2014年7月アーカイブ

7月の「植物園」

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  連日続く猛暑日、京都府立植物園も、午後ともなれば入園者も少なく、さすがに閑散としています。
 元気なのは夏の日の花、太陽の花、ヒマワリです。
 ペットボトルを片手に、短時間ですが回ってきました。
 
 
 ヒマワリは北アメリカ原産で、キク科の一年草です。
 僕たちが知っているヒマワリは大輪ですが、野生種は花はさほど大きくなく、品種改良によって現在の大輪となりました。
 
 ヒマワリ サンゴールド キク科

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 ヒマワリ 太陽 キク科
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 ヒマワリ リングオブファイヤー キク科
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 ヒマワリ ココナッツアイス キク科
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 ヒマワリ ジェイド キク科
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 ヒマワリ キアンティ キク科
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 ヒマワリ モネのひまわり キク科
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 アメリカフヨウ(芙蓉)は北アメリカが原産です。
 草丈が1mから2mになり、7月から8月に大輪の花を咲かせる草花です。
 花色は白、ピンク、赤、白とピンクの覆輪等です。
 
 アメリカフヨウ アオイ科
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 タイタンビカスは、赤塚植物園が開発した新しい植物で、アメリカフヨウとモミジアオイの交配種です。
 
 タイタンビカス ピンク アオイ科
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 タイタンビカス ブライトレッド アオイ科
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 ハゲイトウ(葉鶏頭)は熱帯アジア原産の植物で、ケイトウが花を観賞するのに対し、葉を鑑賞するという意味でハゲイトウと言われています。
 
 ハゲイトウ エロースプレンダー ヒユ科
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 ハゲイトウ 猩々 ヒユ科
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 ハゲイトウ イルミネーション ヒユ科
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 ハゲイトウ パーフェクタ トリカラー ヒユ科
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 シンテッポウユリ オーガスタ ユリ科
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 ユリ カサブランカ ユリ科
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 クレオメは南アフリカ原産で、雌しべと雄しべが非常に長く、酔蝶花とも呼ばれています。
 花がつぼみの頃はピンクで、開いてくるとだんだん白くなってきます。
 
 クレオメ フウチョウソウ科
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 ジニア(ヒャクニチソウ) プロフュージョンホワイト キク科
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 ジニア(ヒャクニチソウ) プロフュージョンイエロー キク科
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祇園祭の「大船鉾」

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  今年から後祭りが復活した祇園祭。
 その後祭りの話題を一段と盛上げている、150年ぶりに復活した「大船鉾」(おおふねほこ)、その大船鉾を追っ掛けてみました。
 大船鉾は、「蛤御門の変」の大火で焼失し、復興という年来の懸案をようやく本年実現したもので、関係者の喜びはそのお話を聞く言葉の端々に伺うことが出来ます。
 この鉾は名前の通り、鉾全体が船型をしていて、神功皇后の朝鮮出兵の伝説にちなみ、神功皇后など四神を安置して、後祭りの最後を飾り巡行します。
 僕の中学生時代は、友達が後祭りの区域で、後祭りは特に思い出が多く、三条通りや寺町通りを巡行する、北観音山や南観音山の行列に付いて回った懐かしい思い出が一杯です。
 この大船鉾の復活は、京都の衰えることのない、町衆の誇りと、力と熱意が結集した賜だとつくづく感じています。


 大船鉾の駒形高札です。
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 胴組の組立で、縄がらみの始まりです。上部に船底の木組みが見えます。
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 縄がらみも順調に済み、石持も取付けられた状態です。
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 船型が出来上がってきています。
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 鉾の前面です。
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 石持も、車軸も取付けが終わり、上部櫓も船型に仕上がっています。
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 足場も組み立てられて、屋根の取付けも進んでいます。
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 鉾の骨格は仕上がって、後は装飾品等の取付けです。
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 順次、装飾品の取付けも進んでいきます。天水引幕(金地雲竜文様錦)です。
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 雨に備えての障子屋根も取付けられて、足場も取払われ、全体像が見えるようになりました。
 船首を飾る、縦長の前掛幕(緋地波濤龍文様綴錦)です。
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 裾幕も大海の荒波を疾駆するが如き勇壮果敢な図柄です。
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 最後に鉾車の取付けです。
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 車の取付けも終わり、装飾品も最後の仕上げです。
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 船縁の水引幕(緋羅紗地波濤龍文様刺繍)や、胴懸けが華麗な色模様を見せています。
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 前面を飾る「大金幣」も取付けられて、試し曳きを待つばかりとなりました。
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 鉾の後部です。多くの人が試し曳きを待っています。
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 宵山を迎えて、駒形提灯にも灯が灯りました。
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 いよいよ待ちに待った24日、巡行当日です。
 朝早くから、関係者が準備に追われています。鉾後部です。
 楫(かじ)も取付けられています。
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 障子屋根も外されて、堂々としてスッキリした形になりました。
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 鉾の前部です。
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 鉾の曳き手の方々も、今や遅しと待ち兼ねておられます。
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 いよいよ鉾が出発です。
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 町内の関係者や見物人が見守る中を動き始めました。
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 新町通りを御池通りに向って北に進みます。
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 音頭取りさんも緊張した面持ちです。
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 南観音山に続いて大船鉾が続いています。
 狭い新町通りをきらびやかにお囃子や掛声と共に進んでいきます。拍手が沸き起こります。
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 新町通御池で右へ廻る方向転換です。これから辻回しが始まります。
 広い御池通り中央に進んできました。
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 一回目の辻回しが終わり、車方の人が準備に掛かっています。
 さすがに船鉾より一回り大きい大船鉾で堂々たる船出です。
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 三回目の辻回しで、曳き手さんも力を合わせて引張ります。
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 無事終了です。
 大船鉾にとっては、初めての辻回しできれいに回って、見物人から安堵と成功に大きな拍手が沸き起こりました。
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 今年からの前の祭りと、後の祭りと分かれての鉾や山の巡行を、どうなるかと心配していましたが、目論見どおり上手く行きそうで嬉しいかぎりです。
 このお祭りが、後世にいつまでも盛大に引継がれていくことを心から祈っております。






稲荷大社の「本宮祭」

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  京都の夏を彩る、稲荷大社の本宮祭(もとみやさい)が7月19日と20日に亘って執り行われました。
 本宮祭とは、全国のお稲荷さんをお祀りする畏敬者が、総本宮の伏見の稲荷大社に感謝のお参りをされる行事です。
 この両日には、奉納された提灯が、稲荷山を始めとする境内一帯に、灯が灯される万灯神事が行われ、その数、約6000個の朱色の色鮮やかな明りが、神域を浮かび上がらせ、多くのお参りの人々が感嘆の声を上げていました。


 JR稲荷駅を降りた、参道入口正面です。
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 正面の大鳥居です。
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 天正17年(1589年)豊臣秀吉による造営の「楼門」重要文化財です。
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 暮れなずむ楼門です。
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  たそがれ迫る「楼門」内側南廻廊と南廻廊です。
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 夜空に映える「楼門」内側南廻廊と南廻廊です。
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  献灯提灯と行灯画です。
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 「ご本殿正面」です。
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 ご本殿右の「神楽殿」です。
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 神楽殿には奉納された日本画家の行灯が飾られていました。
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 ご本殿の裏側です。提灯の明りがご本殿を浮かび上がらせています。
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 ご本殿の側面です。
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 「権殿」正面です。
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 「千本鳥居」です。お参りの人々で前に進めないほどごった返しています。
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 外拝殿です。
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  お参りの人々の波が揺れ動いて、熱気を孕んでいました。
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祇園祭の「月鉾」

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  京都の年中行事の中でも最もよく知られている祇園祭。今年は旧に復して、前の祭りと、後の祭りに分かれて執り行われることになりました。

 前祭りの月鉾の鉾立を見てきました。

 月鉾の名の由来は、鉾頭(ほこがしら)ほこのてっぺんに、新月(三日月)をつけていることからそう呼ばれています。
 山鉾32基の中でも、最も大きく、高く、重量も12トン以上あると言われています。
 また、懸装品や、装飾類は細部にいたるまで緻密で美しく、その豪華絢爛さから、動く美術館と称されています。


 月鉾の駒形高札です。
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 真木(しんぎ)に飾付けを施し、立ち上げる準備です。
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 真木は地上から鉾頭まで25mあります、まず櫓(胴組)を縄絡みで組立、横にして、真木の本を胴組に指込み立上げます。
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 真木の立上げは、最も細心の注意を払い緊張の連続です。
 前後の手動のウインチを、肝煎の音頭に息をあわせて操作して行います。
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 いよいよ立上ってきました。
 音頭取りが櫓(胴組)に上って、前後を見ながら指示していきます。
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 榊や飾付けの重みで真木がしなります。
 手伝いの人々が固唾をのんで見守ります。
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 無事、櫓(胴組)と真木が立上りました。関係者や見物人から、大きな拍手が送られました。
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 立上った櫓(胴組)です。
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 続いて石持(いしもち)と呼ばれる部材を取付けます。
 この石持は櫓や屋根、囃子方など重量を車輪に伝えるための大きな部材で、重量もあり、鉾の転倒を防ぐための重要な部材です。
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 石持を取付けた状態です。
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 石持を取付けた櫓の下部です。
 美しい縄からみも、もったいないですが、見えるのはこの時だけです、裾幕や胴掛によって全部隠れてしまいます。 
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 石持と車軸です。この上に巡行の時は音頭取りが乗ります。
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 屋根部分です。
 鉾の組立前に「ホテルモントレ京都」で展示されました。
 見えない屋根部分にも、緻密な美しい錺金物が取付けられているのがよく分かります。
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 屋根鬼板部分には、雲の浮彫りを背景に、3本足の黒い鳥(ヤタガラス神話では太陽の使いとされています)の彫刻が置かれ。
 屋根下の破風部分には、時計草の緻密な金具彫刻で覆われ、その中央に、左甚五郎の作といわれる白い兎の彫り物、その下には亀が兎を見ています。
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 屋根裏の金地著彩(きんじちゃくさい)草花図は、円山応挙の筆と伝えられます。
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 屋根などの取付けが終わると、いよいよ組立の最終段階、鉾車の取付けです。
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 町屋の鉾収蔵庫から車が運び出されてきました。
 危険なので見物衆は遠ざけられます。
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 車方により、一輪づつ慎重に取付けが進みます。
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 鉾をテコの応用で浮かして、車軸に嵌め込みます。
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 無事、四輪とも装着終了して、拍手が沸き起こりました。
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 後は胴掛や前掛など懸装品が取付けられて。曳き始めが行われることになります。
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 駒形提灯も取付けられた、月鉾です。
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 月鉾の全体像です。
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 後は宵山と17日の巡行を待つばかりです。

 



桔梗の寺「天得院」

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 東福寺の塔頭、「天得院」は桔梗の花のお寺として、よく知られています。
 正式には萬松山 天得院といいます。
 南北朝時代の正平年間、無夢一清禅師によって開創され、東福寺五塔頭の一つとして隆盛をみましたが、「国家安康君臣豊楽」の鐘銘の撰文から徳川家康の逆鱗に触れ、取壊されました。
 現在の堂宇は、天明9年(1789年)に再建されたものです。
 ご本尊は千手観音菩薩です。
 桃山時代の作庭といわれる枯山水庭園は、四季折々、美しい花を咲かせ、初夏の桔梗、秋の紅葉と特別公開されています。


 天得院のパンフレットです。
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 特別拝観を知らせる告知板です。
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 東福寺参道に位置する「山門」です。
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 山門をくぐると前庭があります。
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 お寺への拝観入口です。
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 この庭には、天得院由縁の人の句碑、歌碑が立てられています。
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 「花岡大学童話碑」です。
(お父ちゃんが笑ったときは仏さまの顔だよ お母ちゃんが笑ったときは仏さまの顔だよ)
                東福寺保育園へ 花岡大学
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 「荻原井泉水」(おぎわらせいせんすい)句碑です。
 (石のしたしさよしぐれけり 井泉水)
 大正13年14年に天得院に隠棲された時に詠まれた句で、時雨れる石のわびしさに、井泉水の淋しい心境を重ねられた 句です。
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 本堂には、千手観音菩薩がお祀りされています。
 
 広縁から南庭を眺めています。 庭一面の杉苔に桔梗が見頃を迎えています。
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 土塀に沿うように木々と、巧みに石や灯籠が配置されて、四季折々に花々が楽しめるように作庭されています。
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 廻廊の花灯窓から眺める西庭です。
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 可憐で清楚な青や白の桔梗が咲き誇っています。
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 新幹線は早くて快適で素晴らしい、また対極にある各駅停車のローカル線は、また違った楽しみをもたらしてくれます。
 いずれにしろ、電車やバスに乗って見知らぬ土地を訪ね、その風土に接し、車窓から四季折々のいろんな風景を眺めることは私の楽しみの一つです。
 
 今回、私の住む近くの駅、花園駅から山科駅までを、最短距離で行けば、乗継ぎ時間を入れても20分余りの所要時間のところを、大都市近郊区間の運賃計算の特例を利用して、最長距離で大回り、いわゆる一筆書きをしようと実行してきました。
 
 特例では、実際に乗車する径路にかかわらず、最も安くなる径路で計算した運賃で乗車できるということ。ただし途中下車は出来ない、同じ駅を重複して利用出来ないということです。
 そこで下記の径路を考えだしました。
 (合計の乗車キロ数は497,2キロ 運賃合計は7,880円のところ、花園駅〜山科駅片道240円、往復480円で乗車してきました。)
 
 

 大阪近郊区間路線図です。

mawaru75.JPG( 上記地図は、JRのホームページより転載し、朱で加筆しました )

 

 
 当日の乗車時刻表です。

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 午前5時40分出発した、JR花園駅です。
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 1番ホームに京都駅行、5時49分発、京都駅6時着の221系電車が到着してきました。
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 京都駅5番線に6時8分発、快速姫路経由網干行、221系電車が入ってきました。
 東海道線を西に走行します。
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 尼崎駅1番線に6時52分着、急いで7番線に移動、6時56分発、JR東西線、快速木津行321系電車に乗車します。
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 快速木津行は、尼崎駅を出て、神崎川を渡ると間もなく地下に潜っていきます。
 加島、御幣島、淀川の下を通り、海老江、新福島、北新地、大阪天満宮、大坂城北詰を経て京橋駅に着きます。
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 京橋駅近くになると地上に出て、7時15分京橋駅に到着です。
 ここでは、3分で環状線に乗換え天王寺駅に向かいます。
 平日の出勤時間、すごい人波で急いでも前に人で進まず、気持ちに余裕がまったくありません。
   京橋駅です。
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 天王寺駅で乗換え、関空、紀州路快速、天王寺駅7時51分発の電車に乗車して、和歌山駅に向かいます。
 関空快速225系5000番台4両車が、紀州路快速223系2500番台4両を連結して引張っていきます。
 乗車して、ようや窓の外も眺められる余裕が出てきました。
 駅を出発すると、目まぐるしく風景が変わります。
堺、三国ケ丘を過ぎ、西側に仁徳天皇陵を眺めつつ、鳳、和泉府中、東岸和田、熊取、と続き、日根野駅に到着します。
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 日根野駅到着、車内も混雑もなくなり、快適です。
 関空快速225系5000番台4両車と、紀州路快速223系2500番台4両の連結部分です。
 ここで列車の切り離しが行われます。
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 先に関空快速が、日根野駅を出発していきます。
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 紀州路快速223系2500番台4両が続いて日根野駅を出発します。
関西空港線が右に大きくカーブしていき、一路和歌山に向かいます、田園地帯から和泉砂川を過ぎ、和歌山県の山間部に入りトンネルを数本抜けると平野部に入り、紀伊、六十谷、紀の川を渡り、市街地に入ると終点和歌山駅です。
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 和歌山市に近づいてきました。
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 間もなく和歌山駅2番線に9時2分到着です。2分間の乗換えです。陸橋を渡り和歌山線7番線に急ぎます。
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 和歌山駅9時4分発、高田経由奈良行105系普通電車です。
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 2両連結のワンマンカーです。
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 運転席とワンマンカー特有の運賃箱です。
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 和歌山駅から五条駅までは、ローカル線特有の、のんびりした各駅停車で、おまけに単線で対向電車待ちと、ゆっくり車窓を眺めることができます。
主な馴染の駅、岩出、粉河、高野口、橋本、各駅などを通り五条駅に到着します。
田植えの終わった田園地帯や、丘陵地、風景に似合わないようなプレハブ住宅に、昔ながらの民家の集落、全国チェーンのスーパや飲食店などが点在し見飽きることがありません。
 
 列車待ちで、対向電車が入線してきました。
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 同じく列車待ち、105系の電車です。
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 五条駅までやってきました。10時22分着、8分の停車です。
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 105系の和歌山行の電車が停車しています。
 ここで乗務員交替です。
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 ラッピング車「旅万葉」号です。
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 五条駅を出発、次の停車駅は北宇智駅です。
 この北宇智駅は、2007年3月まで「スイッチバック」で知られていました、蒸気機関車時代の勾配の急な仕様の名残です。
 現在無人駅で、停車は1分間、乗降が終わればすぐ出発で、ホームに降りることも出来ず、車内から撮りました。
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 現在の駅舎の北側に、スイッチバック当時のホームや駅舎、レール残されています。
 車内から一瞬の1枚です。
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 105系電車の運転室です。
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 吉野口駅です。
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 吉野口駅では、隣接する近鉄のホームに、あべの行の急行電車が発車を待っています。
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 高田駅までやってきました。11時3分着です。
 ここで桜井線(万葉まほろば線)に入ります。
 この沿線には万葉集由縁の名所旧跡が多く見られます。
 畝傍、香久山、桜井、三輪、天理、帯解、駅名を聞くだけで万葉のロマンを感じさせ、三輪山、大和三山などを車窓から眺めることができます。
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 高田駅で桜井線へ、電車は同じでも運転席が前後入れ替り11時9分発車です。
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 桜井駅を11時24分着です。
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 そして終着駅、奈良駅に12時丁度に到着です。
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 奈良駅には、奈良線の京都行の普通電車103系が停車しています。
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 やがて5番線に、大和路快速加茂行221系が到着です。
 12時20分発です。
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 定刻、奈良駅を発車しました。221系の運転席です。
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 同じ221系電車とすれ違いです。
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 加茂駅12時34分着です。ここで関西本線に乗換です。
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 関西本線、加茂駅12時42分発、普通列車亀山行 キハ120系に乗車します。
 この路線は非電化区間で、今日初めて気動車に乗車します。1両のワンマンカーで運行されています。
 主な駅として、笠置、大河原、月ケ瀬、伊賀上野などを経て柘植駅に到着します。
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 エンジン音を高く響かせて、木津川を左に見ながら川沿いを走り、トンネルも幾つか通り抜けます。
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 伊賀上野駅近くになると、左右に田植えの終わった田畑が広がり、長閑な風景が車窓から眺めることができます。
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 柘植駅13時38分着です。ここで気動車とお別れです。
 この駅は、関西本線と草津線の接続駅で、すでに同じホームの向かいに、草津線の草津行列車が待っています。
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 柘植駅14時1分発、草津行111系電車です。
 柘植駅を出ると、主な駅、油日、甲賀、貴生川、三雲、石部等を経て、終点草津駅に至ります。
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 電車は最初は「江州米」の本場穀倉地帯を走り抜けていきますが、草津駅に徐々に近づくにつれ工場群が点在し、住宅、マンションなど都市化が急速に進んでいる姿を見せています。
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 草津駅14時45分着です。ここで東海道本線(琵琶湖線)に乗換です。
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 草津駅15時20分発新快速近江塩津行223系3000番台の電車です。
 前4両が近江塩津行で、後部車両は米原駅で切離しとなります。
 守山、野洲、近江八幡、能登川、彦根など停車して米原着となります。
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 223系3000番台の運転席です。
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 米原駅から北陸本線に入り、新快速は近江塩津駅まで各駅停車となります、
 主な駅は、長浜、虎姫、木ノ本、余呉、などで近江塩津駅となります。
 
 新快速電車とすれ違いです。
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 車窓左側、遠くに余呉湖が見えてきました。トンネルを何本か通過すると近江塩津駅です。
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 滋賀県の駅では、最も北に位置する、近江塩津駅16時34分着です。湖西線の終着駅で無人駅です。ここで湖西線に乗換です。
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 敦賀駅始発の、新快速網干行223系2000番台が近江塩津駅に到着です。
 ここで山科駅までの最後の乗車です。16時40分発車です。
 近江舞子までは、各駅停車で永原、マキノ、近江今津、安曇川、近江高島などで近江舞子となり、志賀、堅田、比叡山坂本、大津京で山科駅着となります。
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 近江塩津駅を出て、城山トンネル、峰山トンネルなど山々を抜けていくと、やがて琵琶湖が遠くにみえるようになり田園風景になってきます。
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 終始、琵琶湖を眺めながらひたすら南下し、大津と京都の国境、長等山トンネルを抜けると湖西線の終着駅、山科駅は目の前です。
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 花園駅〜山科駅間の目的地、山科駅に17時52分着です。
 ここで初めて改札を出て、約12時間の旅を終了しました。
 その後、山科駅を改めて入場し、京都駅を経由して花園駅へ無事帰着しました。
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 参 考  ( JRのホームページより転載しました )

           

       運賃計算の特例

  ● 大都市近郊区間内のみをご利用になる場合の特例

  ● 図の大都市近郊区間内のみを普通乗車券または回数乗車券でご利用になる場合は、実際にご  乗車になる径路にかかわらず、最も安くなる径路で計算した運賃で乗車することができます。

  ● 重複しない限り乗車径路は自由に選べますが、途中下車はできません。

  途中下車される場合は、実際に乗車された区間の運賃と比較して不足している場合はその差額  をいただきます。

 

 

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