上賀茂神社(かみがもじんじゃ)正式名称 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)です。
京都市の北方にあり、世界遺産「古都京都の文化財」の一つとして登録されています。
古代山城の豪族、賀茂氏の氏神と知られ。下鴨神社、両社との祭事である賀茂祭(通称葵祭)は、京都三大祭りの一つとして有名です。
境内図です。神社のパンフレットより転載しました。
「一の鳥居」です。
参道です。左右には、広大な開放的な芝生の敷地で、競馬(くらべうま)の神事などが行われます。
二の鳥居に向かって、小川を渡って行きます。
「神馬舎」白馬が繋がれていました。
「二の鳥居」です。
「手水舎」 水は神社の御祭神、「賀茂雷大神」が降臨された神山(こうやま)の
くぐり水を汲み上げたものです。
「細殿」 重要文化財
皇族方や、斎王がお使いになります。前の円錐形に形造られた砂は、立砂「たてずな」と呼ばれ、神代の昔、神様が御降臨された神社の北方にある、神山を模して作られました。
「楼門」です。鮮やかな朱塗りの橋と楼門が、目に入ってきます。
「本殿」 国宝です。 現在修復中です。
「土屋」 重要文化財 祓所として用いられています。
外幣殿(御所屋)重要文化財 法皇、上皇等の行幸の際に使用します。また競馬会神事、葵祭などにも使用されます。
「北神餞所」(庁屋)重要文化財 五月競馬会神事、また能舞台として使用されています。
「片山御子神社」(片岡社)は賀茂雷大神の母君「玉依比売命」を祀った社です。
古来から、縁結びの神様として信仰を集めています。
「社務所」です。
広大な芝生の敷地です。5月5日、競馬会神事や、10月笠懸神事が行われるところです。
森が神域を包み込み、その中に多くの摂社や、末社が点在します。自然と安らぎを与えてくれる空間です。
賀茂の森の中に、清麗な小川が流れ、歴史を刻んだ石橋が掛かっています。
ひっそりと佇む「岩本神社」です。
「渉渓園」 古くは龍の住む池があったと伝えられる場所です。
「重陽神事」 9月9日は九という陽の数字が重なる事から重陽といい、災厄を祓って無病息災を祈願します。
重陽神事の後、烏相撲(からすずもう)の神事が続きます。神社御祭神の外祖父「賀茂建角身命」が神武天皇が東征の際に、八咫烏となって先導されたという故事が伝えられ、鳥との結びつきが深いところからの奉納神事です。
前日には「烏相撲打取式」も行われ、当日に備えます。
烏相撲は、刀祢(とね)と呼ばれる役が烏の鳴き声を真似て問答をしたり、人に聞こえないように口の中でぶつぶつと祭文を唱えるなど、ユーモラスな神事について、神官が説明される度に、笑い声が辺りを包みます。
その後、細殿で斎王代が見守る中、子供達による相撲の取組みが行われます。
「重陽の神事」が終わり、細殿に向かわれる斎王代。
「細殿」立砂の前の土俵にて、烏相撲の奉納神事が行われます。
禰宜方(ねぎかた)、祝方(ほうりかた)に分かれ、子供たちによる相撲が、細殿前にて行われます。
子供達の真剣な取組みに、拍手が送られます。
「社家」(国の重要伝統的建造物群保存地区) 上賀茂神社を出て、東に向かうと、江戸時代には、上賀茂神社の神官たちの社家と称された屋敷町があります。
昔の面影をそのまま残していて、前を流れる明神川と、土塀、庭の樹木、遠くの山並みとが一体となって、美しい景観を見せています。
江戸時代にタイムスリップした思いがします。
<メモ> 交通・アクセス 上賀茂神社案内パンフレットより。
公共交通機関の場合、京都駅、地下鉄烏丸線北大路駅等より市バスがいます。
お車ご利用の場合、名神高速道路京都南インターより約40分。京都駅より約30分。堀川御池より約20分となっています。
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