彦根の城下の外れ、佐和山山麓に彦根由縁の社寺が集まっています。清涼寺、龍潭寺、井伊神社、そして大洞弁財天です。あまり観光客も立寄らなく、人気のない静かな山裾にひっそりと佇んでいるという趣があります。
1)清涼寺
清涼寺です。曹洞宗の禅寺で、代々彦根藩主を務めた井伊家の菩提寺です。近江湖東二十七名刹霊場第3番札所、びわ湖百八霊場56番札所です。
山門までの広い大らかな感じのする参道です。修業道場として名高く表には「参禅道場」の大きな石柱が建てられています。
「山門」です。
「本堂」です。
「参禅道場」です。
「客殿」です。豪華な造りに圧倒されます。唐破風の玄関屋根が見事です。
けやきの太い丸柱は見事なもので、一見の価値があります。
天井も折り上げの格天井で細工が美しく、彫り物も見事なものでした。
2)龍潭寺
清涼寺に隣接する「龍潭寺」(りょうたんじ)です。臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は弘徳山、ご本尊は釈迦如来です。龍潭寺は天平5年(734年)行基により遠江国に開祖されましたが、慶長7年(1602年)より昊天禅師によって、遠江国から移され、諸堂が完成したのは(1617年)で15年の歳月を経ました。 元和3年、初代藩主井伊直政の建立による禅僧の研修道場があり、井伊氏の始祖藤原共保以来の井伊家の菩提寺で、井伊家と深い繋がりのあるお寺です。
「参道」です。
参道を進むと石段の向こうに「山門」が待っています。
辺りの緑に山門が映えます。紅葉の頃は素晴らしい眺めでしょう。
本堂へと続く広い庭が静かに招いてくれます。
途中には「仏足石」も据えられています。
藍渓和尚伝来の「七福神」です。
「大洞観音堂」です。ご本尊楊柳観世音菩薩が祀られています。
参道脇に「石田光成の銅像」が建てられています。
3)井伊神社
井伊神社です。天保13年(1842年)彦根藩12代藩主井伊直亮が、井伊家の始祖井伊共保の750回忌にあたり、伊井谷(現静岡県)から井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのがはじめとされています。また彦根藩初代藩主直政・2代藩主直孝も祀られています。現在は、風化による傷みが激しいため覆いをしており、中を拝観することは出来ません。(彦根観光協会資料より)
「大鳥居」と参道です。
木々の生い茂った長い参道が続きます。
苔むした石段が歴史を感じさせてくれます。
新しく2013年に建立された簡素な「社殿」です。
弘化2年(1845年)に建立された社殿は傷みが激しく、覆いがされて、廻りは金網も張られて、立ち入ることはできません。金網の隙間から、正面を撮ったものです、極彩色の組物や彫物など豪華絢爛さを垣間見る事ができます。
「淡海の巨木・名木次世代継承事業に認定」されているしだれ桜です。太い幹と枝振りから、開花の時期は素晴らしい眺めと思はれます。右は囲われた旧社殿です。
辺り一面彼岸花が咲き乱れていました。
4)大洞弁財天 長寿院
大洞弁財天、長寿院です。大洞山の中腹にある真言宗醍醐派の寺院です。第4代藩主井伊直興が、表鬼門に当たるところから、厄除と城を守る事から、日光東照宮を修造した大工を使って建てたもので、権現造りの優美な本堂は、彦根日光とも呼ばれます。正式に長寿院ですが、日本三大弁財天の一つ「弁財天坐像」(近江七福神)をお祀りしているところから、大洞弁財天と親しまれています。近江湖東二十七名刹霊場1番札所、びわ湖百八霊場54番札所です。
東海道本線、線路脇の「子安地蔵尊」の祠の横から始まる参道の石段です。
「山門」です。
山門をくぐると、楼門が見えます。二天門といいます。一見の価値ある楼門です。
「毘沙門天坐像」。楼門に安置されています。
「堅牢地神坐像」。楼門に安置されています。
楼門の内側には「白狐」が左右に控えています。楼上には「大黒天像四千体」が安置されているそうです。
「宝蔵」です。校倉造りで宝物が所蔵されています。
弁財天をお祀りする、「弁財天堂」(重要文化財)です。元禄9年(1696年)に建立されています。
境内より見た楼門です。
「阿弥陀堂」です。阿弥陀如来(恵心作)と大日如来(増長作)釈迦如来(弘法作)が安置されています。
「阿弥陀堂です」。石段下から見上げたところです。
「経蔵」です。少し下った外れた場所にあります。
井伊神社横からの裏参道です。