小浜宿(こはまじゅく)は古来より、毫摂寺の寺内町として毫摂寺を中心として栄え、その後、有馬街道、西宮街道、京伏見街道など、大阪や京都とを結ぶ交通の要衝として、旅籠や木賃宿、馬借などが並ぶ宿場町として発展してきました。その在りし日の面影を求めて訪ねてみました。
小浜宿場町の案内図です。
入口にあたる南門跡の案内標識です。織田信長の一向宗弾圧に備えて、この小浜の地は自然の地形を上手く利用し、北、西、南の三方を大堀川が迂回し、東側は池や土塁で囲まれて城塞となっており、三方に門を構えて武装したその名残がが今も残っています。
「南門跡」です。西宮街道(馬街道)に通じていました。
「首地蔵」です。西宮街道(馬街道)沿いの高台にある、首から上だけのお地蔵様です。
なぜ上だけしかないのか、諸説あって分かりませんが、首から上の病気にご利益があると多くの人の信仰を集めています。
横には十数体のお地蔵様が祀ってあります。
「谷風岩五郎の墓」です。首地蔵のそばにあります。
江戸末期、小浜の米穀商に生まれた岩五郎は、たった10才で米一俵を持上げた怪力といわれ、18才で角界に入り、5年後、前頭に出世し、四股名を若の柳安太郎と改名し、故郷に錦を飾り、明治5年、(1872年)皇大神社境内にて大相撲が開催されました。明治9年(1878年)に大関になり、谷風岩五郎と名乗った名力士です。
首地蔵のそばに流れる「大堀川」です。春には堤の染井吉野が美しく咲くそうです。
「毫摂寺」(ごうしょうじ)です。浄土真宗本願寺派で「小浜御坊」と呼ばれ、小浜発展の中心でした、山号は出雲路山。ご本尊は阿弥陀如来です。豊臣秀吉が、有馬温泉の湯治の道中に宿泊したお寺です。
現在、本堂が修理中で、残念ながら拝観出来ませんでした。
「井川家住宅」です。江戸時代初期から残る清酒「菊仁」の造り酒屋さんです。
山中家と隣接する、「小浜資料館」です。この辺りの町並みが特に宿場町の名残を留めています。
小浜宿資料館です。戦国武将山中鹿之介を祖先とする山中家に隣接しており、小浜宿の歴史的資料を展示しています。
「小浜皇大神社」(こはまこうたいじんじゃ)です。言い伝えによると、創建は嘉吉元年(1441年)とされています。ご祭神は天照大神と天児屋根命です。
「ご本殿」です。
境内にある「ムクノキ」の古木で、その幹の太さは驚くばかりです。保護樹木に指定されています。
町中の所々に道標が立てられ古道の面影を伝えています。
「旧和田家住宅」です。市内に残る最古級の民家で、江戸時代中頃に建築されたもので、和田家は代々米谷村飯野藩の庄屋を務められた家柄です。
通り庭から見た座敷です。
庭の向こうには土蔵が見えます。
「北門跡」です。有馬街道に通じています。奥の祠は火難を除く日伏せの北の愛宕さんです。毎年8月の地蔵盆には、町内総出で赤い提灯を境内一面に飾り、お供え物をして町の人々を厄災から守るお祭りが行われます。
「法仙寺」です。浄土宗 知恩院派のお寺です。ご本尊は立像の阿弥陀仏です。開基は沙門法仙です。
「本堂」です。
「東門跡」です。京伏見街道に通じています。
帰路逆瀬川駅近くの、「伊和志津神社」(いわしづじんじゃ)に立寄りました。創建は古く、約1060年前、延喜式に記載されている大社で、お祭神は素戔嗚尊です。
「参道」です、左右に多くの灯籠が建ち並んでいます。
広い境内です。
「本殿」です。一間春日造、杮葺で建立年代は分かりませんが、細部の手法から、江戸時代中期の建築と考えられています。
「愛宕社」です。火の神様「加具土命」をお祀りし防火をお祈りしています。
帰路、利用した、阪急電車、逆瀬川駅前の人気の「からくり時計」からの逆瀬川駅です。
「小浜宿」へは阪急電車 今津線 逆瀬川駅下車、駅東口から宝塚行きバス乗車、約15分、宝塚市役所前下車より歩く、
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