柳宗悦、濱田庄司、と共に民芸運動を興し、その名を知られる河井寛次郎、日常に使用する身近なものの中にその美を求め、その心や形を大切にされました、文化勲章や人間国宝、芸術会員などを辞退し、生涯を無位無冠の陶工として、76歳でその生涯を閉じた、河井寛次郎の記念館にお邪魔してきました。
その記念館は、東山五条の細い図子を南に入ったところにあります。室戸台風で自宅が全壊した後、昭和12年に建築されたもので、寛次郎の自宅兼工房として登り釜と共に大切に保存され、その日常と、置かれている調度品や作品から、その精神を感じ取ることができるようになっています。
入館の際のパンフレットです。表紙は氏の自筆で竃(かまど、へっつい)の書と思われます。
前の道路は、車が一台通れるかどうかの細い道で図子と呼ばれるものでしょう。「犬矢来」と「格子」そして「塗壁」と京都の町家に近い外観を見せています。ただ、京町家特有の「ウナギの寝床」でなく間口は広くなっています。
「玄関」を入ると通り庭となっていて、上り框のある玄関になっています。
玄関の奥には応接に使用したと思われる和室があります。現在事務室です。
奥まで「通り庭」なっています。昔は作事方や、物資の運搬、汲取り便所のために通路が必要だったのでしょう。
「受付」です。戸棚を始め調度品の数々にも歴史が感じらます。
「炉」には自在鉤もかけてあります。また日常に使用する、陶器などがさりげなく置かれています。
中庭に面した「居間」の一部です。
2階に上がる、「箱階段」です。階段下の収納スペースが重宝します。急な階段になっています。昔、私の住んでいた住宅も箱階段でした、急なため、よく階段から転げ落ちました。
2階の「踊り場」です。
「2階廊下」です。
氏が使用され愛された椅子など、自由に座って寛ぐことができます。
2階「居間」と床の間つきの「部屋」(上段の間)です。
「上段の間」です。
「茶室」の入口です。
「陶房」から中庭を通して「お母屋」を見ています。
中庭に面した「陶房」 です。入口には「猫石像」が置かれています。
中庭の「サザンカ」が彩りを添えています。
左、「陶房」と、右、「作品展示室」です。
「陶房内部」です。
「素焼窯」です。乾燥された粘土の段階の作品は、この窯に入れられ、600℃から700℃で8時間前後松割り木で焼かれ素焼の状態にします。(説明文より)
「登り窯」です。この窯は昔築かれたものを、寛次郎が譲り受け、「鐘渓窯」と名づけられていました。素焼された作品は、釉薬をかけた後、この窯に入れられ、火度1350℃程度で焼かれました。火は二昼夜にわたって、前の室から後ろの室へと燃やされ、このために約2000束の松割り木を必要としました。(説明文より)
「焚き口」です。
斜面に連続して「焼成室」が複数に連なっています。故に登り窯と言われています。
「焼成室」の内部です。
「焼成室」の入口を塞いだ状態を表しています。
「色見孔」です。焼成室の内部の状態を見るための孔です。
河井寛次郎さんの生前の日常の姿を想像出来るような、生活の場をありのまま公開されているのに感動を覚えます。また近年、京都市内でも珍しくなった、登り窯を見学出来るのは貴重なことです。
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