大原野神社に隣接する、「勝持寺」(しょうじじ)で、西行法師の由縁の寺として、古くから染井吉野など100本が咲き乱れ、「花の寺」と通称で呼ばれて有名です。山号は小塩山、ご本尊は薬師如来で、白鳳8年(679年)役小角が、天武天皇の勅により創建したと伝えられています。西国薬師四十九霊場第四十二番札所になっています。
大原野神社の一の鳥居前から、神社の駐車場を過ぎると勝持寺の石柱が建っています。そこを過ぎると右手に表参道があります。
参道には石段がありそこに立派な「仁王門」が建っています。応仁の乱の兵火を免れた、このお寺の最古の建物で一見の価値があります。
「仁王門の扁額」です。
「仁王様」が出迎えてくれます。
参道の途中、左手に「勝持寺子院跡」の「石塁と石垣」が保存されています。室町時代、足利尊氏の帰依により、寺運は特に隆盛となって、現在の勝持寺の周辺には多くの子院(勝持寺に附属する小寺院)が存在したといわれています。外環状道路の建設にあたって発掘調査が実施され、多くの子院跡が確認されました。
少し急な参道を白壁のお寺の塀沿いに進むと「南門」に至ります。
「南門」正門です。
受付を済ませて「書院」の前を通り「中門」を潜り、「阿弥陀堂」へとお参りします。
「狛犬さん」です。阿吽一対の立派な狛犬さんです。
「阿弥陀堂」です。右に「瑠璃光殿」が通路でつながっています。「瑠璃光殿」には多くの重要文化財の「薬師如来像」や「西行法師像」などが安置されています。
境内右にある「不動堂」への石段です。
「不動堂」です。「不動明王、愛染明王」がお祀りされています。弘法大師が、眼病に悩む人のため、不動明王に病魔退散を祈願されたことから、諸病平癒の不動様として信仰を集めています。
「西行桜」です。平安末期、鳥羽院の武士であった佐藤兵衛義清が、このお寺に入って出家し、西行法師となり、ここに草庵を結び、一株の桜を植えて吟愛していました。人々はその桜を「西行桜」と称して、このお寺を花の寺と呼ぶようになりました。謡曲「西行桜」はこのお寺が舞台となっています。
「鐘楼堂」です。
「鏡石」です。西行法師が出家した時、この石を鏡代わりに使い、剃髪したと伝えられています。
「冴野の沼」(姿見池)です。
「桜ケ丘」近くから眺めると、三春川が流れ、石橋が架かって優雅な趣を感じさせます。川は「冴野の沼」に注いでいます。
「魚籃観音」(ぎょちんかんのん)です。西遊記にも出てくる観音様で、持っておられる竹の籃の中に魚が入っています。魚関係の人々の信仰を集めています。
「桜が丘」です。でも、境内全般にもみじが多く、秋の紅葉は素晴らしいと想像できます。
「東門」です。
「東門前」から田園風景と大原野が眺められます。
「花の寺」を出て小塩山の中腹に建っている「金蔵寺」へと向かいます。
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