678年)松尾芭蕉35歳の作です。
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 「子規句碑」
 (読みさして 月が出るなり 須磨の巻 子規)
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 僧で歌人の似雲が庵を結んで住んでいました、その庵跡の石碑です。
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 入口にある、史跡芭蕉翁の句碑の石柱です。
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 「関守稲荷神社」です。
 須磨の関の守護神として祀られました。
 また源氏物語で、光源氏が須磨に流された時、巳の日祓いをしたと伝えられ、巳の日稲荷ともいうようです。
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 「ご本殿」です。
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 明治時代に掘り出された、須磨の関跡の石柱です。
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 「源兼昌歌碑」
 (あはぢしま かよふちどりの鳴く声に いくよねざめぬ 須磨のせきもり 兼昌)
 源兼昌は、平安時代末期の歌人で、小倉百人一首の中の秀歌です。
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 「藤原俊成歌碑」
 (聞き渡る 関の中にも 須磨の関 名をとどめける 波の音かな 俊成)
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 「藤原定家歌碑」
 (桜花 たが世の若木 ふり果てて 須磨の関屋の 跡うづむらん 定家)
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 「須磨寺」、正式には福祥寺ですが、一般には須磨寺の名前で広く親しまれています。
 淳和天皇のころ(823〜33年)に和田岬の沖で漁師が観音像を引き揚げ、会下山の北峰寺に安置したのを、仁和2年(886年)に聞鏡上人が須磨の地に移したのが始まりとされています。

 参道に立てられた須磨寺の石柱です。
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 網敷天満宮から須磨寺までの参道を弘法大師、菅原道真の賢者にあやかり「知恵の道」と呼んでいます。
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 「竜華橋」から「仁王門」です。
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 「仁王門」です。
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 左右に「仁王力士像」が控えています。
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 広大な敷地に多くの伽藍が建ち並んでいます。
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 本堂への参道です。
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 「本堂」です。
 慶長7年(1602年)豊臣秀頼により再建されたものです。
 本尊観世音菩薩がお祀りされています。
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 「三重塔」です、現在修理中です。
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 「大師堂」です。
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 「鐘楼」です。
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 「手水舎 五鈷水と弘法岩」です。
 須磨寺の裏山の湧水です。
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 「正覚院」です。塔頭寺院です。
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 「源平の庭」です。
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 わらべ地蔵(かわいい六地蔵さん)
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 「槙屋西月句碑」
 (ふる雨も 清水になるや 花のおく)
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 「柳汀歌碑」
 (●幾世を漕行海士の小舟さへ 静けき須磨の秋の夜の月 柳汀)
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 「蕪村句碑」
 (笛の音に 波もよりくる 須磨の秋) 
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 「山本周五郎文学碑」
 (須磨は秋であった(処女作須磨寺付近から)
 関東震災で東京を離れ、須磨寺近くで半年を過し、その時の体験をもとに、文藝春秋に処女作を発表して、文壇デビューしました。
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 「伊丹三樹彦句碑」
 (くらやみになおも花散る平家琵琶 甘酒にいま存命の一本箸 長き夜の楽器かたまりいて鳴らす 他)
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 「神田正雲句碑」
 (花千母 むかし稚木の さくら哉 正雲)
 須磨寺の荒廃から桜の名所にした功労者です。
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  「三好兵六句碑」
 (夫婦とは なんと佳いもの 向い風 兵六)
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 「尾崎放哉句碑」
 (こんなよい月をひとりで見て寝る)
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 「陳舜臣漢詩碑」
 (須磨寺有感) 
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 「音楽碑」
 (一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛) 
 敦盛遺愛の青葉の笛の碑です。
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 「平重衡とらわれの松跡」です。
 源平合戦の際、副将軍平重衡は源氏に捕らわれの身となり、この地にある松の根に腰をおろして無念の涙を流したと伝えられています。
 今は松もなく、石碑のみが往時を偲ばせています。須磨寺駅前にあります。
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 「山陽電鉄須磨寺駅」です。ここから須磨寺公園駅まで乗車します。
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 「須磨寺公園」です。公園駅を降りて、陸橋を渡って公園に入っていきます。
 このあたりは、源氏物語、須磨の巻の舞台であり。一の谷の合戦の跡でもあることで有名です。
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 中腹にある展望台から、明石大橋方面の眺めです。
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 淡路島がすぐそこに見えます。
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 公園内にも歌碑や句碑があります。

 「松笠要歌碑」 
 (視野一望紀淡は近し山上の 潮南風に向きて胸張る 要)
 松笠要は須磨の歌人です。
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 「芭蕉蝸牛句碑」
 (蝸牛 角ふりわけよ 須磨明石 芭蕉)
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 「蕪村句碑」
 (春の海 終日のたり のたりかな 蕪村)
 与謝蕪村は江戸時代の俳人で、この句は蕪村が須磨の浦で詠んだものといわれています。
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 「敦盛塚」です。
 一の谷の合戦で、16歳の若さで熊谷次郎直実に討ち取られた、悲劇の武将平敦盛の供養塔といわれています、 一方、平家一門の供養塔ともいわれる説もあります。
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 「清々句碑」
 (雨中敦盛そばへ去りし 夜客や後の月 清々)
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 「草野藤次歌碑」 
 (須磨のうら 波の音あはれ吹きたへし 青葉の笛の昔おもへば 藤次)
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 「山陽電鉄須磨寺公園駅」から乗車して、須磨駅に帰ります。
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 「山陽電鉄須磨駅」に帰ってきました。
 須磨駅駅前です。
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 須磨散策も無事終了しました。まだまだ見所も多くあります。
 古から多くの文人墨客が訪れたのも、宜なるかなと思わせる、なにか惹きつけるものがあるようです。

(文中コメントは、須磨区及び、須磨観光協会のホームページより、引用、転載させていただきました。)




「湖畔の音楽室」

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 僕はヴィオラという楽器が好きです。
 ヴァイオリンとチェロとの間で中音域を担当する地味な楽器ですが、非常に奥深い音色でオーケストラのパートの重要な部門を占めており、また室内楽のパートでも外すことのできない存在です。
  過日、京響友の会コンサート終演後の楽団員の皆さんとの交流会で、ヴィオラ奏者の高村明代さんと少しお話しする機会があり、このコンサートの存在を知り、出かけてきました。

 
 当日公演のチラシです。
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 公演場所は大津市の北部、志賀町近くの大津市和邇文化センターです。
 降り立った、JR和迩駅正面です。
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 近くの真野浜や和邇浜は中学時代、夏の海水浴で学校行事で連れられてやってきた所で、懐かしく、少し早い目に出掛けてその辺りを散策しました。
 浜辺から見る比良の山並みです。釣人が海中に入って釣り糸を垂れていました。
 水は美しく澄み、空はあくまでも青く、さわやかな気分を満喫しました。
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 こちらは、南方向、堅田の浮御堂や琶湖大橋方面です。
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 説明板によると、明治18年と29年の二度にわたる琵琶湖水害を経験した、村の人たちが築いた石垣堰堤の跡です。
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 和邇文化センターは、和邇駅からすぐのところにあります。
 運動広場や和邇図書館、テニスコートなどと併設されており、広いプロムナードや駐車場もあり、静かな環境の立地に建っていました。
 正面は和邇図書館です。
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 大津市立和邇文化センター全景です。
 落着いた色調の感じの良い建物です。
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 センター正面です、
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 ホール正面です。
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 ホールの模様です。開場一番乗りで、空席のところを写したかったのですが、早くから来場者が多くて、開演時には、ほぼ満席の大盛況の音楽会でした。
 このホールは、客席500席の中ホールで、リサイタルや室内楽、合唱団などの演奏会には相応しいホールと言えます。
 比較的新しい建物で、客席もゆったりとして適度の傾斜もあり雰囲気の良いホールでした。
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 この公演は、大津市在住の3人の演奏家が、地元の人々に音楽を楽しんでもらうために催されているもので、今回は4回目の公演だそうで、主催は「びわこのーと」です。
 ヴァイオリンの河本 学さん、ヴィオラの高村明代さん、ピアノ永山直子さんの三人の珍しい組合せのコラボレーションで、趣向を凝らされた楽しめる演奏会でした。
 河本さんの司会で、演奏される一曲づつ、曲について、楽器について、またヴァイオリン製作の聖地といわれる、イタリアのクレモナのお話など、ユーモアを交えてお話されてたっぷり2時間の音楽会でした。

 
 チラシ記載の演奏者のプロフィールです。
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 ヴァイオリンの独奏、ヴァイオリンとヴィオラの二重奏、ピアノの独奏、そしてトリオによる演奏と、組合せをよく考えられた楽しいプログラムでした。
 永山さんのショパンのワルツやポロネーズなどの素晴らしい独奏には惜しみない拍手が送られ、河本、高村両氏の息の合ったコンビの演奏もまた魅了されました。
 最後のモーツアルトの協奏交響曲は、オーケストラ部門をピアノが受持ち、3者の技巧が巧みに示されていい演奏でした。

 
 チラシに記載の曲目の一部の紹介です。
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 このような楽しい地に足のついた地道な活動は、クラシック音楽ファンの裾野を広げ、文化の香りを生活の中に生かしていく大切な要素だと思います。
 お忙しい3人の方々ですが、これからも末長く続けていって欲しいと願っています。
「湖畔の音楽室」さわやかな湖畔のホールで、至福の一時を味わえることができ、気持ちよく帰路につきました。



  阪神電車の西宮駅に、灘の酒蔵の地図が置いてあったので、ちょっと興味を引かれて酒蔵巡りをしてきました。

 JRの住吉駅から六甲ライナーに乗換えて、住吉川沿いに南下、南魚崎駅で下車しました。
 この辺り一帯は、灘の酒造の「魚崎郷」と呼ばれている地域です。
 そこで酒蔵の道の標識と地図を頼りに、まず菊正宗酒造記念館、そして桜正宗記念館、魚崎八幡宮を経て、浜福鶴吟醸工房と廻り、最後に白鶴酒造資料館と立ち寄りました。

 京都伏見の酒蔵を想像していましたが、阪神大震災での壊滅的な被害で、どこの酒造会社も近代的な建物に姿を変えており、昔からの酒造会社の面影をしのぶ事は無理のようでした。

 いずこの記念館も同じような展示でしたが、浜福鶴吟醸工房では、現在の酒造の工程などを硝子越しに眺める事ができました。



 最後に訪れた、白鶴酒造資料館をご紹介します。
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 案内パンフレットです。
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 資料館の全景です。新しく建築された二階建ての資料館です。
 左側には、大きな酒造工房が奥まで連なっています。
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 資料館の入口です。
 大正初期に、本店一号蔵として使用されていた建物です。
 大震災で被害を受けましたが、修復再建されました。
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 1階の一部は売店となっています。
 また資料館として、現代の酒造りの工程など図解説明し、また歴史などを紹介しています。
 2階は昔の酒造りの工程を、豊富な道具類などと、人形を使って順序よく見る事ができます。
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 2階の全景です。
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 同じく2階の全景です。
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 1階の入口を入れば、この大きな貯蔵桶が目の前に現れます。
 重量物をわずかの力で上げ下ろしするための、「阿弥陀車」と呼ばれる道具と、「酒槽」(さかぶね)で度胆を抜かれます。2階と吹き抜けになっています。
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 阿弥陀車の上部です。
 八角形の車輪と車軸で作られており、その形が阿弥陀さんの光背に似て、この名前が付いたそうです。
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 酒造りの工程が順序良く展示されています。
 工程は 洗米(せんまい)蒸米(むしまい)放冷(ほうれい)麹取込み(こうじとりこみ)酛仕込み(もとしこみ)醪仕込み醪出し(もろみしこみ)上槽(じょうそう)滓引き火入れ(おりびきひいれ)貯蔵(ちょぞう)樽詰(たるづめ)となっています。
 元蒸し米の工程です。
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 使用された諸道具の展示です。
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 放冷(ほうおい)です。蒸した酒米を均等に冷やします。
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 酛摺り(もとすり)です。酵母を擂り潰す作業です。
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 最後の工程です。
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  桶の色々の種類が展示されてます。酛卸桶 試桶 半切桶 酛半切 水半切 洗半切 洞半切など。
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 貯蔵樽です。鏡開きに使用する鏡樽です。
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 商標の変遷を見せています。
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 広告用のポスタ写真に使用した舞子の図です。
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 蔵人(くらびと)の食事風景です。
 住込みでの厳しい酒造りの合間の楽しみの一つ食事風景です。
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(寄り道) 
 帰りに谷崎潤一郎の旧家、倚松庵(いしょうあん)別名「細雪の家」を訪れましたが、この日は内部見学は出来ませんでした。
 この家に昭和11年(1936年)から昭和18年(1943年)まで、松子夫人や妹たちと住み、細雪を執筆した舞台となった住まいです。
 但し、他の場所にあった住まいを、平成元年に、同じ東灘区のこの地に移設復元されたものです。
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 入口には石碑が据えられていました。
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(メモ)
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「京都水族館」

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 「水とつながるいのち」をコンセプトに、内陸型の水族館では、国内最大といわれる、京都水族館。
 臨海型と違って、いろいろ制約のある中での開館となって、1年半が過ぎました。
 開館した当初は、物珍しさも手伝って、大賑わいの盛況でしたが、このところは少し落着いて、ゆっくりと見学出来るようになりました。
 ただ、小学生たちの団体客も多く、学習向きの水族館としては、喜ばしいことではないでしょうか。

 この水族館は、大きく分けて「京の川ゾーン」「かいじゅう(海獣)ゾーン」「ペンギンゾーン」「大水槽」「海洋ゾーン」「イルカスタジアム」「交流プラザ」「山紫水明ゾーン」「京の里山ゾーン」の、9つのセクションからなっています。

 他の水族館に比べて、特に大きな売り物があるわけではありませんが、京都に密着した水族館として「京の川、山紫水明、京の里山、」ゾーンが地味ですが、力を入れているようです。

 でもやはり、イルカやペンギン、大水槽等に人気が集まるのは致し方ないようです。
 それでも、じっくりと川や海での生き物の学習するのには、うってつけの施設との思いをいたしました。


 「京都水族館」のパンフレットです。
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 「フロアーマップ」です。
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 「正面入口」です。
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 「チケットカウンター」です。
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 「館内入場入口」です。
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 「京の川ゾーン」の全体像です。
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 オオサンショウウオや、うぐい、かわむつ、にじます やまめ、あゆ等、その他に、珍しい魚が多く飼育されています。
 「オオサンショウウオ」が重なり合って生息しています。
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 「かいじゅうゾーン」です。上階と連結した円形水槽の中を「ゴマフアザラシガ」泳いでいる姿を、間近に見る事が出来ます。
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 上階では、数名の飼育員の方が、かいじゅう達と触れ合い、芸などを教えています。
 「ミナミアメリカオットセイ」と女性です、親子のような情景でした。
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 「ペンギンゾーン」です。「ケープペンギン」です。
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 可愛い歩く姿を、存分に見せてくれます。
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 最大の見せ場、「大水槽」です。
 1階と2階を吹き抜ける、大水槽です。
 1階では目の前で、2階では椅子に座って、ゆっくり時間を過す事ができます。
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 大水槽をゆったりと愛嬌のある顔を見せながら泳ぐ、「おおめがねもちのうお」です。
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 「たかのはだい」です。
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 「あおうみがめ」です。
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 こちらも笑って泳いでいるような「あかえい」です。
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 「こがねしまあじ」です。
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 2階からの大水槽の眺めです。
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  「海洋ゾーン さんごの海」です。
 「ぼろかさご」です。
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 「きいろはぎ」です。
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 「はたたてだい」です。
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 「海洋ゾーン 磯の教室」です。
 「とげもみじがい」です。
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 「がんがぜ」毒棘で刺して身を守ります。
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 無脊椎の「みずくらげ」の集団です。
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 「イルカスタジアム」です。イルカのショーを催しています。
 遠くに、東寺の五重の塔や、新幹線の走行も眺められる、いいロケーションです。
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 何処の水族館でも見られる、お馴染のショーです。
 調教されたイルカが演じています。
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 出口への道筋に「山紫水明ゾーン」の展示と、館外に出ると「京の里山ゾーン」が続いて有ります。
 水族館を出ると、梅小路公園の芝生広場が広がっています。
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2020年3月

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