「須磨」探訪

  須磨と言えば源氏物語の「須磨」の舞台であり、また源平合戦の「一の谷の坂落とし」の戦いの古戦場であり、白砂青松の須磨浦の海岸と共に、多くの人々を惹き付ける魅力ある場所です。
 この須磨を半日の時間を利用して訪ねてみました。

 JR須磨駅」を降り立ち、「須磨の海岸」を、この後、駅近くの「村上帝社」から東へ歩き「綱敷天満宮」へ。
 町の人々に尋ねながら「松風村雨堂」、そしてすぐそばの「菅の井」へ立寄り、駅方向へ戻りながら、「現光寺」と「関守稲荷神社」へお参りし、山手の「須磨寺」を訪れます。
 その後、山陽電鉄「須磨寺駅」に戻り、駅のそばの「平秀衡とらわれの松跡」を見て、須磨寺駅から山陽電鉄に乗車して「須磨浦公園駅」に到着、「須磨浦公園」の山麓をひと回りして、国道2号線沿いの「敦盛塚」へ、須磨浦公園駅に戻り、乗車して「須磨駅」まで帰ってきました。
 約4時間の須磨探訪の散策でした。


 JR須磨駅を降りた、目の前の風光明媚な「須磨浦」です。
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 駅近くの「村上帝社」です。
 琵琶の名手だった藤原氏と、村上天皇との琵琶にまつわる故事から、村上天皇をお祀りしています。
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 「ご本殿」です。
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 「綱敷天満宮」です。
 学問の神様、菅原道真公をお祀りする須磨の天神さんです。
 道真公が九州に左遷された際、須磨の浦で海が荒れ、航海を中断されました。
 その時、漁師たちが綱の大綱で円座を作り休憩されたことに因んで創建されたものです。
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 「参道」と「大鳥居」です。
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 「ご本殿」です。
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 「三重塔」です。
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 「なすの願かけ」です。
 何でも願いが叶う「茄子」は「成す」と掛けて腰掛ければ幸せになります。
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 「筆塚」です。
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 「矢村三生句碑」
 (山裾は 山の唇 椿濃し)
 俳誌須磨千鳥創刊650号記念として建立されました。
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 「菅公母子像」です。
 菅原道真の母に抱かれる像です。
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 5歳の「菅原道真像」(天神さん)
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 「松風村雨堂」です。
 在原行平が京の地を離れ、この地でわび住まいをしているとき、多井畑村長の娘「もしほ」と「こふじ」の姉妹と出合い「松風」「村雨」と名付けて愛しました。行平がこの地を離れた後、姉妹は庵を建て、お慕いする行平の無事を祈ったとされています。
 現在のお堂はその庵の跡と伝えられています。
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 「観音堂」です。
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 「大久保些景句碑」
 (千木の空 澄みて厳櫃 実を降らす 些景)
 大久保些景は須磨中納言俳句道場主宰者です
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 「在原行平歌碑」
 (立ちわかれ いなばの山の 峰におふる まつとし聞かば 今かへりこむ)
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 震災後新しくなった道路です。
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 「菅の井」です。
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 「現光寺」です。
 永正11年(1514年)浄教上人の開基といわれています。
 昔は源光寺ともいわれ、また、源氏物語の光源氏の住居跡とも伝えられ、源氏寺とも呼ばれています。

 境内入口には、源氏寺と書かれた大きな石碑が置かれています。
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 境内への参道です。
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 「本堂」です。
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 「鐘楼」です。
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 本堂と「光源氏月見の松」です。
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 「芭蕉句碑」
 (見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋 芭蕉)
 延宝6年(1678年)松尾芭蕉35歳の作です。
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 「子規句碑」
 (読みさして 月が出るなり 須磨の巻 子規)
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 僧で歌人の似雲が庵を結んで住んでいました、その庵跡の石碑です。
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 入口にある、史跡芭蕉翁の句碑の石柱です。
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 「関守稲荷神社」です。
 須磨の関の守護神として祀られました。
 また源氏物語で、光源氏が須磨に流された時、巳の日祓いをしたと伝えられ、巳の日稲荷ともいうようです。
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 「ご本殿」です。
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 明治時代に掘り出された、須磨の関跡の石柱です。
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 「源兼昌歌碑」
 (あはぢしま かよふちどりの鳴く声に いくよねざめぬ 須磨のせきもり 兼昌)
 源兼昌は、平安時代末期の歌人で、小倉百人一首の中の秀歌です。
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 「藤原俊成歌碑」
 (聞き渡る 関の中にも 須磨の関 名をとどめける 波の音かな 俊成)
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 「藤原定家歌碑」
 (桜花 たが世の若木 ふり果てて 須磨の関屋の 跡うづむらん 定家)
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 「須磨寺」、正式には福祥寺ですが、一般には須磨寺の名前で広く親しまれています。
 淳和天皇のころ(823〜33年)に和田岬の沖で漁師が観音像を引き揚げ、会下山の北峰寺に安置したのを、仁和2年(886年)に聞鏡上人が須磨の地に移したのが始まりとされています。

 参道に立てられた須磨寺の石柱です。
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 網敷天満宮から須磨寺までの参道を弘法大師、菅原道真の賢者にあやかり「知恵の道」と呼んでいます。
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 「竜華橋」から「仁王門」です。
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 「仁王門」です。
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 左右に「仁王力士像」が控えています。
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 広大な敷地に多くの伽藍が建ち並んでいます。
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 本堂への参道です。
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 「本堂」です。
 慶長7年(1602年)豊臣秀頼により再建されたものです。
 本尊観世音菩薩がお祀りされています。
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 「三重塔」です、現在修理中です。
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 「大師堂」です。
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 「鐘楼」です。
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 「手水舎 五鈷水と弘法岩」です。
 須磨寺の裏山の湧水です。
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 「正覚院」です。塔頭寺院です。
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 「源平の庭」です。
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 わらべ地蔵(かわいい六地蔵さん)
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 「槙屋西月句碑」
 (ふる雨も 清水になるや 花のおく)
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 「柳汀歌碑」
 (●幾世を漕行海士の小舟さへ 静けき須磨の秋の夜の月 柳汀)
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 「蕪村句碑」
 (笛の音に 波もよりくる 須磨の秋) 
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 「山本周五郎文学碑」
 (須磨は秋であった(処女作須磨寺付近から)
 関東震災で東京を離れ、須磨寺近くで半年を過し、その時の体験をもとに、文藝春秋に処女作を発表して、文壇デビューしました。
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 「伊丹三樹彦句碑」
 (くらやみになおも花散る平家琵琶 甘酒にいま存命の一本箸 長き夜の楽器かたまりいて鳴らす 他)
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 「神田正雲句碑」
 (花千母 むかし稚木の さくら哉 正雲)
 須磨寺の荒廃から桜の名所にした功労者です。
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  「三好兵六句碑」
 (夫婦とは なんと佳いもの 向い風 兵六)
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 「尾崎放哉句碑」
 (こんなよい月をひとりで見て寝る)
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 「陳舜臣漢詩碑」
 (須磨寺有感) 
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 「音楽碑」
 (一の谷のいくさ破れ 討たれし平家の公達あわれ 暁寒き須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛) 
 敦盛遺愛の青葉の笛の碑です。
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 「平重衡とらわれの松跡」です。
 源平合戦の際、副将軍平重衡は源氏に捕らわれの身となり、この地にある松の根に腰をおろして無念の涙を流したと伝えられています。
 今は松もなく、石碑のみが往時を偲ばせています。須磨寺駅前にあります。
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 「山陽電鉄須磨寺駅」です。ここから須磨寺公園駅まで乗車します。
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 「須磨寺公園」です。公園駅を降りて、陸橋を渡って公園に入っていきます。
 このあたりは、源氏物語、須磨の巻の舞台であり。一の谷の合戦の跡でもあることで有名です。
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 中腹にある展望台から、明石大橋方面の眺めです。
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 淡路島がすぐそこに見えます。
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 公園内にも歌碑や句碑があります。

 「松笠要歌碑」 
 (視野一望紀淡は近し山上の 潮南風に向きて胸張る 要)
 松笠要は須磨の歌人です。
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 「芭蕉蝸牛句碑」
 (蝸牛 角ふりわけよ 須磨明石 芭蕉)
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 「蕪村句碑」
 (春の海 終日のたり のたりかな 蕪村)
 与謝蕪村は江戸時代の俳人で、この句は蕪村が須磨の浦で詠んだものといわれています。
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 「敦盛塚」です。
 一の谷の合戦で、16歳の若さで熊谷次郎直実に討ち取られた、悲劇の武将平敦盛の供養塔といわれています、 一方、平家一門の供養塔ともいわれる説もあります。
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 「清々句碑」
 (雨中敦盛そばへ去りし 夜客や後の月 清々)
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 「草野藤次歌碑」 
 (須磨のうら 波の音あはれ吹きたへし 青葉の笛の昔おもへば 藤次)
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 「山陽電鉄須磨寺公園駅」から乗車して、須磨駅に帰ります。
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 「山陽電鉄須磨駅」に帰ってきました。
 須磨駅駅前です。
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 須磨散策も無事終了しました。まだまだ見所も多くあります。
 古から多くの文人墨客が訪れたのも、宜なるかなと思わせる、なにか惹きつけるものがあるようです。

(文中コメントは、須磨区及び、須磨観光協会のホームページより、引用、転載させていただきました。)




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このページは、Kが2014年6月29日 15:50に書いたブログ記事です。

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