京都の数多い社寺の中でも、訪れる観光客の一番の人気の清水寺、その清水の舞台を目指して訪れる多くの観光客の混雑を避けて、早朝にお参りしてきました。
清水寺は山号を音羽山といい、音羽山より今もなお途切れることなく湧き出でる音羽の滝から、清水寺という寺名がつけられました。ご本尊は千手観音で、開基は延鎮で、北法相宗大本山です。また西国三十三ヶ所観音霊場の第16番札所です。
「清水寺」(きよみずでら)への参道です。昼間は大混雑の参道も、未だ眠りから覚めていません。
参道から見下ろす「三年坂」です。
参道から順路に従って伽藍を順次お参りしていきます。
「馬駐」(うまとどめ)(重要文化財)です。参道を進んで最初に目に入る馬駐です。かって貴族や武士は、ここに馬を繋いで諸堂を参拝しました。応仁の乱後に再建されたものです。
左、「仁王門」 右「西門」と「三重塔」です。参道正面に威容を誇る仁王門と、右奥に西門と三重塔が見えます。
「仁王門」(重要文化財)です。応仁の乱で焼失しましたが、その後再建されました。清水寺の正門で、幅約10m、奥行約5m、棟髙約14メートルで、鮮やかな朱塗りから「赤門」とも呼ばれています。
「仁王門」の左の「狛犬」です、よく見ると、左右とも狛犬の口が開口した阿形(あぎょう)となって珍しいものです。一般的には口を閉じた吽形(うぎょう)と一対をしています。
右のこちらも開口した阿形の「狛犬」です。
「西門」(さいもん)(重要文化財)です。嘉永8年(1631年)再建されたもので、現在立ち入ることは出来ません。
「鐘楼」(重要文化財)です。慶長12年(1607年)再建です。
「本堂」への参道です。
「三重塔」(重要文化財)です。豪華絢爛な建築美をみせている三重塔で、嘉永9年(1632年)に再建されました。内部に大日如来像をお祀りし、三重塔としては、日本最大級の高さ約31mとあり、清水寺のシンボルとして国内外に広く知られています。
「三重塔」の水の神様、火難除けの「龍神の鬼瓦」です。
「随求堂」(ずいぐどう)塔頭慈心院の本堂です。享保3年(1718年)の再建です。衆生の願い、求めに随って叶えてくれるという大随求菩薩をお祀りしています。
「経堂」(きょうどう)(重要文化財)です。嘉永10年(1633年)の再建で、堂内には釈迦三尊像をお祀りしています。
「経堂」と「三重塔」が朝日に美しく映えます。
開山堂(かいさんどう)(重要文化財)です。嘉永10年(1633年)の再建で、謡曲「田村」に謳われている「田村堂」とはこのお堂のことです。 清水寺創建の坂上田村麻呂公夫妻の像などが納められています。
「開山堂」の次は「轟門」ですが、現在解体修理中です。
そして「朝倉堂」(あさくらどう)(重要文化財)となります。朝倉堂は、洛陽三十三所観音霊場第十三番札所です。越前の守護大名朝倉貞景の寄進により、法華三昧堂として永正7年(1510年)に創建され、寛永10年(1633年)に再建されました。堂内には、千手観音ら三尊像がお祀りされています。お堂の東側に、なでると足腰に効くといわれている「仏足石」が置かれていましたが、現在囲いがあって、ご利益を戴くことができません。
「朝倉堂」過ぎると「本堂」、「外陣」と「回廊」となります。
「外陣」の入口左側には「錫杖と高下駄」が据えられています。重さ90キロ以上の大錫杖と、14キロの小錫杖、そして12キロの高下駄です。明治中期吉野で修行した修験者から奉納されたものです。
「本堂外陣」の「出世大黒天像」です。大きな黒頭巾と左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、ニコニコ顔で米俵を踏んでいます。
「本堂外陣」から「舞台」と東山の風景です。
「本堂」(国宝)です。ご本尊十一面千手観音と勝軍地蔵菩薩、毘沙門天をお祀りしています。寛永10年(1633年)に再建され、正面36m強、側面約30m、棟髙18mの大堂です。
「本堂」の「回廊」と「外陣」を見ています。
「清水の舞台」です。昼間の混雑が嘘のような独り占めの早朝の舞台です。錦雲渓の急な崖に、最長約12mの巨大なけやきの柱を並べ、「縣造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。面積は約190㎡、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。ここから東山方面を見ると、解体修理中の「阿弥陀堂」と「奥の院」が見えます。
「舞台」から、西方、京都市内方向を眺めています。
「舞台」から南方向を見ると「子安塔」の鮮やかな朱色が緑の中に映えます。
京都市内も眼下に望めます。
「本堂」を出て、進むと音羽山を背に「地蔵堂」「釈迦堂」「阿弥陀堂」「奥の院」とならんで建っています。「釈迦堂」と「奥の院」は現在解体修理中で立ち入ることは出来ません。この祠は「地蔵堂」です。
「釈迦堂(重要文化財)です。豪雨で倒壊し、昭和47年(1972年)に嘉永8年(1631年)の再建時の姿に復旧されました。釈迦三尊をお祀りしています。
「釈迦堂」から見た「本堂と舞台」です。
「奥の院」からみた「本堂と舞台」です。
「子安塔」から「音羽の滝」へお参りする順路です。
「子安塔」(重要文化財)です。丁度、本堂から真南に相対して建っています。「子安塔」は聖武天皇、孝明皇后の祈願所と伝えられていますが、現在の建物は、明応9年(1500年)のものです。子安観音をお祀りしています。
「泰産寺」です。塔のふもとにあり、塔を守護するための寺院で、洛陽三十三所観音霊場の第十四番札所として信仰を集めています。
「子安塔」から参拝路を降りていくと「音羽の滝」があります。清水寺の開創の起源で、寺名の由来となったのがこの滝です。こんこんと流れ出る清水は、「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、「六根清浄」「所願成就」を祈願するため、常に行列ができる人気の場所ですが、今は静かな一時です。
「音羽の滝」から「舞台」を見上げています。
「舞台」を見上げながら緑濃い順路を仁王門方面へと、もときた場所へと戻ります。見上げると「経堂」や「三重塔」が木の間から見え隠れします。
小振りな庭園も設えてあります。
道標も建っています。ようやく仁王門まで戻ってきました。ここからあまり観光客も立寄らない諸堂に立寄ります。
まず正面山門前参道の左、「大講堂」や「成就院」への参道脇に「善光寺堂」があります。洛陽三十三所観音霊場第十番札所です。鎌倉時代末期作の如意輪観音坐像などがお祀りされています。善光寺堂の右に見えるのが「首ふり地蔵」です。
「首ふり地蔵」です。このお地蔵さまは、首がぐるりと動かせるという珍しいお地蔵さまで、自分が恋い想う人の住む方向に首を向けて、祈願すると想いが叶うといわれています。
「大講堂」です。清水寺開創1200年の記念事業として、昭和59年(1984年)に、観音信仰の道場、国際親善、文化交流の場として建てられました。
「北総門」(重要文化財)です。嘉永8年から16年に再建された、間口4.12mの薬医門です。かっては、塔頭の成就院の正門として使用されていた、重厚な造りの門です。正面に見えるのは、幕末に散った勤王僧 月照・信海両上人と西郷隆盛公の「歌詩碑群」です。
「千体石仏群」です。「成就院」参道の右手に、地蔵菩薩、観音菩薩、阿弥陀如来、大日如来、釈迦如来など、様々な石仏が所狭しと立ち並んでいます。その一体一体に、色とりどりの前垂れが、有志のかたがたによって掛けられています。
「中興堂」です。清水寺の中興開山、大西良慶和上の御霊屋(おたまや)です。良慶和上は、大正3年(1914年)から約70年にわたって清水寺住職を務められて、廃仏毀釈などによって衰退していた清水寺を現在の形に復興され、昭和58年、107歳で天寿を全うされました。その偉業を讃え、平成9年(1997年)に落慶されました。
大西良慶和上の白寿を記念して揮毫していただいた色紙です。
「成就院」(じょうじゅいん)清水寺本坊塔頭です。見事な庭園や、襖絵の数々があることでよく知られています。期間を限って特別公開されます。
(各説明文は清水寺のホームページより引用させていただきました。)