琳派の祖、本阿弥光悦が光悦村を拓いた京都洛北鷹峯に、広大な敷地を構える「しょうざん」。その庭園と「峰玉亭」が「京の夏の旅」で特別公開されている機会に訪れてまいりました。
この「しょうざん」は、西陣に生まれ、戦後ウールお召しで財を成した松山政雄さんが、着物文化と京の食文化を広めるために築き上げられたものです。
パンフレットです。
このしょうざんには、北庭と南庭がありますが、今回は北庭を拝見してきました。
北庭の入口「福徳門」です
門を潜ると、2万5千坪と言われる広大な庭が眼前に広がります。
回遊式庭園をしばらく進むと、左に峰玉亭への小道があり、玄関に至ります。
この峰玉亭は、全国の取引先の迎賓館を目的に数寄屋造りの贅を凝らして建てられたものですが、その完成を見ずに松山政雄さんは故人となられたそうです。
玄関です。
玄関脇正面前面です。
玄関の間です。
靴を脱いで上がると、案内の方が順次説明をして下さいます。
最初は栖鳳の間です。
廊下から入ると正面と右の間仕切りには、狩野派の襖絵が、そして左手床の間には、竹内栖鳳の、竹に雀が描かれた掛軸が掛かっています。
襖の引き手の大きさにちょっと驚きです。
広縁からは大きなガラス障子越しに、庭が大きく広がっています。
この峰玉亭は、日本各地から銘木を集めて建築され、広縁には栃の床板が、また随所に北山杉や竹材が多く用いられています。
縁桁や軒桁には長尺の北山杉の丸桁が、また垂木は子丸太を、柱や長押には絞り丸太、面皮丸太、磨き丸太を随所に使用しています。床の間には南天の床柱に、床の間の地板には欅の1枚板など逸品揃いです。天井には煤竹が多く用いられ、また胡麻竹、篠竹、など、竹材が多用され、天井板には屋久杉、船底天井や格天井など造作の難しい匠の技術が生かされています。また障子や欄間などには面取など指物師の細かい作業が見て取れます。
吉井勇の間です。床の間には吉井勇の額が掛かっていました。
円山応挙の襖絵が見られます。
この部屋の天井も、凝った折り上げ天井になっています、また大きく窓が取ってあり、障子の桟も面取で指物師も腕を振るった事でしょう。

深い軒先から池を通して緑が色濃く映えます。
峰玉亭を出て回遊式庭園を順路に従って進みます。
この北庭は、2万5千坪という広大な庭園で、鷹ヶ峰三山を借景に、北山の台杉と紀州青石を所々に配し、また四季折々に表情を替え楽しめるように、楓や梅なども植栽されています。
北山の台杉は、樹齢100年から500年といわれる古木が1000本近くあると言われています。台杉と紀州の青石と苔がおりなす景観です。
玉庵です。
庭園には、紙屋川から清流が引かれて、小川が流れています。
鷹ヶ峰の三山が借景になっています。
酒樽茶室です。
楓も多く、晩秋に再度訪れてみたいとの感を深くしました。
「聴松庵」 裏千家11代玄々斎設計による茶室です。移築されたものです。
遊び心でしょうか。お暇の挨拶です。
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