2013年7月アーカイブ

京都労演例会 トム・プロジェクトプロヂュース公演 「青空・・・!」 新妻聖子ひとり芝居 府立文化芸術会館 2013年7月28日
出演 新妻聖子さん  作・演出 東  憲司さん
 小学校教員の村野五月(新妻聖子)は、教育現場で挫折し、亡くなった祖母が、かって生活を営んでいた田舎へ逃避してくる。
 そこには戦争中、避難していた防空壕があり、三年間の生き様が、そのまま残っていた。
 折り紙で作った、数々の動物たち、一際、大きく、制作半ばのキリンが置かれていた、青空と題したノートと共に。
 そのノートを読む内に、祖母との対話を、自分自身で仮想しながら、自分自身を取戻し、現場へ戻る勇気を与えられる。
「夢、希望、そして青空」五月のラストに歌う歌声は、力強く、彼方の祖母へ届けとばかりに。
 難しい、独り芝居を、若さと演技力で乗切り、また、第一線のミュージカル女優として培われた、劇中で歌う、美しい歌声は、観客を魅了しました。 



            例会誌、表紙
新妻.JPG


終演後、劇団のご好意で、舞台装置の見学が、二日間に亘って、少人数に分割されて、行われました。
 通常は、舞台に上がる事は、関係者以外、許されない事が多く(装置の一部が破損したり、精密な機械が設置されていて、もしもの事があると、公演が続けられない事態も起こり得るので)特別な計らいで、珍しい装置の秘密などを知り得て、面白かった。
 最初に、舞台監督の松本さんのご挨拶と、説明並びに、舞台上の見学の注意点が、話されました。
新妻0.JPG


    舞台装置の全体像
IMG_0003.JPG

     キリンと折り紙の数々 1
新妻2.JPG

     キリンと折り紙の数々 2
IMG_0014.JPG


舞台上で、いろいろの質問が交わされて、皆さん興味津々。
新妻3.JPG


キリンの首や、羽根が動き、青空に向かって、希望を持って、羽ばたこうとする。
新妻4.JPG


照明さんの操作によって、キリンの色が、、いろいろ変化する。
 出演者は一人であっても、吃驚するほど、多くの裏方さんの努力によって、舞台は成り立っている事に、改めて思い知らされ、演劇という総合芸術に、益々、魅せられていきました。
新妻5.JPG



岡山県 宇野港



「PARADISE」 荒木経椎、作
エロスとタナトス(生と死)を表現しているとのことです。

アラーキ.JPG


(岡山県 宇野港)
「船底の記憶」 小沢敦志、作
錨や、スクリュー、自転車や、コンロなどの鉄材を組み合わせて、制作されたオブジェです。
船底.jpg


「宇野のチヌ」 淀川テクニック、作
海からの漂流物や、家庭のゴミから制作された、巨大なチヌです。
宇野のチヌ.JPG




直島(なおしま)



「ANDO MUSEUM」 安藤忠雄、設計
築100年を越える民家の塀や、家屋を保存しながら、内部は、コンクリートの打ちっ放しで、改修し、コンクリートと、木造とを融合させ、新しい空間を創造しています。

安藤ミューゼアム.JPG

Museum 入口
安藤ミューゼアム2.JPG


入館者に渡されるパンフレットです。
内部は例によって撮影禁止。
安藤.JPG


「地中美術館」 安藤忠雄、設計  
地中美術館は「自然と人間を考える場所」として2004年に設立されました。
 その点では、全てのコンセプトで、豊島美術館と共通の命題を備えていると言えます。
建物の大半が、地下に埋設され、自然光を取り入れ、時刻の変化によって、刻々、表情が変化していきます。
  地中美術館のパンフレット
地中美術館.jpg


チケットセンターから、しばらく歩いて出入口に着きます。
地中美術館1.JPG

出入口から、入館へのアプローチ。
地中美術館2.JPG


「南瓜」草間彌生 作
草間彌生さんを初めて知ったのは、1998年8月(平成10年)に訪れた、ニューヨークの、近代美術館で、偶然、
「草間彌生展」を開催していました、金色の玉を敷詰めたフロアーなど、理解し難い作品が、強い印象として残っています。
カボチャ.JPG
IMG_0257.JPG


直島 本村地区
歯医者さんの旧家を、丸ごとアートに変身、外観も外観なら、内部も内部と、だけ言う他ありません。

歯医者.JPG

角屋 本村地区
この地区は、普通の民家がアート会場に、ちょっと探すのに一苦労です。
角屋.JPG

本村地区
水に浮かんだ家屋、中に入る事が出来ますよ。
IMG_0270.JPG


「赤かぼちゃ」 草間彌生、作
直島、宮浦港緑地 直径約7m
かぼちゃ1.JPG



豊島(てしま)

「あなたの最初の色」ビビロッティ・リスト
唐櫃地区 土蔵の中、カラフルな映像作品です。
IMG_0172.JPG
IMG_0170.JPG


「島キッチン」阿倍 良
島の食材を使った美味しい料理を、皆さんに提供します。 
開店前で、裏からの屋外テラスの写真です。
IMG_0168.JPG

「空の粒子」 青木野枝、作   唐櫃地区
貯水タンクを囲むように、空に粒子が舞うようなオブジェです。
IMG_0179.JPG

「豊島美術館」(アート)内藤 礼(建築)西沢立衛 
全景 ポストカードを転載(了解済)

豊島美術館.JPG


右のコンクリート建築物は、チケットセンター、地中に埋没しています。
IMG_0193.JPG

 
手前が美術館、左の小さいドームはカフェ&ショップです。
手前に隠れてチケットセンターが有り、チケットを受取ると、左の細道を辿りながら、小高い丘を一回りして、美術館に入館する、出ると、左のカフェ、ショップを寄りながら戻ってくるというコースです。
この美術館は、これまでの美術館の概念を変え、建物や自然そのものが一体化して、アートして存在するというものです。
豊島美術館1.JPG


チケットセンター内部
豊島美1.JPG


美術館へのプロムナード、ぐるりと一周しながら、心を無にして、自然と一体となりながら入館します。
豊島美4.JPG


内部はもちろん撮影禁止 
床のほんに小さな水たまりが、勝手に移動し、集散を繰り返すという、不可思議な情景に遭遇します。
内部の雰囲気を、少しは理解してもらえたでしょうか。 ポストカードを転載(了解済)

豊島美術館2.jpg


カフェ&ショップです。右端は厨房、正面はショップ、真中は利用者のための椅子。
あまり、端に寄ると頭を打ちます。
豊島美術館3.JPG


明かりは天上から差し込む、自然の照明が暖かく円やかな光彩を放ちます。
豊島美5.JPG

付近は美しい棚田が広がり、素晴らしい風景を目にする位置に建設されています。
豊島美術館4.JPG


「あなたが愛する者は、あなたを泣かせもする」 トビアス・レーベルガー、作
弐階建て丸ごとのアート・レストランです。
豊島 家浦港
イル・ヴェント.JPG


外部テラス、カウンターが何処にあり、椅子が何処にあるか。
イル・ヴェント.JPG3.JPG


「豊島横尾館」(アート)永山祐子(建築)豊島横尾館
横尾忠則さんの美術館

豊島横尾館.JPG
外観
豊島横尾館.J1.JPG


度肝を抜く、赤いシートを中に挟んだ合わせガラスを通して、外部を見ています。
豊島横尾館.J2.JPG

外部で見る庭の風景、室内から見ると、また違った色の風景を、眺める事が出来ます。
豊島横尾館.J3.JPG


トイレ内部、落着いて用を足せるかどうか、
豊島横尾館.J4.jpg




 瀬戸内の島々を舞台に開催されている、「瀬戸内国際芸術祭」を訪れました。
 昔から、島々は、それぞれの文化を持ち、大切に継承されてきました。
 それらを支えてきたのは、瀬戸内海という、交通の大動脈であり、島々を行き交う船は、新しい風を運んできました。
 今、その島々に、アートという新しい風が吹き、それらが島々を活気付け、アートの島々として、内外から脚光を浴びています。
 この度、それらの島を巡るツアーが計画され、大いなる期待を持って参加しました。
 以下はそれらの島々の僕の拙い報告です。


行程

 姫路港(フェリー)~小豆島、福田港~醤の郷・坂手~肥土山・中山~土庄港(フェリー)豊島、唐櫃港~家浦港(高速船) ~直島、本村港~宮浦港(フェリー)宇野港



地図.jpg
 
 
瀬戸内国際芸術祭2013作品鑑賞パスポート記名式で本人しか使用出来ません。
開くと、イベント会場の番号が印刷され、各イベントに参加すると参加印を捺印出来るようになっています。
No1よりNo165。他に8ヶの枠があります。別に割引料金で入場出来る美術館やイベントもあります。
パスポート.jpg


小豆島(しょうどしま)



「醤の郷」(ひしおのさと)坂手地区
醤油の町、そこかしこに、醤油蔵が建ち、あたり一面、醤油の香りが立ち込めています。
古い町並みを保存し、そこにアートが点在しています。
IMG_0074.JPG



醤の郷の道.JPG
IMG_0084.JPG


醤油蔵が続く、醤の郷です。
町並み.jpg


「醤油蔵通りプロジェクト」
マルキン醤油、第四号蔵 杉桶がはるか彼方まで並び、醤油の香りが辺りに漂う。
蔵.JPG


「醤油倉庫レジテンスプロジェクト」 織咲 誠・小山泰介、作
江戸末期創業の、醤油会社の倉庫が、ギャラリーに変身しています。
81織咲誠醤油倉庫レジテンスプロジェクト.JPG


「ANGER from the Bottom」  ビートたけし、ヤノベケンジ制作
一時間置きに、古井戸から,巨大な怪物が立上がり、口から水を噴出します。
頭には斧が刺さり、地響きと共に出現します、音はたけしさんの声をもとに作成されたとか。
IMG_00561.JPG

ビートたけし・ヤノベケンジANGER.fromthejpg.jpg


 この怪物騒ぎのすぐそばの、元、坂手幼稚園の「遊児老館」で、柴 幸男さん主宰の劇団「ままごと」が今回,小豆島で公演する、「日本の大人」の立ち稽古が行われていたので拝見しました。
 制作総指揮の宮永琢生さんに、冷たいお茶をご馳走になりながら、お話を聞かせて頂きました。
劇団2.JPG


稽古の案内板が、慎ましやかで、楽しい。
劇団.JPG


上演演目のパンフレット。
大人.JPG


若い人々の集まりで、熱気をはらんだ稽古が行われていました。
IMG_0063.JPG

劇団1.JPG


「THE STAR ANGER 」 ヤノベケンジ、作
灯台跡に制作されました、作品が太陽の光に、燦然と輝きを放ちます。
小豆島 坂手港
IMG_0065.jpg



「おおきな曲面のある小屋」 島田 陽,設計
醤油蔵を組み合わせたような、トイレと思えないような、公衆トイレです。
84島田陽おおきJPG.JPG


男子用の内部も、チョット拝見。
84島田陽おおき1JPG.jpg


「オリーブのリーゼント」 清水和久、作
オリーブの実に、リーゼントをかぶせて強さを、表現しているというそうです。
85清水久和.オリーブのリーゼントJPG.JPG


「小豆島カタチラボ」 graf 旧山吉醤油母屋
一見、普通の民家の佇まい、入るのも躊躇われるような、ギャラリーです。
86GRAFカタチラボ.JPG


内部の写真撮影もどうぞ、という数少ないギャラリーの一つでした。
86GRAFカタチラボ1.JPG

「太陽の贈り物」 犀正化、作
オリーブをモチーフにしたオブジェ。
海に面し、冠の円環の中から、瀬戸内の風景を眺めるように。
小豆島 土庄港
58チェ・ジョンファ、太陽の贈り物.JPG


「猪鹿垣の島」 斎藤正人、作
獣除けのししがきを、アートとして再生したものです。
小豆島 肥土山地区
IMG_0127.JPG

61斎藤正人猪鹿垣の島1.JPG


「小豆島の光」 王文志、作
棚田の最低部に、約5.000本の竹を組んで構築された、巨大なドーム。夜間はライトに映えます。
63ワン・.JPG


 エンゼルロードと呼ばれ 一日2回、干潮時のみ「余島」と呼ばれる対岸に渡る事が出来ます。
早朝4時半、引き潮を待って、散歩に出かけました。恋人同士が手を繋いで渡ると、一生幸せに過せるという。
エンゼル.png


 轡田郁子・吉見久子、お二人による、「モロッコ」を題材とした写真展を鑑賞した。
場所 ギャラリー&喫茶 繭(まゆ) 下京区仏光寺通烏丸東入一筋目上る

 祇園祭、山鉾巡行の翌日とあって、付近はまだ熱気が漂っている雰囲気である。

 私にとっては、モロッコと聞くとアフリカ大陸の北の果て、という印象しかない。隣国アルジェリアと同一視してしまう程の知識の無さだ。「砂漠とカスバ」映画 「外人部隊」「望郷」「カサブランカ」などフランス植民地時代の名画を思い起こさせてくれる存在でしかなかった。
 お二人による「モロッコ旅行」での美しい砂漠の風景や、この地、特有の街の風景などが飾られて、観る者を楽しませてくれる。
 しかし同じモロッコの被写体でありながら、ファインダーを覗く、それぞれ、お二人の意図によって、かくも違った印象を与えるものかと思う。

 轡田さんは構図の中に、必ず人物や動物が写し込まれており、その瞬間まで待つと話されており、人物等、を通して自然や風景などを捉え、そこに、生き物と自然との対話を求めているように思はれる。
 かたや、吉見さんは、人物等は意図的に排除し、大自然のそのままの姿を、あるときは荒々しく、または繊細に表現し、自然と人間との対話を、無言の内に鑑賞者に働きかけ、答えを見つけ出させようとしているように思はれる。
 今回のように、視点の相違する、二人の作品を並べる事により、二人展の意味と成功があるように思う。

 いずれにしろ、同じ方向から物事を捉えるのではなく、違った方向から物事を捉え、考察する事の大切さを痛感し、約10年前に上演された「赤シャツ」を思い出しながら、帰途についた写真展であった。


写真展、お誘いの葉書
m1.JPG


ギャラリー「繭」 仏光寺通りから、綾小路通りへの抜け路地の中ほどの一角にある。
知る人ぞ知る、隠れギャラリーの感あり、写真展が多く開催されており、毎年訪れている。
IMG_0004.JPG


ギャラリー内部、奥のコーナー、一画に5.6人が座れる喫茶部分があり、常連さんが集まって談笑されている、家庭的な雰囲気のギャラリー。
IMG_0001.JPG


青年座 公演「赤シャツ」作 マキノノゾミ 演出 宮田慶子  出演 長谷川稀世 他
 赤シャツとは、ご存知、漱石の「坊ちゃん」に登場する、坊ちゃんの敵役です、坊ちゃんは、一人称で主観によって語られており、本当に赤シャツはあんな嫌な奴だったのか、マキノノゾミさんは、赤シャツの視点からみた、坊ちゃんを描いて、物事には表裏から、視点を変えて、捉える重要さを笑いの中に取り入れて、楽しい舞台を作り上げていました。
赤シャツ.JPG

祇園祭あれこれ

| コメント(0)
 今年の祇園祭もクライマックスである山鉾巡行も無事終わり、7月末まで、花笠巡行や還幸祭、など神事も僅かとなります。
 私が若い頃は、後の祭りが24日に行われ、山の巡行も行われました。来年度より後祭りが復活するという話も出ていますが、どうなる事やら。

 丁度私が通学していた中学は、後祭りの区域で級友たちが囃子方として参加し、私たちもお祭りのご馳走のお相伴に与った楽しい思い出があります。
 
 因に後祭りの山鉾の巡行は、三条烏丸から三条通りを東へ、寺町通りで南下し、四条通りへ西へ、狭い京の街路を家屋の軒すれすれに巡行し、巡行の通りに面した二階の窓は、鈴なりの見物衆に開け放たれ、厄除けのちまきがその窓に向かって放り込まれて、やんやの喝采が浴びせられたものです、現在は、鉾から見物衆にちまきを蒔く事は、危険と禁じられていますが、昔は一体感があって良かったとは思います。

 山鉾巡行は、動く美術館と言われていますが、祇園囃子の音色を聴きながら人波に揉まれての山鉾巡りは、祭りの雰囲気を楽しむには、それはそれで最高でしょう。
 それはそれとして、16日の宵山、17日の巡行を避けて、人の少ない頃を見計らって、鉾や、山の組立、そして会所飾りや、屏風祭り、動かぬ美術館を眺めるのもまた楽しいものです。


船鉾前部 装飾などゆっくり眺める事が出来ます
1船鉾1.jpg


船鉾後部人出も少なく存分に眺める事が出来ます。
2船鉾2.JPG


放下鉾の縄がらみの側面、懸装品で隠れてしまうが細部に亘って熟練した職人の技を見る事が出来ます、様式美としても素晴らしいの一語に尽きます。
この後、車輪が取付けられます。
3放下鉾.j5.JPG


縄がらみの最終仕上げ、
祇園3.JPG


放下鉾正面の縄がらみ、隠れてしまうのが惜しいような仕上がり。
5放下鉾.j1.JPG


放下鉾、町内の典型的な京町家、二階の虫籠窓(むしこまど)、ばったり床几(しょうぎ)を家の方が片付けておられるところ。
魔除けの鍾馗さんも軒先上に置かれています。
6放下鉾.j8.JPG


軒先上の鍾馗さん
7放下鉾.j6.JPG


南観音山を大工方が組立の真っ最中。
8南観音山1.jpg


新町通り六角通り付近一帯に、屏風飾りをしている旧家やお店が多い。
北観音山、町内の屏風飾り、
9北観音山.JPG


北観音山、町内の屏風飾り、
10屏風飾り1.JPG


新町通り六角下る 屏風飾り、源平合戦の図 左右対称となっています。
11屏風飾り2.JPG


八幡山町内 屏風飾り 光琳百花図屏風
12屏風飾り3.JPG


一方、町会所では、ご神体や懸装品を公開する会所飾りが行われています。
霰天神山、会所飾り
13霰天神山1.JPG


霰天神山、会所飾り
14霰天神山.JPG


占出山 新調された水引の公開
15占出山.JPG


黒主山の会所飾り、 中央はご神体
祇園15.JPG

京都府庁界隈

| コメント(0)
 京都府庁界隈は、幼少の頃は家も近くでもあり、堀川商店街への通い道として、足繁く母に連れられての懐かしい界隈でありました。
 府庁を中心に見ると、正面入口から東へ下立売通りを行けば、昭和館を経て、300メートル程で、御所の石垣に突き当たり、その石垣のある、烏丸通りに面して、北側角に、有栖川家の旧邸が移築されており、反対、南角には聖アグネス教会があります。またその向には御所の入口、下立売御門があります。
 御所の石垣に沿って南に下ると、丸太町通りの手前に西側に下村ハウスがあります。
これらは全て、昔も今も変わる事なく、その姿を留めています。

 また、府庁正面から南に伸びる府庁前道路には、右角に上京消防署があり、斜め東側には第二日赤病院がデンと腰を据えています、さらに続きに、梅屋小学校がありましたが今は廃校となり姿を消しました。

一方、府庁正面から、下立売通りを西へ行けば、すぐ南向いに、滋野中学校がありましたが、2002年廃校となり、今は「京都まなびの街生き方探求館」になっています。さらに堀川通りに向かって進むと、北側に中信美術館が建っており、堀川通りに出れば、東堀川通りに伊藤仁斎宅があり、その居宅の前をチンチン電車が走っていました。
 西堀川には川沿いに、戦前大きな商店街があり、日常の買物に連れられて行きましたが、今は、京都の南北の幹線道路となっています。



京都府庁正面入口より、旧本館を見る
1府庁.JPG


玄関入口へのへのプロムナード
バルコニーは大河ドラマ「坂の上の雲」のロケにも使用されました。
2府庁1.JPG


旧本館の内部 階段から踊り場
内部は昔のまま保存され、一般に公開されています。
府庁10.JPG


廊下 落着きのある風情
府庁11.JPG


食堂
府庁12.JPG


知事室 調度品もそのまま保存されています
府庁13.JPG


中庭
府庁14.JPG



昭和館(国登録有形文化財)1923年建築
昭和館.JPG



烏丸通り下立売角、有栖川宮家旧邸(有栖館)(国登録有形文化財)
さしたる特徴がないように見えますが、烏丸通りの青天門や長屋門を見ると成程と納得できる建物だと思います。
3有栖川宮旧邸 有栖館(国登録有形文化財).JPG



同じく、烏丸通り下立売角、「聖アグネス教会」(京都市登録有形文化財)
明治期に建てられた教会で、いつ眺めても心の安らぎを与えてくれる、飽きる事のない美しさを見せています。
4聖アグネス教会(京都市登録有形文化財).JPG



京都御所(御苑)の西南に位置する、下立売御門
5御所門.JPG



烏丸通り丸太町下る「下村ハウス」子供の頃は「大丸さんの別荘」とと呼んでいました、今は大丸ヴィラと言うらしい。
 余談になりますが、僕らは小さい時(大丸)のことを「大丸さん」(高島屋)のことを「高島屋はん」と親しみを込めて呼び習わしていました。
 ヴォリーズ設計の、瀟洒な西洋風洋館で当時は珍しい建物で、屋根の上に風見鶏が設置されていて、珍しく、西洋のおとぎ話に出てくるような建物だと思いました。
 残念ながら現在は、前面のヒマラヤ杉が大木となり、建物全体を隠しているのが惜しいと思います、よく見えませんでしたが、風見鶏はなく替わりにテレビのアンテナが有るように見えましたが。
6下村1.JPG



入口の門扉の上部から見た建物の一部
7下村2.JPG



府庁前通り、左側、府警本部別館を経て、第二日赤病院。
府庁前通り.JPG


第二日赤病院が続く、全て新築されて一新しています。
日赤.JPG


上京消防署、いつも買物に急ぐ母に急かされながらも、飽かず消防自動車を眺めていた思い出があります。建物は建替えられています。
上京消防.JPG


滋野中学校、廃校となり、建物を利用して「京都まなびの街生き方探求館」となっています。
滋野中.JPG


中信美術館 下立売通り油小路東入る北側 (京都府庁正門より西約100メートル)
平成21年2月に当所に新築され、中信美術館として開館されました。以前は、御池寺町の京都市役所向のビル二階に御池ギャラリーとしてあり、所蔵品を展示されたりした時に訪れた事があります。

この美術館は落着いた空間の中で展示品をゆっくり楽しみながら鑑賞出来るように設計されており、素晴らしい美術館の一つと言えると思います。
 
一昨年、昨年と江里佐代子さんや石本 正さんの展覧会を鑑賞し、今年は会期、最終日の6月30日に滑り込んだ。
京都、縁の作家たちの動物を扱った作品を楽しむ事が出来ました。
8中信1.JPG
中信2.JPG


展覧会のポスター
9中信ポスター.jpg



江戸初期の漢学者、伊藤仁斎の邸宅(古義堂) 東堀川通り出水下る
 この前をチンチン電車が走っていました。(昭和36年、1961年8月廃線)
10伊藤仁斎宅(古義堂)跡、並びに書庫.JPG


堀川下立売の下立売橋の上から北方を望む。
この、堀川の右に京都市電、北野線、チンチン電車が北野天神〜京都駅間に運行されていました。
 一方、左側には堀川商店街が賑わっていましたが、戦争中の強制疎開で全部取壊され、戦後、幹線道路としてお目見えし、今は京都の交通の要として貢献しています。
11堀川3JPG.JPG

四条河原町界隈

| コメント(0)
 四条河原町、西南角に高島屋京都店があります。戦後、この場所に店舗が移転するまで、烏丸高辻角(現、京都銀行本店)にありました。

高島屋への思い出も多い。
 記憶は不確かな部分もありますが、昭和25年頃より30年中頃まで一階には「公楽劇場」地下一階には「公楽小劇場」があり、公楽劇場は封切館で、小劇場は名画館として併設されていました。
 小劇場は、建物を支える円筒形の太い柱が座席の半ほど左右にあり、スクリーンが見えにくかった事が強烈な思い出としてありますが、当時、いっぱいの観客はそれらを苦にせず、(嘆きの天使)(会議は踊る)(外人部隊)(望郷)(カサブランカ)(自転車泥棒)(チャップリンの作品)など戦前、戦後の多くの名画を二本立てで、安価な料金で楽しんだものです。

 一方、高島屋、西側増築部分には「アイスパレス」というスケート場が賑わっており、時には急場のコンサート会場にもなっていました。

 当時、専用コンサートホールなど京都にはなく。
河原町三条下った、東側に「京劇」という映画館があり、そこでも音楽会が開かれていましたし。現在「MOVIX京都」になっている、新京極三条下るに「松竹座」という映画館も、臨時に演奏会が開かれていました。
 また音楽鑑賞団体「労音」(現、ミューズ)の例会は祇園花街にある「彌榮会館」で開催されていました。
 現在では想像もつかない事で隔世の感があります。


四条河原町交差点、北東より高島屋京都店を見る
IMG_0005 2.JPG



アイスパレスがあった場所、寺町通り四条下る東入る(現在、高島屋取付け道路、及び駐車場になっています)
ここでの演奏会は、簡易な金属椅子を並べただけの、お粗末なものでありましたが、名曲に酔いしれた思い出があります。
IMG_0011 2.JPG


アイスパレスでの演奏会
 昭和29年(1954)10月16日(演奏会パンフレット)
演奏 関西交響楽団(現、大阪フィル)で指揮はイギリスより来日したマルコム・サージェント卿でありました。
 曲目は、ベートーベン(田園)ドヴォルザーク(新世界)などでありました。
新世界と言えば、第二楽章 ラルゴ(家路)のメロジーが当時、京都市役所の屋上塔屋のスピーカー(戦時中、警戒警報発令のサイレンを鳴らす為のものだった)から、午後十時になれば流されていたのが耳に残っています。
IMG_0009.JPG



烏丸高辻角、もと高島屋の店舗があった場所。
昭和28年に京都銀行が、当時、画期的な工法として注目されていた、地上で建築物を構築し地中へ沈下させていく(竹中式潜函工法)で建築され、本店として移転しました。
IMG_0014.JPG


河原町三条下る、東側、京劇映画館跡。ここにも映画館がありました。
戦後の凄まじい混乱期から、徐々に復興期に入り、少しは落ち着きを取戻しつつあり、来日する音楽家も、徐々に現れてきました。
昭和29年4月30日(1954年)イタリアのテノール歌手 フェルチオ・タリアビーニが来日し、演奏会がこの京劇で催されました。
IMG_000311.JPG

 

当日のパンフレットと、翌日の演奏会の模様を記事にした京都新聞の紙面。
 初めて聴く、「トスカの星は光りぬ」「トスティの理想の
佳人」などオペラのアリアや、イタリア歌曲、民謡など、そして帰れソレントへ」のアンコール曲など、素晴らしい歌声に感動した一夜でありました。
IMG_0006.JPG
IMG_0011.jpg
IMG_00051.JPG



新京極三条下る、もと松竹座跡(現、MOVIX京都)。
映画館ではあったのですが、ここで、市来崎のり子さん主演の(カルメン)が上演され。また若き日の、朝比奈 隆氏、指揮の関西交響楽団(現、大阪フィル)の定期演奏会が随時、開かれていました。
 強く印象に残るのは、当時、ベルリン・フィルのコンサートマスターであったヘルムート・ヘラー氏の独奏による、ベートーベンのヴァイオリン協奏曲で、今もその曲を聴く度に当時を思い起されます。 
IMG_0010.JPG



祇園花見小路 花街の中心部
IMG_0021.JPG



祇園、彌榮会館の正面 右は祇園甲部歌舞練場
 この彌榮会館で二期会が中心となり(椿姫)(フィガロの結婚)(マルタ)などオペラが上演され、ヨーロッパ文化の真髄の一端を心から堪能した記憶があります。
IMG_0014 2.JPG








 てがみ座 公演 「空のハモニカ」
 京都芸術センター(元、明倫小学校) 2013年7月5日
脚本 長田育恵さん 演出 扇田拓也さん 出演者 福田温子さん 今泉 舞さん 箱田暁史さん 他

東京で活動する、劇団てがみ座の初めての京都公演で、脚本の長田さんも、劇団の旗揚げ公演のように緊張していると話されていた。
 詩人、金子みすず(本名テル)の26才という若さで自ら命を絶った苦悩の人生を、大正末から昭和の始めに掛けての、あの男尊女卑の時代に、夫の確執、家族の問題を抱えながら、詩人として生きたいと願う、女性の生き様として描いた、見応えのある舞台であった。


      公演のチラシ
てがみ.JPG
えがみ2.JPG
 

公演を紹介した京都新聞の紙面         
えがみ3.JPG



京都芸術センターは、廃校となった明倫小学校である。
 明治に京都のとりわけ呉服商で栄えた室町の商家たち町衆によって建てられ、昭和6年(1931年)に大改築を行い、現在の建物となりました。
 モダンな建物は、外観は既存のまま、内部を芸術センターとして一部改装して、一般の人々の使用に供しています。
 南観、西館、北館、正門及び塀が、国の登録有形文化財に登録されています。

映倫.JPG

映倫1.JPG




2020年3月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

このアーカイブについて

このページには、2013年7月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年6月です。

次のアーカイブは2013年8月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.2.10