2014年8月アーカイブ

東山の名刹「建仁寺」

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 建仁寺は臨済宗の大本山で、山号は東山(とうざん)です。
 鎌倉時代の建仁2年(1202年)の開創で当時の年号から寺号としています。
開山は日本に茶の普及と奨励に勤め、茶祖として崇められている栄西禅師で、開基は源頼家です。
 幾多の変遷を経て、天正年間に安国寺恵瓊によって、徳川幕府の庇護のもと再整備されました。その後、明治に入り政府の宗教政策により、臨済宗建仁寺派の大本山なりました。


 パンフレットです。
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 八坂通りに面した「勅使門」です。
 柱や扉に戦乱の矢の痕があることから「矢の根門」または「矢立門」と呼ばれています。
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 勅使門の手前左、土塀に沿っての前庭です。
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 勅使門から見た、三門です。
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 勅使門から一直線に参道が三門に続いています。
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 参道両側には放生池が広がります。
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 名残の蓮が咲いています。
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 三門です。
 大正12年、静岡県の安寧寺から移築されたもので、御所を望む楼閣という意味で「望闊樓」と名づけられています。
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 三門を過ぎると法堂(はっとう)です。
 明和2年(1765年)の建立で、仏殿兼用の五間四間の風格のある仏殿建築です。
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 法堂には、本尊釈迦如来像が祀られています。
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 仏殿天井一面に、平成14年(2002年)創建800年を記念して、小泉淳画伯の双龍図が描かれています。
 ダイナミックな圧倒されるような迫力が身を包みます。
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 方丈です。
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 本坊です。
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 本坊を入ると、まず目に入るのが、有名な俵屋宗達の国宝「風神雷神図」です。
 但し、高精細な複製品で、原本は京都国立博物館に寄託されています。
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 方丈 礼の間 重文 雲龍図 襖 海北友松(かいほうゆうしょう) 筆 (高精細な複製品です)
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 方丈 重文 竹林七賢図 海北友松 筆 (高精細な複製品です)
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 方丈 衣鉢の間 重文 琴棋書画図襖 海北友松 筆 (高精細な複製品です)
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 唐子遊戯図 田村月樵 筆
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 方丈 書院の間 重文花鳥図襖 海北友松 筆 (高精細な複製品です)
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 方丈より前庭、大雄苑(だいおうえん)を通して法堂を見ています。
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 枯山水様式の大雄苑です。
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 方丈前庭の大雄苑です。
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 巧みな石の配置に気持ちに落着きを感じさせてくれます。
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白砂に緑、石の大小と樹木に密やかに建てられた石塔、此岸と彼岸を思わせてくれます。
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 納骨堂です。
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 本坊中庭にある潮音庭です。
 中央に石、廻りを紅葉を配した禅庭です。
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 田村月樵遺愛の大硯です。
 大海原に蛙が一匹進もうとしています。
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 東陽坊 草庵式二帖台目席です。
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 躙口から見た内部です。
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 乃庭です。
 単純な空間の中に禅宗の四大思想(地水火風)を現したものと言われています。
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 浴室です。
 寛永5年1628年に建立された。七堂伽藍の一つで待合、浴室、土間に分かれているそうで、蒸し風呂になっています、厳しい作法があるそうです。
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 陀羅尼の鐘
 修業僧が寝につく亥の刻に、観音慈救陀羅尼を唱えながら撞くことから、この名があります。
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 開山堂です。旧名護国院といい、栄西禅師の墓所です。
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 栄西禅師の顕彰碑です。
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 茶碑です。後方は平成の茶園です。
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 寺域の東側、両足院など塔頭への道です。
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 寺域の西側、土塀の続き、塔頭が建ち並んでいます。
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 大和大路通りに面した西門です。
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 方丈よりの帰途、花見小路通りへ出る北門へのの参道です。
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 一番多く利用されている、祇園花街からの出入口北門です。
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 門を出ると、弥栄会館から北方、四条通りへと花見小路通りの花街の落ち着いた佇まいが続いています。
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「大覚寺」の宵弘法

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 大文字など、五山の送り火も無事に終わり、京都のお盆行事の締めくくりとして、雲ケ畑、広河原の松上げや、化野念仏寺の千灯供養と共に、嵯峨の送り火として、大覚寺の宵弘法が行われます。
 大覚寺の宵弘法とは、弘法大師が除災招福を祈念し、毎年1回執り行われる大切な法会です。
 夏の風物詩でもあるこの行事には、多くのお参りの方が訪れて、ご先祖さんを偲ぶと共に家内安全を願い、往く夏を惜しみます。


 当日の案内板です。
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 行事は、寺域の東側の大沢池畔を中心に執り行われます。
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 大沢池の石碑が立っています。
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 時間の余裕もあるので、薄暮の境内を拝観してきました。
 石舞台前から見る唐門(勅使門)です。
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 御影堂にお参りし、外陣から、石舞台と唐門を見ています。
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  御影堂です。
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  御影堂や宸殿等を往き来する、廻廊が連なっています。
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 御影堂から五大堂を見ています。
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  伽藍の周囲は庭園で囲まれています。
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 唐門、石舞台、御影堂と一直線に位置する「勅封心経殿」です。
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 中庭を通して、霊明殿を見ています。
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 宸殿と御影堂を結ぶ廻廊です。
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 この大覚寺には多くの障壁画があります。
 宸殿 「鶴の間」です。
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 宸殿 紅白梅図 狩野山楽筆 重要文化財 桃山時代
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 紅白梅図 狩野山楽筆 重要文化財 桃山時代
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 紅白梅図 狩野山楽筆 重要文化財 桃山時代
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 障子の腰板にも繊細な兎図が。
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 正寝殿です。
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 午後7時近くになって、辺りにたそがれが迫ってきました。
 石舞台と御影堂です。
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 石舞台に供えられたお参りの方の献灯です。
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 大沢池に迫り出して祭壇などが作られて、送り火法要の準備が整っています。
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 法要を営まれる僧侶たちの行列が、静々と宸殿前を進んできました。
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 僧侶の皆さんでの御影堂に拝して、読経が始まりました。
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 送り火法要の祭壇に向かわれています。
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 読経が始まりました。
 和船が池の上に設けられた、お護摩祈願の送り火に点火されますと、炎と煙が池面を明るく照らし敬虔な祈りが捧げられています。
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 大きな炎が火の粉とともに、夜空に舞い上ります。
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 送り火が徐々に小さくなり、辺りに静寂が戻ってきます。
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 送り火点火に先立ち、和船による「流し火供養」が始まります。
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 色とりどりの多くの送り火行灯が、池面をゆらりゆらりと漂っています。
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 幻想的な感動を与えてくれます。
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 お参りの人々が、三々五々家路を急ぐころ、大沢池の辺りにも静寂が戻って、秋の気配が濃厚な涼しい風が水面を渡ってきました。
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 この日、福知山や兵庫丹後、そして広島の土砂災害の被害の実情が報道されて、その被害の甚大さに驚くと共に、一日も早く元の生活に戻られる事を願い、また多くの亡くなられた方のご冥福を改めて心からお祈りします。




「お東さん」「東本願寺さん」と親しく呼ばれている東本願寺、正式には「真宗本廟」と言いますが、京都駅を降り立つと、その大きな伽藍が目の前に広がります。
 ただ、この10年ほど、宗祖親鸞上人、七百五十回御遠忌記念事業として、平成の大修理が順次行われていて、その大きな伽藍を工事用の素屋根が覆っていて、全容を見ることが出来ないのが残念です。
 平成16年(2004年)に始まった御影堂の大掛かりな修復も、平成21年(2008年)に無事完成し、再びその美しい姿を現しています。
 そして翌年、引き続き阿弥陀堂と御影堂門の修復が始まり、来年平成27年(2015年)には完成する予定です。
 過日、御影堂の屋根の修復現場を見せていただきました。


 修復工事のパンフレットです。
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 烏丸通りに面した、阿弥陀堂門です。
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 阿弥陀堂門を入ると、目の前に阿弥陀堂を覆う、工事用の素屋根が大きく広がります。
 この素屋根は、北側に位置した御影堂工事の素屋根を終了後、そのまま南方向にスライドして、御影堂に再利用しています。
 素屋根は、間口92メートル、奥行79メートル、高さ51メートルという巨大なものです。
 環境への配慮から、雨水の再利用、太陽光パネルの設置などの工夫を凝らしてあります。
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 階段を上がると、素屋根一階部分となります。
 仮設の工事用の素屋根は、工事が完成すれば不要となるものですが、長期に亘る工事中の建物を保護、風雨、塵埃、騒音を防ぐ事はもちろん、工事の安全を守るために不可欠なもので、多額の費用を掛けた大規模な構造に驚きます。
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 工事用出入口のある、素屋根南側全景です。
 左側には工事用資材などが整理されて置かれています。
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 エレベーターで3階まで上がると広々とした空間になり、見学者が自由にそこから工事を見ることができます。
 御影堂に比べて、阿弥陀堂は小さいので、工事用のスペースもゆったりした感じがします。
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 既に屋根の瓦葺きも大半が終わり、大棟の工事中のようです。
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 破風周りの工事が行われています。
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 錺金物などが光っています。
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 2階では多くの工事従事者が働いています。
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 3階の窓から西山方面を眺めると、堀川通りに面した、西本願寺の伽藍が見えます。
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 素屋根3階のテラスに出ると、完成した御影堂の屋根部分が目の前に広がります。
 古い瓦で再利用出来るものは、雨があまり当たらないような場所に使用し、また粉末にして、新調瓦に混入したりして、出来るだけ廃棄処分を少なくするよう、心掛けておられるそうです。
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 反り屋根の流れが美しく見る事ができます。
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 降り棟、隅棟、と美しい流れが見られます。
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 降り棟の正面の獅子口も美しいです。
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流れるように降り棟から、隅棟、稚児棟と治まって、屋根の美しさを改めて感じることが出来ます。
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 破風部分です。
 破風板や懸魚には錺金物が美しく映えます。 
 この錺金物は、取外して再利用出来るものは、錆を落とし、金箔を張替えて美しい輝きを取戻し取付けてあります。
 このような機会でしか破風廻りなど、近くから見ることができません。
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 拡大して見ています。
 大棟獅子口と隅巴瓦、そして破風部分と手の込んだ仕上がりです。
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 大棟の実物の大きさの展示です。
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 「毛綱」が展示されています。
 明治13年(1880年) 御影堂、阿弥陀堂の再建工事は難渋を極め、用材を引く綱が切れたりしました、その時、多くの女性の髪の毛と、麻を撚り合わせて編まれたのがこの毛綱です。
 両堂、再建への熱い想いと、多くの人々の無償の働きによって、再建されたもので、その記念として展示してあります。
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 東本願寺撞鐘(梵鐘)が展示してあります。
 慶長7年(1602年)徳川家康から寺地の寄進を得た教如上人が、同9年(1604年)9月の御影堂の造営に合わせて鋳造したものです。
 高さ256センチ、口径156センチ、重量3800キロです。
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 中央「池の間」には、飛天の図柄が見られます。
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 梵鐘を吊下げる竜頭部分です。
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 本願寺と彫込まれた、古い瓦が工事現場の隅に集積されていました。
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 素屋根1階から、御影堂門の素屋根が眺められます。
 阿弥陀堂と共に、来年度はその美しい姿を再び見せてくれることでしょう。
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 完成なった、美しい「御影堂」全景です。
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 御影堂の廻廊です。
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 御影堂
 世界最大の木造建築で、宗祖親鸞上人の御真影が安置されているところから、御影堂と呼ばれています。
 正面高さ76m、側面高さ58m、高さ38m、瓦数175.967枚、畳数927枚です。

 阿弥陀堂
 ご本尊阿弥陀如来を中心に、その左右に聖徳太子をはじめ、七高僧の御影がおかれています。
 正面高さ52m、側面高さ47m、高さ29m、瓦数108.392枚、畳数401枚です。 
                                  (パンフレットより転載しました)

京の「六道まいり」

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  京都のお盆行事の一つ、六道まいり。
 「六道さん」と親しまれ、呼ばれている建仁寺の塔頭で「六道珍皇寺」(ろくどうちんのうじ)で迎え鐘を撞いて、先祖の精霊をこの世に呼び戻すために多くの参拝者が訪れます。
 創建は明らかではありませんが、平安、鎌倉時代には隆盛を極めましたが、その後衰退し、室町前期の正平年間に、建仁寺の僧良聡によって再興され臨済宗になりました。
 

 六道まいりのお知らせポスターです。
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 松原通りに面した、山門です。
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 「六道の辻」の石碑です。
 この付近は、かって死者を鳥辺野へ葬送する際の野辺送りの場所で「六道の辻」と呼ばれ、この世とあの世の境といわれていました。

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 山門をくぐり、参道を進むと寺域が広がります。
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 「薬師堂」です。
 ご本尊の薬師如来像(重要文化財)が安置されています。
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 「閻魔堂」です。
 小野篁作といわれる「閻魔大王像」と「小野篁像」が祀られています。
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 「本堂」です。
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 六道の辻中心付近に建つ「三界萬霊供養塔」です。
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 「迎え鐘」鐘楼です。
 盂蘭盆に、精霊を迎えるために撞くので迎え鐘といいます。
 綱の先には冥土、その綱を引けば、鐘の音が響き、はるか彼方のあの世にまで届くという、まだひき綱は出ておりません。
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 午前6時前、すでに多くの参拝者が列を成しています。
 ご住職による読経が始まり、その後に続いて順番に迎え鐘を撞いてお参りします
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 境内には多くの石地蔵があり、賽の河原と呼ばれる場所で水回向を行います。
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 多くの地蔵さんを見て、地蔵信仰の深さを感じます。
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 東門です。
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 六道珍皇寺
 京都市東山区松原通東大路西入る北側





  京都真夏の風物詩「京の七夕」が今年も堀川会場と、鴨川会場に分かれて、趣向を凝らして催されました。
 昨年、堀川会場を訪れましたので、今年は鴨川会場を散策してきました。


 鴨川会場案内パンフレットです。
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 三条大橋の上から、暮れなずむ会場を眺めています。
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 会場は、鴨川畔の御池大橋から四条大橋の堤防上の散策路とみそそぎ川です。
 左は鴨川の流れ、中央が散策路、そして右はみそそぎ川です。
 ご存知のようにみそそぎ川の上には、先斗町沿いのお茶屋さんや飲食店などが納涼床を出しています。
その床にも、七夕飾りが散策路沿いに飾られています。
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 行灯が頭上高く掲げられて、人々を誘っています。
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 七夕飾りが鴨川の川風に涼しげに揺れています。
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 遠くに鴨川を隔てて南座が見えます。
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 みそそぎ川の納涼床にも七夕飾りが取付けられています。
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 みそそぎ川に七夕飾りを映し出しています。
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 みそそぎ川にステージを作り、西陣織や友禅など、京都の伝統工芸を使った七夕飾りを演出しています。
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 一方、鴨川の向い岸(左岸)の護岸を利用しての、プロジェクションマッピングが実施されています。
 七夕に因んで、織り姫と彦星のお話です。
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 左岸の明るさが、ちょっと邪魔して、映像が鮮明でなかったのが残念でしたが。
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 みそそぎ川「光の展示」です。水中にLEDポールを敷設し、色彩豊かに点滅する、光のオブジェです。
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 光のオブジェに、水面が揺れます。
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 御池大橋近くの「風鈴灯」です。
 竹かごの中に、京焼、清水焼、の風鈴を入れて、LEDの灯をともし、ほのぼのとした、和らぎと暖かさを
醸し出しています。
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京の「六地蔵めぐり」

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 京の六地蔵巡りは、毎年8月22日、23日の両日に、京への出入口となる、古い街道筋六ヶ所にあるお地蔵さんを巡拝して、厄除祈願、家内安全、無病息災をお願いする古くからの伝統行事で、多くの人々で賑わいます。
 駒形高札によると、六体のお地蔵さんは、平安時代の初期、小野篁が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵菩薩に出会って蘇った後、一本の大木から作った六体の地蔵菩薩を、伏見の六地蔵、大善寺に祀られましたが、保元2年、平清盛により、京への主要街道に地蔵堂を建立し(奈良街道、大善寺)(西国街道、浄禅寺)(山陰街道、地蔵寺))(周山街道、源光寺))(鞍馬口街道、上善寺)(東海道、徳林庵)それぞれに一体づつお祀りしたことから、六地蔵めぐりが始まったとされています。
 また、この時期、京都市内の各町内では、お地蔵さんをお祀りして、「地蔵盆」が行われて、子供達の無病息災と家内安全をお祈りします。
 8月22日に先立って六地蔵巡りをしてきました。


  大善寺  伏見区桃山町西町24
 伏見地蔵とも呼ばれています。六地蔵めぐり第一番札所です。
 大善寺は浄土宗の寺院で、六地蔵の名で親しまれています。
 慶雲2年(705年)に藤原鎌足の子、定慧によって創建されたと伝えられています。
 小野篁の六体の地蔵が、最初に祀られていたので六地蔵の名前がつきました。


 宇治を経て、奈良街道に向かう道筋にある山門脇の由緒書きの銘板などです。
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 「地蔵堂」への山門です。
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 「観音堂」です。
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 「本堂」です。阿弥陀如来像が安置されています。
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 「地蔵堂」です。地蔵菩薩がお祀りされています。
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 徳川二代将軍秀忠の娘、東福門院が、安産祈願成就の礼として寄進した「鐘楼」です。
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 「臥龍の松」の碑です。
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 浄禅寺 南区上鳥羽岩丿本町93
 京洛六地蔵巡り第二番札所で、旧の西国街道沿いに建っています。
 山号は恵光山で、浄土宗西山禅林寺派のお寺です。
 寿永元年(1182年)文覚上人の開基で、本堂には、本尊阿弥陀如来像が安置され、観音堂には十一面観音立像が祀られています。
 また地蔵堂に、地蔵菩薩が祀られて鳥羽地蔵と親しまれています。
 袈裟御前の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があることから恋塚浄禅寺ともいわれます。


 「山門」です。
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 地蔵堂への入口です。
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 「地蔵堂」です。六体地蔵菩薩の内の一体が祀られています。
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 「観音堂」です。十一面観音立像が祀られています。
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 「本堂」です。阿弥陀如来立像が安置されています。
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 「恋塚浄禅寺」の駒形高札と石碑です。
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 地蔵寺(桂地蔵寺) 西京区桂春日町9
 地蔵寺は浄土宗のお寺で、京洛六地蔵巡り第三番札所です。
 ご本尊は地蔵菩薩です。この地蔵菩薩は一本の木で六体彫られた内の最下部をもって刻まれたもので、姉井菩薩と呼ばれています。


 「山門」横の駒形高札と石碑です。
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 「山門」です。
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 「本堂」です。
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 「水子供養塔」です。
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 「六体地蔵菩薩」が祀られています。
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 源光寺(常磐地蔵) 右京区常磐馬塚町1
 平安時代の末期に、常磐御前により創建されたと伝えられています。
 地蔵堂に納めれている地蔵菩薩像は、常磐谷(ときわだに)地蔵と呼ばれ、上善寺の姉子地蔵に対して、乙子(おとご)地蔵とも呼ばれています。


 「山門」です。
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 「地蔵堂」です。
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 「観世音菩薩像」です。
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 上善寺 北区鞍馬口通寺町東入る上善寺門前町
 上善寺は浄土宗のお寺で、山号は千松山遍照院です。
 僧円仁により天台密教の道場として、千本今出川に創建されましたが、その後の変遷を経て、文禄三年(1594年)現在の地に寺域を移して、浄土宗に改められました。
 地蔵堂に安置されています地蔵菩薩は、鞍馬口地蔵、深泥池地蔵、姉子の地蔵などの愛称で親しまれています。京洛地蔵巡り第五番札所です。


 鞍馬口通りに面した「山門」です。
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 「本堂で」す。ご本尊は阿弥陀仏坐像で、行基作と伝えられています。
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 「地蔵堂」です。安置されている地蔵菩薩は、洛北の深泥池ほとりより移されたものです。
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 一隅にたくさんのお地蔵さんが集められて、お祀りされています。
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 徳林庵 山科区四ノ宮泉水町16
 室町時代、天文年間(1550年)頃に雲英禅師によって創建されました。山号を柳谷山と言います。
 ご本尊は、地蔵菩薩です。通称を山科地蔵とか、四ノ宮地蔵とかいわれています。
 京洛地蔵巡り第六番札所で、旧の東海道沿いにあります。
 また、琵琶法師の祖、蝉丸ゆかりのお寺です。


 伏見六地蔵の石碑が据えられています。
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 「地蔵堂」への玄関屋形と左に井戸があります。
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 地蔵堂の前の手の込んだ屋形です。
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 「地蔵堂」です。
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 東海道の街道を往き来する人々の賑わいを、彷彿とさせる井戸の石組です。
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 可愛い童子のお地蔵さんです。
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 人康親王 蝉丸 供養塔です。
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観蓮会の「法金剛院」

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  法金剛院(ほうこんごういん)は律宗のお寺で、五位山 法金剛院といいます。
 平安時代の始め、右大臣清原の夏野が山荘を建て、死後、双岡寺といわれました、その後の変遷を経て、平安時代の末、大治5年(1130年)待賢門院が法金剛院とされたされています。
 本尊は阿弥陀如来(重要文化財)でその他、地蔵菩薩など多くの重要文化財の仏さまをお祀りしています。
 また待賢門院が極楽浄土として造園させた、特別名勝の池泉廻遊式庭園が四季折々美しい姿をみせ、特に「蓮の寺」として今の時期、観蓮会が催され、苑池に清楚で華麗な花が咲き乱れ、関西花の寺第十三番霊場として有名です。
 昨年に引続いて今年も訪れてきました。


 拝観者のためのパンフレットです。
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 丸太町通りに面した表門です。
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 表門を入って、左右に広がる中庭を眺めながら石畳の参道を進むと、中門になります。
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 中門を入ると、右に大きな庭園が広がり、中央の苑池には蓮が池面一杯に広がっています。
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 唐破風の玄関が池に向ってあります。
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 その右に礼堂があります。
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 礼堂の広い縁から、庭を眺めることができます。
 この奥に、仏殿があり、ご本尊の阿弥陀如来が祀られています。
 平等院、法界寺、と共に「三阿弥陀」といわれた、藤原仏を代表するといわれる素晴らしい仏像群がお祀りされていて、つい花に目が奪われそうですが仏さまの素晴らしさを改めて感じました。
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 「蓮の花」のいろいろです。
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 わずかに見える池面から、鯉が姿を見せています。
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 特別名勝「青女の滝」です。
 僧、林賢と静意の作で、平安時代の遺構がそのまま残っている貴重なものといわれています。
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 待賢門院堀河の歌碑が立てられています。
 平安時代後期の歌人で、女房三十六歌仙の一人で、小倉百人一首でお馴染です。
 (なかからむ心もしらす黒髪の乱てけさは物をこそおもへ)
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 庭の一隅に「仏足石」が置かれていました。
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 石仏が一所にお祀りされていました。
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 この地から発掘されたのでしょうか、石仏が置かれています。
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