戦後間もなく、通学していた新制中学校のすぐそばに「六角堂」がありました。私達は京都のおへそ「六角さん」と親しみを込めて呼んでいました。今回久し振に訪れてみて、六角堂を取巻く様相が全く変わっていて驚きました。ただ六角堂の建物は今も昔も変わらないようでしたが。
「六角堂」は正式には「紫雲山頂法寺」といい、本堂の建物が六角形であることから六角堂と通称で知られています。聖徳太子が四天王建立の用材を求めてこの地を訪れた時、御堂を建て、守護仏の如意輪観世音菩薩を安置して創建したと伝えられています。西国三十三所観音霊場、第十八番札所でもあり、またいけばな発祥の地で、「華道家元 池坊」としていけばな発展に尽くしています。
京都のメーンストリート烏丸通り、その六角通りを東に入ったところに面した、「山門」です。
「山門」を入ると、参道の正面に「本堂」があります。右手には「六角柳」が植栽されています。青々と茂った枝が地面まで伸びていて、地ずり柳とも言われています。平安時代、嵯峨天皇の妃の出合いを願う夢枕の故事から、昔から六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれると、縁結びの柳として知られ、沢山のおみくじが吊下げてあります。
「正面本堂」です。
本堂前に置かれているお線香を供える「大香炉」です。台座も六角で、邪鬼が「大香炉」を下から支えている面白い意匠になっています。
「本堂」で、ご本尊は「如意輪観世音菩薩」です。
六角形の「本堂」のいわれは「六の角」とは「眼、耳,鼻、舌、身、意」によって生ずる六欲のことで、人間の欲望、煩悩を脱して、角をなくし円満になることという祈りを込めて、六つの角を作ったと伝えられています。
本堂屋根の六角形の台座と共に美しい「宝珠」です。
「納経所」です。西国三十三所巡礼、十八番札所。洛陽三十三所、一番札所として多くの参詣者がお参りし、お札の授受を受けます。
「不動明王像」がお祀りされています。悪魔を退治する強い法力を持ち、怒りの形相をされた仏様です。
その横に並んでお祀りされている「石不動」です。
「親鸞堂」です。親鸞上人の夢のお告げを聞いておられる姿「夢想之像」と六角堂参籠のわらじ姿を刻まれた「草鞋の御影」が安置されています。
境内北側の池の隅に建つ「太子堂」です。聖徳太子ご自作と伝えられる、南無仏のが安置されています。
「太子堂」に広がる池は「聖徳太子沐浴跡」と伝えられる場所で、池の側に僧侶の住坊を建てたという「池坊」の名称の由来となったところです。
「いけばな発祥の地」のモニュメントです。「池坊専応口伝」の序文を掲げています。
その側に「三十二世池坊専好」の「水仙立花」のモニュメントがあります。専好は、元和・寛永の時代に活躍した家元で、いけばな史上不世出の名人で、寛永7年(1630年)に立てた水仙一色の立花を再現したものです。
京の都の中心地点の六角形の「へそ石」です。かってここが都の中心地だったので、へそ石と呼ばれています。もとは山門前の六角通りにありましたが、明治初期に現地に移されました。
「礎石」です。この礎石は六角堂境内の発掘調査により、16世紀前後に建っていた六角堂の礎石と考えられています。
「親鸞上人像」です。上人は毎夜、比叡山より六角堂本堂に参籠された、そのお姿を留めたものです。
「十六羅漢さん」です。羅漢さまはいつもにこにこして、貴賎上下の隔てなく和顔で接しています。その表情から学ぶところが多いようです。
境内にはたくさんの「お地蔵さん」が安置されています。境内南東にある「一言願い地蔵」です。欲張らずに一つだけ願い事をすると、叶えられるといわれています。「どうしようかな?」と思案している姿と表情がいいですね。
「不動明王」のそばに安置されている、円空仏に似通ったようなお地蔵様です。
「北向地蔵」です。」京都御所をお守りするため北に向いています。
「わらべ地蔵」です。「寝たり立ったり座ったりと」いろいろな姿で子供の守り本尊としてお馴染です。
最後に隣接する池坊の研修教室などがある、「WEST18」の9階から見下ろした「六角堂」です。六角堂と呼ばれる所以がわかります。