世界遺産の最近のブログ記事

 日本初の世界文化遺産(平成5年、1993年)に指定され、平成27年(2015年)春に、大天守の大修理を終え、開城した国宝 姫路城、この度、訪れる機会に恵まれ、早朝、姫路駅に降り立ちました。この姫路城は、日本で現存する最大の城郭建築で、日本の城の魅力が凝縮された最も完成された城と言われています。白漆喰総塗籠造の優美な姿から飛び立つ白鷺に例えられ「白鷺城」の愛称で姫路市民の誇りとなっています。姫路城は元弘3年(1333年)姫山に砦として赤松貞範が築いたのが始まりとされ、その後、黒田重隆、羽柴秀吉、池田輝政、などの手を経て、本多忠政が元和3年(1617年)に城主となり、西の丸などを造るなどして完成をみたものです。

 

 入城者のためのパンフレットです。

hi1.jpg

 

 城内イラストです。(姫路城管理事務所のホームページより転載しました)

map.jpg

 

  JR姫路駅」正面です。

him2.JPG

 

  駅前の風景です。

him3.JPG

 

     姫路駅」から北に真直ぐ延びる「大手前通り」、その向こうに「姫路城」の威容で優雅な姿を望むことができます。

him4.JPG

 

  「大手前公園」から見るお城です。

him5.jpg

 

   大きな自然石の銘版が人目を惹きます。

him6.JPG

 

  「大手門」に入るための内濠に架かる「桜門橋」です。

him7.jpg

 

him9.JPG   

  「桜門橋」から見る「姫路城」です。

him10.JPG

 

    「大手門」です。

him12.JPG

    

  「三の丸広場」から見る「姫路城」全景です。

him13.JPG

 

    「三の丸」から入場口となる、「菱の門」へのアプローチです。

him14.JPG

 

   「菱の門」です、城内で一番大きな門です。花頭窓(かとうまど)が特色です。

him15.JPG

    

   「菱の門」を潜って見上げると、「西小天守」、「乾小天守」そして「大天守」    の全貌が現れます。

him16.JPG

 

   迷路のような城内道を進み、「大天守」の内部を見学します。

him17.jpg

 

him18.jpg

 

   「乾小天守」です。「小天守」の中では一番大きく天守台の西北西(乾の方角)に位置しています。

him19.JPG

 

   「大天守」最上階には「長壁神社」が鎮座されています。

him21.JPG

  

   最上階からの眺望です。

him22.JPG

 

   三の丸御殿跡です。現在広場になっています。

him23.JPG

 

       「大手前通」です。正面が「JR姫路駅」です。

him24.JPG

 

      東側の眺めです。動物園や美術館があります。

him25.JPG

 

   「西小天守」下から「大天守」を見上げたところです。

him26.JPG

 

   「大天守」を中心に東、西、乾の三つの「小天守」が連立して、千鳥破風や唐破風の華やかな装飾と共に繊細さと壮大さを合わせ持つ素晴らしい姿を見せています。

him27.JPG

 

   「大天守」です。天守台の東南隅に位置し、外観五重ですが、内部は地下一階地上六階の造りで、最上階の大棟両端に「大鯱瓦」を飾っています。左は「西小天守」です。

him28.JPG

 

   推定樹齢約100年の「エノキ」の大木です。

him29.jpg

 

   城内道は敵の来襲に備えて迷路となっており、「櫓」や「土塀」には「矢狭間」や円形や三角形の「鉄砲狭間」が設けられていています。

 

him30.JPG

 

   「上山里丸」と呼ばれる広場には有名な「播州皿屋敷」に出てくる「お菊井戸」がありますが、真偽の程はわかりません。

him31.jpg

   

   「大天守」の鯱が展示されています。明治、昭和、平成と修理の度に取替られたもので、鬼瓦と同様に守り神とされていて、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に上を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持つ想像上の生き物です。

him32.JPG

 

   「大天守」から「西の丸」に進みます。入口です。

him34.jpg

 

     「西の丸百間廊下」の全景です。千姫に仕えた侍女たちが居たところです。

him33.JPG

 

   「西の丸百間廊下」の内部です。全長約300mもあります。

him35.JPG

 

   「化粧櫓」と呼ばれる「千姫」の居室です。

him36.JPG

 

    右端が「化粧櫓」と呼ばれる場所です。

him38.JPG

   

   「二の丸」からの「天守閣」の眺めです。

him39.JPG

   

   「西の丸」からは「天守閣」の西面が美しく壮大に見えます。

him40.JPG

 

  「二の丸」と「天守閣」です。

him41.JPG

 

  「菱の門」から退城していきます。

him42.JPG

 

 さすがに世界遺産に登録された白鷺城だけあって優雅で壮大で見応えのある城郭でした、その後、姫路の町を気ままにぶらりぶらりと散策することにしました。

 

 

 

 

 

早朝の「清水寺」

| コメント(0)

 京都の数多い社寺の中でも、訪れる観光客の一番の人気の清水寺、その清水の舞台を目指して訪れる多くの観光客の混雑を避けて、早朝にお参りしてきました。

 清水寺は山号を音羽山といい、音羽山より今もなお途切れることなく湧き出でる音羽の滝から、清水寺という寺名がつけられました。ご本尊は千手観音で、開基は延鎮で、北法相宗大本山です。また西国三十三ヶ所観音霊場の第16番札所です。

 

 「清水寺」(きよみずでら)への参道です。昼間は大混雑の参道も、未だ眠りから覚めていません。

kiyo2.JPG

 

  参道から見下ろす「三年坂」です。

kiyo1.jpg

 

  参道から順路に従って伽藍を順次お参りしていきます。

 「馬駐」(うまとどめ)(重要文化財)です。参道を進んで最初に目に入る馬駐です。かって貴族や武士は、ここに馬を繋いで諸堂を参拝しました。応仁の乱後に再建されたものです。

kiyo3.JPG

 

  左、「仁王門」 右「西門」と「三重塔」です。参道正面に威容を誇る仁王門と、右奥に西門と三重塔が見えます。

kiyo4.JPG

  

  「仁王門」(重要文化財)です。応仁の乱で焼失しましたが、その後再建されました。清水寺の正門で、幅約10m、奥行約5m、棟髙約14メートルで、鮮やかな朱塗りから「赤門」とも呼ばれています。

kiyo5-1.jpg

 

  「仁王門」の左の「狛犬」です、よく見ると、左右とも狛犬の口が開口した阿形(あぎょう)となって珍しいものです。一般的には口を閉じた吽形(うぎょう)と一対をしています。

kiyo5.jpg

 

   右のこちらも開口した阿形の「狛犬」です。

kiyo6.jpg

 

  「西門」(さいもん)(重要文化財)です。嘉永8年(1631年)再建されたもので、現在立ち入ることは出来ません。

kiyo8.JPG

 

  「鐘楼」(重要文化財)です。慶長12年(1607年)再建です。

kiyo9.JPG

 

  「本堂」への参道です。

kiyo10.JPG

 

  「三重塔」(重要文化財)です。豪華絢爛な建築美をみせている三重塔で、嘉永9年(1632年)に再建されました。内部に大日如来像をお祀りし、三重塔としては、日本最大級の高さ約31mとあり、清水寺のシンボルとして国内外に広く知られています。

kiyo11.jpg

 

   「三重塔」の水の神様、火難除けの「龍神の鬼瓦」です。

kiyo13.JPG

 

  「随求堂」(ずいぐどう)塔頭慈心院の本堂です。享保3年(1718年)の再建です。衆生の願い、求めに随って叶えてくれるという大随求菩薩をお祀りしています。

kiyo14.JPG

 

  「経堂」(きょうどう)(重要文化財)です。嘉永10年(1633年)の再建で、堂内には釈迦三尊像をお祀りしています。

kiyo15.JPG

 

   「経堂」と「三重塔」が朝日に美しく映えます。

kiyo16.JPG

 

開山堂(かいさんどう)(重要文化財)です。嘉永10年(1633年)の再建で、謡曲「田村」に謳われている「田村堂」とはこのお堂のことです。 清水寺創建の坂上田村麻呂公夫妻の像などが納められています。

kiyo17.JPG

 

  「開山堂」の次は「轟門」ですが、現在解体修理中です。

  そして「朝倉堂」(あさくらどう)(重要文化財)となります。朝倉堂は、洛陽三十三所観音霊場第十三番札所です。越前の守護大名朝倉貞景の寄進により、法華三昧堂として永正7年(1510年)に創建され、寛永10年(1633年)に再建されました。堂内には、千手観音ら三尊像がお祀りされています。お堂の東側に、なでると足腰に効くといわれている「仏足石」が置かれていましたが、現在囲いがあって、ご利益を戴くことができません。

kiyo18-1.JPG

 

  「朝倉堂」過ぎると「本堂」、「外陣」と「回廊」となります。

kiyo18.JPG

 

  「外陣」の入口左側には「錫杖と高下駄」が据えられています。重さ90キロ以上の大錫杖と、14キロの小錫杖、そして12キロの高下駄です。明治中期吉野で修行した修験者から奉納されたものです。

kiyo19.jpg

 

  「本堂外陣」の「出世大黒天像」です。大きな黒頭巾と左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、ニコニコ顔で米俵を踏んでいます。

kiyo20.JPG

 

  「本堂外陣」から「舞台」と東山の風景です。

kiyo21.JPG

 

  「本堂」(国宝)です。ご本尊十一面千手観音と勝軍地蔵菩薩、毘沙門天をお祀りしています。寛永10年(1633年)に再建され、正面36m強、側面約30m、棟髙18mの大堂です。

kiyo23.JPG

 

  「本堂」の「回廊」と「外陣」を見ています。

kiyo24.JPG

 

  「清水の舞台」です。昼間の混雑が嘘のような独り占めの早朝の舞台です。錦雲渓の急な崖に、最長約12mの巨大なけやきの柱を並べ、「縣造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。面積は約190㎡、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。ここから東山方面を見ると、解体修理中の「阿弥陀堂」と「奥の院」が見えます。

kiyo25.JPG

 

  「舞台」から、西方、京都市内方向を眺めています。

kiyo26.JPG

 

   「舞台」から南方向を見ると「子安塔」の鮮やかな朱色が緑の中に映えます。

kiyo27.JPG

 

  京都市内も眼下に望めます。

kiyo29.JPG

 

  「本堂」を出て、進むと音羽山を背に「地蔵堂」「釈迦堂」「阿弥陀堂」「奥の院」とならんで建っています。「釈迦堂」と「奥の院」は現在解体修理中で立ち入ることは出来ません。この祠は「地蔵堂」です。

kiyo31.jpg

 

  「釈迦堂(重要文化財)です。豪雨で倒壊し、昭和47年(1972年)に嘉永8年(1631年)の再建時の姿に復旧されました。釈迦三尊をお祀りしています。

kiyo32.JPG

 

  「釈迦堂」から見た「本堂と舞台」です。

kiyo33.JPG

 

  「奥の院」からみた「本堂と舞台」です。

kiyo34.JPG

 

  「子安塔」から「音羽の滝」へお参りする順路です。

kiyo35.JPG

 

   「子安塔」(重要文化財)です。丁度、本堂から真南に相対して建っています。「子安塔」は聖武天皇、孝明皇后の祈願所と伝えられていますが、現在の建物は、明応9年(1500年)のものです。子安観音をお祀りしています。

kiyo36.JPG

 

  「泰産寺」です。塔のふもとにあり、塔を守護するための寺院で、洛陽三十三所観音霊場の第十四番札所として信仰を集めています。

kiyo37.JPG

 

  「子安塔」から参拝路を降りていくと「音羽の滝」があります。清水寺の開創の起源で、寺名の由来となったのがこの滝です。こんこんと流れ出る清水は、「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、「六根清浄」「所願成就」を祈願するため、常に行列ができる人気の場所ですが、今は静かな一時です。

kiyo38.JPG

 

   「音羽の滝」から「舞台」を見上げています。

kiyo39.JPG

 

  「舞台」を見上げながら緑濃い順路を仁王門方面へと、もときた場所へと戻ります。見上げると「経堂」や「三重塔」が木の間から見え隠れします。

kiyo42.JPG

 

  小振りな庭園も設えてあります。

kiyo43.JPG

 

   道標も建っています。ようやく仁王門まで戻ってきました。ここからあまり観光客も立寄らない諸堂に立寄ります。

kiyo44.jpg

 

  まず正面山門前参道の左、「大講堂」や「成就院」への参道脇に「善光寺堂」があります。洛陽三十三所観音霊場第十番札所です。鎌倉時代末期作の如意輪観音坐像などがお祀りされています。善光寺堂の右に見えるのが「首ふり地蔵」です。

kiyo45.JPG

 

  「首ふり地蔵」です。このお地蔵さまは、首がぐるりと動かせるという珍しいお地蔵さまで、自分が恋い想う人の住む方向に首を向けて、祈願すると想いが叶うといわれています。

kiyo46.jpg

 

   「大講堂」です。清水寺開創1200年の記念事業として、昭和59年(1984年)に、観音信仰の道場、国際親善、文化交流の場として建てられました。

kiyo47.JPG

 

   「北総門」(重要文化財)です。嘉永8年から16年に再建された、間口4.12mの薬医門です。かっては、塔頭の成就院の正門として使用されていた、重厚な造りの門です。正面に見えるのは、幕末に散った勤王僧 月照・信海両上人と西郷隆盛公の「歌詩碑群」です。

kiyo48.JPG

 

   「千体石仏群」です。「成就院」参道の右手に、地蔵菩薩、観音菩薩、阿弥陀如来、大日如来、釈迦如来など、様々な石仏が所狭しと立ち並んでいます。その一体一体に、色とりどりの前垂れが、有志のかたがたによって掛けられています。

kiyo49.JPG

 

   「中興堂」です。清水寺の中興開山、大西良慶和上の御霊屋(おたまや)です。良慶和上は、大正3年(1914年)から約70年にわたって清水寺住職を務められて、廃仏毀釈などによって衰退していた清水寺を現在の形に復興され、昭和58年、107歳で天寿を全うされました。その偉業を讃え、平成9年(1997年)に落慶されました。

kiyo50.JPG

 

  大西良慶和上の白寿を記念して揮毫していただいた色紙です。

kiyo55.JPG

 

  「成就院」(じょうじゅいん)清水寺本坊塔頭です。見事な庭園や、襖絵の数々があることでよく知られています。期間を限って特別公開されます。

kiyo51.JPG

 

      (各説明文は清水寺のホームページより引用させていただきました。)

 

 

 

2020年3月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち世界遺産カテゴリに属しているものが含まれています。

次のカテゴリは散歩道です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.2.10