京都洛西の地、大原野、全国的に有名な筍の産地です。この大原野一帯には多くの社寺が点在しています。まず大原野神社を訪れました。
大原野神社は桓武天皇が奈良から長岡京に遷都された際、氏神春日大社の分霊を祀られたのが始まりで、その後、嘉祥3年(850年)に文徳天皇が春日造りの壮麗な社殿を造営されました。ご祭神は建御賀豆智命、伊波比主命などをお祀りしています。神域は広く8万3千㎡ありますが、内、6万6千㎡は林になっています。境内には鯉沢の池があります。
「一の鳥居」です。
緑が美しい参道の石段を上って行きます。
「二の鳥居」です。
「二の鳥居」を過ぎて尚も参道を進みます。
石灯籠が並び、前方が明るくなり、「三の鳥居」が迎えてくれます。
右に「鯉沢の池」、左に「瀬和井」をやり過ごすと、「中門」が朝日を受けて朱色に映えます。
「中門」の前には狛犬ならぬ「神使(牡鹿)」が本殿をお守りしている。奈良の春日大社を倣ったものと思はれます。
同じく「神使(牝鹿)」が置かれています。
「中門」と奥に「本殿」があります。
「本殿」回廊の左手には「摂社」が三社お祀りされています。
「鯉沢の池」に掛かる赤い木橋を渡ると、「中の島」の中に「地主神社」が祀られています。
「鯉沢の池」です。文徳天皇は壮麗な社殿と共に奈良の「猿沢の池」を模した、鯉沢の池をつくりました。
「スイレン」が見頃を迎えています。
「洗眼桜」(せんがんさくら)と名付けられた、枝垂れ桜で、花が咲くと、千個の目ががあるように見えるところからそう呼ばれています。
「瀬和井」(せがい)清和天皇の産湯の清水と伝えられ、江戸時代、大伴家持も使ったと伝えられています。
境内の一隅に石碑があります。「石碑」の歌は、「植松寿樹」歌集「枯山水}収録の(竹群に降る音ありて更くるるらむ 雪の一夜を来て泊まりたし)
「富小路禎子」は二条家の流れを汲む、歌道の富小路子爵の二女として生まれ、歌の世界に多くの業績を残した人です、石碑は五十代の代表作で(母胎より彼岸に到るここの道 いましばらくの緋なる夕映)
「大原野地域」の特産の竹で制作された「おみくじ掛け」が花が咲いたように見えます、本来は茶筅の形なのですが、ハート型に見えるところから若い女性に人気があるそうです。
大原野神社の向いに正法寺があります。訪れましたが、拝観時間には随分と早過ぎて残念ながら次の機会に委ねました。
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