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 かって所属していた、山岳会の親しい友人たちのお誘いで、青春18切符を利用して、瀬戸内の日生諸島に出掛けてきました。日生諸島は岡山県の東部、備前市日生町を中心に14の島から構成されていて瀬戸内海国立公園に含まれています。その諸島で特に風光明媚な頭島に、往きはタクシーを利用し、帰りは海上タクシーをチャーターして海上からの風景を楽しみました。

 

日生駅の観光案内所でもらったパンフレットです。

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「頭島」の島内案内パンフレットです。

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1時間に1本という「赤穂線」に乗車、降り立った「JR日生駅」です。

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駅前の250号線を隔て美しい公園があります。

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「駅前公園」から日生駅を振り返ります

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公園のシンボル、「与謝野晶子」の歌碑です。 「つま恋ひの鹿海こゆる話聞き それかと見れば沖の鶴島」 与謝野鉄幹、晶子夫妻がのどかな瀬戸内の日生の海に船を浮かべ詠まれたものです。

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駅前の「中日生港」です。 小戸島行きのフェリー乗場にもなっています。

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「中日生港」全景です。

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「頭島」には日生駅から「備前日生大橋」を経て「鹿久居島」(かくいじま)に渡り「頭島大橋」を過ぎると約15分で定期船発着場に到着です。この辺りは、牡蠣の養殖で有名で、その牡蠣を料理した「カキオコ』を食べに寄りました。

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「カキオコ」と焼き牡蠣を頂きました。

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高台に上がると、「災害避難棟」や「日生南小学校」があります

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流石に山屋さんの集まりです、「国土地理院の三角点」があるというので探しました、小学校のグラウンドの片隅にひっそりとありました、4等三角点でした。

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高台からの眺めです、眼前に「曽島」「鴻島」「長島」などが広がります。

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 「鴻島」(こうじま)です。

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「長島」が遠望できます。

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「大多府島」(おおたぶじま)です

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「頭島漁港」 定期船の発着場となっています。日生〜鹿久居島〜頭島と最近架橋されて陸続きとなって定期船の利用が減り便数もわずかとなりました。

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「頭島漁港」全景です。

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チャーターした、快適な「海上タクシー」です

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 船上からの「日生諸島」の眺めは、陸上からとはまた視点の違う格別で快適でした。

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「頭島大橋」です・左、鹿久居島、右、頭島をつなぐ美しい架橋です。

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 「備前日生大橋」 「日生町」と「鹿久居島」を結ぶ大橋です。

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「日生港」です、約15分の所要時間で、ここに海上タクシーで降り立ちました。

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 新鮮な魚介類を扱う「五味の市」です。

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「五味の市」から「日生駅」までぶらぶら海岸沿いを歩いて日生駅まで戻ってきました。

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 無人駅の「日生駅」を通りプラットフォームで電車を待って、青春18切符この旅も終わりました。 

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 瀬戸内ののどかな海と島々の風景、漁港に係留されている漁船、そこかしこに積まれた漁具など、見慣れた光景が広がって日常の生活を感じさせます。  このような小さな旅が都会の喧騒のなかに生活を送る私たちに日頃の憂さを忘れさせてくれる一服の清涼剤となってくれています。またの機会に訪れたいものです。

 

 

 

 

懐かしの「太陽の塔」

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 今から約半世紀前の1970年に「大阪、千里丘」で開催された万国博覧会(大阪万博)六千万人以上の人々が集い。大成功を収めました、私も期間中、子供たちを連れて三度ほど朝早くから行き、人気のパビリオンに長時間並んで待った記憶があります。当時メインゲートを入ったところの大屋根を突き破りシンボルとして、前衛芸術家「岡本太郎」が考案した「太陽の塔」がその偉容(異様)な姿をみせていました。その後、すべてのパビリオンが撤去されるなか、この「太陽の塔」はモニュメントとして残され、2年前から内外部共、修復され、今年3月より内部公開が始まりましたので出かけてきました。

 

  モノレール「万博記念公園駅」を出てゲートに向かいます、

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  高架路から木立越しに「太陽の塔」が垣間みえます。

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   また公園内の大きな観覧車もみえます。

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   駅から5分ほどの万博公園の「中央口」です。

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   「中央口」を入ると目の前に「太陽の塔」の全景が眼に飛び込んできます。高さ70㍍、基底部の直径20㍍、腕の長さ25㍍もあります。

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   その姿をぐるりと見ながら、塔内部へと誘導されます。この「太陽の塔」には三つの顔を持っています、万博のテーマ「人類の進歩と調和」のもと、中央部の顔は「現在」を、頂部の黄金の顔は「未来」を、背面の黒い太陽は「過去」を表現していると言われています。

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  内部の見学は基底部から階段を使用して、順次上に上がって行き、腕の所まで行くことが出来ます、万博開催時は右腕に設置されたエスカレーターで、高さ30メートルの塔まわりに設置された大屋根に来館者を運んでいたそうです。

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   背面の太陽の顔「過去」の顔です。

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   ぐるりと回っていよいよ地下部へと降りていきます。

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    地下入り口全景です。

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      塔内「入り口」です。

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  地下塔内に入ると受付があります。以後は残念ながら撮影禁止です。

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   見学者に配られるパンフレットです。

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   太陽の塔の成立ちと、塔内部の説明とに分かれて良く理解できるパンフレットです。

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  塔内は中央に天井へと延びる一本の「生命の樹」に、下から上に向かって原生類から哺乳類へと生命の進化の過程が、大樹に展示されており、空間の大きさと音響、照明の素晴らしさと相まって、目を瞠る見事な出来栄えで一見の価値があります。

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  塔内は、10人程の少人数にまとめて見学者を誘導し、各パートには解説者が丁寧に解説、疑問に答え、ゆっくりと見学できるように配慮されています。  

    展示物の詳細な解説です。 

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   塔内を出ると夕闇が迫り帰路のイルミネーションが輝きを増しはじめました。

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 「爆発だ」と叫ぶ希代の芸術家「岡本太郎」。今さらながら偉大な芸術家であったと、再認識させられる太陽の塔の内部見学でした。これから先も永くその功績が輝き続けると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1986年に福知山線、生瀬駅、武田尾駅間に新線が開通し、87年間に及ぶ旧国鉄の線路が廃線となり、201611月に安全対策が終了して一般にハイキングコースとして開放されました。師走の冬枯れに近いこのコースを歩いてきました。コースは武庫川渓谷に沿って約5.5キロあり、往時は車窓から渓谷の美しさを堪能した乗客が多かったと思はれます。

 

   生瀬側入口に掲示されていたコース案内です。

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     降り立ったJR生瀬駅です。

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      生瀬駅から国道176号線に沿って廃線入口まで約20分歩きます。

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       国道176号線から右にそれて、スロープ状のアスファルト路を     「神戸水道第3水道橋」を右に見ながら下っていくと廃線跡の起点に着きます。

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    注意書きの看板のあるコース起点です。{9時14分}

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     起点から廃線跡を辿って行きます。

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        「名塩川橋梁」です、安全対策のため橋梁の上は歩きやすいように、両サイドには手摺が設置されています。左側には巡回路の名残が残っています。   {9時16分}

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     振返ると「神戸水道第3水道橋」と「中国自動車道」を眺めることが          できます。

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    右側には武庫川が、それに寄添うように廃線跡が続いています。

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    ところどころに鉄道設備がそのまま残されていて往時の姿を想像させます。

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    二つ目の鉄橋「どん尻川橋梁」です。{9時21分}

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      右手には「高座岩」と名称される大岩石に圧倒されます。{9時23分}

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    錆びついた速度表示板も線路脇に見えます。

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   「新4号トンネル」 318メートル 「北山第一隧道」が現れました。歩くと結構長いトンネルで、ヘッドランプを頼りに枕木や砂利に足を取られないように慎重に通過しました。トンネル内には待避所が何ヶ所かそのままの姿を残していました。   {9時24分}

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    トンネルの出口には鉄製の「待避所」が川に張り出して残っていました。

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    枕木がそのまま残置されていて、廃線跡という思いを終始感じさせます。

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      線路脇の柿の木が青空に映えていました。

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     「4号トンネル」 413メートル 「北山第2隧道」です。廃線跡のトンネルは全部で6本で、このトンネルが一番長いトンネルでした。{9時45分}

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    全てのトンネルに共通しているのは、トンネルの下部は石積で、上部はアーチ部分を含め煉瓦積みでした、恐らく長い年月と、技術力、そして多くの労働力で完成されたものと思はれ、その労苦に頭が下がる思いです。

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      「4号トンネル」出口です。{9時52分}

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     「4号トンネル」を抜けると、武庫川渓谷のハイライトと言うべき渓谷美を見せてくれます。「百畳岩」「寄合岩」など多くの巨岩、奇岩が目を楽しませてくれます。

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     「溝滝」(みぞたき)です、 名所案内「塩渓風土略記」によると、「岩四方より押し出て川幅狭くなる所、男滝と女滝があり、淵の底は千尋計り難し」と記述されていてかなり深い滝壷であったようです。

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               名残の紅葉です。

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      線路脇に枕木がそのまま放置されています。  

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    「5号トンネル」 149メートル 「溝滝尾隧道」です。{10時7分}

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  「5号トンネル」出ると、目の前に「武庫川第2橋梁」が現れます。これまで鉄路は武庫川右岸に沿って敷設されていましたが、この橋梁で川を渡り左岸に鉄路が移ります。{10時10分}

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     橋梁から武庫川の上流を眺めています。

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    「武庫川第2橋梁」を渡るとすぐ「6号トンネル」 307メートル         「長尾山第一隧道」となります。{10時12分}

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     結構長いトンネルで、抜けると武庫川が左側になります。

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     やがて「親水広場」{10時26分}と名付けられた広場が現れます、桜の樹木が多くあり、川縁にも下りられるようになっていて、宝塚市民の憩いの場となっているようです。

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また「桜の園」へと山道が続いています、手頃なハイキングコースのようです。このあたりまで「武田尾温泉」の湯治客がぶらぶらと散歩に来られるようです。

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  「7号トンネル」 147㍍ 「長尾山第2隧道」です。出口の明りが見える短いトンネルです。SLの時代には、トンネルの度に窓を閉めたり開けたりと忙しかったことでしょう。{10時27分}

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   「8号トンネル」の手前から「7号トンネル」を振返ったところです。

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「8号トンネル」 91メートル 「長尾山第3隧道」です、生瀬から最後の短いトンネルです。{10時34分}

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     左に「武庫川」を眺めながら、廃線跡も終わりに近づきます。

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    「武庫川」に注ぐ支流の橋で廃線跡も終わりになりました。                 (武田尾側からの入口となります。){10時41分}

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   現在、「県道327号」付近は大掛かりな工事が行われていて、広い駐車場も    できるようです。

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    その一画に「武田尾稲荷神社」祠が移築されています。{10時42分}

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      「県道327号」に出て、途中「武田尾温泉」への橋を左手に見ながら       「JR武田尾駅」方面に向かいます。{10時46分}

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     「神戸水道武田尾トラス橋」(第一水道橋)をくぐると「JR武田尾駅」       は目の前です。

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      「JR武田尾駅」です。{10時51分}

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    トンネルとトンネルに挟まれた武庫川橋上にプラットホームがあります。     「道場駅方面」のトンネルです。

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    反対側、「西宮名塩駅」方面の「名塩隧道」です。

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      ホーム上から歩いてきた武庫川下流を見たところです。 

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 廃線跡を歩いてみて印象に残ったことは、私が慣れ親しんできた嵯峨野線(山陰線)嵐山駅から保津川駅間の廃線跡と非常によく似た光景だと感じたことです。嵐山駅から保津川駅まで保津川渓谷の右岸、左岸と渓谷沿いに敷設されていた線路上を、廃線後の今は、観光トロッコ列車が運航し、乗客が渓谷美を堪能し、人気があります。新設された保津川駅は、武田尾駅と同じくトンネルとトンネルの間にプラットホームがあり、ホーム上から保津川の景色を楽しむことができます、片やトロッコ列車、一方はハイキングコースと、廃線されたその後の活かし方はいろいろですが、それぞれの特色を上手に活かして、価値あるものにして欲しいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姫路城を出て、隣接する好古園(こうこえん)に寄りました、「好古園」は「姫路城西御屋敷跡庭園」として、姫路城を借景に平成4年(1992年)に開園した約1万坪の池泉式回遊庭園です。発掘調査で確認された屋敷跡、通路跡等の遺構を活かし、九つの趣の異なる庭園で構成されています。名称は、江戸時代の藩主、酒井家による文武両道の振興を図った藩校「好古堂」に因んで命名されました。

   

    配られるパンフレットです。

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   広大な「西屋敷跡地」で市民の憩いの場となっています。

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   「屋敷跡地」と「好古園」を隔てる築地塀です。

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   出入口を入ると門への長い通路を進んでいきます。

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   庭園への「門」です。

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  「門」を抜けると左右に見頃の紅葉が広がっています。

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   「活水軒」の玄関です。

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  「御屋敷の庭」には長い「渡り廊下」があり、左右の眺めが美しい。

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   深山幽谷の趣のある「渡り廊下」からの左側、庭園です。

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  右側の庭には、瀬戸内海に見立てた大きな池があり紅葉に映えます。

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    「渡り廊下」を抜けると、中秋の名月を愛でるための「潮音斎」が建っています、「潮音斎」からは「好古園」、最大の池泉式回遊庭園「御屋敷の庭」が大きく広がります。多くの錦鯉がゆっくり泳いでいます。

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  各庭は「築地塀」で仕切られて順路が続いています。
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  「築山池泉の庭」です。紅葉が美しい典型的な日本庭園です。

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  「築山池泉の庭」に続いて「竹の庭」があり、四阿「聞竹亭」が中央に建っています。

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   築地塀で仕切られた庭園を抜け、「好古園」を後にしました。

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  「好古園」を出て、「市之橋」から、ぶらぶらと「千姫の小径」を進みます。「中濠」と「船場に挟まれた遊歩道です。紅葉が美しいです。

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    「千姫の小径」の途中にある「町人町」からの「いもせばし」です。

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  「いもせばし」から、ちょっと戻ると、往時の面影を偲ぶ町家が点在し、城下町の風情を感じることができます。

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   「清水橋」で「内濠」と「船場川」が分岐し、「清水橋」からは、姫路城も垣間見ることができます。

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   「清水橋」から「内濠」に沿って「清水門跡」や「シロトピア記念公園」へと城郭の北側へ連なっていきます。

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  「清水橋」から標識に導かれて西へ、「姫路文学館」の方へ歩を進めると「水尾神社」がありました。奥の「男山」には、「水尾神社」や「千姫天満宮、男山八幡宮」が祀られています。山頂は姫路城が俯瞰できる絶好のポイントのことですが、残念ながら割愛しました。

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  正面が「水尾神社」の本殿です。「船場八景」の一つ「船場秋月」が詠まれました。(冴え渡る月のかつらの男山 幾世朽ちせぬ峯の神垣)船場八景とは、江戸時代、船場の庶民が作った和歌を「酔月亭鴬雪」が選出したものです。

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  「姫路文学館」です。安藤忠雄氏の設計で、1991年に竣工しました、ガラス張りの建物が水に映えしっとりとした趣があります。播磨ゆかりの文人たちの資料が展示されています。

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   長いスロープの先にあるのが「北館」です。

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   「姫路文学館」のモニュメントから姫路城が遠望できます。

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   「景福寺」です.曹洞宗の寺院で,藩主、酒井家の菩提寺です。「船場八景」の一つ「景福寺晩鐘」が詠まれたところです。(黄昏の鐘のひびきの訪れて 花の散り積む瑞松の山)

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  参道を行くと立派な「山門」が建っています

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  「山門」の仁王像は鎌倉時代の作と伝えられています。

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   「本堂」です。後方の「景福寺山」には酒井家藩士の由縁のお墓が多く現存します。

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  「船場本徳寺」正式には姫路船場別院本徳寺と言います。東本願寺派の寺院です。蓮如上人の開基で、孫の実円が本格的な伽藍を建立しました。敷地面積は6600坪と広大なものです。山門です。

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   「本堂」です。風格のある伽藍として目を見張らせます。

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  「本堂正面」です。歴史を感じさせます。

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  「白鷺橋」(はくろばし)です。国道2号線の「船場川」に架かる石造りの橋で、重厚な歴史を感じる橋です。所々黒く変色しているのは、第2次世界大戦の空襲で受けたものだということです。

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   「白露橋」から見た「船場川」です。

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 白露橋を最後に大手前通を姫路駅に向かいました、大手前通には多くの彫刻が設置され、人々の目を楽しませてくれます。今回は姫路の街のほんの一部しか立寄ることができず、観光案内を見ると、姫路城だけでなく、まだまだ魅力あるポイントがあります。機会をつくり、ぜひ再訪したいと思いつつ、車中の人となりました。

 

 

 

 

 日本初の世界文化遺産(平成5年、1993年)に指定され、平成27年(2015年)春に、大天守の大修理を終え、開城した国宝 姫路城、この度、訪れる機会に恵まれ、早朝、姫路駅に降り立ちました。この姫路城は、日本で現存する最大の城郭建築で、日本の城の魅力が凝縮された最も完成された城と言われています。白漆喰総塗籠造の優美な姿から飛び立つ白鷺に例えられ「白鷺城」の愛称で姫路市民の誇りとなっています。姫路城は元弘3年(1333年)姫山に砦として赤松貞範が築いたのが始まりとされ、その後、黒田重隆、羽柴秀吉、池田輝政、などの手を経て、本多忠政が元和3年(1617年)に城主となり、西の丸などを造るなどして完成をみたものです。

 

 入城者のためのパンフレットです。

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 城内イラストです。(姫路城管理事務所のホームページより転載しました)

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  JR姫路駅」正面です。

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  駅前の風景です。

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     姫路駅」から北に真直ぐ延びる「大手前通り」、その向こうに「姫路城」の威容で優雅な姿を望むことができます。

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  「大手前公園」から見るお城です。

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   大きな自然石の銘版が人目を惹きます。

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  「大手門」に入るための内濠に架かる「桜門橋」です。

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  「桜門橋」から見る「姫路城」です。

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    「大手門」です。

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  「三の丸広場」から見る「姫路城」全景です。

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    「三の丸」から入場口となる、「菱の門」へのアプローチです。

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   「菱の門」です、城内で一番大きな門です。花頭窓(かとうまど)が特色です。

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   「菱の門」を潜って見上げると、「西小天守」、「乾小天守」そして「大天守」    の全貌が現れます。

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   迷路のような城内道を進み、「大天守」の内部を見学します。

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   「乾小天守」です。「小天守」の中では一番大きく天守台の西北西(乾の方角)に位置しています。

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   「大天守」最上階には「長壁神社」が鎮座されています。

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   最上階からの眺望です。

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   三の丸御殿跡です。現在広場になっています。

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       「大手前通」です。正面が「JR姫路駅」です。

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      東側の眺めです。動物園や美術館があります。

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   「西小天守」下から「大天守」を見上げたところです。

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   「大天守」を中心に東、西、乾の三つの「小天守」が連立して、千鳥破風や唐破風の華やかな装飾と共に繊細さと壮大さを合わせ持つ素晴らしい姿を見せています。

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   「大天守」です。天守台の東南隅に位置し、外観五重ですが、内部は地下一階地上六階の造りで、最上階の大棟両端に「大鯱瓦」を飾っています。左は「西小天守」です。

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   推定樹齢約100年の「エノキ」の大木です。

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   城内道は敵の来襲に備えて迷路となっており、「櫓」や「土塀」には「矢狭間」や円形や三角形の「鉄砲狭間」が設けられていています。

 

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   「上山里丸」と呼ばれる広場には有名な「播州皿屋敷」に出てくる「お菊井戸」がありますが、真偽の程はわかりません。

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   「大天守」の鯱が展示されています。明治、昭和、平成と修理の度に取替られたもので、鬼瓦と同様に守り神とされていて、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に上を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持つ想像上の生き物です。

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   「大天守」から「西の丸」に進みます。入口です。

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     「西の丸百間廊下」の全景です。千姫に仕えた侍女たちが居たところです。

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   「西の丸百間廊下」の内部です。全長約300mもあります。

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   「化粧櫓」と呼ばれる「千姫」の居室です。

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    右端が「化粧櫓」と呼ばれる場所です。

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   「二の丸」からの「天守閣」の眺めです。

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   「西の丸」からは「天守閣」の西面が美しく壮大に見えます。

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  「二の丸」と「天守閣」です。

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  「菱の門」から退城していきます。

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 さすがに世界遺産に登録された白鷺城だけあって優雅で壮大で見応えのある城郭でした、その後、姫路の町を気ままにぶらりぶらりと散策することにしました。

 

 

 

 

 

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