赤い橋をくぐると、第2トンネル東口が見えます。
第2トンネルは全長124mで明治20年12月完成しました。
第2トンネル東口上部の洞門石額です。
「仁似山悦智為水歓歓」(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ) 井上 馨 筆 仁者は知識を尊び、知者は水の流れをみて心の糧とする(論語)
第2トンネルを抜けて、第2トンネル西口です。
ここ第2トンネル西口にも洞門石額があります。
「随山到水源」(やまにしたがいすいげんにいたる) 西郷従道 筆 山に沿って行くと水源にたどりつく
第2トンネルを抜けると、程なく第3トンネルに至ります。
第3トンネルの手前、右岸には、新山科浄水場へ水を送る、日ノ岡取水池があります。
トンネルの手前には、「日本最初の鉄筋コンクリート橋」が記念碑と共に保存されています。
第3トンネルの東口です。
第3トンネルは日ノ岡山を貫通し、全長850mで、明治22年3月完成しました。
ここにも洞門石額があります。
「過雨看松色」(かうしょうしょくをみる) 松方正義 筆 時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる(唐・廬綸の詩)
第1疏水、第3トンネル西口です。
ようやく蹴上インクラインまでやってきました。
第2疏水の蹴上の出口です。
ここで第1疏水と第2疏水が合流します。
(立入り禁止で写真を撮ることが出来ませんので、水道局の冊子より転載させていただきました。)
第一疏水、第二疏水合流トンネル出口です。
残念ながら立入り禁止で上部しか撮れませでした。
この合流トンネルにも洞門石額があります。
「藉水利資人工」(すいりをかりてじんこうをたすく) 田邊朔郎 筆
自然の水を利用して、人間の仕事に役立てる
合流地点です。
合流地点です。
哲学の道等に流れる、疏水分線への水路の始まりです。
この疏水分線は、南禅寺境内を通っていきます。
疏水分線を流す、お馴染の水路閣です。
第1疏水、第2疏水が合流した、蹴上インクラインの船溜まりです。
蹴上インクラインの広場には、各種の顕彰碑や樹木が植栽されています。
田邊朔郎の功績を讃えた顕彰碑と彫像です。
殉職者之碑 昭和16年京都市電気局建立
「一身殉事萬戸霑恩」(いっしんことにじゅんずるはばんこおんにうるおい)
田邊朔郎 筆 昭和35年 田邊朔郎が私費建立した第1疏水殉職者慰霊碑
蹴上インクライン広場から京都市内を俯瞰しています。
インクラインの軌道下、南禅寺への道へ通じる、通称「ねじりマンポ」です。
戦後昭和20年代まで、ここまで仁王門通りを通って市電が運行されていました、このねじりマンポが終点でした。
蹴上「ねじりマンポ」の石額です。
「雄觀奇想」(ゆうかんきそう) 北垣国道 筆 見事なながめとすぐれた考えである
蹴上インクラインは、第3トンネルの掘削した土砂を埋立てて作られました。
上部の蹴上船溜まりと、下部の南禅寺船溜まりを、複線の傾斜鉄道によって旅客や貨物を積載したまま昇降させるという画期的なものでした。
着工は明治20年5月、竣工は明治23年1月です、翌年、蹴上発電所の運転開始により、インクラインの運転が始まりました。
インクラインの延長は582m、落差は36mあります。
ケーブルカーと同じような仕組みで、ドラム(巻上機)を回転してワイヤーロープを巻上げ台車を上下させる設計です。
蹴上の船溜まりです、台車を牽引される軌道上部が見えています。
展示されている台車と水中滑車です。
台車と水中滑車の展示です。
蹴上軌道上部から南禅寺船溜まりへ下降する方向です。
南禅寺船溜まりへ下降する方向です。
蹴上合流点から、蹴上発電所への通水鉄管です。
蹴上発電所です。
インクラインの軌道下部です、奥は南禅寺船溜まりです。
軌道の下部(水中に没しています)と南禅寺船溜まり全景です。
琵琶湖疏水(3)に続きます。
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