これまで今出川通りから、二条通りまで歩いてきました。
続いて三条通りまで、歩いて行きます。
寺町通り二条から南方向を見ています。三条通りに向かって下って行きます。
寺町二条、東南角の八百卯です。1879年(明治12年)創業のお店、
梶井基次郎の「檸檬」で一躍名を知られるようになりました。
子供の時は、只の果物屋さんと思っていました。僕より少し若い息子さんが後を継いでおられれましたが、残念ながらお亡くなりになられ、閉店されてしまいました。
壁に取付けられた八百卯の小さい看板だけがその存在を教えています。古風な昔のお店が懐かしいです。
精華堂です。1838年(天保9年)創業です。錫器、銀器、など金属工芸品の専門店の老舗で
現存する日本最古の錫工房と言われています。
店舗のしつらえを見ても風格を感じさせてくれます。
すぐそばの富屋商店です。昭和の初めの創業ですが、当時としては珍しかった輸入酒や輸入食品を取り扱う店として知られ、現在に至っています。
落着いた雰囲気が良いですね。
芸艸堂(うんそうどう)です。1891年(明治24年)創業の美術出版社です。
現在、日本で唯一の手摺木版本を出版しておられます。屋号は富岡鉄斎の縁から芸艸堂と名付けられました。
富屋さんの向かい、東側に京都市のこの通りにそぐわない風景の駐輪場があります。
この場所には1583年(天正11年)より、400年あまり「妙満寺さん」と近隣に呼び親しまれた「妙満寺」がありましたが、1968年(昭和43年)岩倉幡枝町に移転して、現在の殺風景な風景となりましたが、「妙満寺前町」という地名だけが未だに健在です。
御池通りにやって来ました。
寺町通り御池、東北角です。京都市役所があります。
市役所前の広場です。
「京都市役所」の全景です、正面は御池通りに面し、建物の東端は河原町通りに面しています。
近年、老朽化と効率の悪さから、京都市南部に移転か、もしくは現地建替か、補修かと話題に上りますが、結論は中々出そうにありません。
御池通りです。西方向を見ています。戦争中の防災上の強制立退きで多くの立派な町屋や商家が取壊されました。
戦後、廃虚の中に東洞院通りに、時事通信社の鉄筋の建物がぽつんと取残されていたのが未だに瞼に残っています。
現在は道路の要として、同じ強制疎開の堀川通りと共にその中心になっています。
同じく寺町御池から東方向、鴨川方向を見ています。
寺町通り御池の北端から、中央に三条通りへの入口アーチを見ています。
この左の南東角に、ニュース専門の映画館があったと記憶していますが、曖昧な記憶で申し訳ありません。
三条通りへ行くアーケードの商店街です。
寺町御池の南西角の、代表銘菓「御池せんべい」でお馴染の「亀屋良永」です。
1832年(天保3年)の創業です。
「竹苞楼」(ちくほうろう)です。
寛永年間、創業の和本、古典籍など扱う、全国的に名の知れた古書店です。
開店前ですが、入口の左右にあるのは、古くからある京町屋の「ばったり床几」で、これを前に落とすと足が出て商品台になり、その上に書籍を並べるという、昔の商いそのままの姿を見る事ができます。
竹苞楼の前に「本能寺」があります。法華宗本門流の大本山です。
「本能寺の変」で知られる信長が自刃した1582年(天正10年)当時は別の場所で、1951年(天正19年)豊臣秀吉により現在地に移転させられましたが、現在の京都市役所を含む広大な土地であったようです。
コンクリートの建物に囲まれた現在は、往時の姿を求める雰囲気には少し欠けるようです。
(本能寺址の石碑が現在地より南西方向の中京区蛸薬師小川通りの西南角に建っています)
「本堂」です。
「織田信長公」のお墓です。
塔頭が7院、南側に並んでいます。
「鳩居堂」(きゅうきょどう)です。1663年(寛文3年)創業です。本能寺から少し下った西側、姉小路、角にあります。
創業は薬種商でしたが、その後、文人墨客の求めにより、書画用文具を始め、「日本の伝統文化を守り育てる」を社是に、関連する商品の開発、販売をしておられます。
「天性寺」(てんしょうじ)正式には(曼荼羅山當麻院天性寺)
1577年(天正5年)の創建です。
昔は「早起き会」の集まりが行われていましたが、今はどうなっているのでしょう。
「とり市老舗」 京野菜など、京都の四季の味を取扱うお店です。
例年、春の筍、秋の松茸など、このお店の取材記事が新聞紙面を賑わせます。
「矢田寺」です。 本能寺とおなじ時期に壬生から現在地に移されました。
「代受苦地蔵」が祀られ、人々の苦しみを替わって受けて下さると、多くの人々の信仰を集めてお参りの人が絶えません。新京極の繁華街の入口近くにあります。
「三嶋亭」 創業明治6年のすき焼きの老舗です。寺町通り三条の東南角にあります。
日本のすき焼き店の草分けとして、日本中にその名を知られています。
このお店のお肉を買い求める為、年末など長蛇の列となります。
寺町通りを今出川通りから三条通りまで歩いてきました。
三条通りは繁華街の一角となり、東へ10m程で昔からの盛り場である新京極の入口となります。
そのまま東へ歩いていけば河原町通りを越えて三条大橋に出ます。
適当に取捨選択し、ぶらぶら、歩きながら、時間に合わせて楽しんで下さい。
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