2015年6月アーカイブ

洛西「十輪寺」

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 十輪寺(じゅうりんじ)は山号を小塩山といい、天台宗の寺院です。ご本尊は延命地蔵菩薩で、京都洛西観音霊場第三番の札所です。創建は、嘉祥3年(850年)文徳天皇の皇后染殿皇后が安産祈願をしたことが始まりとされ、また在原業平が、晩年このお寺に隠棲したとの由縁から「なりひらでら」と通称で呼ばれています。応仁の乱などにより寺運が衰えましたが、寛文年間花山院定好によって再建されました。

 

  正面参道ですが、参詣には、右の駐車場横からの参道を使用します。

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  「山門」です。

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  「山門」を入ると正面に「書院」があり、受付があります。参詣にあたって、ご住職から堂塔の説明や、在原業平との由縁など事前に説明を受けてから、本堂に向かいます。

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  「中門」を潜ると目の前に庭園と本堂が現れます。

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   「庭園」です。

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  「本堂」(重要文化財)です。創建当時の伽藍は、応仁の乱で焼失し、寛延3年(1750年)の再建です。屋根はお神輿の屋根によく見られる鳳輦型を型どった、非常に珍しいものです。

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   「庭園」の一画に「鐘楼」(重要文化財)があります。

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   「鐘楼」です。寛文6年(1666年)の建立で「不迷梵鐘」(まよわずのかね)と呼ばれています。

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   「業平紅葉」です。

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   「本堂」「業平御殿」に向かう「髙廊下」です。一段と高くなったこの廊下から眺めるお庭は、天上界から見下ろす天人になったつもりで感ずるという。

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  「庭園」「三方普感の庭」(さんぽうふかん)です。寛延3年(1750年)右大臣藤原常雅公が、本堂再興した時に造られたもので、髙廊下、茶室、業平御殿の三箇所から場所を変え、見る人に様々な想いを感じさせる癒しの庭です。大きな石3個は、過去、現在、未来を現し、この庭に大宇宙を観ずるというもの、中央はなりひら桜です。

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  「なりひら桜」です。樹齢200年ぐらいで、業平御殿から横に寝て手枕で眺めた「天蓋の桜}は緑濃いなりひら桜で、勧められた通り全くの違った趣を感じ取ることができました。

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  「本堂」から裏の山道を辿ると在原業平の旧跡が散在します。

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  「在原業平」のお墓です。

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  在原業平旧跡「塩竈の跡」です。平安時代の歌人、在原業平がその晩年に隠棲し、難波の海水を運び、塩焼きの風流を楽しんだと伝えられています。毎年11月23日には「塩竈清めの祭」が行われます。

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   「本堂」の「鳳輦型」の屋根の様子がよく分かります。

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 洛西大原野に点在する社寺を巡り、帰路、十輪寺に寄り、一日を終えました。さすがに疲労感は濃く、これほど多くを巡ったのは初めてでしたが、それぞれの社寺の仏像などをゆっくり拝観し、充実した気持ちで帰宅しました。

 

 

洛西「三鈷寺」

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 三鈷寺(さんこじ)は山号は西山で、その西山の中腹にあります。平安時代承保元年(1074年)源算上人が草庵をむすんで北尾往生院としたのが始まりです。その後、建保元年(1213年)西山上人が後を継がれ「不断如法念仏道場」とされ、背後の山容が仏具の三鈷杵に似ているところから、寺名を三鈷寺と改められました。ご本尊は如法仏眼曼荼羅で洛西観音霊場第五番、西山国師遺跡霊場第十二番です。拝観をお願いすると、ご住職が一緒に本堂など巡っていただき、懇切丁寧に説明していただけます。

 

  灰谷集落から、三鈷寺道の石柱(里程標)が村道の脇にひっそりと立っています、60里と彫ってあり、相当な距離を信仰心の強い人々がここからお参りしていたのでしょう。

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  「善峰寺」のバス停から上る参道があります。

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  山道を10分ほど上ると最後の石段で「三鈷寺」に到着します。

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  左右に「卒塔婆型」の「結界木柱」が立っています。

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  境内に入ると正面に「本堂」があります。

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  「本堂」の右手には、庭園と山門に通じる道があります。

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   山門側にある「華台廟」です。「西山上人」と「実信房蓮生」をお祀りしています。

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  「山門」を入った広場です。

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  一隅には「お地蔵さん」もお祀りされています。

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  「山門です」。善峰寺北門からの山道を来ると、この山門に至ります。

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   「書院」と「客殿」です。

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   本堂横の「庭園」です。

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  「客殿」から見る、参道と本堂です。

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  「客殿」からの眺めは最高です。比叡山から東山、京都市街、お天気の良い時には宇治、木津方面まで俯瞰できます。

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洛西「善峰寺」

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 善峰寺(よしみねでら)は山号は西山といい、平安中期の長元2年(1029年)源算上人により開かれた天台宗のお寺です。室町時代には、僧坊52に及びましたが、応仁の乱により大半が焼失しました。江戸時代、桂昌院の尽力により再興されました。ご本尊は千手観世音菩薩です。西国三十三所観音霊場第20番札所及び京都洛西観音霊場第1番札所となっています。

 

 

  善峰寺バス停からの参道です。

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  「座禅石」です。参道入口から山門に行く参道の山道の途中にあります。源算上人が開山を思惟するため、この苔むした岩石の上に40日座り開創したと伝えられています。

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  「東門」です。

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   「山門」(楼門)です。正徳3年(1716年)建立で、三間一戸の楼門形式のお堂です。

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  「山門」を潜ると正面石段の向こうに「観音堂」があります。

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  「観音堂」(本堂)です。元禄5年(1692年)桂昌院の寄進により、再建された入母屋造りのお堂です。ご本尊は千手観音です。

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  順路に従って境内を回っていきます。「遊龍の松」(ゆうりゅうのまつ)です。五葉松で、樹齢600年以上といわれ、全長37m、国の天然記念物に指定されています。幹が地を這うように伸びる巨大な松は、臥龍の遊ぶ姿に見えることから命名されました。

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   「鐘楼堂」(つりがね堂)です。貞享3年(1686年)五代将軍綱吉公の厄年にあたり、桂昌院により建立されました。故に「厄除の鐘」と言われています。

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  「護摩堂」です。ご本尊は五大明王で、元禄5年(1692年)桂昌院により建立されました。

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  「多宝塔」(重要文化財)です。元和7年(1621年)建立されました。ご本尊は愛染明王です。

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  「経堂」と「桂昌院しだれ桜」です。経堂は宝永2年(1705年)桂昌院により寄進されました。左は、桂昌院お手植えと伝えられる、樹齢300年以上のしだれ桜です。

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  経堂の近くから、山崎天王山方面が見渡せます。

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  「幸福地蔵堂」です。斜面にせり出し、「あじさい苑」を全体に眺めることができます。

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  「桜あじさい苑」です。あじさいが見頃を迎え、お寺の斜面や眼下に大きく広がります。

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  散策路が上手く配置されていて、参詣者の目を楽しませてくれます。

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  「桜あじさい苑」から「幸福地蔵堂」を見上げたところです。

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  「北門」付近から見下ろしています。

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  境内の高所にある「薬師堂」への石段です。

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   「薬師堂」です。元禄14年(1701年)建立されましたが、昭和時代に、現在地に移築されました。桂昌院出生の由縁により「出世薬師如来」と云われています。

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  「薬師堂」からの絶景です。京都市内から山崎天王山と一望です。

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   「けいしょう殿」昭和年代に、花山法皇西国札所中興一千年を記念して建立されました。

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  「稲荷社」です。 正一位稲荷大明神をお祀りしています。

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  「釈迦堂」です。寛文13年(1673年)建立です。ご本尊は宝冠阿弥陀如来です。

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  「阿弥陀堂」への長い参道です。

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  「阿弥陀堂」です。

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  「本坊」です。 

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 「善峰寺」の釈迦堂の近くにある「北門」から山道沿いに100m程で「三鈷寺」へお参りすることができます。昔は何もなかったのですが、今は回転ドアが設けられていて、一旦外へ出ると、再度入山する時は連絡して開けてもらう必要があります。善峰寺を巡ったあと、三鈷寺へと向かいました。

 

 

 

洛西「金蔵寺」

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 金蔵寺(こんぞうじ)は小塩山(標高642m)の東南斜面の中腹に建立されています。金蔵寺は奈良時代養老2年(718年)隆豊禅師によって開創された天台宗の寺院で、山号は西岩倉山で、応仁の乱以前は、寺中に堂塔伽藍49院の僧坊を擁する大寺でしたが、応仁の乱や永禄の兵火によって殆どの建物が焼失しました。その後、徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院により、幼少時に金蔵寺に寄食した縁で、復興に多大の援助を行いました.現在の本堂はじめ、庫裏、客殿、護摩堂、仁王門、開山堂など現存する建物は貞享4年(1687年)から宝永2年(1705年)の間に再建されたものです。

 

  大原野の田園地帯を、「小塩山」に向けて4キロ程進みます。

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  車の離合困難なような山道を上っていきます。

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  「仁王門」です。

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  立派な「仁王様」が出迎えてくれます。

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  「仁王門」をくぐり急な石段を上ると「庫裏」や「池」のある広場にでます。

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  「庫裏」です。訪いを告げても応答もなく、静かな空間がひろがります。

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 金蔵寺再建の祖、「桂昌院尼公」が生類を憐れみ造成された池があり、例年、放生の会式を勤められました、いつの頃から絶えていましたが、その後、復興し、放生会式が行われています。

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  「庫裏」を過ぎ、石段を上った高いところに「本堂」があります。ご本尊は「十一面千手千眼観音」です。

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 歴史を語るような扁額が掲げられています。

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  静謐という言葉がぴったりの本堂です。

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   「本堂」からの風景です。

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      「鐘楼」です。

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   苔むした石段を上がると「開山堂」です。

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   本堂奥、山の中腹に「愛宕大権現」がお祀りされています。その「前立尊奉安所」です。

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   「葉山神社」です。富士浅間大社の「木花咲弥姫大神」を勧請して建立し、桂昌院をも合わせてお祀りしています。

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   「下の川弁財天」です。

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  本堂横の「愛宕大権現への鳥居」です。鳥居を潜って長い石段の参道を上がっていきます。

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  「愛宕大権現」の社殿です。愛宕大権現は廃仏毀釈により愛宕神社の甲冑姿で騎乗する勝軍地蔵が、金蔵寺に移されたものです。

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  「桂昌院御廟所」です。桂昌院は金蔵寺復興の祖として、その功徳を顕彰してお祀りしています。愛宕大権現の近くにあります。

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  寺域の一画に見晴らし台が設けてありそこからの眺めは素晴らしいものがあります。

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  西山連山から長岡方面です。

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 京都市内からも遠く、このような山中に立派な古刹があることに驚きです。ご住職が一人黙々と、竹箒を手に斜面の多い広い寺域を清掃されている姿を見て、維持管理のご苦労を垣間見る思いでした。

この後、もときた道を灰方まで戻り善峰寺に向かいます。

 

 

 

 

 大原野神社に隣接する、「勝持寺」(しょうじじ)で、西行法師の由縁の寺として、古くから染井吉野など100本が咲き乱れ、「花の寺」と通称で呼ばれて有名です。山号は小塩山、ご本尊は薬師如来で、白鳳8年(679年)役小角が、天武天皇の勅により創建したと伝えられています。西国薬師四十九霊場第四十二番札所になっています。

 

 大原野神社の一の鳥居前から、神社の駐車場を過ぎると勝持寺の石柱が建っています。そこを過ぎると右手に表参道があります。

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 参道には石段がありそこに立派な「仁王門」が建っています。応仁の乱の兵火を免れた、このお寺の最古の建物で一見の価値があります。

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    「仁王門の扁額」です。

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  「仁王様」が出迎えてくれます。

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 参道の途中、左手に「勝持寺子院跡」の「石塁と石垣」が保存されています。室町時代、足利尊氏の帰依により、寺運は特に隆盛となって、現在の勝持寺の周辺には多くの子院(勝持寺に附属する小寺院)が存在したといわれています。外環状道路の建設にあたって発掘調査が実施され、多くの子院跡が確認されました。

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  少し急な参道を白壁のお寺の塀沿いに進むと「南門」に至ります。

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  「南門」正門です。

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   受付を済ませて「書院」の前を通り「中門」を潜り、「阿弥陀堂」へとお参りします。

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   「狛犬さん」です。阿吽一対の立派な狛犬さんです。

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  「阿弥陀堂」です。右に「瑠璃光殿」が通路でつながっています。「瑠璃光殿」には多くの重要文化財の「薬師如来像」や「西行法師像」などが安置されています。

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  境内右にある「不動堂」への石段です。

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  「不動堂」です。「不動明王、愛染明王」がお祀りされています。弘法大師が、眼病に悩む人のため、不動明王に病魔退散を祈願されたことから、諸病平癒の不動様として信仰を集めています。

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  「西行桜」です。平安末期、鳥羽院の武士であった佐藤兵衛義清が、このお寺に入って出家し、西行法師となり、ここに草庵を結び、一株の桜を植えて吟愛していました。人々はその桜を「西行桜」と称して、このお寺を花の寺と呼ぶようになりました。謡曲「西行桜」はこのお寺が舞台となっています。

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   「鐘楼堂」です。

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  「鏡石」です。西行法師が出家した時、この石を鏡代わりに使い、剃髪したと伝えられています。

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  「冴野の沼」(姿見池)です。

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  「桜ケ丘」近くから眺めると、三春川が流れ、石橋が架かって優雅な趣を感じさせます。川は「冴野の沼」に注いでいます。

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  「魚籃観音」(ぎょちんかんのん)です。西遊記にも出てくる観音様で、持っておられる竹の籃の中に魚が入っています。魚関係の人々の信仰を集めています。

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  「桜が丘」です。でも、境内全般にもみじが多く、秋の紅葉は素晴らしいと想像できます。

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  「東門」です。

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   「東門前」から田園風景と大原野が眺められます。

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  「花の寺」を出て小塩山の中腹に建っている「金蔵寺」へと向かいます。

 

 

洛西の大原野神社

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 京都洛西の地、大原野、全国的に有名な筍の産地です。この大原野一帯には多くの社寺が点在しています。まず大原野神社を訪れました。

 大原野神社は桓武天皇が奈良から長岡京に遷都された際、氏神春日大社の分霊を祀られたのが始まりで、その後、嘉祥3年(850年)に文徳天皇が春日造りの壮麗な社殿を造営されました。ご祭神は建御賀豆智命、伊波比主命などをお祀りしています。神域は広く8万3千㎡ありますが、内、6万6千㎡は林になっています。境内には鯉沢の池があります。

 

   「一の鳥居」です。

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   緑が美しい参道の石段を上って行きます。

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    「二の鳥居」です。

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    「二の鳥居」を過ぎて尚も参道を進みます。

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    石灯籠が並び、前方が明るくなり、「三の鳥居」が迎えてくれます。

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    右に「鯉沢の池」、左に「瀬和井」をやり過ごすと、「中門」が朝日を受けて朱色に映えます。

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   「中門」の前には狛犬ならぬ「神使(牡鹿)」が本殿をお守りしている。奈良の春日大社を倣ったものと思はれます。 

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   同じく「神使(牝鹿)」が置かれています。

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   「中門」と奥に「本殿」があります。

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    「本殿」回廊の左手には「摂社」が三社お祀りされています。

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    「鯉沢の池」に掛かる赤い木橋を渡ると、「中の島」の中に「地主神社」が祀られています。

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   「鯉沢の池」です。文徳天皇は壮麗な社殿と共に奈良の「猿沢の池」を模した、鯉沢の池をつくりました。

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    「スイレン」が見頃を迎えています。

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    「洗眼桜」(せんがんさくら)と名付けられた、枝垂れ桜で、花が咲くと、千個の目ががあるように見えるところからそう呼ばれています。

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    「瀬和井」(せがい)清和天皇の産湯の清水と伝えられ、江戸時代、大伴家持も使ったと伝えられています。

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    境内の一隅に石碑があります。「石碑」の歌は、「植松寿樹」歌集「枯山水}収録の(竹群に降る音ありて更くるるらむ 雪の一夜を来て泊まりたし)

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   「富小路禎子」は二条家の流れを汲む、歌道の富小路子爵の二女として生まれ、歌の世界に多くの業績を残した人です、石碑は五十代の代表作で(母胎より彼岸に到るここの道 いましばらくの緋なる夕映)

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   「大原野地域」の特産の竹で制作された「おみくじ掛け」が花が咲いたように見えます、本来は茶筅の形なのですが、ハート型に見えるところから若い女性に人気があるそうです。

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   大原野神社の向いに正法寺があります。訪れましたが、拝観時間には随分と早過ぎて残念ながら次の機会に委ねました。

 

早朝の「清水寺」

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 京都の数多い社寺の中でも、訪れる観光客の一番の人気の清水寺、その清水の舞台を目指して訪れる多くの観光客の混雑を避けて、早朝にお参りしてきました。

 清水寺は山号を音羽山といい、音羽山より今もなお途切れることなく湧き出でる音羽の滝から、清水寺という寺名がつけられました。ご本尊は千手観音で、開基は延鎮で、北法相宗大本山です。また西国三十三ヶ所観音霊場の第16番札所です。

 

 「清水寺」(きよみずでら)への参道です。昼間は大混雑の参道も、未だ眠りから覚めていません。

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  参道から見下ろす「三年坂」です。

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  参道から順路に従って伽藍を順次お参りしていきます。

 「馬駐」(うまとどめ)(重要文化財)です。参道を進んで最初に目に入る馬駐です。かって貴族や武士は、ここに馬を繋いで諸堂を参拝しました。応仁の乱後に再建されたものです。

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  左、「仁王門」 右「西門」と「三重塔」です。参道正面に威容を誇る仁王門と、右奥に西門と三重塔が見えます。

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  「仁王門」(重要文化財)です。応仁の乱で焼失しましたが、その後再建されました。清水寺の正門で、幅約10m、奥行約5m、棟髙約14メートルで、鮮やかな朱塗りから「赤門」とも呼ばれています。

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  「仁王門」の左の「狛犬」です、よく見ると、左右とも狛犬の口が開口した阿形(あぎょう)となって珍しいものです。一般的には口を閉じた吽形(うぎょう)と一対をしています。

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   右のこちらも開口した阿形の「狛犬」です。

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  「西門」(さいもん)(重要文化財)です。嘉永8年(1631年)再建されたもので、現在立ち入ることは出来ません。

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  「鐘楼」(重要文化財)です。慶長12年(1607年)再建です。

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  「本堂」への参道です。

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  「三重塔」(重要文化財)です。豪華絢爛な建築美をみせている三重塔で、嘉永9年(1632年)に再建されました。内部に大日如来像をお祀りし、三重塔としては、日本最大級の高さ約31mとあり、清水寺のシンボルとして国内外に広く知られています。

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   「三重塔」の水の神様、火難除けの「龍神の鬼瓦」です。

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  「随求堂」(ずいぐどう)塔頭慈心院の本堂です。享保3年(1718年)の再建です。衆生の願い、求めに随って叶えてくれるという大随求菩薩をお祀りしています。

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  「経堂」(きょうどう)(重要文化財)です。嘉永10年(1633年)の再建で、堂内には釈迦三尊像をお祀りしています。

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   「経堂」と「三重塔」が朝日に美しく映えます。

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開山堂(かいさんどう)(重要文化財)です。嘉永10年(1633年)の再建で、謡曲「田村」に謳われている「田村堂」とはこのお堂のことです。 清水寺創建の坂上田村麻呂公夫妻の像などが納められています。

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  「開山堂」の次は「轟門」ですが、現在解体修理中です。

  そして「朝倉堂」(あさくらどう)(重要文化財)となります。朝倉堂は、洛陽三十三所観音霊場第十三番札所です。越前の守護大名朝倉貞景の寄進により、法華三昧堂として永正7年(1510年)に創建され、寛永10年(1633年)に再建されました。堂内には、千手観音ら三尊像がお祀りされています。お堂の東側に、なでると足腰に効くといわれている「仏足石」が置かれていましたが、現在囲いがあって、ご利益を戴くことができません。

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  「朝倉堂」過ぎると「本堂」、「外陣」と「回廊」となります。

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  「外陣」の入口左側には「錫杖と高下駄」が据えられています。重さ90キロ以上の大錫杖と、14キロの小錫杖、そして12キロの高下駄です。明治中期吉野で修行した修験者から奉納されたものです。

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  「本堂外陣」の「出世大黒天像」です。大きな黒頭巾と左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、ニコニコ顔で米俵を踏んでいます。

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  「本堂外陣」から「舞台」と東山の風景です。

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  「本堂」(国宝)です。ご本尊十一面千手観音と勝軍地蔵菩薩、毘沙門天をお祀りしています。寛永10年(1633年)に再建され、正面36m強、側面約30m、棟髙18mの大堂です。

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  「本堂」の「回廊」と「外陣」を見ています。

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  「清水の舞台」です。昼間の混雑が嘘のような独り占めの早朝の舞台です。錦雲渓の急な崖に、最長約12mの巨大なけやきの柱を並べ、「縣造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。面積は約190㎡、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。ここから東山方面を見ると、解体修理中の「阿弥陀堂」と「奥の院」が見えます。

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  「舞台」から、西方、京都市内方向を眺めています。

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   「舞台」から南方向を見ると「子安塔」の鮮やかな朱色が緑の中に映えます。

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  京都市内も眼下に望めます。

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  「本堂」を出て、進むと音羽山を背に「地蔵堂」「釈迦堂」「阿弥陀堂」「奥の院」とならんで建っています。「釈迦堂」と「奥の院」は現在解体修理中で立ち入ることは出来ません。この祠は「地蔵堂」です。

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  「釈迦堂(重要文化財)です。豪雨で倒壊し、昭和47年(1972年)に嘉永8年(1631年)の再建時の姿に復旧されました。釈迦三尊をお祀りしています。

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  「釈迦堂」から見た「本堂と舞台」です。

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  「奥の院」からみた「本堂と舞台」です。

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  「子安塔」から「音羽の滝」へお参りする順路です。

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   「子安塔」(重要文化財)です。丁度、本堂から真南に相対して建っています。「子安塔」は聖武天皇、孝明皇后の祈願所と伝えられていますが、現在の建物は、明応9年(1500年)のものです。子安観音をお祀りしています。

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  「泰産寺」です。塔のふもとにあり、塔を守護するための寺院で、洛陽三十三所観音霊場の第十四番札所として信仰を集めています。

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  「子安塔」から参拝路を降りていくと「音羽の滝」があります。清水寺の開創の起源で、寺名の由来となったのがこの滝です。こんこんと流れ出る清水は、「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、「六根清浄」「所願成就」を祈願するため、常に行列ができる人気の場所ですが、今は静かな一時です。

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   「音羽の滝」から「舞台」を見上げています。

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  「舞台」を見上げながら緑濃い順路を仁王門方面へと、もときた場所へと戻ります。見上げると「経堂」や「三重塔」が木の間から見え隠れします。

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  小振りな庭園も設えてあります。

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   道標も建っています。ようやく仁王門まで戻ってきました。ここからあまり観光客も立寄らない諸堂に立寄ります。

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  まず正面山門前参道の左、「大講堂」や「成就院」への参道脇に「善光寺堂」があります。洛陽三十三所観音霊場第十番札所です。鎌倉時代末期作の如意輪観音坐像などがお祀りされています。善光寺堂の右に見えるのが「首ふり地蔵」です。

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  「首ふり地蔵」です。このお地蔵さまは、首がぐるりと動かせるという珍しいお地蔵さまで、自分が恋い想う人の住む方向に首を向けて、祈願すると想いが叶うといわれています。

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   「大講堂」です。清水寺開創1200年の記念事業として、昭和59年(1984年)に、観音信仰の道場、国際親善、文化交流の場として建てられました。

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   「北総門」(重要文化財)です。嘉永8年から16年に再建された、間口4.12mの薬医門です。かっては、塔頭の成就院の正門として使用されていた、重厚な造りの門です。正面に見えるのは、幕末に散った勤王僧 月照・信海両上人と西郷隆盛公の「歌詩碑群」です。

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   「千体石仏群」です。「成就院」参道の右手に、地蔵菩薩、観音菩薩、阿弥陀如来、大日如来、釈迦如来など、様々な石仏が所狭しと立ち並んでいます。その一体一体に、色とりどりの前垂れが、有志のかたがたによって掛けられています。

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   「中興堂」です。清水寺の中興開山、大西良慶和上の御霊屋(おたまや)です。良慶和上は、大正3年(1914年)から約70年にわたって清水寺住職を務められて、廃仏毀釈などによって衰退していた清水寺を現在の形に復興され、昭和58年、107歳で天寿を全うされました。その偉業を讃え、平成9年(1997年)に落慶されました。

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  大西良慶和上の白寿を記念して揮毫していただいた色紙です。

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  「成就院」(じょうじゅいん)清水寺本坊塔頭です。見事な庭園や、襖絵の数々があることでよく知られています。期間を限って特別公開されます。

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      (各説明文は清水寺のホームページより引用させていただきました。)

 

 

 

「白雲神社」の例祭

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 白雲神社(しらくもじんじゃ)は御所(現在の京都御苑)の西南、蛤御門を入って梅林の東側、西園寺邸跡の敷地にあり、旧西園寺家の鎮守社です。このあたりに九条池、宗像神社、そして白雲神社と隣接しており、小さい頃はそばに住まいしていた関係で、私たちの格好の遊び場になっていました、久し振に例祭に訪れてまいりました。

 白雲神社は祭神は妙音弁財天といわれた市杵島姫命で、琵琶を家職とする西園寺家に楽神として伝えられ、西園寺公が金閣寺を造営する際に妙音堂として建立されたのが始まりとされています、明治11年になって、神仏混淆の作法を神式に改め、社号を白雲神社とされました。

 

  例祭を伝える「張紙」です。

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  右に入ると「白雲神社」への正面参道です。左手は梅林と桃林です。

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  正面参道です。白雲神社は神域はこぢんまりしていますが、周囲は鬱蒼とした御所の森に囲まれて、神社としての神聖な雰囲気を醸しだしています。

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   南側からの「参道」です。

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    「南門」です。

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    「拝殿前」です。

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    例祭が執り行われる「拝殿と本殿」です。

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  「本殿」内の「祭壇」です。

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  楽の上達などを願う琵琶の絵馬が奉納されています。

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     「稲荷社」です。

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    この日、同じく「稲荷社」での例祭も行われました。

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    「拝殿内」の準備です。

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    いよいよ例祭の神事が執り行われます

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    全員神主さんのお祓いを受けます。

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    神事が終わり、「白拍子舞い」の奉納です。

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   「白拍子舞い」は平安末期から鎌倉時代にかけて行われた歌舞で、女性が頭には高烏帽子、緋の長袴に白の水干、太刀を吊り、男装をして扇をかざして舞いました。平家物語に登場する祇王、祇女仏御前が舞ったとして有名です。

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   奉納を終えた「白拍子姿の井上由理子さん」が琵琶を手に拝殿を退出します。

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   続いて「茂山千五郎社中」の「茂山宗彦さん井口竜也さん」による狂言「舟船」奉納をが行われました。狂言「ふなふね」は主人の供をする太郎冠者と主人との舟(ふな)と船(ふね)との、歌を歌ったり、謳いを謳ったりとの軽妙なやりとりの狂言でした。

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    主人 「井口竜也さん」です。

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    太郎冠者 「茂山宗彦さん」です。

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  久し振の白雲神社でしたが、今も昔も変わらぬ佇まいに、少年期の思い出を重ね合わせ、素晴らしく有意義なひとときでした。

 

 

 この時期の京都府立植物園は、アジサイと花しょうぶが見頃になっています。「花菖蒲園」では200品種10,000株が来園者の目を楽しませてくれます。初夏の花として親しまれている花菖蒲は、色は白、桃,紫、青、黄など、組合せると5,000種類もあるといわれ、群生する姿が美しい江戸系、花弁が縮れて垂れる優雅な伊勢系、大輪で豪華な肥後系、また原種の特徴を強く残す長井系など4系統に分類されています。

 

   「花しょうぶ園」の全景です。

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          「綴錦」

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          「澄水」

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             「有馬川」

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          「藤奴」

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          「千鳥」

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         「七彩の夢」

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         「愛知の輝」

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          「江戸錦」

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          「三池の月」

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          「五三の環」

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         「小笹川」

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          「相生」

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          「扇の的」

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        「湖上の月」

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          「葵の上」

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         「紫雲閣」

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