京都の師走の風物詩として欠かすことの出来ない鳴滝、了徳寺の大根焚(だいこだき)子供の頃から、この了徳寺がつとに名を知られていましたが、昨今あちこちのお寺で催されるようになりましたが、やはり伝統のある了徳寺にお参りしてきました。この大根焚のいわれは約750年前、この地に説法に来られた親鸞聖人が村人の差上げた塩焚きの大根の馳走を大変お喜びになり、庭前のすすきの穂をもって「帰命尽十方無碍光如来」の名号を残され、その徳として報恩講を毎年行い、その精進料理がいつのころからか「大根焚」の名で世に知られるようになり、例年12月9日10日に行われるようになりました。この了徳寺は真宗大谷派のお寺で、正式には法輪山了徳寺といい、通称は「大根焚寺」と親しまれています。創建は建長4年(1524年)です。
鳴滝の処々に掲示されている「大根焚」(だいこだき)の案内です。
大根焚、前日の「了徳寺門前」です。
「山門」です。
境内ではご奉仕の人々で準備が進められています。
本堂横の「親鸞聖人像」です。
すでに当日振る舞われる、京都府亀岡産の青くび大根が準備されています。その数、約3000本とのことです。
境内に恒久的に設けられている「釜場」で大釜が据えられて着々準備が進んでいます。
「釜場」から見る、「庫裏と本堂」です。
翌日
「大根焚」当日早朝境内です。
当日、早朝から多くのご奉仕の人々が忙しく立ち働いておられます。釜場の横では、きれいに切り分けられた大根が桶にたくさん用意されて釜場へ運ばれていきます。
「釜場」ではフル回転で準備が始まっています、もうもうとした湯気が立ち込め、熱気と共に緊張感が辺りに漂います。
「庫裏」の土間からも、調理のご婦人方が忙しく立ち居振る舞いされて、湯気が外まで流れ出てきます。
一方「庫裏」でも、お斎や、大根焚を振る舞われる場所の準備で大変です。
山門を入ったところの「帳場」でも準備万端整いました。
「本堂」も開かれてお参りの方の受入れも整いました。
早くからお参りの方も開門をお待ちで、続々と山門をくぐってこられました。お参りの方は2日間で1万人といわれるほど賑わいます。
「帳場」の受付けも賑わい始めました。
ご奉仕のご婦人方もますます忙しくなってきました。
帰りの了徳寺への道筋にも出店が沢山出て賑わっていました。
京都には、他には見られない独特の年中行事が数多くあります。この了徳寺の大根焚もその一つでしょう。それらを支え、その伝統を守り続けるのは、地元の人々の努力と熱意の賜だとその姿を垣間見て強く感じます。
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