2013年11月アーカイブ

京の秋 「宝厳院」

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 大亀山 宝厳院(だいきざん ほうごんいん)は臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院で、寛政2年(1461年)聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。

 庭園は、嵐山を借景に回遊式の山水庭園で「獅子吼(ししく)の庭」と呼ばれて、紅葉の時期の秋には特別公開されています。


 案内パンフレットです。
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 山門に至る参道です。
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 山門です。
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 山門から庭園に導かれて行きます。
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 美しく描かれた砂紋を躊躇しながら踏み、苦海・三尊石の庭へと進んで行きます。
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 苦海・三尊石の庭です。
 築山の手前に雲上三尊石があります。
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 苦海(空池)を表しています、後方は嵐山の借景です。
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 獅子吼の庭へと続いています。
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 辺りは苔に覆われ、紅葉とのバランスが素晴らしいです。
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 庭園の所々に「獅子岩」「碧岩」「響岩」などの巨岩が巧みに配置されています。
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 「無畏庵」(むいあん)です。
 お茶の接待があります。
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 永代供養堂 「無礙光堂」です。
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 「本堂」です。
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 歩みを進めるに、広大な庭園のすべてが紅葉に彩られて、目を瞠ります。
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 「獅子岩」です。よく見ると、頭の部分が獅子の横顔を見ているようです。
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 垣根を巧みに利用して、変化をつけて演出されています。
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 改めて苔の美しさを感じました。
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 寶厳院垣(別名 蓑笠垣)です。
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 門前の「嵐山羅漢の社」です。
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パンフレットの所在地を転載しました。
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京都の秋 「保津川」

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 寶厳院を出て、すぐそばの保津川畔にある時雨殿を訪れようと保津川に向かいました、時雨殿はまだ開館しておらず、保津川左岸沿いに上流をぶらぶらと漫歩して、保津川の景観を、ほんの少し楽しみました。
 過日の台風18号の被害の傷跡も癒えた様子で,ホット安心しました。
 
 
 保津川畔に建つ、小倉百人一首の「時雨殿」です。
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 渡月橋方面の眺めです。
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 嵐山の山並みの紅葉です。
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 保津川右岸の紅葉です。
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 屋形船が遊覧客を乗せて、ゆっくりと進んで行きました。
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 お馴染の京都府立植物園の紅葉便りです。
 拙い写真ですが、紅葉の素晴らしさの一端を味わって頂ければ嬉しいです。


 植物園発行のガイドマップです。
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 観覧温室前の初冬の趣が漂う庭園です。
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 なからぎの森です。
 はす池の周りは紅葉一色です。
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 なからぎの森 はす池です。
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 なからぎの森 はす池です。
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 なからぎの森 はす池です。
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 なからぎの森 はす池です。
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 なからぎの森から、つばき園へ。
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 なからぎの森、水車風景です。
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 京の庭近く。
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 あじさい園の近く、フウ(中国中南部、台湾原産の落葉高木)の大木の紅葉です。
 多くの人が感嘆の声を上げていました。
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 おまけです。
 つばきが咲いていました。
 これからのつばき園が楽しみです。
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京の秋 「南禅寺」

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  京都東山、その山麓に位置する南禅寺(詳しくは太平興国南禅寺、山号は瑞龍山)は臨済宗南禅寺派の大本山です。
1291年(正応4年)大明国師が創建されました。

 この南禅寺は、金閣寺や清水寺などと共に全国的に名を知られ、参拝客が多く、また外国からの観光客の多さも目立ちます。
 お寺、本来の静かな雰囲気を求めるのは、早朝以外は無理のようです。

 紅葉も見頃と聞き、早朝、出掛けてきました。


 「中門」です。

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 「三門」(重要文化財)別名「天下龍門」と呼ばれます。
 歌舞伎で、かの有名な石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」という名科白を吐いたという、伝説の残る楼門です。
 いかにも伝説が生まれそうな、重厚で風格があります。
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 テレビドラマの画面にもよく出てくる場所です。
 三門からの紅葉です。
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 三門を横から見ています。

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 三門より法堂へ、紅葉の参道が長く続きます。
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 紅葉も今が盛りです。
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 参道から三門を振返ります。
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 「法堂」への参道です。
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 「法堂」です。
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 本坊前からの法堂です。
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 「方丈」前から見ています。
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 「南禅寺本坊」です。
 白壁と、化粧柱や化粧貫との対比が美しい本坊入口です。
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 本坊左手の、方丈への唐破風の「大玄関」です
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 黄葉、紅葉と青空に映えて、目に優しい風景です。
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 本坊前より、疎水の「水路閣」を見ています。
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  水路閣は明治21年(1888年)に建設された、琵琶湖から、京都市内に向って引かれた水路です。
 テレビドラマでお馴染の場所です。
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  建設当初は、南禅寺に似つかわしくない構築物であったでしょうが、今では付近の景観にすっかり馴染んでいます。
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 中門と本坊を結ぶ道です。
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 真言宗御室派の総本山であり、世界遺産にも登録されている「仁和寺」。888年(仁和4年)光孝天皇により創建されました。
 宇多天皇が退位後、出家して寺内に住まわれ、以来、明治維新まで代々皇子皇孫が門跡となり、御室御所と呼ばれるようになりました。
 
 私にとっても、太秦に住まいするようになって以来、散歩コースとして四季折々、お参りしながら、その移り行く景色を楽しんでおります。
 
 
 仁和寺のパンフレットです。

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 境内案内図です。仁和寺ホームページより転載しました。
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 きぬかけの道からの、仁王門(重要文化財)です。
 京福電車、御室仁和寺駅から北を向くと、その堂々と、風格のある仁王門に圧倒されます。
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 仁王門の左右に、仁王さん(金剛力士像)が 安置されています。 
 阿型です。
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 吽形です。
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 仁王門をくぐって、振返るとその姿にしばし見惚れます。
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 仁王門を入ってすぐ左手に、御殿と本坊の表門があります。
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 御殿入口への石畳の道です。
 右手に平唐門が見えます。
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 御殿入口式台を上がると、最初に御室流の生け花が迎えてくれます。
 松に菊、清楚な中に気品が感じられます。
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 白書院から見る南庭です、白砂敷きが市松模様に描かれています。
 正面は勅使門です。
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 白書院の襖絵 昭和12年 福永晴帆 画です。
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 白書院から宸殿、そして黒書院へと続く御殿回廊(渡り廊下)です。
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 白書院から宸殿へ。
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 宸殿から眺める北庭です。
 素晴らしい眺めです、遠くに五重の塔が配されています。
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 紅葉も盛りです。飛涛亭(重要文化財)も見えます。
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 宸殿の回廊です。
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 宸殿内部です。 御所の中で最も重要な建物です。
 襖絵は 大正2年 原 在泉 画です。
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 宸殿から黒書院へと続きます。
 至る所に細かい細工が見られます。
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 黒書院 襖絵は昭和6年 堂本印象 画です。
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 黒書院からの庭園の眺めです。
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 黒書院から、宸殿方向です。
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 黒書院回廊から、霊明殿を見ています。
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 霊明殿から、北庭を俯瞰しています。
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 京の秋「仁和寺」金堂付近に続きます。
 
 
 
 
 京の秋「仁和寺」御室御殿からの続きです。
 
 
 勅使門の前から中門を見ています。
 広々とした参道に、空は青く、松の緑、そして中門の朱色が映えます。
 いつも一度ここでしばし佇み、見入ってしまいます。
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 南庭に面する勅使門です。
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 中門(重要文化財)です。ここでも仁王さんのお出迎えです。
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 多聞天王です
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 持国天王です。
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 中門から仁王門を振返ります。
 おおらかな気持ちにさせてくれる、風景です。
 仁王門の右に双ケ岡の一の丘が遠望できます。
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 中門から金堂への参道です。
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 左右の紅葉が鮮やかです。
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 金堂(国宝)です。
 京都御所の紫宸殿を寛永年間に移築したものです。
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 金堂の鬼瓦です。
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 金堂の珍しい屋根瓦。 亀の上に乗った黄石公(こうせきこう)という仙人です。
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 金堂前から中門を振返って見ています。
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 参道の紅葉の素晴らしさです。
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 五重の塔(重要文化財)です。江戸期の建立です。
 金堂への参道からです。
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 少し方向を変えて撮ってみました。
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 同じくです。
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 経蔵(重要文化財)です。
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 経蔵です。
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 鐘楼(重要文化財)です。
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 金剛華菩薩像、霊宝館の参道です。
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 九所明神です。
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 九所明神拝殿です。
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 金剛華菩薩像です。
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 金剛華菩薩像、霊宝館の参道です。
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 参道脇の紅葉です。
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 双ケ岡の一の丘から俯瞰した、御室仁和寺の全景です。
 後ろの山は、御室八十八ケ所霊場です。
 残念ながら、現在、観音堂及び御影堂は修復工事中です。
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「佐川美術館」

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 30年来の友と一緒に行く約束をした佐川美術館。その友が直前に急逝して長い間そのままに、ようやくその気になり出かけてきました。

 佐川美術館はその敷地に一歩、足を踏み入れると、そこに構成された全体空間が芸術作品として呈示されているように感じます。
 その思いは、ミホミュージアムや豊島美術館、地中美術館でも同様に感じた事で、近年の美術館はそのような傾向にあるのでしょうか。

 いずれにしろ、佐川美術館は、水庭に配された軒の深い、切妻屋根のシンプルなデザインの三棟の建物が巧みに配され、まるで水郷の岸辺に古民家が存在するような趣です。 
 そこには美術品の展示がなくても、その場所に佇むだけでも、ひとときの心の安寧を求める事ができそうです。
 

 美術館のパンフレットです。
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 平山郁夫展の紹介パンフレットです。
 多くの人々に名を知られる、平山郁夫氏、シルクロードととの関わりあいを具に紹介されている展覧会です。
 僕の手許に、岩波書店(1983年)発行の「私のシルクロード」という著書があります。僕には晩年より、これを書かれた時代の平山郁夫氏は一番好ましいと思っています。
 会場では楼蘭三部作が「月の沙漠」の歌を思い起こさせます。
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 同じく楽吉左衛門館のパンフレットです。
 地下会場の雰囲気といい、光を巧みに利用した配置といい、忘我の境地を楽しませてくれます。
 楽吉左衛門さんの「茶入」土田半四郎さんの仕覆を、しばし眺めていました。
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 館内案内図パンフレットからの転載です。
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 チケットセンターと館内入口です。
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 入場してプロムナード方面の眺めです。
 平山郁夫館の等間隔に配された、円柱が印象的です。
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 振り返ってチケットセンターです。
 樹木が景観を引き締めます。
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 美術館本館(平山郁夫館)です。
 円柱が水面に映えます。
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 右は、特別展示室です。
 水辺のプロムナードが左の樹木と植込みによって、円を描くように誘い込まれます。
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 本館、右と、特別展示室、左です。
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 本館への順路、橋を渡って行きます。
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 橋を渡り、エントランスホールに向かいます。
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 橋を渡ると、左手に入館者を歓迎するようにお出迎えです。
 佐藤忠良氏「萌」(1997年)
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 岸辺を散策しながら、エントランスホールに向かう趣です。
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 静かな水面に蝦夷鹿が咆哮しているようです。
 佐藤忠良氏「蝦夷鹿」(1971年)
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 入館口です
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 エントランスホールです
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 本館から特別室への渡り廊下から水庭を眺めます。
 水面に映る光景が印象的です。
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 本館から特別室への渡り廊下から、奥のコーヒショップです。
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 葦の茂る川面に浮かぶ茶室、その水面下に楽吉左衛門館があります。
 まるで古民家を思はせる風格を感じさせます。
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 茶室へ向かう廊下から眺めています。
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 楽吉左衛門館への、地下へ降りる階段室です。
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 楽吉左衛門館への入口です。
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 地下へ降りると、広いエントランスがあり、一服できるように、長椅子が設けてあります。長椅子は一枚板です。
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 光の陰影を巧みに利用して、入館者を誘い込みます。
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 佐藤忠良氏 「冬の像」です。
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 佐藤忠良記念館 入口です。
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 広々とした空間が青空のもと広がります。巧みな樹木の配置によって、遠くの建物がが遮蔽されています。
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 美術館からの出口です。
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 駐車場からのアプローチです。
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 私達の一番身近に親しまれている稲荷神社は、全国に30.000社あるといわれています、その総本宮が伏見稲荷大社です。
 商売繁盛、五穀豊穰の神様として、1300年にわたって庶民の信仰を集め、「お稲荷さん」と広く親しまれています。
 
 その稲荷大社のお火焚祭が毎年11月8日に執り行われています。秋晴れの当日、参拝してまいりました。
「火焚祭」は一年間の五穀豊穰を感謝して行われる祭事です、

 子供の頃は神社だけでなく、民間でも広く行われておりました。
 わが家でも、神棚の前で、鉄床に護摩木を井桁に組んで、天井から御幣を吊り下げ、お火焚きをしておりました。火の勢いで、御幣が高く舞い上がると、吉兆の印として喜んでおりました。
 住まいが、中京区の商家の多かった地域でもあり。近所のお宅にも子供同士連れ立ってお参りし、お供えしてあった、お下がりの宝珠の印の入った紅白饅頭や、おこし、お芋などを貰うのが大いなる楽しみの一つでした。
 現代の飽食の時代には考えられない事で、懐かしさがいっぱいです。


 JR稲荷駅前の新しく整備された参道です、大鳥居が出迎えてくれます。
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 「楼門」です。天正17年(1598年)豊臣秀吉の造営とされています。
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 「ご本殿」です。(重要文化財)
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 誰もが一目でわかる、「千本鳥居」です。TVドラマや映画でお馴染です。
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 火焚祭りは、その千本鳥居を入った、左側の神苑斎場において、執り行われます。
 既に準備万端、整っています。
 中央祭壇の左右に積み上げられているのが、全国からの願い事を書いて、奉納された護摩木の火焚串です、その数、約10万本といわれています。
 祭壇を中心に、火床が三ヶ所設けられています。
 火床は、3メートル四方で高さ1.5メートルあり、四方に檜の葉を被せてあります。既に、火焚串が入れてあり、その上に、今年、神田で収穫された稲藁が円錐形に立てられています。
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 本殿の祭典が午後一時からおこなわれ、その後、午後二時より、この場所で、火焚串が炊きあげられます。
 宮司さん以下、神官の皆さんが列席の中、お祓いに始まります。
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 参列者の見守るうち、厳かに各火床に行われました。
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 中央に置かれた「櫃」には本殿から移された、神に捧げる鎮めものが納められています。
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 鎮めものを取り出し、各火床に納められます。
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 祝詞を捧げられ、納められます。
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 その後、祭壇に祀られていた、火焚の為の基火を取り下げて、いよいよ点火となります。
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 基火を移しています。
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 いよいよ点火となります。
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 もうもうたる煙が、辺りを覆います。

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 神職の方が、拝礼をしながら、火炊串を次々、火床に投げ入れていきます。
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 炎が上空に舞い上がります。
 大きくならないよう、柄杓で水を掛けて回ります。
 中央祭壇から、火焚串を運ぶ人など、猛烈な熱さの中、多くの神職の方が忙しく立ち回ります。
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 立ち上がる紅蓮の炎の高さに圧倒されます。
 また、その熱さに後ずさりしなければならないくらいです。
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 その間、神職の方々が、各火床を回り、神の御加護をお祈りいたします。
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 炊き上げられている間、宮司さん始め神職の方々が、大祓詞を唱えられ、家内安全、無病息災、罪障消滅、万物招来を祈られます。
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 炊き上げれている間、巫女さんによる、御神楽の奉納が三度あります。
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 宮司さんを始め参列者の皆さんが、最後の炊き上げが終わるまで、祝詞を奏上して終わります。
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 午後二時に始まったお火焚祭も、無事終わりを告げました。
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 浄土宗総本山の知恩院は、東山山麓に位置し、広大な寺域に伽藍があります。
 その中心的存在で、法然上人の御影をおまつりしている御影堂(みえいどう)が、平成24年より大修理に入っています。
 今回、その現場が11月2日、3日と公開されましたので見学してまいりました。
 
 御影堂の建築様式は、唐様を取り入れた和様で、日本で5番目に大きい寺院建築で、大きさは、奥行35メートル、間口45メートル、周囲に幅3mの大外縁を備えています。

 現在の建物は、寛永16年(1639年)に再建されたもので、これまでに元禄15年(1702年)と明治43年(1910年)に大修理が行われました。
 
 今回の工事は、解体された材料を出来得るかぎり再利用して、屋根瓦の全面葺替え、腐朽、破損個所の取替えと補修、耐震構造補強などが、8年計画で進められ、平成30年12月に完成予定となっています。



 京都府教育委員会が発行する「文化財建造物保存修理」現場公開のパンフレットを転載しています。
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 知恩院御影堂の概要です。(パンフレットより)
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 解体される小屋組みの断面図と説明です。(パンフレットより)
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 解体現場の経過と写真説明です。(パンフレットより)
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 お堂を覆う、素屋根の前面です。
 東西、両本願寺の、御影堂の工事と同じく、鉄骨造で素屋根を東側で組立、順次西へ油圧ジャッキで送込んでいく工法で完成させています。
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 素屋根の中間部分です。
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 御影堂前面の屋根部分の全体像です。東より撮っています。
 軒先の重量を支える為の、多くの桔木(はねぎ)が見えます。奥には小屋束が立っています。
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 御影堂西南の屋根隅部分です。
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 各部材には見学者の為に、名称と簡単な説明がつけられており、行き届いています。
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 多くの桔木(はねぎ)はテコの原理を利用して、奥深い軒先の重量を支えています。
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 素屋根は、風雨を避ける為の屋根の部分だけでなく、工事の足場を兼ねており、何層にも設置されて、安全確保の役目を果たしています。
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 御影堂西南隅より、西側北方を見ています。
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 軒先から、上部の棟部分を見ています。
 大きく反り屋根になっているのが分かります
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 隅と、小口裏甲(こぐちうらごう)の部分です。
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 御影堂西側軒の小口裏甲(こぐちうらごう)の部分です。
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 素屋根の足場部分です。
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 人の身長170センチと、小屋束との高さの対比を表しています。
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  建立当時の桔木(はねぎ)に、明治の修理時に補強したと説明されています。
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 素屋根の鉄骨柱に、基準点が設置されています。
 建物のすべての高さの基準となり、これが狂うと大変な事になります。
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 小屋組みの番付けと称するもので、すべての部材に書き記されており、この番板を見れば、一目で何処の部材かが分かるようになっています。
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 蟇股(かえるまた)と呼ばれるもので、普段このような近くで見る事が出来ません。
 屈みこんで、覗いていますが、少し暗いのが難です。
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 彫刻がなされています。
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 組物(くみもの)と呼ばれるものです、三手先という、格の高い組み方だそうです。
 屈みこんで、覗いていますが、ちょっと分かりにくいです。
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 大小様々な鬼瓦が並べられて、説明文が付されています。
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 大棟の鬼瓦です。建立当初のものです。
 巨大な大きさになりますので、9つの部分に分割して作られています。
 据付けの時には、これらを金物でつないで一体化します。
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 上記の頭部分です。
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 鉄釘の説明です。和釘は明治以前のものです。
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 現場で大工さんが材料を刻んでいます。
 後ろに立てかけてあるのは、原寸図でしょう。
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 錺金具の実演をしておられます。
 この現場公開に合わせて、左官屋さん、畳屋さんなど関連する職種の方が特別出張して、説明や実演をされていました。
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 瓦師さんが、瓦の石膏の型板で巴瓦の紋を作成されていました、私も作成させて頂き記念に貰って帰りました。
 乾燥した状態ですが、職人さんが作成されたら、もちろん、ひびなどは生じません、念の為。
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 多くの人々の努力によって、後世に引継ぐべき貴重な文化財が、新たな命を吹きこまれて、どのように大修理が終わるのか、竣工の落慶法要が待たれます。






  恒例の京都御所の秋の一般公開が今年も10月31日から11月4日まで実施されました。
 久し振りの京都御所の見学でしたが、多くの人が列をなしているのには驚きました。外国の観光客も多く、バスが何台も駐車場に入っていきました。
 見学コースも順路が決まっていて、約一時間余りの所要時間でした。



宮内庁京都事務所発行の案内パンフレットです。
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 御所公開、順路図です。
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 「宣秋門」です。ここから入場します。普段はこのように閉じられています。
 一般公開の時には使用されます。
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 まず「宣秋門」から入場して、最初の「御車寄」です。
 昇殿を許された者が参内する時の玄関です。諸太夫の間や清涼殿、小御所とつながっています。
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 「諸太夫の間」 参内した者の控えの間で、身分によって部屋が分かれています。格の高い順に、虎の間、鶴の間、桜の間となっています。
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 「諸太夫の間」
 桜図 原 在照
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 鶴図 狩野永岳
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 虎図 岸 岱
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 「新御車寄」全景です。
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 「新御車寄」大正4年、大正天皇即位礼に建てられたもので、大正以後の天皇、皇后両陛下の玄関です。

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 「月華門」 紫宸殿を取巻く出入口の一つで、回廊によって仕切られています。
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 「承明門」 京都御所の正面、建礼門から、紫宸殿に向かう正門です。奥、真正面に紫宸殿が見えます。
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 「建春門」 京都御所への入口の一つです、東南部にあります。
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 「日華門」 紫宸殿に入る一般出入口です。
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  回廊が紫宸殿の南庭を囲むように巡らされています。
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 「紫宸殿」全景です。 日華門より眺めています。
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 「左近の桜」です。
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 「紫宸殿」は即位礼など重要な儀式をを行う、最も格式の高い正殿です。
 大正天皇、昭和天皇の即位礼もここで行われました。
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 中央に高御座(たかみくら)があります。
 即位の儀式に天皇の御座として用いられるものです。
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 「右近の橘」です。
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 「紫宸殿」全景です。
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 「清涼殿」 平安時代の内裏では、天皇の日常生活の場として使用された御殿です。
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 「紫宸殿」と「小御所」の仕切り門です。
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「御池庭」 「小御所」と「御学問所」の前に広がる御池庭です。
 池を中心とした回遊式庭園です。
 どの場所からも、様々な景色が楽しめるように作庭してあります。
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 「小御所」全景
 諸種の儀式が行われ、武家との対面にも用いられた場所です。
 寝殿造りと書院造りの混合した様式の建物です。
 昭和29年に鴨川で行われた、花火大会の飛び火で焼失、昭和33年に復元再建されたものです。
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東遊(あずまあそび)(日本古来の歌舞)で風俗歌に合わせて舞います。
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「蹴鞠の庭」と「御学問所」です。
 この場所で蹴鞠が催され、天皇がご覧になったそうです。
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 「御常御殿」前に広がる「御内庭」です。
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 奥に茶室があります。
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 「御常御殿」 南面です。 御常御殿は天皇の日常の住まいです。
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 襖絵です。  
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 「御三間」 七夕や盂蘭盆会などの行事に使用されました。
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 「清所門」(出口)への順路です。
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 「清所門」(出口)です。普段は京都御所への入場、退出はこの門を使用されます。
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 京都府立植物園では、毎年菊花展が開催され、各地から手塩に掛けた力作が出品されています。
 47回目の今年も、10月20日から11月15日まで、大芝生地の特設会場で行われています。
 参観者の少ない開園直後に訪れました。


 特設会場の入口です。
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 懸崖仕立てです。
 長幹種の小菊を使っています。(以下のコメントは会場の説明文より抜粋しました)
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 福助仕立てです。大菊の栽培法の中で、最も背丈の低い物です。
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 小菊の千輪仕立てです。
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 花壇全景です。
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 大菊3本仕立てです。
 頭花の直径が18センチ以上となるものを大菊と呼びます。
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 自動車への小菊の飾付けです。
 子供達が喜んで乗っていました。
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おまけ)
 コスモス苑では花盛りでした。
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