京都御苑の南側、丸太町通りの間之町口を入ったすぐ右に、もと五摂家の一つ九条家の別邸「拾翠亭」(しゅうすいてい)があります。この間之町口の前で生まれ育った私にはこの拾翠亭は特に思い出も多く感慨深いものがあります。子供の頃は、今でいう京都御苑はすべて「御所」で呼び習わし、間之町口は門はなくとも「間之町御門」と呼んでいました。戦前、戦中、戦後はこの拾翠亭は荒れ放題で、木々は生い茂り鬱蒼としていてお化け屋敷と僕らは呼んでいました。夏の夜には恰好の肝試しの場所となり、間之町御門から拾翠亭の横を通り、九条池の高倉橋を渡り、池に突き出た厳島神社の鈴を鳴らして一周して帰ってくるというもので、怖くて全力で走って帰ってきた、今にして思えば怖くて楽しい思い出の一つでもあります。この建物は江戸後期に建てられたもので、主として茶会や歌会などの社交の場として利用されたものといわれています。現在も一般に開放され、お茶会などに利用されています。
案内パンフレットです。
「間之町口」からの入口です、昔はこのような生け垣はありませんでした。
入口の「門」です。
右手の塀沿いの道から入っていました。右の道は九条池への道です。
建物は数寄屋の2階建ての書院造で、一階は十帖の広間の茶室と控の間、更に北側に三帖の小間があります。
「広間」には九条池に面して広縁が設けられています
「九条池」に面して広縁が設けられていて、開放的です。
「広縁」から眺める「九条池」です。
「二階の座敷」の床の間です。
正面「高倉橋」、左には池に突き出て「厳島神社」があります。
「九条池」に架かる「高倉橋」です。
北側から見る「母屋」です。1階北側の小間(茶室)があります。
広間の北側にある「小間」で、三帖中板の席といわれる「茶室」です。広間と小間が隣接して二つの茶室を往来して茶事を楽しんだと思われます。
二帖と中板と炉そして一帖の小間(茶室)です。
北側「小間」から見る「九条池」です。
母屋に少し離れて、庭の一角に「四阿」(あずまや)があります。
「四阿」から見た「母屋」です。
「四阿」から見る「九条池」は角度が変わってまた趣が違います。
反対に東南側からみる、母屋です。広縁と池との取り合わせがよく分かります
公開の日程が限られているので、なかなか訪れる機会がありませんでしたが、ようやく見学できました。 この拾翠亭の庭は四季折々いろいろな花が咲き、広大な京都御苑の中に所在することから、野鳥も多く飛来して、野鳥愛好家がカメラや双眼鏡を構えて楽しんでいる姿を見かけます。
コメントする