「浄瑠璃寺(じょうるりじ)から岩船寺(がんせんじ)へ」は高校時代の秋のハイキングコースで、何十年も昔の懐かしい思い出です。
わいわいと騒がしく話しながら、広がる長閑な田畑の田舎道を歩いたことと、池の辺に本堂が建っていたことぐらいで、後は何も記憶に残っていません。
改めて訪れてみました。
木津川市加茂町商工会発行の観光パンフレットです。
長閑な田園風景は今も昔も変わらないようです。
丘陵地に入ると、路傍にこのような石仏が置かれています。
カーブで見過ごしてしまいそうな所にも石仏があります。
「ながおのあみだ」と呼ばれ、立派な屋根石をもった、阿弥陀如来坐像です。
徳治2年(1308)造立とあり鎌倉後期の作です。
「浄瑠璃寺門前」から参道を山門に向かいます。
「浄瑠璃寺、山門です」。京都府の高札によりますと。
浄瑠璃寺は、奈良興福寺の別所として、平安時代後期に創建されたもので、
池を挟んで東西に国宝の三重塔と九体阿弥陀堂が建ち、此岸と彼岸、浄土の世界を現しています。
中央の苑地には、洲浜敷きが復元された中島があり、本堂は九体阿弥陀堂建築の現存する唯一の違例です。庭園は特別名勝美及び史跡に指定されています。
九体阿弥陀如来の所以から、別名「九体寺」とも呼ばれています。
山門を入って左に宝池があります。
この宝池をまわり、三重塔の薬師如来にお参りし、此岸(東)から彼岸(西)本堂へ、阿弥陀如来をお参りするようになっています。
美しい三重塔(国宝)です。
浄瑠璃寺の寺号は、内陣に安置されている薬師如来の浄土瑠璃光浄土からきています。
此岸から彼岸へ。西方の理想郷を、宝池を通して極楽世界を現しています。
敬虔な祈りの庭として作庭されています。
「中島」です。現在修復中です。
池を巡りながら極楽浄土の世界に導かれます。
本堂前から中島です。
「本堂」(国宝)です。
この後、本堂へお参りします。
本堂は横に長く、九体の阿弥陀如来が安置されています。
浄瑠璃寺を出て岩船寺へと向かいます。
岩船寺へは「石仏の道」を歩いていきます。
「あたご灯籠」です。 京都の愛宕神社へ火伏せを願い奉納した石灯籠を似せて作ったもの。
穴に蝋燭を立てるようになっています。
「石仏の道」です。
「からすの壺」(阿弥陀如来坐像)です。
石仏の道からの風景です。
岩船寺への急な山道の石段を上ります。
巨岩が目の前に吃驚します。
参道から少し下ると「不動明王立像」があります。
石段を登り切ると平坦な道に出て、程なく岩船寺です。
岩船寺「山門」です。
岩船寺は縁起によりますと、僧行基が天平元年(729年)聖武天皇の勅願で鳴川に建立した阿弥陀堂がその始まりで、弘仁4年(813年)この地に堂塔伽藍を整備して、岩船寺となったと伝えられています。
最盛期には、東西60町、南北16町の広大な境内に39の坊舎が存在していましたが、承久の乱、等の兵火により焼失しました。
鎌倉から江戸末期までは、興福寺の末寺でしたが、明治に入って、西大寺の末寺となって今日にいたっています。
本尊は阿弥陀如来像で、10世紀を代表する仏像とよく知られています。
ご住職のお話では浄瑠璃寺の阿弥陀さんより古いとのことでした。
山門から続く参道です。
「本堂」です。
本堂には、阿弥陀如来坐像(重要文化財)が、どんと真中に座して居られます。
その四隅を四天王立像がお守りしています。
「十三重石塔」(重要文化財)鎌倉時代のものです。
「三重塔」(重要文化財)が阿字池周辺から樹間を通して仰ぎ見られます。
可憐な「みやこわすれ」が咲いていて目を楽しませてくれました。
「阿字池」を通して見る本堂です。
「三重塔」(重要文化財)です。承和年間の建立で、中世後期の代表作といわれています。
三重塔の後ろ側に道があり進んで行くと鐘楼があります。
そして、三重塔や境内一帯を見渡せます。
更に進むと「歓喜天(聖天)堂」があります。
聖武天皇をはじめ各天皇の祈願所と知られ、高僧平智僧都が心願成就のため歓喜天をお祀りして今に至っています。
さらに山道を進むと貝吹岩への道が続いています。
貝吹岩です。この一枚岩はその昔ここ御本陣山の周辺に三十九の坊舎があった頃、一山の僧を集めるためにこの岩の上に立って法螺貝を吹いた場所と伝えられています。
当尾地区で最も高い場所で、木津川の流れや、集落が一望できます。
岩船寺門前です。
岩船寺から、石仏の道にまた戻って、石仏の中でも最も知られた「わらいぼとけ」といわれる、阿弥陀三尊像にお目に掛かりに行きました。
笑い仏(阿弥陀三尊磨崖仏)です。
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が穏やかに微笑んでおられるように見えるのでこう呼ばれています。
「四面地蔵石仏」です。ちょとした路傍に安置されています。
岩船寺南口バス停まで帰ってきました。
「弥勒の辻」(弥勒磨崖仏)です。
かすかにに残る弥勒さんの線彫です。
当尾(とおの)の里は広範囲にまだまだ石仏も多く、そのほんの一部を今回拝見して、お参りしてきました。
いずれまた機会を見つけて訪れたいものです。
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