城下町として発展してきた彦根の町。それは、井伊直勝が佐和山藩主時代に、彦根城築城のための大規模な土木工事によって、計画的に造られた街です。当初多くの淵や沼のある湿潤な土地を芹川の流れを付け替え、当時の尾末山を全山切り崩して低地に埋立て、町の地割りを行い現在の町の基礎を築いたそうです。
レンタサイクル、「めぐりんこ」で巡ってきました。初めて乗った電動自転車、漕ぎ出しも軽くて快適なのにびっくり、楽しみながらめぐりんこしてきました。
彦根市のパンフレットです。
JR彦根駅です。
その彦根駅前のロータリーに、井伊直政公の銅像が立っています。井伊氏第24代当主で彦根藩の初代藩主で、彦根市の発展の基礎を築いた人です。
「大師堂」です。弘法大師ゆかりの真言宗のお寺で、「駅前の弘法さん」として親しまれています。寺内には寝姿の寝弘法さんがおられます。
「寝弘法」さんをお祀りする本堂です。
境内には、「彦根一箇所七福神」と呼ばれる、七福神の石像が揃っています。
「滋賀県護国神社」です。明治9年に創建され、明治戊辰戦争から大東亜戦争に至る滋賀県出身の戦没英霊をお祀りしています。 (彦根城佐和口の側です。)
「拝殿」正面です。奥に本殿があります。
中堀沿いの滋賀県護国神社の塀沿いに進む「埋木舎」への道です。
「埋木舎」です。井伊直弼が楽々園を出て、青春時代を過した館です。(世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は)と直弼は和歌を詠み、自ら埋木舎と名付け文武両道に励んだ場所です。 (護国神社に隣接し中堀沿いです)
「旧池田屋敷長屋門」です。彦根藩中級武家屋敷の典型を示す長屋門で、指定文化財に指定されています。 (埋木舎の前の道を北にすぐの所にあります)
、「中村商家保存館」です。真宗信仰に生きた商人の家です。寛永年間、彦根城が完成した同時代に建てられたもので、酒醸を商いし、延宝年間に西本願寺から下付された木像をお祀りしています。江戸期の建物の様式を残す貴重な建物です。(大師堂から北へすぐ、旭町3-23)
「石川千代松像」です。石川千代松は、明治から昭和の始めの動物学者で、東大教授です。琵琶湖に産する小鮎の研究で琵琶湖の小鮎を広く知らしめ、全国の河川に放流されるようになりました。(彦根旧港のほとりにあります、船町です)
、「旧鈴木屋敷長屋門」です。鈴木家は中級武士として、彦根藩の藩校弘道館の事務長や書物奉行などの職務にあたっていました。文久2年(1862年)の建物ですが、現在は長屋門のみが残っています。
「旧西郷屋敷長屋門 付袖塀 堀及び高麗門」指定文化財です。内濠と中濠とに囲まれたこの付近一帯は上級武士の屋敷があったところです。これだけ大きな長屋門はほかに例がありません。
「高麗門」です。
内堀沿いにある「大手門橋」です。
彦根城の南側にあたる、内堀沿いの道です。
城の南側、中堀沿いに建つ「スミス記念堂」です。昭和6年、彦根聖愛教会の牧師パーシー・アルメリン・スミス氏が両親を記念して建設した和風礼拝堂です。伝統的な寺社建築を基本としつつも、要所に十字架やキリスト教ゆかりの文様を取り入れた、和風教会建築として貴重な建物です。 (中堀沿いの本町にあります)
「礼拝堂」です。
「連着町の腹痛石」です。触るとお腹が痛くなると言い伝えられている石です。むかし彦根山の観音様にお参りする人が長い道中を終え、道中に背負ってきた連着(れんじゃく)をほどき、道端の石に腰を掛けて休みました、その名残の石です。持去られないように、触ると痛くなると言い伝えられ保存されてきました。(スミス記念堂近く、城町にあります)
「旧広田家(納屋七)住宅」です。この付近は江戸時代には下魚屋町といい、魚屋が建ち並んでいました。広田家は「納屋七」とい屋号で魚問屋を営んでいました。安永7年(1778年)の建築で、切妻造りで軒裏を漆喰で塗込め袖壁を付けた重厚な構えを見せています。
「義言地蔵」(よしときじぞう)です。この場所は長野主膳義言(井伊直弼の腹心として幕末に活躍した人物)が直弼亡き後、四十九町の牢屋前で斬首されました。その後、主膳の霊を鎮めるために、斬首跡地に地蔵尊が祀られたものです。(城町にあります)
「夢京橋キャッスルロード」です。彦根城の堀端、京橋から南へ白壁と紅殻に煤がけの黒格子と、町並みを揃えた飲食店や土産物屋など、新しい彦根のシンボルとして登場しています、落着いた風情は多くの観光客を集めていました。
その夢京橋キャッスルロードに「宗安寺」があります。初代藩主直政が上野国から移した浄土宗のお寺です。朱塗りの門から赤門寺と呼ばれる「山門」です。
「本堂」です。ご本尊は阿弥陀如来で、夏の陣の際に、大坂城から持ち出された淀君の念持仏です。
「地蔵堂」です。右に眼病平癒の木之本地蔵尊、左に地廻り地蔵尊が祀られています。
「木村重成公首塚」です。重成は大阪夏の陣の豊臣方の名将ですが、城外で、井伊直考の軍勢に敗れ、彦根藩士安藤長三郎に首を取られますが、長三郎により、この寺に手厚く葬られました。
「俳遊館」です。大正時代のレトロな建物を利用した俳遊館です。松尾芭蕉やその弟子など、俳句に由縁の人たちの句碑や種々の展示をおこなっています。
「千代神社」重要文化財です。御祭神は天宇受売命、猿田彦命で、井伊家の保護のもと、古くから芸能や芸事の神様として広く知られており、歌舞伎や能狂言役者、俳優さんらの畏敬を集めてきました。
拝殿と本殿です。拝殿は入母屋造千鳥破風軒唐破風付、間口3間奥行3間で、本殿は三間社流造、間口二間奥行二間三尺です。
境内には摂社として、笠木稲荷神社、秋葉山神社、天満宮が祀られています。
芹川のけやき並木です。(後三条町です)
「七曲がりの仏壇街」です。中山道から彦根城へ向かう彦根道は、芹川の近くで何度も曲がりくねっています、ここを七曲がりと呼んでいます。この道筋には伝統工芸品の「彦根仏壇」の彫刻師や金箔押師など数多くの各職が軒を並べており、七曲がりの仏壇街と愛称されています。 (芹中町です)
電動自転車「めぐりんこ」での街歩きは、入り組んだ城下町などの探訪には、うってつけの便利な気軽な足だとつくづく感じました。
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