金蔵寺(こんぞうじ)は小塩山(標高642m)の東南斜面の中腹に建立されています。金蔵寺は奈良時代養老2年(718年)隆豊禅師によって開創された天台宗の寺院で、山号は西岩倉山で、応仁の乱以前は、寺中に堂塔伽藍49院の僧坊を擁する大寺でしたが、応仁の乱や永禄の兵火によって殆どの建物が焼失しました。その後、徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院により、幼少時に金蔵寺に寄食した縁で、復興に多大の援助を行いました.現在の本堂はじめ、庫裏、客殿、護摩堂、仁王門、開山堂など現存する建物は貞享4年(1687年)から宝永2年(1705年)の間に再建されたものです。
大原野の田園地帯を、「小塩山」に向けて4キロ程進みます。
車の離合困難なような山道を上っていきます。
「仁王門」です。
立派な「仁王様」が出迎えてくれます。
「仁王門」をくぐり急な石段を上ると「庫裏」や「池」のある広場にでます。
「庫裏」です。訪いを告げても応答もなく、静かな空間がひろがります。
金蔵寺再建の祖、「桂昌院尼公」が生類を憐れみ造成された池があり、例年、放生の会式を勤められました、いつの頃から絶えていましたが、その後、復興し、放生会式が行われています。
「庫裏」を過ぎ、石段を上った高いところに「本堂」があります。ご本尊は「十一面千手千眼観音」です。
歴史を語るような扁額が掲げられています。
静謐という言葉がぴったりの本堂です。
「本堂」からの風景です。
「鐘楼」です。
苔むした石段を上がると「開山堂」です。
本堂奥、山の中腹に「愛宕大権現」がお祀りされています。その「前立尊奉安所」です。
「葉山神社」です。富士浅間大社の「木花咲弥姫大神」を勧請して建立し、桂昌院をも合わせてお祀りしています。
「下の川弁財天」です。
本堂横の「愛宕大権現への鳥居」です。鳥居を潜って長い石段の参道を上がっていきます。
「愛宕大権現」の社殿です。愛宕大権現は廃仏毀釈により愛宕神社の甲冑姿で騎乗する勝軍地蔵が、金蔵寺に移されたものです。
「桂昌院御廟所」です。桂昌院は金蔵寺復興の祖として、その功徳を顕彰してお祀りしています。愛宕大権現の近くにあります。
寺域の一画に見晴らし台が設けてありそこからの眺めは素晴らしいものがあります。
西山連山から長岡方面です。
京都市内からも遠く、このような山中に立派な古刹があることに驚きです。ご住職が一人黙々と、竹箒を手に斜面の多い広い寺域を清掃されている姿を見て、維持管理のご苦労を垣間見る思いでした。
この後、もときた道を灰方まで戻り善峰寺に向かいます。
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