上御霊神社(正式には御霊神社、ごりょうじんじゃ)といいます。一般には「上御霊さん」といわれて親しまれています。延暦13年(794年)に祟道天皇をお祀りしたのが始まりです。ご祭神は祟道天皇、井上大皇后、他戸親王など八柱で、昔から御霊信仰として、疫病除けの神社として多くの人の信仰を集めています。
この上御霊神社で「火焚祭」「湯立神楽」の奉納などが行われましたのでお参りしてきました。
「楼門」(西門)です。
「火焚祭」予告の張り紙です。
「四脚門」(南門)です。
「拝殿」です。
「本殿」です。享保18年(1733年)寄進された、内裏賢所御殿の遺構を昭和45年に復元建築されました。
毎月18日は「さえずり市」称して境内に、手作り品や食料品お菓子などのフリーマーケットの市がたちます。
「火焚祭、新嘗祭」(にいなめさい)の神事が、神社役員や氏子たちの参集のもと、拝殿にて行われました。お祓いを請けます。
五穀豊穰を感謝して、この年に収穫された、新穀をはじめ山の幸、海の幸を神に捧げその年の収穫を報告感謝します。
宮司さんの祝詞が奏上されます。
神事の後、「お火焚」が拝殿前の広場で行われます。お火焚は江戸時代から京都で広く行われている神事で、家内安全、厄除などの願事が書かれ、奉納された護摩木を祈祷の後、炊き上げます。多くの参詣者が見守る中、お祓いが行われ、祝詞が奏上されます。
本殿神前でおこされた「神聖火」から、井桁に組まれた護摩木に宮司さんの手により火が移されます。
多くの護摩木が、順次、炎の中に投げ入れられ、炎が大きく高くクライマックスを迎え終わりを告げます。
一方「拝殿」では、巫女さんによるお神楽が奉納されます。
拝殿での神楽の奉納のあと、参道に斎場が設けられ、「拝殿」「本殿」を結んで「湯立神楽」が執り行われました。湯立神楽は大釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を用いて勢いよく散らすことにより邪気を祓い、無病息災、家内安全、を祈願する神事です。
本殿や大釜に向いお祓いを行い、神楽鈴を手に「祓い神楽」を舞います。
塩で清め、洗米、神酒が大釜に注がれます。それらの舞いによって、火の神、水の神様が降臨されます。
柄杓を使い、「柄杓取りの儀」の後、手桶に注がれた湯を神前に捧げます。
その後、笹を大釜に入れ、勢いよく振り上げて大釜の湯を辺りに散らします。
大釜の湯は何度か振り撒かれて、参拝者の頭上にも降り注ぎます。このしぶきを浴びることにより災難厄除の願事が叶うと言い伝えられています。
最後の舞いを奉納して、無事「湯立神楽」が終わりを告げます。
(付録)
「芭蕉句碑」です。松尾芭蕉は元禄3年(1690年)に参詣され、(半日は神を友にや年忘れ)の句を奉納されたのを記念して句碑が建立されました。
「応仁の乱古戦場」です。応仁元年(1467年)畠山政長が御霊の森に陣を敷き畠山義就と戦いを交え、応仁の乱の発端となった場所です。
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