2014年12月アーカイブ

嵐山の「雪景色」

| コメント(0)

 日本列島に爆弾低気圧が襲来した12月18日、京都市内にも粉雪が舞い、嵐山も薄化粧を施しました、その雪景色を2014年最後にちょっぴり報告いたします。

 

  まだ粉雪が舞う天龍寺を手始めに、ぶらぶらと歩いてきました。

yuki-1.JPG

 

  夜は「花灯路」で賑わう「野宮神社」周辺の竹林です。

yuki-2.JPG

 

  野の仏も雪帽子を被っています。

yuki-4.jpg  

  「小倉池」の静かな佇まいです。

yuki-5.JPG

 

  人の姿を殆ど見かけない静かな嵯峨野一帯です。

yuki-6.JPG

  

  「常寂光寺」の門前です。

yuki-7.JPG

 

   「常寂光寺」の生け垣も普段と違った趣を見せています。

yuki-31.JPG

  

  辺りの木々は雪の花が咲いているようです。

yuki-8.JPG

 

  「落柿舎」の遠望です。

yuki-9.JPG

 

  「落柿舎」門前です。

yuki-11.JPG

 

  「落柿舎」門前から嵐山の山並みを見ています。

yuki-12.JPG

 

  「大河内山荘」前から「亀山公園」に向って上っていきます。この辺りは車も通らないので道にも雪が残っています。

yuki-13.JPG

 

  「亀山公園」展望台から「保津峡」を見下ろしています。

yuki-16.JPG

  

  左に「トロッコ列車」の軌道が見え、四季折々の景観の見所です。

yuki-18.JPG

 

  「亀山公園」は散策路が整備されて地元民や観光客の憩いの場所となっています。今日はさすがに人影がありません。

yuki-19.JPG

 

  「角倉了以」(すみのくらりょうい)の銅像です。「保津川」「大堰川」開鑿など、嵐山の治水事業に私費を投じて尽力した、角倉了以を顕彰して、この嵐山を望む「亀山公園」に建てられたものです。

yuki-20.JPG

 

  「亀山公園」から渡月橋方向です。

yuki-30.JPG

  

  「大堰川」畔に降りてきました。対岸の山も雪化粧です。

yuki-22.JPG

  

  「宝厳寺」前の仏さまも雪を被って少し寒そうです。

yuki-24.JPG

 

  「時雨殿」から「天龍寺」への参道も人影がまばらです。

yuki-32.JPG

 

   約2時間30分、ぶらぶら雪景色を楽しんで、人の訪れの少ない静かな嵯峨野、嵐山界隈を歩いてきました。渡月橋に至ると、多くの観光客が往きかっていました。

 

 

 

 

「河井寛次郎記念館」

| コメント(0)

 柳宗悦、濱田庄司、と共に民芸運動を興し、その名を知られる河井寛次郎、日常に使用する身近なものの中にその美を求め、その心や形を大切にされました、文化勲章や人間国宝、芸術会員などを辞退し、生涯を無位無冠の陶工として、76歳でその生涯を閉じた、河井寛次郎の記念館にお邪魔してきました。

 その記念館は、東山五条の細い図子を南に入ったところにあります。室戸台風で自宅が全壊した後、昭和12年に建築されたもので、寛次郎の自宅兼工房として登り釜と共に大切に保存され、その日常と、置かれている調度品や作品から、その精神を感じ取ることができるようになっています。

 

  入館の際のパンフレットです。表紙は氏の自筆で竃(かまど、へっつい)の書と思われます。

kan1.jpeg

 

  前の道路は、車が一台通れるかどうかの細い道で図子と呼ばれるものでしょう。「犬矢来」と「格子」そして「塗壁」と京都の町家に近い外観を見せています。ただ、京町家特有の「ウナギの寝床」でなく間口は広くなっています。

kan2-.JPG

 

  「玄関」を入ると通り庭となっていて、上り框のある玄関になっています。

kan3.jpg

 

  玄関の奥には応接に使用したと思われる和室があります。現在事務室です。

kan4.JPG

 

  奥まで「通り庭」なっています。昔は作事方や、物資の運搬、汲取り便所のために通路が必要だったのでしょう。

kan5.jpg

 

   「受付」です。戸棚を始め調度品の数々にも歴史が感じらます。

kan6.JPG

 

   「炉」には自在鉤もかけてあります。また日常に使用する、陶器などがさりげなく置かれています。

kan8.jpg

 

  中庭に面した「居間」の一部です。

kan10.JPG

 

  2階に上がる、「箱階段」です。階段下の収納スペースが重宝します。急な階段になっています。昔、私の住んでいた住宅も箱階段でした、急なため、よく階段から転げ落ちました。

kan11.jpg

 

   2階の「踊り場」です。 

kan9.JPG

 

   「2階廊下」です。

kan14.JPG

 

  氏が使用され愛された椅子など、自由に座って寛ぐことができます。

kan15.JPG

 

   2階「居間」と床の間つきの「部屋」(上段の間)です。

kan18.JPG  

  「上段の間」です。

kan19.JPG

  

   「茶室」の入口です。

kan21.JPG  

  「陶房」から中庭を通して「お母屋」を見ています。

kan23.JPG

  

 中庭に面した「陶房」 です。入口には「猫石像」が置かれています。

kan25.jpg

  

   中庭の「サザンカ」が彩りを添えています。 

kan26-1.JPG

 

kan26.JPG  

  左、「陶房」と、右、「作品展示室」です。

kan27.JPG

 

  「陶房内部」です。

kan30.JPG

  

  「素焼窯」です。乾燥された粘土の段階の作品は、この窯に入れられ、600℃から700℃で8時間前後松割り木で焼かれ素焼の状態にします。(説明文より)

kan32-1.JPG

 

kan33.jpg

 

kan34.jpg

 

  「登り窯」です。この窯は昔築かれたものを、寛次郎が譲り受け、「鐘渓窯」と名づけられていました。素焼された作品は、釉薬をかけた後、この窯に入れられ、火度1350℃程度で焼かれました。火は二昼夜にわたって、前の室から後ろの室へと燃やされ、このために約2000束の松割り木を必要としました。(説明文より)

kan36.JPG

  

  「焚き口」です。

kan37.JPG

 

  斜面に連続して「焼成室」が複数に連なっています。故に登り窯と言われています。

kan39.JPG

 

  「焼成室」の内部です。

kan40.jpg

 

  「焼成室」の入口を塞いだ状態を表しています。

kan41.jpg

 

  「色見孔」です。焼成室の内部の状態を見るための孔です。

kan42.jpg

 

 河井寛次郎さんの生前の日常の姿を想像出来るような、生活の場をありのまま公開されているのに感動を覚えます。また近年、京都市内でも珍しくなった、登り窯を見学出来るのは貴重なことです。

 京都が誇るベンチャー企業の一つ、半導体メーカー「ローム」が、年末の恒例になっていました話題の「イルミネーション」、今年は2年ぶりに「光の森」をコンセプトとして復活し、京都市民を楽しませています。本社周辺の並木道を中心に約60万個の電燈を点灯し、光の饗宴を繰り広げ、冬の夜を明るく、そして暖かな安らぎを提供しています。

 

  案内の掲示板です。 

romu25.jpg

 

  社屋に取付けられた社章とイルミネーションです。

romu1.JPG

  

  「五条通、佐井通り」交差点から見る南方佐井通りの光景です。

romu2.JPG

 

   「佐井通り五条通り」の歩道橋から見ています。交差点コーナーにある高さ約10mのヤマモモの木をシンボルツリーとして始まります。

romu3.JPG

 

  「佐井通り」です。両側のメタセコイアの並木道を美しく照らしだし、光のプロムナードを作り出します。

romu4.JPG

  

  「ヤマモモの木」のシンボルツリーから「佐井通り」を見ています。

romu5.JPG

  

  歩道を歩くと幻想的な空間が広がります。

romu7.jpg

 

romu9.JPG

 

  「佐井通りと中堂寺通り」のコーナーのイルミネーションです。

romu10.JPG

 

  「本社正門前」の「中堂寺通り」です。

romu11.JPG

  

  「名倉公園」も美しく彩られています。

romu13.JPG

  

  「名倉公園」の落ち葉の絨毯も映えています。

romu15.JPG

  

   「名倉公園」から「厚生棟前芝生広場」を見ています。

romu17.JPG

  

  「芝生広場」には水玉のようなLEDポールが色彩を変えつつ、見物客を迎えます。

romu18.JPG

 

   昼間の同じ場所です。

romu26.JPG

 

  高さ13.5m横9mの巨大な「スクエアLEDビジョン」が美しい色彩の楽しい映像をつぎつぎと映し出してくれます。

romu19.JPG

 

romu20.JPG

 

romu21.JPG

 

romu22.JPG

 

romu23.jpg

 

 このイルミネーションは、ロームのこれまでの多くの音楽芸術支援活動や、「ロームシアター京都」などに見られるメセナ活動の社会貢献の気持ちの表れと思っています。今後も末長く続くことを願っています。

 
 
 

 

 

嵐山「花灯路」

| コメント(0)

 今年で10回目を迎える京都嵐山一帯で開催される嵐山花灯路、年末の厳しい寒さの中、多くの人々がつめかけていました。

 

  散策マップです。

toge1.jpeg

  

  「野宮神社」から「大河内山荘」にかけての竹林の小径は、特に混雑していました。

toge2.JPG

 

  「野宮神社」付近の竹林のライトアップです。

toge3.jpg

 

  二色の色彩によって幻想的な風景を醸し出しています。

toge5.JPG

  

  「大河内山荘」も夜間開園を行っていました。

toge7.JPG

 

  「大河内山荘」の塀際には幾種類もの行灯が小径を照らしていました。

toge8.JPG

  

  「大河内山荘」から「常寂光寺」への道には小倉池畔に「花のあかり」と名付けた行灯と池には花びらが浮かんでいました。

toge9.JPG

 

toge10.JPG

 

  「小倉池」の水面に浮かぶ、「花のありか」と称する「水上の花」が咲いています。京都嵯峨芸術大学彫刻研究部の制作です。

toge11.JPG

  

  「常寂光寺」の山門です。ここも夜間特別拝観を行っていました。

toge12.JPG  

  「常寂光寺」から「二尊院」に向かいます。この辺りになると雑踏もなくなり、嵯峨野の静寂が戻り、行灯の灯にもしっとりとしたものが感じられるような気がします。

toge16.JPG

 

  「二尊院」手前の「長神の杜」です。「コトノハ行灯」が何本も立っています。紅葉形の色紙に希望者がメッセージを書いて行灯に貼付けていきます。

toge17.jpg

  

  「長神の杜」です。「嵯峨・嵐山古典文学の香り」と称してパネル展示があり、また百人一首の中から19基の碑がライトアップされています。

toge18.jpg

 

  ライトアップされている「小倉百人一首の碑」です。(秋風に たなびく雲の たえ間より もれ出づる月の かげのさやけさ 左京太夫顕輔)

toge20.jpg

  

  「二尊院門前」までやってきました。

toge22.JPG

  

  同じ道を戻り、「落柿舎」へ向かいます。落柿舎門前の小径です。

toge25.JPG

 

  「落柿舎」前の大きな行灯の展示です。

toge26.JPG

 

  「落柿舎」にも人が溢れていました。門前を過ぎ、嵐山「渡月橋」へと向かいます。

toge27.JPG

 

  「渡月橋」への道すがら、「嵐電嵐山駅」に寄っていきます、構内に展示されている、「キモノフォレスト」です。600本の京友禅のポールの幻想的な色彩の競演です。

toge30.JPG

 

toge31.JPG

 

   「渡月橋」への土産物屋さんや飲食店のひしめく長辻通りです。

toge32.JPG

  

  「渡月橋」北詰にやってきました。渡月橋を渡り「中之島公園」に入っていきます。

toge33.jpg

 

  「渡月橋畔」の「中之島公園」で巨大行灯群が目を惹きます。京都嵯峨芸術大学芸術学部の制作です。

toge34.JPG

  

  遊び心を作品に仕上げた楽しい作品群です。

toge35.jpg

  

  「中之島公園」から見る、ライトアップされた渡月橋です。

toge36.JPG

  

  「渡月橋」北詰から大堰川(桂川)(おおいがわ)を上流にいくと右岸の山々がライトアップされて川面にその姿を映しています。

toge37.JPG

  

  「大堰川」の左岸の遊歩道です。

toge38.JPG

 

toge40.JPG

 

 名勝嵐山は四季折々の景観を私達に提供してくれます。少しづつ変化しているとは言え、昔も今も変わらぬ風情を残し続けている、貴重な地域のひとつと思います。私達にはそれらを、次の世代に引渡していく責務があることを痛感いたします。

 

 

「京都家庭裁判所」

| コメント(0)

 普段あまり縁のない裁判所、その裁判所のうちの「家庭裁判所」が公開されると聞き、見学してまいりました。家庭裁判所はご存知のように、夫婦の問題や、相続の問題、戸籍や親子、そして18歳未満の少年問題などを扱っています。家庭裁判所は京都府には京都家庭裁判所の他に、園部、宮津、舞鶴、福知山に支部が設けられています。

 

  加茂川と高野川の合流地点近くの下鴨神社のそばに位置する「京都家庭裁判所」です。

syo1.JPG

 

  「西棟」全景です。

syo2.JPG

 

  正面玄関横の「母子像」です。syo3.JPG

 

   「西棟」にある「正面玄関」です。

syo4.JPG

 

  中へ入ると、ロビーなどはガラス張りの明るい雰囲気になっています。

syo5.JPG

  二階の階段室です。

syo6.JPG

 

  「少年審判室」や「法廷」のある二階廊下です。

syo7.JPG

 

  「少年審判室」です。

syo25.JPG

 

  「少年審判室」は、18歳未満の未成年者の事件審判を行う部屋です。非公開で行われます。手前に保護者席、その前に当事者席、前方、左に書記官席、正面に裁判官席、右に家庭裁判所調査官席、付添人席などがあります。

syo8.JPG

 

  「家事一号法廷」です。人事訴訟を行う場所です。代表的なものは離婚訴訟です。口頭弁論、証拠調べ、事実調査などを経て、和解の試みなどの後、判決を行います。

syo24.JPG

 

  部屋の後方には傍聴席も設けられています。左に原告席、中央に証言台、その前に書記官席、前方に裁判官席及び参与席があり、右に被告席があります。

syo9.JPG

  

  「傍聴席」です。

syo10.JPG

 

  「京都家庭裁判所」は「西棟」と「東棟」に分かれていて、その間を、「渡り廊下」で連結されています。二階の渡り廊下の窓から眺める中庭です。丁度、紅葉の時期に公開されていて、中庭の風景を楽しむことができます。係争中の当事者にとっては、少しでも心和む風景を提供してくれているように思います。

syo11.JPG

syo12.JPG

 

  「東棟」の1階には多くの「調停室」があります。右側に調停室が奥まで続いています。syo13.JPG

 

  「中庭」から見る「渡り廊下」です。

syo14.JPG

 

  庭というより、モミジ、ケヤキ、エノキ、ムクノキ、アラガシ等が林立して、森の中にいるような趣があります。下鴨神社の旧境内に家庭裁判所が建設されたので、恐らく下鴨神社の糺の森(ただすのもり)をそのまま生かされたものと思われます。下を流れる泉川は下鴨神社の御手洗川から流れでてきたものです。

syo15.JPG

 

  「中庭」からの「東棟」です。

syo16.JPG

 

  「中庭」には「泉川」と「瀬見川」とが引かれていますが、瀬見川は枯れて流れはなく、落ち葉が川底に敷詰めたようになっています。

syo17.JPG

 

  「瀬見川」です。洒落た石橋がかかっています。

syo18.JPG

 

syo20.JPG

 

  「泉川」の清流です。この流れは「高野川」に注いでいます。

syo21.JPG  

  「泉川」の岸辺です。

syo22.JPG

 

  裁判所と聞くだけでなにか厳めしい感じを持ちますが、この公開では、庁舎内や庭などに、多くの職員の方が案内役を務め、懇切丁寧に説明されていました。開かれた司法を理解してもらえるよう、努力されているように強く感じさせられました。

大根焚の「了徳寺」

| コメント(0)

 京都の師走の風物詩として欠かすことの出来ない鳴滝、了徳寺の大根焚(だいこだき)子供の頃から、この了徳寺がつとに名を知られていましたが、昨今あちこちのお寺で催されるようになりましたが、やはり伝統のある了徳寺にお参りしてきました。この大根焚のいわれは約750年前、この地に説法に来られた親鸞聖人が村人の差上げた塩焚きの大根の馳走を大変お喜びになり、庭前のすすきの穂をもって「帰命尽十方無碍光如来」の名号を残され、その徳として報恩講を毎年行い、その精進料理がいつのころからか「大根焚」の名で世に知られるようになり、例年12月9日10日に行われるようになりました。この了徳寺は真宗大谷派のお寺で、正式には法輪山了徳寺といい、通称は「大根焚寺」と親しまれています。創建は建長4年(1524年)です。

 

  鳴滝の処々に掲示されている「大根焚」(だいこだき)の案内です。

kon1.jpg

 

  大根焚、前日の「了徳寺門前」です。

kon2-1.JPG

   

  「山門」です。

kon2.JPG

 

  境内ではご奉仕の人々で準備が進められています。

kon3.JPG

  

  本堂横の「親鸞聖人像」です。

kon5-1.jpg

 

  すでに当日振る舞われる、京都府亀岡産の青くび大根が準備されています。その数、約3000本とのことです。

kon6.JPG

 

   境内に恒久的に設けられている「釜場」で大釜が据えられて着々準備が進んでいます。

kon8.JPG

 

   「釜場」から見る、「庫裏と本堂」です。

kon9.JPG

   

  翌日

  「大根焚」当日早朝境内です。

kon10-1.JPG

 

  当日、早朝から多くのご奉仕の人々が忙しく立ち働いておられます。釜場の横では、きれいに切り分けられた大根が桶にたくさん用意されて釜場へ運ばれていきます。

kon11.JPG

  「釜場」ではフル回転で準備が始まっています、もうもうとした湯気が立ち込め、熱気と共に緊張感が辺りに漂います。

 

kon15.JPG

 

kon18.JPG  

  「庫裏」の土間からも、調理のご婦人方が忙しく立ち居振る舞いされて、湯気が外まで流れ出てきます。

kon19.JPG

 

  一方「庫裏」でも、お斎や、大根焚を振る舞われる場所の準備で大変です。

kon21.JPG

 

   山門を入ったところの「帳場」でも準備万端整いました。

kon24.JPG

 

  「本堂」も開かれてお参りの方の受入れも整いました。

kon25.JPG

 

  早くからお参りの方も開門をお待ちで、続々と山門をくぐってこられました。お参りの方は2日間で1万人といわれるほど賑わいます。

kon22.JPG

 

  「帳場」の受付けも賑わい始めました。

 

 

 

kon30.JPG

 

  ご奉仕のご婦人方もますます忙しくなってきました。

kon28.JPG

 

  帰りの了徳寺への道筋にも出店が沢山出て賑わっていました。

con35.JPG

 

  京都には、他には見られない独特の年中行事が数多くあります。この了徳寺の大根焚もその一つでしょう。それらを支え、その伝統を守り続けるのは、地元の人々の努力と熱意の賜だとその姿を垣間見て強く感じます。

 

京都御苑「拾翠亭」

| コメント(0)

 京都御苑の南側、丸太町通りの間之町口を入ったすぐ右に、もと五摂家の一つ九条家の別邸「拾翠亭」(しゅうすいてい)があります。この間之町口の前で生まれ育った私にはこの拾翠亭は特に思い出も多く感慨深いものがあります。子供の頃は、今でいう京都御苑はすべて「御所」で呼び習わし、間之町口は門はなくとも「間之町御門」と呼んでいました。戦前、戦中、戦後はこの拾翠亭は荒れ放題で、木々は生い茂り鬱蒼としていてお化け屋敷と僕らは呼んでいました。夏の夜には恰好の肝試しの場所となり、間之町御門から拾翠亭の横を通り、九条池の高倉橋を渡り、池に突き出た厳島神社の鈴を鳴らして一周して帰ってくるというもので、怖くて全力で走って帰ってきた、今にして思えば怖くて楽しい思い出の一つでもあります。この建物は江戸後期に建てられたもので、主として茶会や歌会などの社交の場として利用されたものといわれています。現在も一般に開放され、お茶会などに利用されています。

 

  案内パンフレットです。

gyo1.jpeg

 

  「間之町口」からの入口です、昔はこのような生け垣はありませんでした。

gyo2.JPG

 

   入口の「門」です。

gyo3.JPG

 

  右手の塀沿いの道から入っていました。右の道は九条池への道です。

gyo4.JPG

 

  建物は数寄屋の2階建ての書院造で、一階は十帖の広間の茶室と控の間、更に北側に三帖の小間があります。

gyo5.JPG

 

  「広間」には九条池に面して広縁が設けられています

gyo6.JPG

 

  「九条池」に面して広縁が設けられていて、開放的です。

gyo7.JPG

 

   「広縁」から眺める「九条池」です。

gyo9.JPG

 

gyo10.JPG

 

  「二階の座敷」の床の間です。

gyo11.JPG

 

   正面「高倉橋」、左には池に突き出て「厳島神社」があります。

gyo12.JPG

 

gyo14.JPG

 

   「九条池」に架かる「高倉橋」です。

gyo15.JPG

 

gyo16.JPG 

  北側から見る「母屋」です。1階北側の小間(茶室)があります。

gyo17.JPG

 

  広間の北側にある「小間」で、三帖中板の席といわれる「茶室」です。広間と小間が隣接して二つの茶室を往来して茶事を楽しんだと思われます。

gyo18.JPG

 

  二帖と中板と炉そして一帖の小間(茶室)です。

gyo19.JPG

 

  北側「小間」から見る「九条池」です。

gyo20.JPG

 

  母屋に少し離れて、庭の一角に「四阿」(あずまや)があります。

gyo21.JPG

 

  「四阿」から見た「母屋」です。

gyo23.JPG

   

  「四阿」から見る「九条池」は角度が変わってまた趣が違います。

gyo24.JPG

 

   反対に東南側からみる、母屋です。広縁と池との取り合わせがよく分かります

gyo25.JPG

 

   公開の日程が限られているので、なかなか訪れる機会がありませんでしたが、ようやく見学できました。  この拾翠亭の庭は四季折々いろいろな花が咲き、広大な京都御苑の中に所在することから、野鳥も多く飛来して、野鳥愛好家がカメラや双眼鏡を構えて楽しんでいる姿を見かけます。

 

 

 

 

 東山、岡崎の地にある無鄰菴(むりんあん)は、明治27年から29年(1894〜96年)に明治・大正の元老山県有朋が造営した別荘です。その大半を占める庭園は、有朋自らが設計、監督し、小川治兵衛7代目が作庭したものです。緩やかな傾斜地に東山を借景とし、疏水の水を引入れ滝や池、芝生を配した池泉回遊式庭園で、明治時代の名園として、国の名勝に指定されています。また無鄰菴という命名は、有朋が長州に建てた草庵が隣家のない閑静な場所であったことから、名付けられたそうです。

 

   案内パンフレットです。

mu1.jpeg

 

  「表門」です。

mu2.JPG

  

  受付けから庭園へのアプローチです。

mu3.JPG

 

  飛び石を伝って入っていくと、お母屋の座敷に導かれます。

mu5.JPG

  

  「座敷」です。

mu7.JPG

 

  「座敷」に座って庭の全景を眺めることが出来ます。

mu9.JPG

 

  借景である東山の山並みと一体感のある庭園となっています。

mu33.JPG

 

  疏水から引かれた水は、滝から流れ落ち、池へと導かれます。

mu12.JPG

 

mu13.JPG

 

  池とせせらぎを巡りながら回遊路は続いています。

mu15.JPG

 

mu16.JPG

 

  庭園の奥まったところに薮内流燕庵を模した「茶室」があります。

mu19.JPG

 

mu21.JPG

 

  疏水の水を取り入れている「三段の滝」から庭を眺めています。

mu23.JPG

 

   池から流れでた清流は母屋と洋館の間を縫って道路を隔てた向いの料亭の「瓢亭」の庭にまた新たな景観を作り出していきます。

mu24.JPG

 

  明治31年の建造された、煉瓦造りの2階建ての洋館が南西の1画に建っています。この建物は、明治36年(1903年)4月、元老山県有朋、政友会総裁 伊藤博文、総理大臣 桂太郎、外務大臣 小林寿太郎の4人によって日露開戦直前の日本の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれた場所です。

mu25.JPG

 

  1階は無鄰菴や、山県有朋、小川治兵衛などの説明などの展示室になっています。

mu27.JPG

  

  明るい感じの階段室です。

mu29.JPG

 

  「無鄰菴会議」の開かれた部屋です。この部屋の障壁画は、江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図で飾られています。また調度品などは当時の趣を今に伝えています。

mu31.JPG

 

  天井は折り上げの花鳥文様の豪華な格天井になっています。

mu32.JPG

 

  無鄰菴のこの辺りから、南禅寺周辺にかけて広大な敷地を持つ別荘群が建ち並んでいました。現在は所有者が替わり別の用途に使用されている建物や庭園も多くありま。昔も今もこのあたりの魅力は色あせることなく持ち続けています。

 

 

東本願寺「渉成園」

| コメント(0)

 「渉成園」(しょうせいえん)は東本願寺の飛地境内で東本願寺の東、河原町通りに面してあります。一般には枳殻邸(きこくてい)と呼ばれて親しまれています。周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから、そのように呼ばれていました。この土地は第十三代宣如上人が将軍徳川家光から寄進を請け、隠居所として中国の詩人陶淵明の「帰去来辞」の1節をとって渉成園と名付けられました。作庭は石川丈山といわれ、池泉回遊式庭園です。

 

 「渉成園」紹介の小冊子です。

kiko1.jpeg

 

 「下珠数屋町通り」に面する正門です。

kiko2.JPG

 

   「間之町通り」に面する「西門」です。入園口です。

kiko4.JPG

 

  「高石垣」(たかいしがき)です.西門を入ると正面に見えます。石橋のような長い切石や、礎石、石臼、山石など様々な石を用いてユーモアを感じます。

kiko3.JPG

 

  庭園に入る「庭園北口」です.

kiko6.JPG

 

  「北口」から目の前に紅葉が広がります。

kiko7.jpg

  

  順路を行くと左に池に面して「臨池亭」(りんちてい)「滴翠軒」(てきすいけん)が建っています。左、池に張出して縁が広がるのが「臨池亭」で、正面が「滴翠軒」です。

kiko9.JPG

 

  広い庭園を巡っていきます。

kiko10.JPG

 

  「傍花閣」(ぼうかかく)です。一風変わった建物で、庭園には珍しい楼門作りで左右の側面に階段があり、2階に4.5帖の部屋があります。外観のみで内部は入れません。

kiko11.JPG

 

   「園林堂」(おんりんどう)です。「園林」とは仏典では浄土を表す表現です。

kiko13.JPG

  

  「廬菴」(ろあん)への露地です。珍しい屋根の形の中門があります。また左には、江戸初期の制作といわれる「春日灯籠」が据えられています。

kiko14.JPG

  

  「廬菴」(ろあん)です。2階建ての茶室です。2階に四畳半の主室と台目3帖の控の間を備えています。

kiko16.jpg

 

  「閬風亭」(ろうふうてい)です。慶応1年(1865年)の建物です。賓客をお迎えするためのもので、「閬風」とは中国・崑崙(こんろん)山脈の頂部にある山名で、仙人が住むといわれています。

kiko18.JPG

 

  「大玄関」(おおげんかん)です。大宮御所から移築されたものです。

kiko19.JPG

  

  「印月池」畔に建つ、「漱沈居」(そうちんきょ)の入口の枝折り戸です。

kiko20.JPG

  

  「漱沈居」は水上に乗り出すように建てられています。「漱沈居」の名は旅路にあることを意味する「漱流沈石」から採られています。

kiko21.JPG

 

   対岸から見る「漱沈居です。現実離れした夢のような空間です。

kiko23.JPG

  

   「印月池」(いんげつち)に架けられている「侵雪橋」(しんせつきょう)です。

kiko25.JPG

 

kiko27.JPG

  

   「侵雪橋」を通して、遠くに京都タワーが望まれます。

kiko28.JPG

  

   「回棹廊」(かいとうろう)です。池中に浮かぶ北大島への木橋です。中央の唐破風の屋根が特徴です。かってはその屋根に夜半は来客の折り金灯籠を吊って火を灯したそうです。

kiko32.JPG  

   「回棹廊」の中央から印月池を見ています。

kiko31.JPG

  

   「侵雪橋」です。北大島に渡ります。

kiko33.jpg

   

  「侵雪橋」を渡ったところです。

kiko34.JPG

  

   「侵雪橋」を渡った印月池に浮かぶ、北大島に建つ茶室「縮遠亭」(しゅくえんてい)です。

kiko35.JPG

  

 「縮遠亭」辺りから見る、印月池全景です。

kiko36.JPG

   

   一巡して出口へと向かいます。

kiko37.JPG

 

  (写真のコメントは渉成園の小冊子より引用させていただきました。)

 

 

 

 

嵯峨嵐山の「天龍寺」

| コメント(0)

 嵯峨嵐山に位置する天龍寺は、正式には霊亀山天龍資聖禅寺といい、臨済宗天龍寺派大本山です。暦応2年(1339年)吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏が、夢窓国師を開山として創建しました。創建以来、たびたび大火に見舞われ、現在の堂宇の多くが明治期の再建です。夢窓国師による庭園(曹源池)は国の史跡名勝の第1号に指定され、世界文化遺産に登録されています。

 

  パンフレットです。

ryuu1.jpeg

 

  両側に塔頭が建ち並ぶ参道には紅葉とサザンカが咲いています。

ryuu3.JPG

 

 「庫裏」へと続く参道脇の紅葉です。

ryuu4.JPG

 

  「法堂」(はっとう)禅宗七堂伽藍の一つです。

ryuu7.JPG

 

  「大方丈」です。ご本尊釈迦如来座像をお祀りしています。

ryuu8.JPG

  

  「大方丈」前庭を通してみる、曹源池庭園です。

ryuu9.JPG

 

  方丈に広がる「曹源池庭園」(そうげんちていえん)は開山夢窓国師の作庭といわれています。左に嵐山、正面に亀山、小倉山、右手遠景に愛宕山を借景にした池泉回遊式庭園です。曹源池の名称は国師が池の泥を上げたとき、地中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところからといわれています。

ryuu11.JPG

 

   紅葉に彩られた大堰川畔の嵐山や亀山を借景に雄大な庭園美を見せてくれます。

ryuu13.JPG

 

ryuu15.JPG

 

ryuu18.JPG

 

ryuu24.JPG

 

 

ryuu26.JPG

 

   曹源池の水面に紅葉が映えます。

ryuu27.jpg

 

   「書院」より大方丈を見ています。

ryuu28.JPG

 

  亀山の山裾に広がる庭園には、傾斜を巧みに利用して順路が設けられていて楽しめます。

ryuu29.JPG

 

ryuu30.JPG

 

ryuu31.JPG

 

  「後醍醐天皇聖廟多寶殿」です。後醍醐天皇の幼少の頃勉学され成人された跡です。

ryuu32.JPG

  

   白花艶蕗(しろばなつわぶき)です。

ryuu33.JPG

 

   山裾に気持ちの良い散策路が続いています。 

ryuu34.JPG

 

  大方丈の屋根がはるかに見えるところまで登ってきました。

ryuu36.JPG

 

 

ryuu42.jpg

 

 

 

 

 

2020年3月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

このアーカイブについて

このページには、2014年12月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2014年11月です。

次のアーカイブは2015年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.2.10