2014年11月アーカイブ

紅葉の「東福寺」

| コメント(0)

  「東福寺」は臨済宗東福寺派大本山です。山号は慧日山といいます、開基は摂政九条道家で、奈良の東大寺と興福寺の二文字を取って、そのお寺に並び称せられる寺院として建長7年(1255年)造営したのが東福寺です。開山は伽藍造営途中の寛永元年(1243年)聖一国師で、ご本尊は釈迦如来です。

 全国的に知られる、京都で指折りの紅葉の名所の一つです。混雑を覚悟で訪れてきました。

 

  「三門」(国宝)です。

fuku2.JPG

 

 「本堂」(仏殿)です。

fuku3.JPG

 

  「庫裏」です。

fuku4.JPG

 

 「通天橋」への拝観入口です。

fuku6.JPG

 

 「唐門」と奥が「方丈」です。

fuku7.JPG

 

  庭園の一画に建つ「経蔵」です。

fuku8.JPG

 

  「禅堂」(重要文化財)です。

fuku10.JPG

 

 「偃月橋」 (えんげつきょう)(重要文化財)です。三の橋渓谷ににかかる切妻造りの木造橋です。

fuku42.JPG

 

  「偃月橋」を渡ったところの、塔頭の「即宗院」の門内の紅葉です。

fuku12.JPG

 

  「通天橋への廻廊」から眺める紅葉です。眼下は、「洗玉澗」(せんぎょくかん)と名付けられた渓谷です。

fuku15.JPG

 

  正面に見えるのは「臥雲橋」です。眼下は、「洗玉澗」と呼ばれる渓谷になっています。

fuku16.JPG

 

  多くの人が「通天橋」から眼下に広がる紅葉を眺めています。

fuku18.JPG

 

fuku19.JPG

 

  「開山堂」への廻廊からの風景です。

fuku20.JPG

 

fuku21.JPG

 

  「開山堂」への行列です。

fuku23.JPG

 

  「常楽庵開山堂」(重要文化財)です。

fuku27.JPG

 

   「開山堂」を巡り、庭に下り立ちます。「愛染堂で」す。

fuku29.JPG

 

fuku32.JPG

  

  「洗玉澗」の流れです。

fuku34.jpg

 

   「洗玉澗」から通天橋を見上げています。

fuku36.JPG

 

  「通天橋」の廻廊から通天橋を渡り「開山堂」への廻廊を進み、庭に下り立ち、「愛染堂」から「臥雲橋」を右手に見て「経蔵」を経て、庭を一巡して「出口」に向かいます。

fuku38.JPG

 

  「経蔵」です。

fuku40.jpg

  

  楓の大木です。

fuku41.JPG

 

 

 

 

 紅葉の見頃を迎えた京都府立植物園、ぶらぶらと訪れてきました。

 

  正門を入って広々とした空間に、黄葉、紅葉と大きく広がります。

furitu1.JPG

 

  桜林の前面道路も色彩豊かです。

furitu2-.JPG

 

  池の周りのもみじも見頃です。

furitu3-.JPG

 

 

furitu4-.JPG

 

 

furitu8.-JPG.JPG

 

  「はす池」です。

furitu9-.JPG

 

  中国から渡来し、例年人気のある、フウ(マンサク)の大木の紅葉に圧倒されます。

furitu10-.jpg

 

  北門近くの「ハナノキ」(カエデ科)です。

furitu11.jpg

 

  「銀杏」も一段と青空に映えます。

furitu12.jpg

 

  樹間から漏れる光が柔らかく落ち葉を照らします。

furitu13-.JPG

 

  女性像がよく似合います。

furitu14-.JPG

 

 

この時期に咲く花々です。

  「ネリネ」(ヒガンバナ科)です。欧米では「ダイヤモンドリリー」の名前で親しまれているそうです。花色は白、赤、ピンク、オレンジ、紫、復色など多くあります。

furitu15-.JPG

 

  「ネリネ」(ヒガンバナ科)です。

furitu16-.JPG

 

  「ネリネ」(ヒガンバナ科)です。

furitu17-.JPG

 

  「ネリネ」  (ヒガンバナ科)です。

furitu18-.JPG

 

  「ネリネ」(ヒガンバナ科)です。

furitu19-.JPG

 

  「ネリネ」 (ヒガンバナ科)です。

furitu20-.JPG

 

  植物生態園の「サザンカ」が咲いていました。

furitu21-.JPG

 

 

furitu22-.JPG

 

  正面入口入ったところの花壇に咲いていました。「サルビアレウカンタ」(シソ科)

furitu23.-jpg.jpg

 

  植物生態園の小川のそばに、可憐な花が遠慮がちに咲いていました。園の職員の方に写真を見せてお尋ねしたところ「紫御殿」(ツユクサ科)と教えていただきました。紫御殿はメキシコに分布しているそうです。

furitu24-.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

紅葉の「真如堂」

| コメント(0)

 黒谷さんにお参りすれば、「真如堂さん」へ、この春の「真如堂」の桜の模様をお伝えしましたが、黒谷さんに続いて真如堂の紅葉模様をお伝えします。

 

  「赤門」と呼ばれる「総門」です。紅葉が映えて余計に赤く見えます。

nyo1.JPG

 

  「総門」から中の参道を見ています、朝日に映えて美しい参道風景です。

nyo2.JPG

 

  まっすぐ進むと本堂に至ります。

nyo3.JPG

 

  参道脇の紅葉のトンネルを通っていきます。

nyo4.JPG

 

  「本堂」です。

nyo7.JPG

 

  本堂前から「三重塔」を見ています。

nyo8.JPG

 

nyo9.JPG

 

nyo10.JPG

 

  真如堂の境内のなかでも一段と印象的な「三重塔」です。

nyo12.jpg

 

nyo13.jpg

 

  本堂横から裏にかけても美しい紅葉が見られます。

nyo14.JPG

 

nyo15.JPG

 

nyo16-1.JPG

 

nyo16.JPG

 

  「伝教大師像」です。天台宗を開かれた伝教大師最澄さまの東国を巡られたお姿を模したものです。

nyo17.jpg

 

 

 

 

 

 

紅葉の「黒谷さん」

| コメント(0)

 今年の春に「黒谷さん」の桜だよりをおとどけしましたが、秋の特別公開を機に、紅葉だよりをおとどけします。

 

 「山門」は万延元年(1860年)に完成しました。いつ見ても堂々とした風格ある山門です。

dani5.jpg

 

 「山門」から「御影堂」を見ています。長い参道の紅葉が美しく迎えてくれます。

dani3.JPG

 

dani2.JPG

 

 「御影堂」 (大殿)です。宗祖法然上人の御影をお祀りしています。また両脇に吉備観音、中山文殊を安置しています。

dani32.JPG

 

  「阿弥陀堂」です。阿弥陀堂は 慶長10年(1605年)豊臣秀頼により再建されたもので、このお寺で最も古い建物です。ご本尊の阿弥陀如来が納められています。

dani33.JPG

 

  「納骨堂」です。

dani7.JPG

 

 「大方丈」への「唐門」と奥に方丈があります。

dani8.JPG

 

 「大方丈」の前庭です。

dani9.JPG

 

  「紫雲の庭」です。白川砂と杉苔で法然上人の生涯を表現したものといわれています。

dani11.JPG

 

 この庭に配置された、それぞれの石に、法然上人や由縁の人々の名前が命名されています。また各ブロックには、法然上人の幼少時代、修業時代、浄土開宗、寺門興隆時代とに分かれて「ご縁の道」と称して回遊式の庭園になっています。

dani12.JPG

 

dani13.JPG

 

dani15.JPG

 

dani16.JPG

 

dani17.JPG

 

dani18.JPG

 

  小高い傾斜地を利用して東屋も設置されていてゆっくりと散策できるようになっています。

dani19.JPG

 

dani20.JPG

 

 敷石一つにしても遊び心があって、楽しい散策路です。

dani22.JPG

 

dani23.JPG

 

  「極楽橋」を眺めながら、「会津墓地」に向かいます。

dani24.JPG

 

dani25.JPG

 

 「会津墓地」への参道です。長い石段を上っていきます。

dani26.jpg

 

dani27.JPG

 

  「会津藩受難者墓地」も紅葉に映えています。

dani28.JPG

 

dani29.JPG

 

  墓地近くの「三重塔」です。 

dani30.jpg

 

  「三重塔」から京都市街が眺められます。

dani31.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

紅葉の「永観堂」

| コメント(0)

 紅葉で有名な永観堂(えいかんどう)は、浄土宗西山禅林寺派の総本山です。正式には禅林寺(ぜんりんじ)といいます。山号は聖衆来迎山、院号は無量寿院です。ご本尊は阿弥陀如来(みかえり阿弥仏)で、開基は真紹僧都です。第七世法主永観律師にちなみ永観堂と呼ばれます。さすがに紅葉の名所、開門前から多くの人々が行列をしていました。

  

  案内パンフレットです。

kando1.jpeg

 

 「総門」です。

kando2.JPG

 

  総門を潜ると広い参道が中門へと続いています。

kando3.JPG

 

 「中門」です。

kando5.JPG

 

 「諸堂入口」です。特別寺宝展が開かれています。

kando7.JPG

 

  拝観入口左と正面は庭園への道です。

kando8.JPG

 

 「釈迦堂」方丈です。

kando10.JPG

 

 「釈迦堂」方丈の広縁と、白砂の庭園「唐門」です。釈迦堂は本格的な書院造りで室町時代の建立とされています。華やかな襖絵が有名です。

kando11.JPG

 

  「釈迦堂前庭です。

kando13.JPG

 

 「御影堂」(大殿)です。

kando16.jpg

 

 「阿弥陀堂」への廻廊です。

kando17.JPG

 

 「鐘楼」です。

kando19.JPG

 

 「阿弥陀堂」(本堂)です。ご本尊の阿弥陀如来像(みかえり阿弥陀)をお祀りしています。慶長12年に大阪より移築されました。極彩色の堂内と格天井が見られます。

kando20.jpg

 

  「阿弥陀堂」(本堂)です。

kando21.JPG

 

 「今様の塔」です。

kando24.jpg

 

 「御影堂」(大殿)正面です。

kando26.JPG

 

  放生池の「極楽橋」から「御影堂」(大殿)を望む。  

kando27.jpg

 

  「放生池」です。「錦雲橋」をみています。水面に映える紅葉が美しいです。

kando30.JPG

 

  放生池には多くの鯉が泳いでいます。

kando31.JPG

 

  「弁天社」の鳥居です。

kando32.JPG

 

  庭園から東山を借景に「御影堂」と「多宝塔」を見ています。

kando33.JPG

 

kando34.jpg

 

 「紅葉と苔」庭園の落着きを感じさせます。 

kando42.JPG

 

  散り紅葉です。

kando43.JPG

 

 「楓橋」上から、せせらぎの流れが庭を引き締めます。

kando35.JPG

 

 「画仙堂」です。

kando36.JPG

 

 「多宝塔」です。上部は円形で下部は方形の二重塔で珍しいものです。

kando37.JPG

 

 「多宝塔」から京都市内の素晴らしい風景が一望できます。

kando38.JPG

 

 「和の道」(なごみのみち)を出入口へ向かいます。

kando44.JPG

 

kando45.JPG

 

kando46.JPG

 

 「南門」です。出口になっています。

kando47.JPG

 

 

 

 

 

 

 上御霊神社(正式には御霊神社、ごりょうじんじゃ)といいます。一般には「上御霊さん」といわれて親しまれています。延暦13年(794年)に祟道天皇をお祀りしたのが始まりです。ご祭神は祟道天皇、井上大皇后、他戸親王など八柱で、昔から御霊信仰として、疫病除けの神社として多くの人の信仰を集めています。

 この上御霊神社で「火焚祭」「湯立神楽」の奉納などが行われましたのでお参りしてきました。

 

 「楼門」(西門)です。

yu2.JPG

 

 「火焚祭」予告の張り紙です。

yu1.jpg

 

 「四脚門」(南門)です。

yu3JPG.JPG

 

  「拝殿」です。

yu4.JPG

 

 「本殿」です。享保18年(1733年)寄進された、内裏賢所御殿の遺構を昭和45年に復元建築されました。

yu5.JPG

 

  毎月18日は「さえずり市」称して境内に、手作り品や食料品お菓子などのフリーマーケットの市がたちます。

yu6.JPG

 

 「火焚祭、新嘗祭」(にいなめさい)の神事が、神社役員や氏子たちの参集のもと、拝殿にて行われました。お祓いを請けます。

yu7.JPG

 

  五穀豊穰を感謝して、この年に収穫された、新穀をはじめ山の幸、海の幸を神に捧げその年の収穫を報告感謝します。

yu8.JPG

 

  宮司さんの祝詞が奏上されます。

yu9.JPG

 

  神事の後、「お火焚」が拝殿前の広場で行われます。お火焚は江戸時代から京都で広く行われている神事で、家内安全、厄除などの願事が書かれ、奉納された護摩木を祈祷の後、炊き上げます。多くの参詣者が見守る中、お祓いが行われ、祝詞が奏上されます。

yu11.JPG

 

  本殿神前でおこされた「神聖火」から、井桁に組まれた護摩木に宮司さんの手により火が移されます。

yu14.JPG

 

 

yu16.JPG

 

  多くの護摩木が、順次、炎の中に投げ入れられ、炎が大きく高くクライマックスを迎え終わりを告げます。

yu17.JPG

 

  一方「拝殿」では、巫女さんによるお神楽が奉納されます。

yu21.JPG

 

yu22.JPG

 

yu23.JPG

 

  拝殿での神楽の奉納のあと、参道に斎場が設けられ、「拝殿」「本殿」を結んで「湯立神楽」が執り行われました。湯立神楽は大釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を用いて勢いよく散らすことにより邪気を祓い、無病息災、家内安全、を祈願する神事です。

 本殿や大釜に向いお祓いを行い、神楽鈴を手に「祓い神楽」を舞います。

yu24.JPG

 

yu26.jpg

 

  塩で清め、洗米、神酒が大釜に注がれます。それらの舞いによって、火の神、水の神様が降臨されます。

yu28.JPG

 

  柄杓を使い、「柄杓取りの儀」の後、手桶に注がれた湯を神前に捧げます。

yu29.JPG

 

 その後、笹を大釜に入れ、勢いよく振り上げて大釜の湯を辺りに散らします。

yu31.jpg

 

  大釜の湯は何度か振り撒かれて、参拝者の頭上にも降り注ぎます。このしぶきを浴びることにより災難厄除の願事が叶うと言い伝えられています。

yu32.jpg

 

yu33.jpg

 

  最後の舞いを奉納して、無事「湯立神楽」が終わりを告げます。

yu40.jpg

 

 (付録)

  「芭蕉句碑」です。松尾芭蕉は元禄3年(1690年)に参詣され、(半日は神を友にや年忘れ)の句を奉納されたのを記念して句碑が建立されました。

yu41.jpg

 

 「応仁の乱古戦場」です。応仁元年(1467年)畠山政長が御霊の森に陣を敷き畠山義就と戦いを交え、応仁の乱の発端となった場所です。

yu42.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都国立博物館の「明治古都館」の東側にある、「東庭」と茶室「堪庵」(たんあん)とをぶらぶらしてきました。古都館付近の騒々しさがが嘘のような人気のない静かな場所です。

  「東庭」は東に向かって小高くなっていて、石段を上がっていきます。

tyou1.JPG

 

  この東庭には野外展示物として、「李朝墳墓表飾石造遺物」が所々に展示されています。朝鮮半島において、墳墓の周辺を石彫品で飾ることは、新羅第三十三代聖徳王(702〜736)の時に確率したといわれています。この庭園の石造遺品は李朝時代(1392〜1910)のものです。(説明版より)

 お墓の墳丘の周りと、前面に配置されていました。「石人」には、「文官」と「武官」があります。ユーモアのある豊かな表情を眺めているだけでも楽しいものです。

tyou3.jpg

 

tyou4.jpg

 

tyou5.jpg

 

tyou6.jpg

 

tyou8.jpg

 

tyou9.jpg

 

tyou10.jpg

 

  「石羊」です。

tyou11.JPG

 

 「石灯籠」です

tyou13.jpg

 

 東庭の北側一画に茶室「堪庵」(たいあん)が建っています。

 茶室「堪庵」です。江戸時代初期京都における公家文化の伝統を受け継いだ数寄屋造りの建物です。

 母屋には、八畳の書院座敷を中心として、正面に広縁、左脇に玄関、裏に水屋があり、庭に面して自然と一体をなす空間は、軽快な屋根の取り合わせや黒木の落ち着いた色調とともに、桂離宮(1620年頃)から学んだものと思われます。母屋右側にある小間が、奥の土間から上がる三畳の茶室「堪庵」であり、金森宗和(1584~1656)好みの大徳寺真珠庵「庭玉軒」を写したとされます。(国立博物館ホームページより引用)

 

 茶室「堪庵」の門です。

tyou15.JPG

 

  「玄関」です。 

tyou16.JPG

 

 「玄関3帖の間」です。

tyou17.JPG

 

 「書院」と「広縁」です。

tyou18.JPG

 

 「書院8帖の内部です。

tyou20.JPG

 

  「書院」から続く「茶室3帖」と手前は附属屋です。

tyou23.JPG

 

 「書院広縁」から眺める庭です。しっとりと落着いた庭になっています。

tyou26.JPG

 

_「書院広縁」から北側茶室方向の庭です。

tyou27.JPG

 

 「書院」横のつくばいです。

tyou29.jpg

 

 

 

 

 

「平成知新館」

| コメント(0)

 今年、「京都国立博物館」に新しく建替えられた常設展示室の「平成知新館」と「鳥獣戯画と高山寺」の特別展の観覧を兼ねて再度訪れてみたのですが、特別展は入館に2時間半待ち、入館して1時間と吃驚するほどの人気に諦めて、常設展と庭園など周囲を散策してきました。

 

 正門です。明治30年(1897年)5月、帝国京都博物館として開館した当時のものです。レンガ造りの堂々とした正門です。表門、チケット売場、袖塀共、重要文化財に指定されています。現在は団体専用の出入口のようです。

haku1.JPG

 

haku2.JPG

 

 特別展が開催される「明治古都館」です。正面入口が特別展の出口になっています。

haku3.JPG

 

 重厚な趣のある建物です。重要文化財に指定されています。

haku4.JPG

 

 正面と南側に入館待ちの人が何重にも並んでいました。

haku5-1.JPG

 

 「明治古都館」付近より見た「平成知新館」(常設展示館)です。設計は谷口吉生氏です。第一印象は佐川美術館(竹中工務店設計)を想起させます。

haku8.JPG

 

 館内案内パンフレットです。

haku9.JPG

 

 館内を入ったところのロビーです。吹抜けになっていて開放的で非常に明るい感じです。

haku10.jpg

 

  ゆるやかな階段室です。

haku11.JPG

 

 南側に広く取られた解放感に溢れた空間は、鑑賞に疲れた目を癒す休憩にも最適で、そこから眺める「西庭」や「噴水広場」は、しばし時を忘れそうです。

haku12.jpg

 

  1階東側にある、「ショップ」に続く「休憩室」です。

haku13.JPG

 

  2階北側に位置する「休憩室」です。

haku14.JPG

 

 3階から「階下ホール」を俯瞰しています。

haku16.JPG

 

  西側にある「出口」からは「噴水広場」や「西庭」を通し「明治古都館」が見えます。

haku18.JPG

 

 同じく西側出口より、ホール南側を取り囲む「水池」です。

haku19.JPG

 

 「考える人」から、「噴水庭園」をとおして「正門」を見ています。

haku21-1.JPG

 

 虹を描く噴水です。

haku21.JPG

 

 「噴水庭園」から「明治古都館」と東山の山並みです。

haku23.JPG

 

 「西庭」の展示物です。「馬町十三重石塔」永仁3年銘 この石塔2基はこの近く、東山区馬町にありました、源義経の家人佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝えられています。

haku24.JPG

 

 「西庭」の展示物です。「山城・丹波国境標示石柱」です。旧老ノ坂峠にあったものです。(是より東、山城国) 

haku25.jpg

 

 平成知新館は3階まで、まず上がり、順番に2時間ほどでざっと展示物を鑑賞してきました。2階の特別展示室に「秀吉とその周辺」と題して陣羽織や手紙などの展示物が楽しめました。そのうちに何度かゆっくり鑑賞して過したいと思っております。ただホールの明るさと、展示室との暗さの落差が大きく、自然光を取り入れ、開放的だった昔の常設館が懐かしい思いでした。

 

 

 

 京都の良き伝統を今も保ち続ける西陣界隈、町筋を歩けば、西陣織の機織りの音が、そこかしこに聞こえていた時代は、遠い昔のこととなってしまいましたが、しかし、尚、古くからの京町家を大切に維持しながら、生業を続ける人々が多くおられます。

 近年、その町家の持つ良さを再評価しようとする試みが行われていますが、今回、京都の大学の学生さんたちが中心となり、地域の住民の皆さんの協力のもと「都ライト’14」と銘打ち「上七軒通り会場」と「浄福寺通り会場」を点として、その両会場を線で結んでの催しが行われました。

 「まず花街の「上七軒」(かみしちけん)を中心に見学してきました。」

 

 当日のパンフレットです。

kami1.jpeg

 

 「北野天満宮の東門」です。この東側に、「五辻(いつつじ)通り」と「上七軒(かみしちけん)通り」が始まります。上七軒通りには、「上七軒」と呼ばれる京都最古の花街があり、北野天満宮と共に発展してきました。

kami2.JPG

 

 「五辻通り」にある、京町家です。角屋格子に、中二階の漆喰塗りの「虫籠窓」(むしこまど)と典型的な町家です。江戸から明治にかけて建築されたものが多いようです。

kami3.JPG

 

  同じく「五辻通り」にある京町家です。切子格子で糸屋格子と呼ばれるもので二階には虫籠窓があります。

kami4.JPG

 

 切子格子です。

kami7.JPG

 

 染屋格子です。

kami8.JPG

 

 「鍾馗さん」(しょうきさん)が飾られています。昔は京都の町中のどこの民家にも、玄関上に魔除けとして飾られていました。

kami9.JPG

 

 昔ながらのお店です。

kami10.JPG

 

 「上七軒」にある仕舞屋(しもたや)格子の町家です。影絵が微笑ましいです。

kami14.JPG

 

 昭和初期に多く建てられた「総二階の町家」です。

kami15.JPG

 

 「上七軒のお茶屋さん」で、仕舞屋(しもたや)格子と千本格子の引き戸、二階には葦のすだれと、シンプルなファサードですね。

kami16.JPG

 

 糸屋格子の見えるお宅です。

kami17.JPG

 

 仕舞屋格子から漏れる光が美しいです。

kami21.JPG

 

 「犬矢来」があります。「つばどめ」ともいわれます。民家の足元が汚れたり、傷ついたりするのを防いでいます。

kami22.JPG

 

 「上七軒のお茶屋さん」が軒を連ねる「上七軒通り」です。上七軒通りの風情です。新しく町家風に改装されたお宅が多いようです。

kami23.JPG

 

 丸みを帯びた、竹製の本来の「犬矢来」(いぬやらい)のある料理屋さんです。

kami25.JPG

 

  格子から漏れて道路を照らす、和かな光が、暖かい雰囲気を醸しだしています。

kami28.JPG

 

  「千本格子の引違い戸」と、団子を現す上七軒の紋章が鮮やかです。

kami30.jpg

 

 上七軒にある「北野郵便局」です。付近と調和のとれる意匠にしてあります。

kami31.JPG

 

 京町家風情の「上七軒のお茶屋さん」です。格子、虫駕窓、そして駒寄せと、しっとりと落着いた雰囲気です。

kami33.JPG

 

 

 「浄福寺通り大黒町会場へ」

  上七軒界隈の会場を見たあと、「六軒町(ろっけんまち)通り」「上立売(かみだちゅうり)通り」を経て、「浄福寺(じょうふくじ)通り大黒町会場」へ向かいました。六軒町通りでは手製の行灯が、民家の軒先に置かれて、ローソクの淡い光を放っていました。

kami34.JPG

 

 「六軒町通り」の中二階の町家です。虫籠窓、仕舞屋格子、駒寄せと典型的な京町家です。

kami35.JPG

 

 同じく「六軒町通り」の中二階の町家です。虫籠窓、炭屋格子、典型的な京町家です。

kami36.JPG

 

 同じく六軒町通りの民家の軒先に三色の「番傘」が置かれていました。

kami37.JPG

 

  同じく六軒町通りの民家の軒先に「紡ぎ」と題する、京都造形大学の学生さん制作の「行灯」が置かれています。この灯は糸の道を照らす灯を意図しています。

kami38.jpg

 

 「浄福寺通り」の「大黒町の会場」です。学生さんが一生懸命、石畳の道路に打ち水をしていました。灯が道路に美しく映えるための演出でしょう。

kami40.JPG

 

 「大国町」では、ご町内の協力で、各民家の格子から落着いた柔らかな、暖かみを感じる灯が漏れて、道路を照らしていました。ご商売のお宅が多くて、京町家風に改装されていますが、今に生きる西陣の風情が感じられます。

 以下の写真は「大国町」の灯の競演です。

kami41.JPG

 

kami42.JPG

 

kami43.JPG

 

kami44.JPG

 

kami45.JPG

 

kami46.JPG

 

kami47.JPG

 

kami48.JPG

 

kami49.JPG

 

kami50.JPG

 

kami51.JPG

 

kami52.JPG

 

kami53.JPG

 

 西陣界隈には、まだまだ、私が幼少の頃の、京都独特の雅な風情が、今も色濃く残っていることに安堵しました。伝統的な暮しや、仕来りなど、京都らしい風情を少しでも残していこうとする動きが、最近とみに活発になりつつあることは喜ばしいかぎりです。地道に今後も続けていけるよう、京都に住まいする私達も意識改革に務めたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

植物園の「菊花展」

| コメント(0)

 京都府立植物園の恒例の「菊花展」を見学して参りました。いずれも丹精込めた力作揃いで目を楽しませてくれました。

 

 「小菊」の部です。 「ポットマム」鉢植え(ポット)作りの菊です。可憐な小菊の鉢植えのいろいろは最も好きな菊花です。

kiku1JPG.JPG

 

kiku-2.JPG

 

kiku3.JPG

 

kiku4.JPG

 

kiku5.JPG

 

kiku7.-JPG.JPG

 

kiku8-.JPG

 

kiku9-.JPG

 

 「大菊3本仕立て」の部です。 頭花の直径が、18センチ以上を大菊と呼ばれます。1本の苗先端を摘心して、3本に枝分かれさせて、花を咲かせる栽培です。厚物(あつもの)と管物(くだもの)があります。

kiku10-1.JPG

 

 「厚物」 「国華星矢」です。

kiku10.-JPG.JPG

 

 「厚物」 「国華蝉しぐれ」です。

kiku11.-JPG.JPG

 

 「厚物」 「富士の新雪」です。

kiku12.-JPG.JPG

 

 「厚物」 「国華国宝」です。

kiku13-JPG.JPG

 

 「管物」 「聖光金星」です。

kiku14.-JPG.JPG

 

 「管物」 「泉郷流灯」です。 

kiku15.JPG

 

 「管物」 「泉郷微笑」です。

kiku16.JPG

 

 「管物」 「泉郷磯路」です。

kiku17-.JPG

 

 「管物」 「泉郷夢蛍」です。

kiku18-.JPG

 

 「管物」 「泉郷微笑」です。

kiku19.-JPG.JPG

 

 「福助仕立て」の部です。大菊を最も草丈を低く(鉢底から花の頂部まで50センチ以内)一株に一輪の花を咲かせるその姿が、福助人形を思わせることからそのように呼ばれます。

kiku20-.JPG

 

 「古典菊」の部です。

 「江戸菊」 江戸時代後期に発達した変わり咲きの菊です。

kiku21-.jpg

 

 「嵯峨菊」 京都嵯峨大覚寺を中心に栽培されたものです。

kiku22-.JPG

 

 「肥後菊」 肥後藩主細川重賢公が栽培を奨励した菊です。

kiku23-.jpg

 

 「懸崖仕立て」の部です。 長幹種の小菊を使い、摘心を繰り返すことで枝数を増やし、伸びた枝を目標の大きさまで、平面上に広げたものです。大きさ、形は目的の応じて適時変えることが出来ます。

kiku26.-JPG.JPG

 

kiku27-.jpg

 

kiku28-.jpg

 

 展覧会場の大芝生地のデコレーションです。

kiku29.-JPG.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 京都市営地下鉄の醍醐車庫の見学会が開催されましたので出掛けてきました。醍醐車庫は、東西線の醍醐駅に隣接した、京都市の商業施設、バセオダイゴロー西館の地下にあります。敷地面積は約14,500㎡もあり、地下2階に検査場と整備場、地下3階に留置線の2層構造となっています。列車検査及び月検査は検査場で、重要検査及び全般検査は、整備場で行われています。

 

 見学者へのしおりです。

tika1.jpeg

 

 一階入口のプレートです。

tika2.JPG

 

 見学者の順次受付けが行われています。

tika3.JPG

 

 「地下2階」の「検修作業階」です。ここでは、地下鉄が正確に安全運行出来るよう、点検整備が行われるところです。重要部検査は4年、全般検査は8年を超えない期間ごとに、分解、点検、整備、調整を行います。検査場、整備場、車体床下気吹き装置(空気の力で電車の床下の汚れを取る)に分かれています。

tika5.JPG

 

 「RRトラック」です。電車を引張る牽引車です。レール上でも、路面でも単独で自由に走れます。

tika6.JPG

 

 「RRトラック」に牽引されている車両です。ここには架線がありません。

tika7.JPG

 

 検査のために多くの車両がピット線に入構しています。

tika22.JPG

 

tika9.jpg

 

 子供たちが喜ぶように「ペイント車両」も特別に入構されているようです。

tika10.JPG

 

 普段ホームから見えない「ATC/ATO装置」です。

tika11.JPG

 

 普段見ることが出来ない、電車の下部を間近に見ることができます。ハンマー試験や、目視が出来るようになっています。

tika12.JPG

 

 

 

tika13.JPG

 

 電車の床下に潜り込んでいます。もっとオイルなどで汚れているかと思いましたが車両といい、作業現場といい美しく清潔で、作業環境が凄く良いと感じました。

tika15.JPG

 

tika16.jpg

 

  ご存知の電車の「車内」です。

tika17.JPG

 

 「運転席」です。普段は安全運行のため、光を遮断するため、ブラインドを下ろして運行しているため見えません。

tika18.JPG

 

 実際に運転レバーをモニターを見ながら操作をさせていただけます。

tika19.JPG

 

 「パンタグラフ」の実物展示です。

tika23.JPG

 

 「車輪」の実物展示です。

tika24.JPG

 

tika25.JPG

 

tika27.jpg

 

 「地下3階」です。留置線、車体洗浄装置、車輪転削盤、などに分かれています。 広大な留置線(車庫)です。営業を終えた電車はここで次の出番を待ちます。7番線から15番線まであります。

tika29.JPG

 

tika30.JPG

 

tika31.jpg

 

 「車輪転削盤」です。電車の乗り心地を良くするため、摩耗した車輪を削ります。通常は、電車が車輪を取付けたまま作業が行われますが、分かりやすいように、見学者のために、車輪を外した状態で展示しています。

tika32.jpg

 

 左右の車輪の直径差が1ミリ以内になるように定期的に削っています。

tika34.JPG

 

 「車体洗浄装置」です。電車が通ると自動洗浄します。ガソリンスタンドでよく見る、自動車洗浄装置の大型版です。

TIKA0.JPG

 

 「建築限界車」です。軌道内などの付帯設備などと、電車が接触しないようこの電車を走らせて測定します。

tika35.jpg

 

 「留置線」から「本線」に出入りするための軌道です。

tika37.JPG

 

 幾つかの「イエロードクターカー」が登場します。

 「軌道モーターカー」です。材料の運搬や、作業台を装備していて、天井の点検や検査にも使用します。

tika39.JPG

 

 「道床洗浄車」です。走りながら掃除をする機械です。機械の先から勢い良くお湯が出て、軌道内を清掃します。

tika40.JPG

 

 「軌道検測車」です。レールのレールの凹凸や狂いを測定します、

tika41.JPG

 

 地下鉄車両の地上から地下線への「搬入口」です。普段は分厚い鉄板で蓋をされて、自動車の駐車場になっています、必要に応じ鉄板を取除きクレーンで車両を搬入します。

tika42.JPG

 

 地上での「全体像」です。北の端から南方向です、はるかに商業施設が見えますが、その地下まで醍醐車庫になっています。

tika43.JPG

 

 多くの乗客の命を預かり、安全に快適に時刻を守りながら維持していくための努力と熱意が肌で感じられ、多くの人の輪でもって成されていることを改めて感じました。作業場も清潔で美しく、誇りをもって作業にあたられていることを嬉しく思いました。

 

 

 

 

 野宮神社(ののみやじんじゃ)は、伊勢の神宮に奉仕する内親王が潔斎のため居住された後で、三つの祠があり、中央に天照大神を祀り、左右に愛宕、弁財天神を祀っています。歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮(さいぐう)といいました。斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で一年余り潔斎されてからこの野宮に移り、三年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれましたが、その時行列を斎王群行といいました。斎宮は垂仁天皇の時に皇女倭姫命をして奉仕せしめられたのが始まりで、その後北朝時代14世紀後半に廃絶しました。野宮は源氏物語にも現れ、謡曲、和歌などに謡われていますが、黒木の鳥居や小柴垣は昔のままの遺風を伝えています。(駒形高札より)

 

 昔も今も変わらぬ風情を保ち続ける、野宮神社辺りの竹薮です。(中秋の早朝の風景です)

nono2.jpg

 

 修業中の雲水の一団が冷気が漂うなか、朝の托鉢に出掛けていきます。

nono4.JPG

 

 静かな佇まいを見せる、「野宮神社」です。

nono5.JPG

 

 昨秋11月下旬の紅葉に映える早朝の野宮神社です。

nono7.jpg

 

 「三つの祠」が並んでいます。

nono8.JPG

 

 「斎宮行列」当日の野宮神社です。

nono9.JPG

 

 縁結びの神様で、祈願する人の波が続いています。

nono10.JPG

 

 「斎宮行列」の「修祓の儀」が始まりました。

nono11.JPG

 

 行列がいよいよ野宮神社を出発し、華麗な王朝絵巻を繰り広げます。

nono12.jpg

 

 「文官」の列です。

nono26-2.jpg

 

 「監送使長」です。

nono13.jpg

 

 文官の列が続きます。

nono24.jpg

 

nono14.jpg

 

 「斎宮代」の列です。

nono25.jpg

 

 「斎宮代」です。

nono15.jpg

 

 「斎宮」の身辺雑事を司る「女儒」たちの列が続きます。優雅な衣装をまとい行列は続きます。

nono16.jpg

 

nono17.jpg

 

nono18.jpg

 

 「火炬小女」(ひたきのしょうじょ)と「戸座」の列です。

nono19+1.jpg

 

 

 

nono19.jpg

 

 「女官」の列が続きます。

nono21.jpg

 

nono22.jpg

 

  「官人」の列が続きます。

nono23.jpg

 

 

 

  行列は野宮神社を出て、JR嵯峨駅を経て、天龍寺の前を通り渡月橋に至り、その後大堰川畔にて禊の儀を行います。

 

 

 

 

 

 

2020年3月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

このアーカイブについて

このページには、2014年11月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2014年10月です。

次のアーカイブは2014年12月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.2.10