2014年4月アーカイブ

春爛漫の「植物園」

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  色彩豊かな、春爛漫の植物園には多くの人々が訪れていました。
 園内では、小学校や中学校の写生の集いが開かれていて、楽しげにお弁当を広げたり、芝生地を走りまわったりと、微笑ましい光景でした。
 チューリップとシャクナゲが目を惹きました。
 また、ぶらぶら歩いて目に留まったものを、ちょっと写してきました。

 
 チューリップ園です。
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 「スカイハイスカーレット」
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 「テンプルオブビューティ」
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 「ユウヅキ(夕月)」
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 「クリスマスドリーム」
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 「パープルプリンス」
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 「ローズウィングス」
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 「スイートハート」
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 「マギール」
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 「ルビープリンス」
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 「ブラッシングレディ」
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 「クインオブナイト」
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 「ウィットピクチャー」
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 「インサーパッサブル
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 「マウリーン」
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 「ギンパイ(銀盃)」
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 正面園内入った右手には、西洋シャクナゲが咲いていました。
 シャクナゲはツツジ科です。
 {アズマコウリンザキ」
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 「アイボリースカーレット」
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 「平野白」
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 「芳子」 ツクシシャクナゲとアルボレウムとの交配し育成したものです。
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 「桜狩」
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 「春一番」
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 ぶらぶら歩いて気にいった花々です。
 「オウバイ」 中国原産 モクセイ科です。
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 「オウバイ」です。
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 「ベニバナトキワマンサク(紅花常磐満作)」です。
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 「ベニバナトキワマンサク」です。
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 「リキュウバイ(利休梅)」 中国原産 バラ科です。
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 「ヤナギザクラ(柳桜)」 バラ科です。
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 「アメリカヤマボウシ」 北アメリカ原産  ミズキ科です。
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 「ハナズオウ」 マメ科です。
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 「淡墨桜」 江戸彼岸系 バラ科です。 
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 「ツリガネズイセン」です。
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 松尾大社は、大宝元年(701年)に社殿が創建された、京都で最古の神社の一つです。
 ご祭神は、大山昨神(おおやまぐいのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。
 境内の面積は松尾山を含め約12万坪と広大なものです。
 太古の昔より、この地域に住む住民が松尾山の山霊を頂上に近い磐座(いわくら)に祀って、畏敬したのが始まりと伝えらています。
 その後、太秦からこの地一帯に勢力のあった、秦氏一族が氏神様としてお守りし、桂川に堤防を築き、堰を作り、用水路を張り巡らし、農地を開拓していったと言われています。
 その水路が、一ノ井川として現在も境内に流れ、名残を留めています。
 また、秦一族の特技として酒造りがあり、室町時代以降、「日本第一酒造神」として全国の酒造家の信仰を集めています。


 阪急電車、松尾駅前の平成大鳥居です。
 横にはさすがに酒造の神様、神酒器のモニュメントが設置されています。
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 大鳥居をくぐって、長い参道を進んでいきます。
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 正面の鳥居です。
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 参道は楼門へと続いています。
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 楼門です。
 左右に随神を配し、江戸時代初期の建物と言われています。
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 左右の随神です。
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 拝殿です。
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 本殿(重要文化財)です。
 室町時代応永4年(1397年)の建立です。
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 昨年、(平成25年)、嵐山や桂川流域を襲った台風18号の降雨で、松尾大社ご本殿の裏山の斜面が倒木し被害が出ましたが、その跡に巨岩が現れて話題となりました。
 その巨岩です。
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 「撫で亀さん」神使の「亀」です。
 亀は長寿のシンボルとして親しまれています、撫でることによってその霊にあやかりご利益を授かります。
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 恋愛成就、夫婦和合の相生の松です。
 この古木は、相生の松として350年の樹齢を保っていましたが天寿を全うし、名松の大株としてその霊徳にあやかろうと信仰されています。
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 庭園や亀の井、磐座の巡拝口となっています。
 まだ早朝で入ることが出来ませんでした。
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 境内にはお酒の資料館もあります。
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 さすがにお酒の神様、酒造家寄進の大灯籠です。
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 一ノ井川からの手水舎とご本殿です。
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 一ノ井川参道の石橋です。
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 山吹が咲き乱れる一ノ井川です。
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 一ノ井川一帯は山吹が見頃です。
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  山吹はバラ科の低木で、桜が散る晩春に開花します、黄金色に輝き鮮やかです。
  花言葉は「崇高、気高い」とされています。
  この松尾大社の境内、特に一ノ井川周辺には,目を瞠るばかりに咲き乱れ有名です。
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「中之島」めぐり 3

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 これより北上して堂島川に、そして、Uターンして堂島川沿いに上流に向かい、最初の出発地、大江橋に戻ります。
 堂島川沿いに遊歩道を東へ向かいます。
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 大阪中之島大ビル本館です。
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 大阪中之島大ビル本館です。正面です
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 渡辺橋近くです。
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 渡辺橋上です。ここを過ぎると大江橋はすぐ目の前です。
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 中之島には多くの橋が架かっています。
 歴史のある、立派な由緒ある橋や、また近代的な橋など、その何れもが、見た目にも美しい構造物として価値があるように思います。
 また橋と川、それらをとりまく高層ビル群が新しい景観として提供されて、人々の目を楽しませてくれるように感じます、そしてそのビル群が、大阪の経済の発展の活発な姿として、頼もしく感じられます。
 そんな中之島は、都心にあって大坂城公園とともに、市民に憩いの場として素敵な空間を提供していると感じた散策でしたが、中之島だけでなく、界隈に見落とした箇所が多くあり、再訪したいと思っております。

「中之島」めぐり 2

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  東の突端からUターンして、今度は土佐堀川沿いに下流(西へ)向かいます。
 中之島を囲む二つの川の遊歩道を川沿いに西へ向かいます。
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 広大な芝生公園です。
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 先程渡った、ばらぞのばしをまた渡り返して、土佐堀川沿いに散策していきます。
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 正面に難波橋が見えてきました。
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 土佐堀川を水上バスがやってきました。
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 難波橋です。風格のある美しい橋です。
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 説明のレリーフがあります。
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 難波橋です。河畔から上に上がります。
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 中之島図書館や大阪市役所前の「みおつくしプロムナード」です。
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 野外彫刻が設置されています。
 「緑の讃歌」 本郷 新 作
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 淀屋橋です。
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 淀屋橋から大阪市役所を見ています。
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 淀屋橋越えると遊歩道には野外彫刻が所々に置かれています。
 「陽だまりに遊ぶ」 藤木 康成 作
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 淀屋橋北詰の日本銀行です。
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 遊歩道沿いに、多数展示されています。
 「くもの椅子」 石田 真利 作
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 「十魚架」 天野 裕夫 作
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 錦橋です。 阪神高速一号環状線です。
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 肥後橋です。
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 水上滝太郎文学碑です。
 代表作「大阪の宿」の一文が刻まれた文学碑です。
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 肥後橋を過ぎると遊歩道もなくなります。
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 大阪市立科学館と国立国際美術館です。
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「中之島」めぐり 1

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 所用があって大阪へ、空き時間が3時間ほどあったので、思い立ち、中之島をひと回りしてきました、
 
 中之島は江戸時代から、水運を利用しての各藩の蔵屋敷が立ち並び、大阪の経済の中心地として発展し、明治以降もビジネス街として大阪はもとより、国際的な舞台としてその地位を高めています。

 その中之島を、大江橋から出発し、堂島川沿いに上流へ中之島公園へ向かい、その先端から引返し、土佐堀川沿いに下流へ、常安橋から玉江橋へ出て、堂島川沿いに上流へ、大江橋に帰るというひと回りコースです。

 
 駅で頂いた中之島界隈の案内地図から一部を転載しました。
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 堂島川に掛かる大江橋です。ここから出発しました。
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 大江橋南詰です。阪神高速一号環状線が交叉しています。
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  堂島川に沿って上流へ(東方向へ)中之島公園に向かいます。水晶橋が見えます。
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 堂島川沿いの中の島公園への遊歩道と自動車道路です。
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 鉾流橋です。
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 大阪市中央公会堂です。
 中之島のシンボルです。レンガ造のレトロな建物は竣工は大正7年(1918年)で岩本栄之助の寄付により、設計は、岡田信一郎と辰野金吾で建築されました。
 いつまでも残したい美しい建物です。
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 中之島公園は、堂島川と土佐堀川とにはさまれた水辺公園として、明治24年(1891年)に誕生しました。延長1.5キロ、面積10.6㌶あります。
 中之島バラ園と、堂島川に沿ったバラの小径です。
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 大阪市立東洋陶磁器美術館です。この建物を過ぎると、これから先は中之島公園となります。
 この美術館は世界的に有名な「安宅コレクション」を寄贈され、1982年に大阪市が設立した美術館です。
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 バラ園が続きます。
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 「ばらぞのばし」です。この一本の橋で中之島公園の東西が繋がれています。
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 ばらぞのばしを渡ると、バラ園とそして向こうに芝生広場が広がります。
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 天神橋です。
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 公園の剣先から、対岸に南天満公園が見えます。
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 中之島の東の突端です。ここで堂島川と土佐堀川に分流する場所で、上流は大川となります。
 剣先公園の噴水です。30分ごとに5分間作動します。
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「仁和寺」の春

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 右京区の御室仁和寺の遅咲きの御室桜が満開を迎えました。
 
 散歩がてらに四月の初旬立寄ると、鐘楼前の枝垂れ桜や金堂前の染井吉野は、見頃を迎えていましたが、名勝に指定されている西側一帯の御室桜は蕾で待遠しい思いでした。
 この御室桜は、御室有明という品種で樹齢360年を経ているとのことです。
 中旬ともなれば、ちょうど、ツツジも花開き、対照的な色合いで楽しめ、多くの人で賑わっていました。
 
 
 早朝の二王門です、まだ開門されていません。

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 本坊表門です。
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 勅使門です。
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 書院の土塀前の大沢桜です。
 サトザクラの園芸品種で、花弁は約10枚で淡い紅紫色です。
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 中門です。
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 中門を潜ってすぐ左手に桜林が広がります。
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 金堂への参道を行く左手に大きく広がって、見頃を迎えています。
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 金堂への参道手前の染井吉野です。
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 金堂正面です。
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 御室桜林から見た五重塔です。
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 ツツジも彩りを添えます。
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 広い木立のなかには、桜とツツジが仲良く咲いています。
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 鐘楼前の枝垂れ桜です。
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 御室八十八ケ寺を回ってきました。
 昨年と同様、参道はツツジがあちらこちらと左右に咲き乱れ、目を楽しませてくれました。
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「三井寺の春」

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 三井寺は正式には園城寺(おんじょうじ)といい、天台寺門宗の総本山で、山号を長等山といいます。ご本尊は弥勒菩薩です。
 弘文天皇の皇子、大友与多王が開基され、天武天皇より園城の勅額を賜り長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)と称するようになりました。
 三井寺と呼ばれるのは、天智、天武、持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれていたことに由来します。
 観音巡礼の寺として、西国三十三所巡礼の第十四番目の札所として知られています。
 また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」として古くから有名です。



 お寺の案内パンフレットです。
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 仁王門(重要文化財)です。
 宝徳4年(1452年)の建立です。
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 園城寺食堂(釈迦堂)(重要文化財)です。仁王門を入ってすぐ右側にあります。
 室町初期の建築です。ご本尊に清涼寺式釈迦如来をお祀りしています。
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 仁王門から金堂への参道です。
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 金堂(国宝)です。慶長4年(1599年)に再建されたもので、桃山時代を代表する名建築といわれています。
 ご本尊の弥勒菩薩が、秘仏として祀られています。
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 三井の晩鐘として名高い鐘楼です。
 慶長7年に再建されたものです。
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 梵鐘です。日本三銘鐘の一つです。
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 弁慶鐘 弁慶の引摺り鐘(重要文化財)です。
 奈良時代の梵鐘で、俵藤太が三上山の百足退治のお礼に竜宮から持帰ったと伝えられています。
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 一切経蔵への参道です。
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 一切経蔵(重要文化財)です。
 室町初期慶長7年(1602年)に山口県国清寺移築されたものです。
 堂内には八角輪蔵(重要文化財)があります。
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 園城寺塔婆(三重塔)重要文化財です。
 もとは奈良県、比蘇寺の塔で慶長6年(1601年)家康により寄進されたものです。
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 寺域を横切る参道です。
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 村雲橋 参道の途中にあります。
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 村雲橋の近くでシャクナゲが咲いていました。
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 正面に見えるのは、園城寺唐院四脚門(重要文化財)です。
 唐院潅頂堂への参道です。
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 唐院潅頂堂(重要文化財)です。
 密教を伝承する道場です。
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 水観寺です。西国薬師霊場、第四十八番霊場で、ご本尊は薬師如来です 。
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 三井寺観音堂、及び札所伽藍、諸堂への長い石段です。
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 十八明神社(ねずみの宮)です。
 本来は伽藍を守護する神ですが、一般にはねずみの宮さんと人々に親しまれています。
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 百体観音堂です。
 宝暦3年(1753年)建立です。
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 西国十四番札所 三井寺観音堂です。
 ご本尊は如意輪観音で三十三年ごとに開扉される秘仏となっています。
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 観月舞台です。
 嘉永3年(1849年)の建立です。
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 手水舎です。
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 園城寺毘沙門堂(重要文化財)です。
 元和2年(1616年)建立で極彩色に荘厳された優美な建築です。
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 札所の上の展望台からの眺めです。
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 遙かに琵琶湖を眺めることができます。
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 眼下には桜林が満開を迎えています。
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 石碑です。 「三井寺の 門敲かばや けふの月」 (芭蕉)
 金堂の西側の池のほとりにあります。榊莫山さんの揮毫です。
 元禄4年、月見句会で湖上に繰り出した芭蕉が、月光の中に浮かぶが如き、三井寺の様を詠んだものです。
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 (上記の各コメントは、パンフレット及びホームページより引用しました)



山科の「毘沙門さん」

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 「毘沙門さん」と親しまれている毘沙門堂は、天台宗の門跡寺院で、大宝3年(703年)行基によって開かれたました。
 当初は京都御所の北、出雲路にありましたが、戦乱など苦難の末に、寛文5年(1665年)現在地に再建されました。
 ご本尊の毘沙門天は、伝教大師のご自作で、商売繁盛、家内安全のご利益があるとされ、多くの人々の信仰を集めています。


 毘沙門堂への入口です。
 極楽橋の側の門跡碑も見えます。
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 門跡碑です。
 極楽橋の袂に立っています。
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 仁王門への急な階段が続きます。
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 仁王門です。
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 阿吽の金剛力士像に出迎えられます。
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 仁王門です。
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 仁王門を潜り、本堂に向かいます。
 本堂、仁王門などの修復が行われて、江戸初期、再建時の色彩、風情が蘇りました。
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 本堂へ入る唐門です。
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 本堂です。
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 本堂を囲む朱塗りの透塀が鮮やかです。
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 勅使門です。 
 檜皮葺きの総門で、陛下の行幸、勅使の代参、門跡門主の晋山式以外は開門されません。
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 薬医門への長い石段です。
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 薬医門から玄関へと続きます。
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 玄関と宸殿です。
 御所にあったものを、元禄6年(1686年)移築したものです。
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  宸殿前の名高い「毘沙門枝垂れ桜」です。
 樹齢、百数十年、高さ、約十メートル 枝張り、約三十メートルということです。
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  椿と桜の花が仲良く咲いていました。
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「広沢池辺りの桜」

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  広沢の池辺りは、春夏秋冬、いつ行ってもそれぞれの趣のある風景を楽しめて、京都という街に住んでいる喜びを感じる事ができます。

 例年、春、秋、平安郷の庭園が特別公開されるの機に、今年も訪ねてみました。
 道すがら、京都の桜守として、全国の桜を守り育てておられる、佐野藤右衛門さんの桜を観賞してきました。
 その後、広沢の池に寄り、北嵯峨の風景を堪能し、広沢池畔の平安郷を訪れ、美味しいお菓子と抹茶をご馳走になり、立派な枝垂れ桜等を楽しみました。


 
 佐野藤右衛門さん宅の見事な桜です。
 夜は篝火を焚いて、また違った趣を見せてくれます。
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 さすがというべき言葉しかない、枝垂れ桜です。
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 丁度、満開を迎えています。
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 道標も、桜と共に生き生きしています。
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 広沢の池にやってきました。
 愛宕も遠くに霞んでいます。
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 師走の風物詩、池を浚えての鯉上げは、テレビ等でよく放映されています。
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 ボートが、人待ち顔にお客を待つています。
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 なだらかな嵯峨野の山々です。
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 道端に佇む道標に、桜も華を添えています。
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 平安郷への案内です。
 公開はわずか3日間ですが、多くの来苑者でにぎわいます。
 敷地は約3万坪あります。
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 いつ見ても、見事な枝垂れ桜です。
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 庭園から東山に登ると、嵯峨野一帯の景色が存分に楽しめますが、今回は開放されていなくて残念でした。
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 広沢池への、船遊覧も催されます。
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 奥茶屋近くには竹林があり、四季の花々とのコラボレーションが楽しめます。
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 京都府立植物園の桜が満開の時期を迎え、花の命の短さを惜しむように、園内あちらこちらで競演を繰り広げています。
 夜のライトアップも始まり、多くの人の目を楽しませています。



「桜花咲く」とお誘いのチラシです。
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 正門入口を入ると、正面に広がる桜林が目を惹きます。
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 一帯はソメイヨシノ等、多くの桜が花を咲かせています。
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 これは少し離れた、大芝生地のそばの桜です。
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 これは、はなしょうぶ園の大枝垂れ桜です。
 左はハクモクレンです。
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 森のカフェの近くの桜です。手前のチョウセンレンギョウも咲いています。
 この他に、北山門のすぐ側に、桜品種見本園があり、品種名板が付けてあります。
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 枝垂れ桜を見上げると、青空にくっきりと映えています。
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 枝垂れ桜です。
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 夜のライトアップです。正門入って、チューリップの花壇からライトアップを眺めています。
 左に見えるのは観覧温室です。
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 だんだん宵闇が迫ります。
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 夜の帳が下りてきました。ライトが輝きを増してきます。
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 すっかり漆黒の闇となりました。
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 いろいろと宵闇の明るさや、ライトの具合で趣も変わってきます。
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無粋なブルーシートや、お花見のどんちゃん騒ぎもなくて、静に親子連れやカップルが、そぞろ歩きを楽しめるのがなによりです。



 春の陽気に誘われて、真如堂と黒谷さんに、桜を見がてらお参りしました。
 
 真如堂は正式には鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)といいます。天台宗の寺院です。正真正銘の極楽の寺と言う意味だそうです。
 昔から人々には親しく「真如堂」と呼ばれていますが、もともとは本堂の呼び名でした。
 永観2年(984年)比叡山の戒算上人が、ご本尊阿弥陀如来を、東三條女院の離宮のあったこの地に移して安置したのが真如堂の始まりです。
 
 
 赤門(総門)元禄年間建立です。赤く塗られているので、赤門と呼ばれています。

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 赤門を潜ると参道の正面に本堂が、右手には三重塔が望まれます。
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 本堂です。
 元禄6年(1693年)から亨保2年(1717年)にかけて建立されました。
 十五間四面、総欅、単層入母屋・本瓦葺きです。
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 鐘楼堂です。 元禄年間の建立です。当時は極彩色だったようです。
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 三重塔(法華塔)宝暦年間(1751年〜1763年)に建立され、文化14年(1717年)再建されたものです。本瓦葺で高さ約30mです。
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 元三大師堂です。
 元三大師良源の画像をまつり、地蔵菩薩と不動明王を奉安しています。
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 去来の句碑です。
 「涼しくも野山にみつる念仏哉」
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 黒谷さんは正式には紫雲山 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)と呼び、知恩院とならぶ、浄土宗の大本山です。
 通称の「黒谷さん」と呼ばれて、多くの人に親しまれています。
 法然上人が承安5年、比叡山の黒谷を下り、草庵を営まれた地です。ご本尊は、阿弥陀如来です。
 幕末、京都守護職会津藩の本陣になったところとして有名です。
 
 
 
 高麗門です。山門まで長い参道を進みます。
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 山門です。下から見上げると威風堂々として、圧倒されます。
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 山門より長い参道に続いて、御影堂が望まれます。
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 御影堂(大殿)です。火災に遭い、昭和19年に再建されました。
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 御影堂から山門を振返っています。
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 熊谷直実 鎧掛けの松です。
 建久4年(1193年)直実は、法然上人を訪ね、方丈裏の池にて鎧を洗い、この松の木に鎧を掛けて出家したといいう、故事に倣っています。
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 納骨堂です。
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 鐘楼です。
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 唐門です。
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 文殊塔(三重の塔)です。
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 山上墓地には、会津藩殉難者墓地があり、常に多くの人々のお参りがあります。
 文久2年から慶応3年の5年間に亡くなられた237霊と、鳥羽伏見の戦いの戦死者115霊を祀る慰霊碑があります。
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 山上墓地から、御影堂と京都市内の遠望です。
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 ふと思い立ち、青春18切符を利用して「柳田国男のふるさとを歩く」に誘われて、近場の福崎町へぶらりとやって来ました。
 福崎町と言っても「辻川界隈」に歴史散策コースが作られていますが。なんの予備知識も持たず、地図を頼りに歩いてきたという具合です。



 案内地図です。
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 「大塚古墳」 町指定文化財
 古墳時代後期 円墳 全景 直径30m 高さ3.5m この地の有力な人の墓と考えられています。
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 市川を渡る 「月見橋」です。
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 「鈴の森神社」 柳田国男ゆかりの神社として知られています。
 「うぶすなの森の山ももこま狗はなつかしきかな物いわはども」柳田国男は幼少の頃、狛犬にのってよく遊んだということです。
 やまももの大木もあり、国男少年の思い出が詰まっています。
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 「柳田国男の生家」(移築保存) 県指定文化財です。
 日本民族学の草分けである柳田国男は、明治8年(1962年)辻川の街道に面するこの家で生まれました。 
 この生家こそが自らの民族学の原点と「故郷七十年」に記しています。
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 「民俗の森」 展望台からの福崎町の眺めです。
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 「北野天満神社」です。
 梅が満開でした。
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 「妙徳山 神積寺」 正歴2年(991年)慶芳上人によって開基されました。
 七堂伽藍と52ヶ寺を有する書写山法華山と並び、播磨六山として栄えましたが、延慶2年(1309年)の火災で焼失、その後、木堂が再建されましたが往時の面影はありません、 悟眞寺とともに130基以上の石灯籠で福崎町の指定文化財になっています

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 「岩尾神社」です。
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 「岩尾神社」鳥居は石造鳥居として、慶長16年(1611年)造られたもので、県の指定文化財になっています。
 鳥居は凝灰岩製で沓石がなく、直接地中に埋めています。
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 「大善寺」です。
 白鳳元年、法道仙人により開かれたお寺で、本尊は薬師如来です。
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 「福崎駅」のホームで、帰りの電車を待っています。
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 京都御苑の南西角に、江戸時代から続いた閑院宮家(かんいんのみやけ)の屋敷跡があります。
 このほどその場所に、官舎跡と庭園が復元され一般公開されました。
 これまで西側には、京都御苑の歴史や自然についての資料や展示室があり、一部庭園も公開されていましたが、これによって一体的に庭園も整備されたものです。
 丁度、跡地の南側、丸太町通りに面した所に長く住んでおりましたので、特に感慨深いものがあります。


 閑院宮邸跡の全体見取図です。(御苑ニュース春号より転載しました)
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 東門です。
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 昨年秋に訪れた時の東側庭園、池と洲浜です。
 庭園の造営時期や、池の位置など詳しいことはわかっていませんが。発掘調査により推定され、平成になってから復元されたものです。
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 同じく東側の庭園から、西方向を見たところです。この場所に新に庭園が復元されました。
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 池から、収納展示室の前の散策路を経て新たな庭園に入って行きます。
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 散策路の順路は右の土蔵の方向に向かいます。
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 官舎跡とは、閑院宮の邸宅の一部でしたが、明治期に宮内省の所管となって、宮内庁京都支所の所長官舎が建てられました、その室内から四季の庭の眺めを再現したものです。
(説明板より転載した、平面図です。)
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 北門です。椹木通(さわらぎとおり)に面しています。官舎跡地、玄関部分から見ています。
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 門から玄関への通路と、官舎跡地を見通しています。
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 官舎の玄関です。沓脱石が据えられています。
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 官舎の各部屋の間取りが木枠で仕切られて、一目で分かるようになっています。
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 庭園復元図です。(説明板より転載しました。)
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 来客棟、主室からの眺めです。
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 私室棟、主室からの眺めです。
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 庭園は、遣水と池の組合せで構成されて、回遊式になっています。
 これは江戸時代の公家が好んだ庭園意匠だそうです。
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 庭園から、資料展示室方向を眺めています。
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 まだ庭園としては作庭されて日も浅いので、しっとりとした庭園の佇まいや風情を感じるには、少なくとも二、三年程度の年月を必要と思いますが、京都御苑にまた新しい魅力あるスポットが出来たことは喜ばしいことだと思います。

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