2013年9月アーカイブ

   寺町通りは京都の中心部分を北から南へほぼ一直線に通っている歴史ある町筋です。
 
 一番北の端は出雲路橋通りから始まります。東西に横切る主な通りを北から列挙しますと、次に上立売通、今出川通、広小路通、荒神橋通、丸太町通、二条通、御池通、三条通、四条通、高辻通、松原通、万寿寺通(ここで河原町通と斜めに交叉し、横断して)五条通で寺町通りは終わります。
 
 この寺町通りは、出雲路橋から今出川通までは寺町の名の通り、道の両側に多くの寺院が点在していますが、今回は歩いて楽しい、見て楽しい、今出川通から、三条通りまでをご紹介したいと思います。
 
 
 まず寺町通りを今出川から下って行きます。(下るとは南方向に行く事、上がるとは北方向に行く事です。)丁度、御所の東側にあたります。しばらくは、民家や学校が続きますが、東側に本禅寺が見えてきます。
 
 「本禅寺」(ほんぜんじ)山号(光了山)法華宗陣門流大本山 日蓮宗京都16本山の一つです。
 室町時代に(1406年)に創建されましたが、何度かの焼失ののち、現在地に再建されています。
 
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 本禅寺の前から、寺町通りを南方向に見ています。
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 南隣は「清浄華院」(しょうじょうけいん)です。
 浄土宗大本山の一つです。法然上人の第23番霊場です。
 道を隔てた西側は広小路通りまで、梨木神社の境内です。

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清浄華院の「御影堂」(大殿)です。
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 続いて「廬山寺」(ろざんじ)です。
 紫式部、縁の寺院です。が、なんと言っても、節分会の行事「鬼法楽」が有名で、僕も子供の時は近くに住んでいたこともあり、毎年父に連れられて、赤鬼、青鬼の鬼おどりを寒い中、見学した楽しい思い出があります。
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 廬山寺の「大師堂」です
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 寺町通り広小路にやって来ました。北東角です。「京都府立医大の図書館」や「看護学院」があります。
 かって、1981年(昭和56年)立命館大学が衣笠キャンパスに全学部移転するまで、ここに大学本館があり、その後府立医大が使用するようになりました。 
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 「梨木神社」 一の鳥居です。広小路の北西角です。
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 京都御所 「清和院御門」です。 広小路通りの西端です。
 京都迎賓館や大宮御所、仙洞御所への入口です。
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 京都御所の土塀が寺町通りと並行して南へ続き。寺町通りとの僅かな空間は駐車場となっています。
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 寺町通り広小路から、南方を見ています。奥に見えるのが鴨沂高校です。
 右は、御所の土塀との空間が京都御苑の駐車場です。
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 寺町広小路を南に下り、荒神橋通りを越えた所、御所の東側に「京都府立鴨沂高校」があります。
 1872年(明治5年)日本で最初の女学校として開校された「新英学級及び女紅場」が1900年(明治33年)、現在地に移転され、その後京都府立第一高等女学校となり、戦後学制改革によって現鴨沂高校となりました。
 校門は明治33年移転時に移築されたものです。
 昨年末から校舎老朽化による建替え問題が起こり、校舎の歴史的、文化的な価値から、保存運動が起きていますが現在、既に一部工事が進められています。
 
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 鴨沂高校の南隣、寺町御門の前に「田中伊三次邸」があります。
 衆議院議員として、法務大臣など政界の要職につき、独特の弁舌には定評があり、選挙カーからの演説は未だに耳に残っております。1980年にお亡くなりになりました。
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 「寺町御門」です。
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 「京都市歴史資料館」 寺町御門から少し下った所にあります。
 1982年(昭和57年)開館した新しい資料館です。
 歴史の資料の収集、保存、調査を目的としていますが、最近は意欲的に特別展等を開催して、多くの歴史愛好者を集めています。
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 歴史資料館のすぐ下ったところに「新島旧邸」があります。
 同志社の創立者、新島襄、八重がかつて生活をした住宅です。1878年に和洋折衷の建物として建築されました。京都市の指定有形文化財です。
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 続いて「新島記念館」です。
 新島襄旧邸の南隣に隣接しています。チャペルやホールもあり瀟洒な建物です。
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 寺町通り丸太町に出てきました。京都御苑の東南角になります。
この石垣の側に昔は交番がありました。今は電話ボックスがひっそりと立っています。
 この東側のちょっと上がった所に、文化会館という二番館の映画館がありましたが、現在はありません。
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 丸太町通りから、これから歩く、南方向を見ています。早朝で昼間の賑わいはありません。
 この寺町通りには、明治から大正の終わりにかけて、電車が通っていて、寺町二条で左折して東進し、木屋町二条へと運行されていたそうです。
 
 これから下っていく通りの左右には、老舗と言われるお店が数多く軒を連ねています。
 この右手に彙文堂という、内藤湖南氏を始めとして多くの文人が愛した、中国書専門の有名な本屋さんがありましたが移転してしまいました。木彫りの看板が懐かしいです。
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 下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)です。
 丸太町通りからすぐ下ったところにあります。元は、出雲路の上御霊神社の南にあったので下御霊神社と呼ばれます。天正18年(1950年)現在地に遷座しました。
 僕の家の氏神様でした。五月のお祭りには露店での楽しい思い出が蘇ります。
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 本殿です。多くの友達とお百度参りをするのが楽しかったです。
 
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 南に下るとすぐ「革堂」(こうどう)です。正式には行願寺と言いますが、革堂で通っています。
 西国三十三ヶ所、第十九番札所で、常にお参りの方が多く、バスが丸太町通りによく停まっています。
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 本堂です。
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 現在と違って、昔は記念の節目には写真館で記念写真を撮ってもらったものです。「小林祐史写場」と、名前を見るだけで歴史を感じさせてくれます。通りの東側にあります。
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 同じく通りの東側にある、創業、明治45年という「更科」。
 表構えはすっかり変わりましたが、健在なのが嬉しいです。
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 パンの「進々堂」1913年(大正2年)創業の老舗です。通りの西側です。
 創業者の続木斎氏はパリへ留学し、帰国後、日本初のフランスパンを製造し人気を博し、進々堂の名を世に知らしめました。
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 懐かしい商家の面影を今に伝えています、昔も、今も、「どんなお商売かな?」と思っています。
 当家の前に囲碁「本因坊発祥の地」という京都市の駒札が建てられているので、何かのご縁があるのかも知れません。通りの東側にあります。
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 お茶の「一保堂」(いっぽどう)です。1717年(亨保年間)に創業の老舗です
 この店構えは、今も変わらず、老舗としての風格を備えています。
 通りの東側です。
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 紙の「柿本」です。1716年(亨保年間)の創業です。一保堂のすぐ南にあります。
 建物は新しくなりましたが、入口にかかる暖簾の文字が歴史を感じさせます。
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 向い西側にある「藝林荘」です。古典籍を扱う古書店です。
 古書店らしい佇まいを見せています。
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 同じく西側にある「古梅園」です。1714年(正徳4年)創業です。
 硯、墨、筆、紙、等、書家にとって必要なものは、すべて揃うため、全国からお客さんが訪れると言われています。
 建物の外観を見るだけでも、心が和みます。
 また、この近くには「菊新」という、蒲鉾の美味しい老舗がありましたが、店主がお亡くなりになり、「店主が作ったこの味を出せないとお客さんに申訳ない」と閉店されました。残念な思いがします。
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 この寺町通りには、丸太町通りから三条通りにかけて、「寺町美術通り」と言われるほど、画廊、道具屋さん、そして古美術商が軒を連ねています。
 古美術などに関心のある人にとっては、時間を忘れさせてくれるでしょう。
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 二条通りに近くなりました。西側に五色豆の「ふなはしや総本店」です。明治時代の創業、120年は経過すると言われています。
 右隣に見えるのは、「三月書房」戦後の書店ですが、人文科学系の書籍の品揃えには定評があり、店主の哲学が書棚に現れていると思います。店主の哲学と言えば一乗寺にある楽しい本屋さん「けいぶん社」と良い勝負ではないでしょうか。
 向い、東側には「村上開新堂」という洋菓子屋さんも忘れてはならないでしょう。
 また、その南隣には、昔ながらの店構えの川越芋の焼芋屋さんがありました。常連さんも多く人気がありましたが、数年前、ご主人がお亡くなりになり、閉店となりました。
 ご紹介はしていませんが、この辺りには、まだまだ戦前からの多くのお店が、時流におもねらず、お店を維持していられるのに敬服します。
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 寺町通りの二条にやって来ました。西南角に戦前は「鍵屋」という有名な洋菓子店がありました。重厚な感じの洋館でしたが、戦後は労働セツルメントの事務所となり。その後、取り壊されてガソリンスタンドに、そして現在はマンションになっています。
 その左隣は「若林春和堂書店」です、今はビルに建替えられていますが、木造三階建ての立派な店構えで、江戸時代には若松屋茂助が木版による出版をしていたそうです。
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 寺町通り二条から東方向です、大正末まで電車がここで左折し、木屋町方面に運行していたそうで、この寺町二条の停車場で新京極の盛り場へ遊びに行く人々が乗降し,その賑わいは凄かったと聞いています。
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 「寺町通り」 市役所界隈に続きます。
 
 
 
   これまで今出川通りから、二条通りまで歩いてきました。
 続いて三条通りまで、歩いて行きます。
 
 
 寺町通り二条から南方向を見ています。三条通りに向かって下って行きます。
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 寺町二条、東南角の八百卯です。1879年(明治12年)創業のお店、
 梶井基次郎の「檸檬」で一躍名を知られるようになりました。
 子供の時は、只の果物屋さんと思っていました。僕より少し若い息子さんが後を継いでおられれましたが、残念ながらお亡くなりになられ、閉店されてしまいました。
 壁に取付けられた八百卯の小さい看板だけがその存在を教えています。古風な昔のお店が懐かしいです。
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 精華堂です。1838年(天保9年)創業です。錫器、銀器、など金属工芸品の専門店の老舗で
 現存する日本最古の錫工房と言われています。
 店舗のしつらえを見ても風格を感じさせてくれます。
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 すぐそばの富屋商店です。昭和の初めの創業ですが、当時としては珍しかった輸入酒や輸入食品を取り扱う店として知られ、現在に至っています。
 落着いた雰囲気が良いですね。
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 芸艸堂(うんそうどう)です。1891年(明治24年)創業の美術出版社です。
 現在、日本で唯一の手摺木版本を出版しておられます。屋号は富岡鉄斎の縁から芸艸堂と名付けられました。
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 富屋さんの向かい、東側に京都市のこの通りにそぐわない風景の駐輪場があります。
 この場所には1583年(天正11年)より、400年あまり「妙満寺さん」と近隣に呼び親しまれた「妙満寺」がありましたが、1968年(昭和43年)岩倉幡枝町に移転して、現在の殺風景な風景となりましたが、「妙満寺前町」という地名だけが未だに健在です。
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 御池通りにやって来ました。
 寺町通り御池、東北角です。京都市役所があります。
 市役所前の広場です。
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 「京都市役所」の全景です、正面は御池通りに面し、建物の東端は河原町通りに面しています。
 近年、老朽化と効率の悪さから、京都市南部に移転か、もしくは現地建替か、補修かと話題に上りますが、結論は中々出そうにありません。
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 御池通りです。西方向を見ています。戦争中の防災上の強制立退きで多くの立派な町屋や商家が取壊されました。
 戦後、廃虚の中に東洞院通りに、時事通信社の鉄筋の建物がぽつんと取残されていたのが未だに瞼に残っています。
 現在は道路の要として、同じ強制疎開の堀川通りと共にその中心になっています。
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 同じく寺町御池から東方向、鴨川方向を見ています。
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 寺町通り御池の北端から、中央に三条通りへの入口アーチを見ています。
 この左の南東角に、ニュース専門の映画館があったと記憶していますが、曖昧な記憶で申し訳ありません。
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 三条通りへ行くアーケードの商店街です。
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 寺町御池の南西角の、代表銘菓「御池せんべい」でお馴染の「亀屋良永」です。
 1832年(天保3年)の創業です。
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 「竹苞楼」(ちくほうろう)です。
 寛永年間、創業の和本、古典籍など扱う、全国的に名の知れた古書店です。
 開店前ですが、入口の左右にあるのは、古くからある京町屋の「ばったり床几」で、これを前に落とすと足が出て商品台になり、その上に書籍を並べるという、昔の商いそのままの姿を見る事ができます。
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 竹苞楼の前に「本能寺」があります。法華宗本門流の大本山です。
 「本能寺の変」で知られる信長が自刃した1582年(天正10年)当時は別の場所で、1951年(天正19年)豊臣秀吉により現在地に移転させられましたが、現在の京都市役所を含む広大な土地であったようです。
 コンクリートの建物に囲まれた現在は、往時の姿を求める雰囲気には少し欠けるようです。
(本能寺址の石碑が現在地より南西方向の中京区蛸薬師小川通りの西南角に建っています)
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 「本堂」です。
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 「織田信長公」のお墓です。
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 塔頭が7院、南側に並んでいます。
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 「鳩居堂」(きゅうきょどう)です。1663年(寛文3年)創業です。本能寺から少し下った西側、姉小路、角にあります。
 創業は薬種商でしたが、その後、文人墨客の求めにより、書画用文具を始め、「日本の伝統文化を守り育てる」を社是に、関連する商品の開発、販売をしておられます。
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 「天性寺」(てんしょうじ)正式には(曼荼羅山當麻院天性寺)
1577年(天正5年)の創建です。
 昔は「早起き会」の集まりが行われていましたが、今はどうなっているのでしょう。
 
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 「とり市老舗」 京野菜など、京都の四季の味を取扱うお店です。
 例年、春の筍、秋の松茸など、このお店の取材記事が新聞紙面を賑わせます。
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 「矢田寺」です。 本能寺とおなじ時期に壬生から現在地に移されました。 
 「代受苦地蔵」が祀られ、人々の苦しみを替わって受けて下さると、多くの人々の信仰を集めてお参りの人が絶えません。新京極の繁華街の入口近くにあります。

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 「三嶋亭」 創業明治6年のすき焼きの老舗です。寺町通り三条の東南角にあります。
 日本のすき焼き店の草分けとして、日本中にその名を知られています。
 このお店のお肉を買い求める為、年末など長蛇の列となります。
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 寺町通りを今出川通りから三条通りまで歩いてきました。
 三条通りは繁華街の一角となり、東へ10m程で昔からの盛り場である新京極の入口となります。
 そのまま東へ歩いていけば河原町通りを越えて三条大橋に出ます。
 適当に取捨選択し、ぶらぶら、歩きながら、時間に合わせて楽しんで下さい。
 

 「大山崎山荘美術館」は、京都府大山崎町の天王山の中腹にあります。

 大正から昭和の始め、実業家・加賀正太郎が建てた3階建て洋館の山荘を、紆余曲折の後1996年、アサヒビールが復元修復し、美術館として開館しました。


 その後、緑多い落着いた雰囲気を壊さないよう配慮した、安藤忠雄氏設計による半地下式の地中館(地中の宝石箱)、同じく山手館(夢の箱)と、別館を新築して現在に至っています。



館内の案内図 美術館のホームページより転載しました。

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JRの踏切りを渡り、宝寺への道と別れ、美術館へと山道を登って行きます。
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美術館入口です。
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 美術館全景です。
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 「本館展示室」です。
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 「本館」から「夢の箱」(山手館)へ通じる通路、半地下になっていて屋上は緑化されています。
 遠く正面に見えるのは「栖霞楼」(白雲楼)です。
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 オープンカフェからの眺望、正面ノ山は八幡の男山です。
 眼下には、木津川、宇治川、桂川と三つの川が合流し、淀川と名前を変えて、大阪湾に向かいます。
 この合流点の堤には、背割り桜として有名な長い桜のトンネルがあり、春には多くの人で賑わいます。
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京都府の南部方向です。
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 本館」と「地中の宝石箱」(地中館)を結ぶ、コンクリート打ちっ放しの通路です。
 地中館は円形のギャラリーで、モネの睡蓮等を観賞できます。
 この建物は、安藤忠雄氏設計による、直島の地中美術館を思い起こさせます。
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「本館」と「地中の宝石箱」をつなぐ外部から見た通路です。正面は本館です。
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 四季それぞれに楽しめるよう、広大な庭園に、種々の樹木と池が配置されています。
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 広い庭園を周遊出来るように考えられています。
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 バリー・フラガナン 「ボールをつかむ鉤爪の上の野兎」
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 中庭から山荘を眺めています。

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<メモ>

開館時間 午前10時~午後5時 (最終入館は午後4時30分まで)
休館日  月曜日 (祝日の時は翌火曜休) ただし11/18、25、12/2、9、24は開館[年末年始休館]2013/12/26(木)-2014/1/3(金)
[展示替休館]2014/1/14(火)-16(木)

入館料

一般:900円(団体:800円)団体20人以上

高・大学生:500円(団体:400円)

障害者手帳をお持ちの方:300円

小・中学生:無料



アクセス

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 梨木神社は京都御所(御苑)清和院御門の東隣にあり、三条家の邸宅が有った場所に、1885年(明治18年)に建てられた比較的新しい神社です。
 明治維新に貢献した、三条實満、三条實美父子をお祀りしています。

 当神社は、別名萩の宮ともいわれ、参道や境内一円には数百株の萩が植えられており、京都を代表する萩の名所として知られています。
 例年9月に萩まつりが催されており、今年も9月21日から23日に執り行われ、萩の花を愛でる多くの参拝者で賑わいました。


 萩まつりのパンフレットです。
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 右が、梨木神社一の鳥居で、参道への入口です。奥に見えるのが清和院御門、御所の入口です。
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 参道です。今、この場所にマンションが建築される計画があり、この辺りの雰囲気が壊されるのではないかと危惧しています。
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 二の鳥居からの参道が続きます。左右は萩の木です。
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 湯川秀樹博士の歌碑です。
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 「手水舎」です。京都の三名水(醒ケ井・県井・染井)で、現存するただ一つの「染井の井戸」です。毎日多くの人々が列をなして、この名水を汲みにこられます。
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「神門」です。
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 「神門」と中央に置かれているのはお賽銭箱です。
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 萩の花と拝殿です。満開にはもう少し時間が掛かりそうです。
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 「本殿」です。
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 本殿前の可憐な萩の花です。
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 奉納行事の一つ大蔵流狂言。茂山社中の奉納狂言が拝殿にて奉納されていました。
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 萩の花にまつわる狂言で、参拝者の笑いを誘っていました。
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梨木神社へのアクセス・地図です。神社のホームページから転載しました。
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バスでお越しの場合
 JR京都駅から:正面口市バスA2乗り場から4系統、17系統または205系統で約20分、 「府立医大病院前」(府立文化芸術会館前)下車、徒歩約3分

車でお越しの場合
 名神高速・京都東インターから約20分
     〃  南インターから約30分(京都御
所方面)
 大覚寺の「観月の夕べ」は9世紀初め、嵯峨天皇が大沢池に船を浮かべて、貴族たちと遊んだ事が始まりで、今年も中秋の名月の9月19日に多くの人々が集い、台風一過の雲一つない夜空の満月の美しさを楽しみました。

 大覚寺の正式名称は(旧嵯峨御所大覚寺門跡)といい、弘法大師空海を宗祖と仰ぐ、真言宗大覚寺派の本山であり、876年(貞観18年)嵯峨天皇の離宮嵯峨院を寺に改め、天皇や皇族が住持された門跡寺院です。
 また、いけばな嵯峨五流の総司所でもあります。
 

 大覚寺の案内パンフレットです。
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 境内図です。大覚寺ホームページから転載しました。
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 大覚寺道からの入口です。
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 表門への参道です。
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 有栖川を渡って、表門に進みます。
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 「表門」(玄関門)江戸時代初期のものです。
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 右は「式台玄関」です。 
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 「供待」です。嵯峨五流による生け花が飾られています。
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「明智門」です。時代劇のロケで有名です。
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「宸殿」への格調ある中門です。
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 「大沢池」境内の東に広がる大沢池は、正式名称は、名勝大沢池(めいしょうおおさわのいけ)です。
  平安時代、唐の洞庭湖になぞらえて造られ、日本最古の林泉式庭園で、「庭湖」とも言われ、日本三大名月鑑賞地として知られています。
 天神島方面を眺めています。
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 北嵯峨の穏やかな山並みが背景にあります。
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 大沢池、西畔の「中門」です。
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  大沢池に浮かべられた観月船が、月を愛でながら静かに進み、優雅な一時を楽しんでおられます
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 観月船の「龍頭船」の舳先に取付けられた龍頭と、薄暮の満月です。
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 「満月法会」に向かう僧侶の皆さんです。
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 「満月法会」は、大沢池の月を望む場所に設けられた祭壇に、供物を供え、穀物等の豊作と、人々の幸せを祈願します。
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 観月船「鷁首船」(げすせん)の舳先に飾られた鷁首と、中秋の満月です。
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 満月が大沢池の水面に映えます。
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  左、「唐門」(勅使門)と右「宸殿」です。
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 「宸殿」(重要文化財)です。
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 「聖天堂」です。
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 「望雲亭」大沢池畔に建つ茶室です。
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 「心経宝塔」です。ライトアップに映えます。
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 「天神島」への道です。
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<メモ>  大覚寺ホームページより
小中高:300円
〒616-8411 京都府京都市右京区嵯峨大沢町4
電 話:075-871-0071
旧嵯峨御所 大覚寺 門跡への最寄り駅は嵯峨嵐山駅から
徒歩約17分、嵐山駅から徒歩で約23分です。
午前9時〜午後5時(受付は午後4時30分まで)
無休 ※寺内行事により内拝不可日有
大人:500円   
小中高:300円

上賀茂神社と烏相撲

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 上賀茂神社(かみがもじんじゃ)正式名称 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)です。
 京都市の北方にあり、世界遺産「古都京都の文化財」の一つとして登録されています。

 古代山城の豪族、賀茂氏の氏神と知られ。下鴨神社、両社との祭事である賀茂祭(通称葵祭)は、京都三大祭りの一つとして有名です。
 

境内図です。神社のパンフレットより転載しました。
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「一の鳥居」です。
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 参道です。左右には、広大な開放的な芝生の敷地で、競馬(くらべうま)の神事などが行われます。
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二の鳥居に向かって、小川を渡って行きます。
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「神馬舎」白馬が繋がれていました。
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「二の鳥居」です。
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 「手水舎」 水は神社の御祭神、「賀茂雷大神」が降臨された神山(こうやま)の
くぐり水を汲み上げたものです。
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「細殿」 重要文化財 
 皇族方や、斎王がお使いになります。前の円錐形に形造られた砂は、立砂「たてずな」と呼ばれ、神代の昔、神様が御降臨された神社の北方にある、神山を模して作られました。
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「楼門」です。鮮やかな朱塗りの橋と楼門が、目に入ってきます。
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「本殿」 国宝です。 現在修復中です。 
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「土屋」 重要文化財 祓所として用いられています。
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 外幣殿(御所屋)重要文化財 法皇、上皇等の行幸の際に使用します。また競馬会神事、葵祭などにも使用されます。
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「北神餞所」(庁屋)重要文化財 五月競馬会神事、また能舞台として使用されています。
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 「片山御子神社」(片岡社)は賀茂雷大神の母君「玉依比売命」を祀った社です。
古来から、縁結びの神様として信仰を集めています。
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「社務所」です。
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 広大な芝生の敷地です。5月5日、競馬会神事や、10月笠懸神事が行われるところです。
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 森が神域を包み込み、その中に多くの摂社や、末社が点在します。自然と安らぎを与えてくれる空間です。
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 賀茂の森の中に、清麗な小川が流れ、歴史を刻んだ石橋が掛かっています。
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ひっそりと佇む「岩本神社」です。
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「渉渓園」 古くは龍の住む池があったと伝えられる場所です。
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 「重陽神事」 9月9日は九という陽の数字が重なる事から重陽といい、災厄を祓って無病息災を祈願します。
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 重陽神事の後、烏相撲(からすずもう)の神事が続きます。神社御祭神の外祖父「賀茂建角身命」が神武天皇が東征の際に、八咫烏となって先導されたという故事が伝えられ、鳥との結びつきが深いところからの奉納神事です。
 
 前日には「烏相撲打取式」も行われ、当日に備えます。
烏相撲は、刀祢(とね)と呼ばれる役が烏の鳴き声を真似て問答をしたり、人に聞こえないように口の中でぶつぶつと祭文を唱えるなど、ユーモラスな神事について、神官が説明される度に、笑い声が辺りを包みます。
 その後、細殿で斎王代が見守る中、子供達による相撲の取組みが行われます。
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「重陽の神事」が終わり、細殿に向かわれる斎王代。
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「細殿」立砂の前の土俵にて、烏相撲の奉納神事が行われます。 
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 禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分かれ、子供たちによる相撲が、細殿前にて行われます。
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子供達の真剣な取組みに、拍手が送られます。
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 「社家」(国の重要伝統的建造物群保存地区) 上賀茂神社を出て、東に向かうと、江戸時代には、上賀茂神社の神官たちの社家と称された屋敷町があります。
 昔の面影をそのまま残していて、前を流れる明神川と、土塀、庭の樹木、遠くの山並みとが一体となって、美しい景観を見せています。
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江戸時代にタイムスリップした思いがします。
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<メモ>  交通・アクセス   上賀茂神社案内パンフレットより。
公共交通機関の場合、京都駅、地下鉄烏丸線北大路駅等より市バスがいます。
お車ご利用の場合、名神高速道路京都南インターより約40分。京都駅より約30分。堀川御池より約20分となっています。

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 世界遺産として認められている、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)通称「下鴨神社」。この下鴨神社は京都の中心部を南北に流れる鴨川、その北方、賀茂川と高野川合流する三角州、糺ノ森にあります。

 上賀茂にある、上賀茂神社と共に、賀茂氏の氏神を祀る下鴨神社では、両神社で共同で催される葵祭(正式には賀茂祭)が、京都三大祭りの一つとして有名です。


下鴨神社境内図 (下鴨神社ホームページより転載)
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「表参道」 御蔭通りから、長い表参道を歩きます。
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表参道行くと、「南口鳥居」にやって来ます。
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「さざれ石」 小石と言う意味で、さざれ石は年々大きくなり、岩になると信じられ、神霊の宿る石と言われています。
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「御手洗」  身形磐座石 御神水を注ぐ樋は樹齢600年のケヤキです。
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楼門と、左は授与所です。
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「楼門」重要文化財です。
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楼門内部から 左右に朱色の美しい回廊が連なっています。
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「橘殿」(はしどの) 重要文化財 御蔭祭のとき、御神宝を奉安する御殿。
現在は名月管弦祭、正月神事のときに芸能が奉納される社殿です。
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「舞殿」(まいどの)重要文化財 葵祭に天皇の勅使が祭文を奏上される場所です。
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「供御所」(くごしょ)重要文化財です。
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「中門」 重要文化財です。
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「本殿」 西本殿 東本殿共に国宝です。
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「御手洗川」と「輪橋」(そりはし)御手洗池から眺めたところ。
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井上社 別名「御手洗社」(みたらししゃ)
 葵祭の斎王代の禊の神事が行われ。また土用の丑の日に、裸足になって御手洗池を進み。無病息災を祈る、「足つけ神事」を御手洗祭と言い、夏の風物詩として有名で、多くの老若男女がお参りします。
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糺ノ森 「瀬見の小川」 上流の御手洗川から糺ノ森に流れ、瀬見の小川となります。
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「糺ノ森」 原生林の名残として、神社によって維持管理されており、遊歩道が設けられています。
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「馬場」 5月3日 流鏑馬神事(やぶさめしんじ)が行われ、多くの人々が集います。
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「馬場」 この馬場を利用して毎年、古本市が開かれています。今年も8月11日から16日まで開かれ,多くの古書ファンが集いました。
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<メモ>  下鴨神社ホームページより転載

所在地・アクセス

住所

〒606-0807
京都市左京区下鴨泉川町59


お問合わせ

開閉門時間 :06:30~17:00
特別拝観大炊殿 :10:00~16:00
御祈祷時間 :09:00~16:00
T E L :075-781-0010
F A X :075-781-4722
e-mail:info@shimogamo-jinja.or.jp


アクセス

車でお越しの方へ

【京都東インター】より

 高速道路京都東ICから三条通りを道なりに進み、ウェスティン都ホテル京都前を通過し真すぐ河原町通まで、三条河原町通り交差点を右折し、そのまま直進し(約10分)、葵橋を渡り、渡り終えたところの信号から4つ目の信号(左側にローソンあり)右折しすぐ。

【京都南インター】より 

 国道1号線を北向きに(堀川まで)→堀川五条を右折(河原町まで)→河原町五条を左折(しばらく道なりに)→葵橋を渡り終えたところの信号から4つ目の信号(左側にローソンあり)右折しすぐ。


電車・バスでお越しの方へ

【京都駅】より

【地下鉄(烏丸線)】
京都駅~北大路駅まで 北大路駅より市バス1番・205番(約25分)下鴨神社前(もしくは糺ノ森前)                    
【市バス】
京都駅~下鴨神社前(もしくは糺ノ森前)まで市バス4番・205番
(約35分)                                 
【タクシー】
京都駅より下鴨神社まで ¥2000円~3000円
(約20分)
【京阪 出町柳】
京阪出町柳駅より徒歩10分 
















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