2014年6月アーカイブ

「須磨」探訪

  須磨と言えば源氏物語の「須磨」の舞台であり、また源平合戦の「一の谷の坂落とし」の戦いの古戦場であり、白砂青松の須磨浦の海岸と共に、多くの人々を惹き付ける魅力ある場所です。
 この須磨を半日の時間を利用して訪ねてみました。

 JR須磨駅」を降り立ち、「須磨の海岸」を、この後、駅近くの「村上帝社」から東へ歩き「綱敷天満宮」へ。
 町の人々に尋ねながら「松風村雨堂」、そしてすぐそばの「菅の井」へ立寄り、駅方向へ戻りながら、「現光寺」と「関守稲荷神社」へお参りし、山手の「須磨寺」を訪れます。
 その後、山陽電鉄「須磨寺駅」に戻り、駅のそばの「平秀衡とらわれの松跡」を見て、須磨寺駅から山陽電鉄に乗車して「須磨浦公園駅」に到着、「須磨浦公園」の山麓をひと回りして、国道2号線沿いの「敦盛塚」へ、須磨浦公園駅に戻り、乗車して「須磨駅」まで帰ってきました。
 約4時間の須磨探訪の散策でした。


 JR須磨駅を降りた、目の前の風光明媚な「須磨浦」です。
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 駅近くの「村上帝社」です。
 琵琶の名手だった藤原氏と、村上天皇との琵琶にまつわる故事から、村上天皇をお祀りしています。
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 「ご本殿」です。
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 「綱敷天満宮」です。
 学問の神様、菅原道真公をお祀りする須磨の天神さんです。
 道真公が九州に左遷された際、須磨の浦で海が荒れ、航海を中断されました。
 その時、漁師たちが綱の大綱で円座を作り休憩されたことに因んで創建されたものです。
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 「参道」と「大鳥居」です。
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 「ご本殿」です。
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 「三重塔」です。
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 「なすの願かけ」です。
 何でも願いが叶う「茄子」は「成す」と掛けて腰掛ければ幸せになります。
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 「筆塚」です。
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 「矢村三生句碑」
 (山裾は 山の唇 椿濃し)
 俳誌須磨千鳥創刊650号記念として建立されました。
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 「菅公母子像」です。
 菅原道真の母に抱かれる像です。
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 5歳の「菅原道真像」(天神さん)
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 「松風村雨堂」です。
 在原行平が京の地を離れ、この地でわび住まいをしているとき、多井畑村長の娘「もしほ」と「こふじ」の姉妹と出合い「松風」「村雨」と名付けて愛しました。行平がこの地を離れた後、姉妹は庵を建て、お慕いする行平の無事を祈ったとされています。
 現在のお堂はその庵の跡と伝えられています。
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 「観音堂」です。
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 「大久保些景句碑」
 (千木の空 澄みて厳櫃 実を降らす 些景)
 大久保些景は須磨中納言俳句道場主宰者です
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 「在原行平歌碑」
 (立ちわかれ いなばの山の 峰におふる まつとし聞かば 今かへりこむ)
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 震災後新しくなった道路です。
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 「菅の井」です。
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 「現光寺」です。
 永正11年(1514年)浄教上人の開基といわれています。
 昔は源光寺ともいわれ、また、源氏物語の光源氏の住居跡とも伝えられ、源氏寺とも呼ばれています。

 境内入口には、源氏寺と書かれた大きな石碑が置かれています。
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 境内への参道です。
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 「本堂」です。
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 「鐘楼」です。
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 本堂と「光源氏月見の松」です。
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 「芭蕉句碑」
 (見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋 芭蕉)
 延宝6年(1678年)松尾芭蕉35歳の作です。
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 「子規句碑」
 (読みさして 月が出るなり 須磨の巻 子規)
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 僧で歌人の似雲が庵を結んで住んでいました、その庵跡の石碑です。
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 入口にある、史跡芭蕉翁の句碑の石柱です。
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 「関守稲荷神社」です。
 須磨の関の守護神として祀られました。
 また源氏物語で、光源氏が須磨に流された時、巳の日祓いをしたと伝えられ、巳の日稲荷ともいうようです。
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 「ご本殿」です。
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 明治時代に掘り出された、須磨の関跡の石柱です。
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 「源兼昌歌碑」
 (あはぢしま かよふちどりの鳴く声に いくよねざめぬ 須磨のせきもり 兼昌)
 源兼昌は、平安時代末期の歌人で、小倉百人一首の中の秀歌です。
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 「藤原俊成歌碑」
 (聞き渡る 関の中にも 須磨の関 名をとどめける 波の音かな 俊成)
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 「藤原定家歌碑」
 (桜花 たが世の若木 ふり果てて 須磨の関屋の 跡うづむらん 定家)
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 「須磨寺」、正式には福祥寺ですが、一般には須磨寺の名前で広く親しまれています。
 淳和天皇のころ(823〜33年)に和田岬の沖で漁師が観音像を引き揚げ、会下山の北峰寺に安置したのを、仁和2年(886年)に聞鏡上人が須磨の地に移したのが始まりとされています。

 参道に立てられた須磨寺の石柱です。
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 網敷天満宮から須磨寺までの参道を弘法大師、菅原道真の賢者にあやかり「知恵の道」と呼んでいます。
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 「竜華橋」から「仁王門」です。
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 「仁王門」です。
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 左右に「仁王力士像」が控えています。
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 広大な敷地に多くの伽藍が建ち並んでいます。
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 本堂への参道です。
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 「本堂」です。
 慶長7年(1602年)豊臣秀頼により再建されたものです。
 本尊観世音菩薩がお祀りされています。
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 「三重塔」です、現在修理中です。
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 「大師堂」です。
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 「鐘楼」です。
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 「手水舎 五鈷水と弘法岩」です。
 須磨寺の裏山の湧水です。
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 「正覚院」です。塔頭寺院です。
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 「源平の庭」です。
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 わらべ地蔵(かわいい六地蔵さん)
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 「槙屋西月句碑」
 (ふる雨も 清水になるや 花のおく)
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 「柳汀歌碑」
 (●幾世を漕行海士の小舟さへ 静けき須磨の秋の夜の月 柳汀)
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 「蕪村句碑」
 (笛の音に 波もよりくる 須磨の秋) 
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 「山本周五郎文学碑」
 (須磨は秋であった(処女作須磨寺付近から)
 関東震災で東京を離れ、須磨寺近くで半年を過し、その時の体験をもとに、文藝春秋に処女作を発表して、文壇デビューしました。
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 「伊丹三樹彦句碑」
 (くらやみになおも花散る平家琵琶 甘酒にいま存命の一本箸 長き夜の楽器かたまりいて鳴らす 他)
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 「神田正雲句碑」
 (花千母 むかし稚木の さくら哉 正雲)
 須磨寺の荒廃から桜の名所にした功労者です。
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  「三好兵六句碑」
 (夫婦とは なんと佳いもの 向い風 兵六)
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 「尾崎放哉句碑」
 (こんなよい月をひとりで見て寝る)
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 「陳舜臣漢詩碑」
 (須磨寺有感) 
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 「音楽碑」
 (一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛) 
 敦盛遺愛の青葉の笛の碑です。
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 「平重衡とらわれの松跡」です。
 源平合戦の際、副将軍平重衡は源氏に捕らわれの身となり、この地にある松の根に腰をおろして無念の涙を流したと伝えられています。
 今は松もなく、石碑のみが往時を偲ばせています。須磨寺駅前にあります。
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 「山陽電鉄須磨寺駅」です。ここから須磨寺公園駅まで乗車します。
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 「須磨寺公園」です。公園駅を降りて、陸橋を渡って公園に入っていきます。
 このあたりは、源氏物語、須磨の巻の舞台であり。一の谷の合戦の跡でもあることで有名です。
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 中腹にある展望台から、明石大橋方面の眺めです。
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 淡路島がすぐそこに見えます。
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 公園内にも歌碑や句碑があります。

 「松笠要歌碑」 
 (視野一望紀淡は近し山上の 潮南風に向きて胸張る 要)
 松笠要は須磨の歌人です。
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 「芭蕉蝸牛句碑」
 (蝸牛 角ふりわけよ 須磨明石 芭蕉)
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 「蕪村句碑」
 (春の海 終日のたり のたりかな 蕪村)
 与謝蕪村は江戸時代の俳人で、この句は蕪村が須磨の浦で詠んだものといわれています。
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 「敦盛塚」です。
 一の谷の合戦で、16歳の若さで熊谷次郎直実に討ち取られた、悲劇の武将平敦盛の供養塔といわれています、 一方、平家一門の供養塔ともいわれる説もあります。
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 「清々句碑」
 (雨中敦盛そばへ去りし 夜客や後の月 清々)
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 「草野藤次歌碑」 
 (須磨のうら 波の音あはれ吹きたへし 青葉の笛の昔おもへば 藤次)
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 「山陽電鉄須磨寺公園駅」から乗車して、須磨駅に帰ります。
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 「山陽電鉄須磨駅」に帰ってきました。
 須磨駅駅前です。
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 須磨散策も無事終了しました。まだまだ見所も多くあります。
 古から多くの文人墨客が訪れたのも、宜なるかなと思わせる、なにか惹きつけるものがあるようです。

(文中コメントは、須磨区及び、須磨観光協会のホームページより、引用、転載させていただきました。)




6月の「植物園」1

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  梅雨に入って、京都府立植物園のアジサイ園が見頃を迎えています。
 ひとくちにアジサイといっても、品種が多くて表示がないとさっぱりわかりません。
  アジサイ園の説明板によりますと、東アジアと南北アメリカに自生するアジサイ属の植物で世界に40数種日本に10数種が自生しています。
 この植物園では、日本のヤマアジサイ、ガクアジサイ、西洋アジサイ、など130品種、約2,000株が植栽されています。


 ヒメアジサイ
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 マリエシー
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 ロゼア
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 ザ・クリスマス
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 オートキュルヘン
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 ロジエ
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 ユニヴァーサル
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 ブルースカイ
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 ジョセフ バンクス
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 フランビュー
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 ロシタ
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 フランビュー
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 ロシタ
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 白鳥
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 美山八重紫
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 ガクヒメアジサイ
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 ヤマアジサイ
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 大隅ヤマアジサイ
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 ベニヤマアジサイ
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 クラウンホワイト
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 丹後ネデシコヤマアジサイ
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 ヤマアジサイ 六甲山産
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 プレジオーサ
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 モモイロハナ ヤマアジサイ
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 レグラ
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 ベニテマリ ヤマアジサイ
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 マイコ
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 アナベル
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 インマクラター
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6月の「植物園」2

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 アジサイを観賞した後、ぶらぶら園内を散策して写した花々です。
 まず「沈床花壇」から始まります。

 
 沈床花壇の中央噴水です。
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 沈床花壇には、世界で権威ある草花の審査会で受賞した花々が植えられています。

 コレオプシス ヘリオット(キク科)
 欧州草花新品種審査協会 2004金賞受賞品種
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 ゼラニウム  インフィニティ スカーレット フウロソウ科
 欧州草花新品種審査協会 2007金賞受賞品種
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 ゼラニウム ピント プレミアム ホワイト トゥローズ フウロソウ科
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 ラバテラ ツインズホットピンク アオイ科
 欧州草花新品種審査協会 2005金賞受賞品種
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 ルドベキア マヤ キク科 欧州草花新品種審査協会 2005金賞受賞品種
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 フィソステギア クリスタル ピークホワイト シソ科
 欧州草花新品種審査協会 2010金賞受賞品種
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 ラバテラ ツインズホットピンク アオイ科
 欧州草花新品種審査協会 2005金賞受賞品種
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 ペチュニア オペラスプリームピンクモーン 
 欧州草花新品種審査協会 2007金賞受賞品種
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 続いて「なからぎの森」から「四季の彩りの丘」そして観覧温室へと廻ってきました。
 
 シラサギガヤツリ カヤツリグサ科
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 ハンゲショウ ドクダミ科
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 ガビサンヤマボウシ スズキ科
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 ホタルブクロ(蛍袋)キキョウ科
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 ホタルブクロ(蛍袋)キキョウ科
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 ガウラ(ヤマモモソウ)アカバナ科
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 ガウラ(ヤマモモソウ)アカバナ科
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 キョウチクトウ
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 キョウチクトウ
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 キョウチクトウ
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 ニワナナカマド バラ科
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 スモークツリー ウルシ科
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 ノカンゾウ(野萱草)
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 ジャーマンアイリス「虹の花」と呼ばれています。
 地中海沿岸から西アジアにかけて自生していますが、19世紀からヨーロッパで品種改良が行われて、花は大きく花色がはっきりしています。

 パ
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 ダブルキューティ
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 サリー
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  平安神宮は平安遷都1100年を記念して明治28年(1895年)創始されました。桓武天皇、孝明天皇を祭神としてお祀りしています。
 平安京大内裏を復元した応天門や大極殿など朱塗りの美しい建物と、名勝に指定されている四季折々美しい花々に彩られる広大な神苑が、訪れる人々を魅了しています。

 六月の平安神宮は、花菖蒲と睡蓮が美しいと聞き、出掛けてきました。


 平安神宮のホームページからの転載です。
 (境内案内図です)
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 仁王門通り疎水端からの大鳥居です。
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 大鳥居と神宮道通りの表参道です。
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 表参道を行くと、平安神宮の大きな石柱が立っています。
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 応天門です。
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 応天門からみる、大極殿です。
 この広大な空間はいろいろな祭事や、薪能などの催しに使用されます。
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 大極殿です。
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 大極殿正面左右に植えられている。右、左近の桜です。
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 左、右近の橘です。
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 大極殿正面です。
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 向って右手の神楽殿です。
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 朱塗りの回廊が連なっています。
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 蒼龍楼です。
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 白虎楼です。神苑への入口になります。
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 神楽殿から応天門を眺めています。
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 西神苑です。
 周囲を樹林に囲まれ、白虎池一面に花菖蒲が群生しています。 
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 いろいろな花菖蒲です。
 品種は200種類、2000株といわれています。
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 西神苑から小川沿いに中神苑、東神苑への道を歩みます。
 丁度、この道はご本殿の裏、丸太町通りの塀沿いにあります。
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 中神苑です。蒼龍池の風景が広がります。
 臥龍橋(がりゅうきょう)という、飛び石が配置されています、それは龍が臥す姿を象り臥龍橋と名付けられました。
 第七代小川治兵衛の作庭です。
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 紅葉と新緑が美しいコントラストを見せています。
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 蒼龍池には、睡蓮の可憐な花が水面から浮かんでいます。
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 臥龍橋 龍が臥す姿を象り名付けられました。第七代小川治兵衛作で、使用された石材は天正十七年の豊臣秀吉が造営した三条・五条両橋の橋脚です。
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 中神苑には、可愛げな睡蓮が蒼龍池を覆っています。
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 東神苑です。栖風池が大きく広がり、その辺に尚美館(貴賓館)及び 泰平閣(橘殿)が建っています。また栖風池には鶴島、亀島が置かれています。
 明治末期から大正初期にかけて造られました。

 京都御所から移築された尚美館(貴賓館)です。
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 京都御所から移築された、泰平閣(橘殿)があります。
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 泰平閣(橘殿)の背後には美しい姿の華頂山(東山)を借景とする、雄大な眺めが広がります。
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 泰平閣(橘殿)です。
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 泰平閣で一服し、左右の景色を眺めると、四季折々の風景を楽しむことができそうです。
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 石柱です。 天正年間豊臣秀吉が造営した、三条五条大橋の橋脚で、中神苑の臥竜橋にも使用されています。
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 ミヤギノハギ(宮城野萩)です。
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 秋ではなくこの時期に咲いています。
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 この平安神宮は京都市民の守り神として、各学区が受持ち、時代祭などを執り行っています。




   「浄瑠璃寺(じょうるりじ)から岩船寺(がんせんじ)へ」は高校時代の秋のハイキングコースで、何十年も昔の懐かしい思い出です。
 わいわいと騒がしく話しながら、広がる長閑な田畑の田舎道を歩いたことと、池の辺に本堂が建っていたことぐらいで、後は何も記憶に残っていません。
 改めて訪れてみました。


 木津川市加茂町商工会発行の観光パンフレットです。
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 長閑な田園風景は今も昔も変わらないようです。
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 丘陵地に入ると、路傍にこのような石仏が置かれています。
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  カーブで見過ごしてしまいそうな所にも石仏があります。
 「ながおのあみだ」と呼ばれ、立派な屋根石をもった、阿弥陀如来坐像です。 
 徳治2年(1308)造立とあり鎌倉後期の作です。
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 浄瑠璃寺門前」から参道を山門に向かいます。
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 「浄瑠璃寺、山門です」。京都府の高札によりますと。
 浄瑠璃寺は、奈良興福寺の別所として、平安時代後期に創建されたもので、
 池を挟んで東西に国宝の三重塔と九体阿弥陀堂が建ち、此岸と彼岸、浄土の世界を現しています。
 中央の苑地には、洲浜敷きが復元された中島があり、本堂は九体阿弥陀堂建築の現存する唯一の違例です。庭園は特別名勝美及び史跡に指定されています。
 九体阿弥陀如来の所以から、別名「九体寺」とも呼ばれています。
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 山門を入って左に宝池があります。
 この宝池をまわり、三重塔の薬師如来にお参りし、此岸(東)から彼岸(西)本堂へ、阿弥陀如来をお参りするようになっています。
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 美しい三重塔(国宝)です。
 浄瑠璃寺の寺号は、内陣に安置されている薬師如来の浄土瑠璃光浄土からきています。
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 此岸から彼岸へ。西方の理想郷を、宝池を通して極楽世界を現しています。
 敬虔な祈りの庭として作庭されています。
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 中島」です。現在修復中です。
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 池を巡りながら極楽浄土の世界に導かれます。
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 本堂前から中島です。
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 「本堂」(国宝)です。
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 この後、本堂へお参りします。
 本堂は横に長く、九体の阿弥陀如来が安置されています。
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 浄瑠璃寺を出て岩船寺へと向かいます。
 岩船寺へは「石仏の道」を歩いていきます。
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 「あたご灯籠」です。 京都の愛宕神社へ火伏せを願い奉納した石灯籠を似せて作ったもの。
 穴に蝋燭を立てるようになっています。
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 「石仏の道」です。
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 「からすの壺」(阿弥陀如来坐像)です。
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 石仏の道からの風景です。
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 岩船寺への急な山道の石段を上ります。
 巨岩が目の前に吃驚します。
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 参道から少し下ると不動明王立像」があります。
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 石段を登り切ると平坦な道に出て、程なく岩船寺です。
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 岩船寺「山門」です。
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 岩船寺は縁起によりますと、僧行基が天平元年(729年)聖武天皇の勅願で鳴川に建立した阿弥陀堂がその始まりで、弘仁4年(813年)この地に堂塔伽藍を整備して、岩船寺となったと伝えられています。
 最盛期には、東西60町、南北16町の広大な境内に39の坊舎が存在していましたが、承久の乱、等の兵火により焼失しました。
 鎌倉から江戸末期までは、興福寺の末寺でしたが、明治に入って、西大寺の末寺となって今日にいたっています。
 本尊は阿弥陀如来像で、10世紀を代表する仏像とよく知られています。
 ご住職のお話では浄瑠璃寺の阿弥陀さんより古いとのことでした。

 山門から続く参道です。
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 「本堂」です。
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 本堂には、阿弥陀如来坐像(重要文化財)が、どんと真中に座して居られます。
 その四隅を四天王立像がお守りしています。
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 「十三重石塔」(重要文化財)鎌倉時代のものです。
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 「三重塔」(重要文化財)が阿字池周辺から樹間を通して仰ぎ見られます。
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 可憐な「みやこわすれ」が咲いていて目を楽しませてくれました。
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 「阿字池」を通して見る本堂です。
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 「三重塔」(重要文化財)です。承和年間の建立で、中世後期の代表作といわれています。
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  三重塔の後ろ側に道があり進んで行くと鐘楼があります。
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 そして、三重塔や境内一帯を見渡せます。
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 更に進むと「歓喜天(聖天)堂」があります。
 聖武天皇をはじめ各天皇の祈願所と知られ、高僧平智僧都が心願成就のため歓喜天をお祀りして今に至っています。
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 さらに山道を進むと貝吹岩への道が続いています。
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 貝吹岩です。この一枚岩はその昔ここ御本陣山の周辺に三十九の坊舎があった頃、一山の僧を集めるためにこの岩の上に立って法螺貝を吹いた場所と伝えられています。
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 当尾地区で最も高い場所で、木津川の流れや、集落が一望できます。
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 岩船寺門前です。
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 岩船寺から、石仏の道にまた戻って、石仏の中でも最も知られた「わらいぼとけ」といわれる、阿弥陀三尊像にお目に掛かりに行きました。
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笑い仏(阿弥陀三尊磨崖仏)です。
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が穏やかに微笑んでおられるように見えるのでこう呼ばれています。
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 「四面地蔵石仏」です。ちょとした路傍に安置されています。
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 岩船寺南口バス停まで帰ってきました。
 「弥勒の辻」(弥勒磨崖仏)です。
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 かすかにに残る弥勒さんの線彫です。
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 当尾(とおの)の里は広範囲にまだまだ石仏も多く、そのほんの一部を今回拝見して、お参りしてきました。
 いずれまた機会を見つけて訪れたいものです。







「神戸」。 京都とは全く違った雰囲気をもった町として、憧れのような気持ちを常に持たせてくれます。
 前に海を望み、背後に六甲の山並みが迫り、旧の居留地などを歩くと、異国情緒を感じさせる建物などが見られて飽きることがありませんし、潮風に吹かれながら海沿いを歩くのも、港町神戸の醍醐味でしょう。
 その神戸にもう一つの顔、「彫刻の町こうべ」があります。市内には500点を超える彫刻作品が野外に設置されていて、それらを鑑賞しながら、神戸の町を散策するのも、新たな発見もあって楽しいのではないでしょうか。

 今回は三ノ宮周辺の野外彫刻の作品群をご紹介します。
 神戸の町を、北は山陽新幹線の新神戸駅から、JR三宮駅、阪急三宮駅を経て、南は税関前まで南北に通じるフラワーロード、その道路沿い両側に設置されています。
 

 阪急三宮駅を降りて、始まります。

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「AMORE」新谷琇紀 作 さんきたアモーレ広場
 阪急三宮駅を降りた、三宮駅北交差点の広場にあります。 
 女体が組合された、高さ3mの異様な姿が人目を惹きます。
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 風の標識No.45 大成浩 作 さんきたアモーレ広場 
 同じくその広場に設置されています。フット昔遊んだ磁石を思い出してしまいましたが。
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 「長い午後」掛井五郎 作  ニッセイ三ノ宮ビル前
 三宮駅北交差点を北へ、西側歩道を山手へ歩いてすぐにあります。
 おどけたような顔と、なんとも言えない足の恰好が、独特のユーモアを提供してくれて楽しくなります。 
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 その場所から、JR三ノ宮駅北交差点付近を振返ったところです。
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 同じ場所から、北方向山手を眺めたところです。
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 「MEDETAI」流政之 作 代々木ゼミナール前
 同じく西側歩道を歩いていくと、ビルの敷地内に設置されています。
 目出鯛そのままで、大きな目でちょっと通りすがりの人を眺めています。愛嬌のある姿にちょっと頭を撫でてやりたいです。
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「家族」女神と天使そして男 加納町三丁目交差点南西
 加納町三丁目交差点の南西の角にあります。
 現代の姿を反映しているかの如く、偉丈夫の如き女性に皆が「おんぶにだっこ」これで家庭は平穏無事に過ぎていきます。
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 「少女」大桐国光 作 加納町三丁目交差点北西
 同じ交差点を渡ったところにあります。
 今度は清楚な少女像です。恥じらいのあるその姿もまた現在の女性を表しているでしょう。
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 「なほ」岩野勇三 作 加納町二丁目
 尚も歩道をしばらく進むとあります。
 美しい引き締まった顔に、右肩をぐっと上げて、意思の強固さを押し出しています。
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 「WIND」津野充聡 作  布引町4丁目
 加納町三丁目交差点まで戻り、東側に渡り、今度は東側歩道を三宮駅方向に帰ります。
 長いつばのあるわら帽子でしょうか、その立ち姿は、そして左手は進むべき道を指し示しているようです。
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 「浮遊する物体」石黒鏘二 作  JR三ノ宮駅北
 三宮駅北交差点まで戻ってきました。
 駅前のロータリーの真中にあります。左右の強固な物体に支えられて、回転しそうな感じです。
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 三宮駅北交差点から、また西側の歩道に戻って、今度はフラワーロードを海岸に向って南下し、税関前まで行くことにします。

 「雲の中の海」吉田隆 作 三ノ宮センター街入口
 周りが雲で中の円形が海なのでしょうか、僕には周りは得体のしれない宇宙空間で中の円形が雲、その下の僅かな空間が海でもあり、陸でもあるような気がしますが。
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 「レダ」桜井祐一 作 神戸Fビルディング前
 国際会館前の交差点北西にあります。
 この女性は何に向かって何を訴えているのでしょうか。それとも何かを拒絶しているのでしょうか。
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 「追憶」山本正道 作 金沢三宮ビル前
 国際会館前の交差点西南にあります。
 過去のなにを思いだしているのでしょうか。
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 「潮風」一色邦彦 三宮三和東洋ビル前
 国際会館前の交差点東南にあります。
 「どんな感じ」と媚びるような感じで問い掛けてきています。
 「潮風に吹かれて気持ちいいんでしょう」と答えます。
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 国際会館前から山手方向を眺めています。
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 「わたしと私」井上玲子 作 花時計前
 神戸市役所2号館の前の植込みにあります。
 一対の左右の像、一方は実体のある像、一方は外形だけの像。人間の二面性を表現しているのでしょうか。
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 「帽子・裸婦」佐藤忠良 作 第一南ビル前
 神戸市役所2号館前東側歩道にあります。
 お馴染の作家です。
 ちょっと首を傾げて物憂げに立っています。
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 「道標・鴉」柳原義達 作 タイホービル前
 同じく神戸市役所2号館前東側歩道にあります。
 毎朝、夜が明けると鴉の鳴声に悩まされて、この彫刻を見るだけで、嫌な思いがよぎります。
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 「WOMAN」朝倉響子 作 フラワーロード東側
 神戸市役所1号館前東側歩道にあります。
 芸術一家に育ったお馴染の作家ですね。
 この女性の像は見ているだけでこちらが疲れてきそうです。
 踊りを踊っているのでは下半身が躍動していないし、押し潰されそうな人生なのでしょうか。
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 フラワーロード西側、神戸市役所南隣にある、東遊園地公園です。
 この公園の中にもあります。
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 「シオン」船越安竹 作 フラワーロード西側にあります。
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 「MARINA」新谷琇紀 作 東遊園地北側
 作家のイタリア人の奥さんがモデルのこの像、ヨーロッパの芸術の影響を強く受けているような気がします。
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 「エーゲ海に捧ぐ」木内克 作 東遊園地北側
 髪が長くて、下半身をことさら強調したこの女性像に乾杯。
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 「スプリング・ストーン」環境造形Q 作 フラワーロード西側
 東遊園地フラワーロード西側にあります。
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 「日本近代洋服発祥の地記念彫刻」環境造形Q 作 東遊園地ステージ東側にあります。
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 「W・Jモラエス翁像 長谷川雅司 作 東遊園地グラウンド南西にあります。
 ポルトガル領事をつとめ、日本を世界に紹介した人物の顕彰碑です。
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 東遊園地です。
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 「老人」本郷新 作 フラワーロード西側にあります。
 頑固一徹そのものの老人。前に置いた左右の手は、「来るなら来い」と意気軒昂としています。
 素晴らしい老人像だと僕は思いました。
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 「スペース・アイ」多田美波 作 フラワーロード西側
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 「ふれあいの滝」新谷英夫・琇紀・澤子・英子 フラワーロード西側にあります。
 水とモニュメントの戯れを楽しませてくれます。
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 「海の栄え」久保浩 作 フラワーロード西側にあります。
 風薫る五月、さわやかな若葉の風を身体一杯に受けて、希望の明日へ歩もうとしています。
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 「愛 仔馬の像」柳原義達 作 東遊園地噴水東にあります。
 世界に向けて、平和のシンボルを背に、今まさに飛び立とうとする、神馬の如き趣を感じさせます。
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 税関前の陸橋から、フラワーロードを通して北方を眺めています。
 陸橋を渡り、フラワーロード東側歩道を三ノ宮駅に向って帰ります。
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 「星の肖像」新宮晋 作 フラワーロード東側にあります。
 風の動きにつれて、くるくる回転しています。
 燃料も電気も要らない、自然の力と恩恵をフット呼び覚まされます。
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 「歩く鉄」土谷武 作 フラワーロード東側
 不安定な鉄塊を支える足、今にも歩き出しそうな気配を感じます。
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 「マスクA」清水久兵衛 作 フラワーロード東側にあります。
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 「困っている道祖神」木村賢太郎 作 フラワーロード東側にあります。
 神戸市民を災難から守る、守り神として立てられたと思われる道祖神。
 男女一対のものが仲良く並んでいるのが多いようですが、別々の方向を向いているので困っているのでしょうか。
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 三ノ宮界隈の野外彫刻群の鑑賞は終わりです。神戸市内にはまだまだ他にもあります。
 また次の機会に、はてなと考え込んで、巡ってみたいと思います。

 (作品名と作家名は神戸市のホームページより引用させていただきました)


「梅田スカイビル」

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 グランフロント大阪から見える、その特異な姿の梅田スカイビル。是非にも見学してみたいと思っておりました。
 
 この梅田スカイビル。地上40階、173mの二棟が連結する超高層ビルです。
 オフィスだけでなく、映画館やイベントホールなど、いろいろな楽しみを提供し、その最上階には空中庭園展望台を設けて、360度の展望を楽しめるようになっています。


 パンフレットです。
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 建物の回りの空間には、庭園などの彩りを備えています。
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 花の里山 自然との共存をテーマーに、敷地の北側に新里山です。
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 花の里山 緑の空間を構成しています。
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 ウエスティンホテル側からみるスカイビルです。
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 花野・里山からのスカイビルです。
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 中自然の森を通してのスカイビルです。
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 巨大吹き抜けから上を見上げました。
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 ガーデンファイブから見たスカイビルです。
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 東南部です。
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 西側のプロムナードです。
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 東西タワーの空間部です。
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 同じく東西タワーの空間部です。
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 空中庭園への一階の出入口です。
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 空中庭園入場口回廊へ(3階)です。
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 チケットカウンター(39階)です
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 空中庭園 入場口(39階)です。
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 空中庭園への長いシースルーエスカレーターです。
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 空中庭園(ルミ・デッキ)からの俯瞰です
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 空中庭園(ルミ・デッキ)から眺めています。
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 空中庭園(ルミ・デッキ)です。
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  淀川 橋は左から新十三大橋、NTT専用橋、十三大橋、阪急電鉄線橋が見えます。
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 手前、新淀川大橋、JR線橋が見えます。
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 JR大阪駅が見えます。
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 左から、オーナーズタワー、インターコンチネンタルH大阪、グランフロント北館と南館です。
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 リバービュー(40階)淀川の流れを一望できます。
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 中自然の森(現代の鎮守の森)へと滝が流れていきます。
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 中自然の森(現代の鎮守の森)です。
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 地下1階、滝見小路 昭和初期の町並みを再現しています。
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 懐かしい昭和の香りを漂わせています。
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 狭い抜け路地にはお稲荷さんの鳥居が鎮座します。
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「湖畔の音楽室」

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 僕はヴィオラという楽器が好きです。
 ヴァイオリンとチェロとの間で中音域を担当する地味な楽器ですが、非常に奥深い音色でオーケストラのパートの重要な部門を占めており、また室内楽のパートでも外すことのできない存在です。
  過日、京響友の会コンサート終演後の楽団員の皆さんとの交流会で、ヴィオラ奏者の高村明代さんと少しお話しする機会があり、このコンサートの存在を知り、出かけてきました。

 
 当日公演のチラシです。
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 公演場所は大津市の北部、志賀町近くの大津市和邇文化センターです。
 降り立った、JR和迩駅正面です。
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 近くの真野浜や和邇浜は中学時代、夏の海水浴で学校行事で連れられてやってきた所で、懐かしく、少し早い目に出掛けてその辺りを散策しました。
 浜辺から見る比良の山並みです。釣人が海中に入って釣り糸を垂れていました。
 水は美しく澄み、空はあくまでも青く、さわやかな気分を満喫しました。
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 こちらは、南方向、堅田の浮御堂や琶湖大橋方面です。
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 説明板によると、明治18年と29年の二度にわたる琵琶湖水害を経験した、村の人たちが築いた石垣堰堤の跡です。
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 和邇文化センターは、和邇駅からすぐのところにあります。
 運動広場や和邇図書館、テニスコートなどと併設されており、広いプロムナードや駐車場もあり、静かな環境の立地に建っていました。
 正面は和邇図書館です。
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 大津市立和邇文化センター全景です。
 落着いた色調の感じの良い建物です。
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 センター正面です、
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 ホール正面です。
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 ホールの模様です。開場一番乗りで、空席のところを写したかったのですが、早くから来場者が多くて、開演時には、ほぼ満席の大盛況の音楽会でした。
 このホールは、客席500席の中ホールで、リサイタルや室内楽、合唱団などの演奏会には相応しいホールと言えます。
 比較的新しい建物で、客席もゆったりとして適度の傾斜もあり雰囲気の良いホールでした。
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 この公演は、大津市在住の3人の演奏家が、地元の人々に音楽を楽しんでもらうために催されているもので、今回は4回目の公演だそうで、主催は「びわこのーと」です。
 ヴァイオリンの河本 学さん、ヴィオラの高村明代さん、ピアノ永山直子さんの三人の珍しい組合せのコラボレーションで、趣向を凝らされた楽しめる演奏会でした。
 河本さんの司会で、演奏される一曲づつ、曲について、楽器について、またヴァイオリン製作の聖地といわれる、イタリアのクレモナのお話など、ユーモアを交えてお話されてたっぷり2時間の音楽会でした。

 
 チラシ記載の演奏者のプロフィールです。
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 ヴァイオリンの独奏、ヴァイオリンとヴィオラの二重奏、ピアノの独奏、そしてトリオによる演奏と、組合せをよく考えられた楽しいプログラムでした。
 永山さんのショパンのワルツやポロネーズなどの素晴らしい独奏には惜しみない拍手が送られ、河本、高村両氏の息の合ったコンビの演奏もまた魅了されました。
 最後のモーツアルトの協奏交響曲は、オーケストラ部門をピアノが受持ち、3者の技巧が巧みに示されていい演奏でした。

 
 チラシに記載の曲目の一部の紹介です。
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 このような楽しい地に足のついた地道な活動は、クラシック音楽ファンの裾野を広げ、文化の香りを生活の中に生かしていく大切な要素だと思います。
 お忙しい3人の方々ですが、これからも末長く続けていって欲しいと願っています。
「湖畔の音楽室」さわやかな湖畔のホールで、至福の一時を味わえることができ、気持ちよく帰路につきました。



 ふとしたことから、明治時代に大仏鉄道という私鉄が存在し、その遺構が現在も残されてていることを知り興味を惹かれ辿ってみました。
 
 JR加茂駅に設置されている、大仏鉄道モニュメントの案内板によりますと。
 
 現在のJR関西本線の前身である私鉄、関西鉄道が名古屋方面から大阪への進展をめざして延長を計画し、加茂駅から現在の奈良駅、北1.1kmの所に仮設駅に作った大仏駅までの約8.8kmで二年後に開通した奈良駅までの通称で「大仏駅の開業は明治31年(1898年)加茂駅〜大仏駅間が開通し、赤いイギリス製の蒸気機関車が走行したと、当時の新聞が報道したそうです。
 この路線も、急坂の黒髪山トンネル越えの難所などがあり、その後、加茂〜木津間の平坦路線ができ、国有化され、10年後に廃線となり、その短い生涯を閉じたそうです。
 
 資料により、加茂駅から大仏駅までを辿ってみました。
 
 大仏鉄道遺構めぐりの地図です。
 (大仏鉄道研究会公式ホームページより転載しました。)

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 「加茂駅」東口正面です。
 加茂駅は明治30年(1897年)に開業しました。
 現在の駅は平成11年(1999年)に改築されたものです。
 加茂駅を境に大阪方面を大和路線、亀山方面を関西本線と呼ばれています。
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 東改札口駅へのプロムナードです。
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 「ランプ小屋」です。 明治30年築で、駅西口の線路脇にあります。
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 「大仏鉄道記念モニュメント」駅前広場にあります。
  蒸気機関車8620型動輪と、転車台跡から発見されたレールとレンガを展示しています。
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 駅近くの、加茂小学校の大和路線路脇に保存展示されている「C57型蒸気機関車」です。
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 このような案内標識が加茂町内に設置されています。
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 赤田川グランド前の「大野踏切り」に残る「橋台」です。並行して大和路線が走行しています。
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 このあたり、長閑な田園風景が見られます。
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 「観音寺橋台」(手前)です。奥を大和路線の電車が通過していきます。
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 大和路線の軌道です。この左側に並行して大仏鉄道の軌道がありました。
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 美しく手入れの行届いた竹薮も見られます。
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 「観音寺小橋台」です。通り抜けられないようフェンスで閉じられています。
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 加茂駅から線路沿いに進んできましたが、大和路線は不動尊山トンネルを境に、右手にカーブして木津方面に進んでいきます。
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 一方、大仏線はこのあたりから、現在の大和路線から大きく左へ分かれ、鹿背山を越えて奈良方面に向かいます。
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 大仏線は現在の市道を(一部府道324号線)進んでいきます。
 「鹿背山橋台」です。石積の頑丈な橋台です。
 大仏線は鹿背山を越えていきます。左手は美加丿原ゴルフ場が広がっています。
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 軌道跡が一般道になっています。写真左奥(薄暗い一部)が梶ヶ谷トンネルです。
 農道用のトンネルです。
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 「梶ヶ谷トンネル」です。美しいトンネルです。
 さしずめ今なら簡単にコンクリートで出来てしまうでしょうが、手の込んだ美しい形と造作です。
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 「赤橋」です。上部の軌道跡は道路となっていて、梅谷の交差点へ向っています。
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 梶ヶ谷トンネル、赤橋の上部、軌道跡の道路です、
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 この辺り一帯は大規模な開発が行われています。広大な住宅地とショッピングセンターが造られるそうです。
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 赤橋を過ぎると、梅谷の交差点に向って下っていきます。
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 「梅谷の交差点」を手前から見ています。山間部を抜けて市街地に入ってきました。
 恐らく明治の頃は古い集落が点在していて、あとは農地が広がっていたことでしょう。
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 梅谷交差点から、軌道は現在の国道44号線に沿って奈良市内に向かいます。
 右手が軌道の「築堤」があったところのようです。
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 44号線に沿って進みます。
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 新しい住宅団地が左右に続きます。梅美台交差点を過ぎ「梅美台西交差点」にやってきました。
 このあたりに松谷川トンネルがあります。
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 「松谷川トンネル」です。上は国道44号線です。
 この場所は探すのに手こずりました。近所の人々に尋ねましたが、新しい住民の方が多くてご存知ないようでした。1時間ほど徘徊してようやく辿り着きました。
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 梅美台西交差点を過ぎ、尚も、44号線を辿ります、
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 「梅谷口交差点」を過ぎたところにある、「鹿川トンネル」です。上部は国道44号線です。
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 「鹿川トンネル」です。農業用水のためのトンネルのようです。
 いずれの場所のトンネルにしても橋台にしても、手の込んだ構築物になっているのに驚かされます。
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 「奈良坂町北交差点」を過ぎ、尚も44号線を進みます。
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 ここには黒髪山のトンネルが通っていた「黒髪山トンネル跡」です。
 昭和39年頃までトンネルは現存していたようですが、国道を通すために切り通しをしてトンネルを除去したようです。
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 この辺りは鴻池陸上競技場や野球場などがあります。
 やがて下り坂になり、軌道は44号線と分かれて斜め右手に入り、大仏駅に至ります。
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  「佐保川」です、
  この橋のそばに大仏駅記念公園があります。
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 「大仏駅跡」です。住宅街の一画に、大仏鉄道の記念公園があります。
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 モニュメントがあり、大仏駅がこの場所より北にあったとのことです。
 消防署にお尋ねしましたら、旧の消防署跡が記念公園になったようです。
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「大仏鉄道遺構めぐり」は、美加丿原ゴルフ場までの加茂町地区は、要所に案内標識が設置してあり、容易に見つけることは可能ですが、それ以後の木津市、奈良市には案内標識など全くありませんのでちょっと苦労します。
 
 
 

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