浄土宗総本山の知恩院は、東山山麓に位置し、広大な寺域に伽藍があります。
その中心的存在で、法然上人の御影をおまつりしている御影堂(みえいどう)が、平成24年より大修理に入っています。
今回、その現場が11月2日、3日と公開されましたので見学してまいりました。
御影堂の建築様式は、唐様を取り入れた和様で、日本で5番目に大きい寺院建築で、大きさは、奥行35メートル、間口45メートル、周囲に幅3mの大外縁を備えています。
現在の建物は、寛永16年(1639年)に再建されたもので、これまでに元禄15年(1702年)と明治43年(1910年)に大修理が行われました。
今回の工事は、解体された材料を出来得るかぎり再利用して、屋根瓦の全面葺替え、腐朽、破損個所の取替えと補修、耐震構造補強などが、8年計画で進められ、平成30年12月に完成予定となっています。
京都府教育委員会が発行する「文化財建造物保存修理」現場公開のパンフレットを転載しています。
知恩院御影堂の概要です。(パンフレットより)
解体される小屋組みの断面図と説明です。(パンフレットより)
解体現場の経過と写真説明です。(パンフレットより)
お堂を覆う、素屋根の前面です。
東西、両本願寺の、御影堂の工事と同じく、鉄骨造で素屋根を東側で組立、順次西へ油圧ジャッキで送込んでいく工法で完成させています。
素屋根の中間部分です。
御影堂前面の屋根部分の全体像です。東より撮っています。
軒先の重量を支える為の、多くの桔木(はねぎ)が見えます。奥には小屋束が立っています。
御影堂西南の屋根隅部分です。
各部材には見学者の為に、名称と簡単な説明がつけられており、行き届いています。
多くの桔木(はねぎ)はテコの原理を利用して、奥深い軒先の重量を支えています。
素屋根は、風雨を避ける為の屋根の部分だけでなく、工事の足場を兼ねており、何層にも設置されて、安全確保の役目を果たしています。
御影堂西南隅より、西側北方を見ています。
軒先から、上部の棟部分を見ています。
大きく反り屋根になっているのが分かります。
隅と、小口裏甲(こぐちうらごう)の部分です。
御影堂西側軒の小口裏甲(こぐちうらごう)の部分です。
素屋根の足場部分です。
人の身長170センチと、小屋束との高さの対比を表しています。
建立当時の桔木(はねぎ)に、明治の修理時に補強したと説明されています。
素屋根の鉄骨柱に、基準点が設置されています。
建物のすべての高さの基準となり、これが狂うと大変な事になります。
小屋組みの番付けと称するもので、すべての部材に書き記されており、この番板を見れば、一目で何処の部材かが分かるようになっています。
蟇股(かえるまた)と呼ばれるもので、普段このような近くで見る事が出来ません。
屈みこんで、覗いていますが、少し暗いのが難です。
彫刻がなされています。
組物(くみもの)と呼ばれるものです、三手先という、格の高い組み方だそうです。
屈みこんで、覗いていますが、ちょっと分かりにくいです。
大小様々な鬼瓦が並べられて、説明文が付されています。
大棟の鬼瓦です。建立当初のものです。
巨大な大きさになりますので、9つの部分に分割して作られています。
据付けの時には、これらを金物でつないで一体化します。
上記の頭部分です。
鉄釘の説明です。和釘は明治以前のものです。
現場で大工さんが材料を刻んでいます。
後ろに立てかけてあるのは、原寸図でしょう。
錺金具の実演をしておられます。
この現場公開に合わせて、左官屋さん、畳屋さんなど関連する職種の方が特別出張して、説明や実演をされていました。
瓦師さんが、瓦の石膏の型板で巴瓦の紋を作成されていました、私も作成させて頂き記念に貰って帰りました。
乾燥した状態ですが、職人さんが作成されたら、もちろん、ひびなどは生じません、念の為。
多くの人々の努力によって、後世に引継ぐべき貴重な文化財が、新たな命を吹きこまれて、どのように大修理が終わるのか、竣工の落慶法要が待たれます。