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「湖畔の音楽室」

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 僕はヴィオラという楽器が好きです。
 ヴァイオリンとチェロとの間で中音域を担当する地味な楽器ですが、非常に奥深い音色でオーケストラのパートの重要な部門を占めており、また室内楽のパートでも外すことのできない存在です。
  過日、京響友の会コンサート終演後の楽団員の皆さんとの交流会で、ヴィオラ奏者の高村明代さんと少しお話しする機会があり、このコンサートの存在を知り、出かけてきました。

 
 当日公演のチラシです。
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 公演場所は大津市の北部、志賀町近くの大津市和邇文化センターです。
 降り立った、JR和迩駅正面です。
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 近くの真野浜や和邇浜は中学時代、夏の海水浴で学校行事で連れられてやってきた所で、懐かしく、少し早い目に出掛けてその辺りを散策しました。
 浜辺から見る比良の山並みです。釣人が海中に入って釣り糸を垂れていました。
 水は美しく澄み、空はあくまでも青く、さわやかな気分を満喫しました。
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 こちらは、南方向、堅田の浮御堂や琶湖大橋方面です。
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 説明板によると、明治18年と29年の二度にわたる琵琶湖水害を経験した、村の人たちが築いた石垣堰堤の跡です。
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 和邇文化センターは、和邇駅からすぐのところにあります。
 運動広場や和邇図書館、テニスコートなどと併設されており、広いプロムナードや駐車場もあり、静かな環境の立地に建っていました。
 正面は和邇図書館です。
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 大津市立和邇文化センター全景です。
 落着いた色調の感じの良い建物です。
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 センター正面です、
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 ホール正面です。
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 ホールの模様です。開場一番乗りで、空席のところを写したかったのですが、早くから来場者が多くて、開演時には、ほぼ満席の大盛況の音楽会でした。
 このホールは、客席500席の中ホールで、リサイタルや室内楽、合唱団などの演奏会には相応しいホールと言えます。
 比較的新しい建物で、客席もゆったりとして適度の傾斜もあり雰囲気の良いホールでした。
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 この公演は、大津市在住の3人の演奏家が、地元の人々に音楽を楽しんでもらうために催されているもので、今回は4回目の公演だそうで、主催は「びわこのーと」です。
 ヴァイオリンの河本 学さん、ヴィオラの高村明代さん、ピアノ永山直子さんの三人の珍しい組合せのコラボレーションで、趣向を凝らされた楽しめる演奏会でした。
 河本さんの司会で、演奏される一曲づつ、曲について、楽器について、またヴァイオリン製作の聖地といわれる、イタリアのクレモナのお話など、ユーモアを交えてお話されてたっぷり2時間の音楽会でした。

 
 チラシ記載の演奏者のプロフィールです。
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 ヴァイオリンの独奏、ヴァイオリンとヴィオラの二重奏、ピアノの独奏、そしてトリオによる演奏と、組合せをよく考えられた楽しいプログラムでした。
 永山さんのショパンのワルツやポロネーズなどの素晴らしい独奏には惜しみない拍手が送られ、河本、高村両氏の息の合ったコンビの演奏もまた魅了されました。
 最後のモーツアルトの協奏交響曲は、オーケストラ部門をピアノが受持ち、3者の技巧が巧みに示されていい演奏でした。

 
 チラシに記載の曲目の一部の紹介です。
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 このような楽しい地に足のついた地道な活動は、クラシック音楽ファンの裾野を広げ、文化の香りを生活の中に生かしていく大切な要素だと思います。
 お忙しい3人の方々ですが、これからも末長く続けていって欲しいと願っています。
「湖畔の音楽室」さわやかな湖畔のホールで、至福の一時を味わえることができ、気持ちよく帰路につきました。



「南座」舞台体験記

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 年末の、吉例顔見世興行が行われ、全国にその名を知られる、歌舞伎の殿堂、京都の南座、その南座の舞台を余すところなく体験出来るという催しに参加してきました。
 
 南座は、元和年間(1615〜1623)に四条河原の七つの芝居小屋の一つで、歴史と伝統を受け継ぎ、400年に亘り歌舞伎を上演し続けてきた、唯一の劇場です。
 昭和4年(1929)に竣工した現在の南座は、昭和の激動の時代を経て、平成3年(1991)に内部の大改修を行い、以後、多彩な舞台芸術に対応出来る機構を備えた劇場として、文化発信の拠点として活動しています。
 尚、歴史的建造物として、登録有形文化財に登録されています。
 

 舞台体験者に渡された、南座紹介のパンフレットです。
 表紙は、南座のシンボルマーク、大提灯が飾られています。
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 催しの紹介チラシです。
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 四条通りから見た、南座正面です。
 昭和4年に木造から鉄筋コンクリートに建てかえられ、桃山風破風造りと、屋根のある劇場は珍しく、独特の風情を醸し出して人気があります。
 年末には、顔見世の「まねき看板」が飾られて、テレビ等で紹介されます。
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 阿国歌舞伎発祥の碑です。
 南座、楽屋口の側に立てられています。
 慶長8年(1603年)この辺り鴨河原において、歌舞伎の始祖「出雲の阿国」がはじめて「かぶきおどり」を披露したという故事によります。
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 正面ホール、入ったところから見る舞台全景です。
 このように「素の舞台」を見ることが出来るのは、このような機会しかないでしょう。
 観劇の場合は、緞帳が下っているか、引幕や舞台装置が必ずありますから。
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 揚幕(あげまく)から見た花道と舞台です。
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 2階席正面から見た舞台です。
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 舞台上部の破風(はふ)と折り上げ格天井(ごうてんじょう)です。
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 緞帳(どんちょう)が下った舞台です。
 緞帳は「赤地草花連紋」あかじそうかれんもん。
 杜若の花、格調高い菊、可憐な小花、蔓、鴨川の飛沫、など自然豊かな京都を取り入れ、抽象的に組合せ連続模様として構成したデザインです。
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 2階正面、最前列の28席のみの特別席です。
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 2階特別席付近から見た舞台です。
 丁度写真の中央、舞台向って左(舞台下手)にあるのは「黒御簾」くろみすです。下座とも呼ばれます。
 この黒御簾は、小さな部屋になっていて、芝居の進行に合わせて、鳴物や唄、三味線などを演奏し、芝居を盛上げます。
 舞台側の格子窓に黒い御簾が掛かっていて、中からは舞台が見通せますが、客席からは見えません。
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 舞台上の破風は、江戸時代の芝居小屋は能舞台を模して作られました、そのため、舞台の上と桟敷のみ屋根がありました、そのスタイルを今に残しているのが唐破風です。
 大天井は、明治以降、瓦屋根が葺かれるようになり、井桁に組んだ格天井が作られ、中央部が一段上がっているのを折り上げ格天井と言われています。
 寺院の本堂などによく見られる天井で、細工が難しいと言われます。
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 折り上げ格天井です。
 中央のシャンデリアは、アール・デコ様式で宇宙を表現した、装飾模様になっています。
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  舞台前から客席を見ています。
  2階、3階と見上げると豪壮で華やかで、ヨーロッパの古いオペラ座に負けない雰囲気だと思います。
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 1階桟敷席からの花道と客席です。
 桟敷席は掘りごたつ式になっています。左右にあり、顔見世興行の時、京都花街の舞妓さんや芸者さんの総見でお馴染です。
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 揚幕(あげまく)です。
 「チャリン}という独特の音を響かせて幕が引かれ、登場人物が現れます。
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 ホールの階段です。
 凝った意匠の階段です。歴史の重みを感じます。
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 2階ロビーです。
 色々な展示が行われています。
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 まねき看板や錦絵。顔見世の解説など、盛り沢山の展示です。
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 白井松次郎・大谷竹次郎の彫像です。
 白井松次郎と大谷竹次郎は双子の兄弟で、松竹の創業者です、劇場の興行から映画の制作や配給に乗り出し今の松竹を創り上げた人です。
 松次郎、竹次郎の名前が、松竹の名前の由来です。
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 1階ロビーでは、歌舞伎上演に使用する乗物や、効果音のための小道具など、実際に乗って、小道具を操作し鳴らしてと、楽しめました。

 和船です。各自、棹を使用して、係の人が写真を撮ってくれました。
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 駕籠です。
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 馬です。
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 効果音を出すための、小道具類が沢山展示されています。
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 持上げて左右に傾けると、浜辺での波の大波小波の音が出せます。
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続いて、花道や追り(セリ),廻り舞台など、江戸時代に日本の芝居小屋で始まった歌舞伎特有の舞台機構を体験することができました。

 
 3階最上階から舞台全体を俯瞰しています。
 廻り舞台の円形の大きさや、追り(せり)の矩形の形などが分かります。
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 舞台の前です。
 花道の下に、通り抜けの通路があります。
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 舞台上から見た客席です。
 演者は常にこの光景を見ながら、そして客席の反応を見ながら演じているのですね。
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 舞台最後方からの客席方向です。
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 体験者は、揚幕から花道へ一列になって出て行きます。
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 舞台から揚幕を振返ったところです。
 手前は、花道の舞台寄りの七三にある「スッポン」です。
 スッポンは小型のセリです。原則として、妖術使いや妖怪、幽霊などが登場したり、退場したりする時に使用します。
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 廻り舞台です。
 全員が廻り舞台の縁に一列に並んで、実際に一周動かしていただきました、結構スピードがありました。
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 廻り舞台上からの客席です。
 右の女性は、舞台の解説をしてもらったスタッフです。
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 セリとは、舞台の一部をくりぬき、その部分を上下に動かすことができる舞台機構です。
 セリの矩形です。赤い線は安全線で、危険を回避するための目印です。
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 上がるセリと、下るセリを同時に動かして、体験します。
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 上がるセリが上がったところです。高さは約2mあります。
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 下るセリが動き出したところです。
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 このような感じになります。
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 下るセリが降り立ったところ、いわゆる奈落です。
 壁面はこのような感じです。
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 下ったセリから上部を見上げています。
 なかなか面白い感じです。
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 セリが上がってきたところです。
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 目線が舞台床と同じになりました。
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 約30分余りの舞台機構を体験して終わりました。
 最後にまた花道から、客席を眺めながら退場します。
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 生身の演者が、多くの裏方さんの協力で演じていく芝居という芸術、そこに同じ空間の空気を感じ、泣き笑い感動する、舞台は楽しの一語に尽きます。
(各コメントは頂いた冊子より、参考及び引用させていただきました)

「殿様と私」

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京都労演例会 劇団 文学座公演 「殿様と私」呉竹文化センター 2013年12月15日16日公演
出演者 たかお鷹さん 佐川和正さん 松山愛佳さん 加藤 武さん 寺田路恵さん 富沢亞古さん、他

 時は近代日本の幕開け、鹿鳴館時代、白川子爵(華族令により江戸時代の大名)は鹿鳴館に招待されるがダンスが踊れない。
 そこで、アメリカのカートライト夫人に手解きを受ける羽目に陥るが、そこで始まる、西欧文化と日本文化の衝突を、真面目で、そして可笑しくもある、成り行きの内に、お互いの人間としての信頼関係を築いていくという。
 たかお鷹さん(殿様)加藤 武さん(家老)ベテラン達の皆さんの息の合った俳優陣と、若手俳優さんとの絶妙のアンサンブルでの2時間余の「マキノノゾミ」作の楽しいお芝居でした。

 公演初日には、終演後、お疲れで大変ななか、出演者と観客の交流会が開かれて、楽しい一時を持つことが出来ました。
 このようなことは、演劇鑑賞会ならではの催しであり、創造者である劇団と、受手である観客との相互の信頼関係の上に出来得ることです。
 16日の公演終演後は、舞台装置の解体、搬出をお手伝いしました。

 これはお手伝いの合間に撮った、その時のスナップ写真です。

 

 例会機関誌です。
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 白河子爵(殿様)のお部屋です。豪華なしつらえになっています。
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 終演直後の写真です。素晴らしい舞台装置です。
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 ここからまず小道具類の搬出となります。次の公演に支障のないよう気をつけてお手伝いします。
 豪華なソファや机などを搬出します。舞台横から見るとこのような造りとなっています。
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 建て込みの裏側です。
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 小道具類の搬出後、床から撤去します。大道具の方たちがてきぱきと作業を進められていきます。
 各々が持ち場を段取り良く仕事を進められていくのに感心します。
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 殆ど床が撤去され、間仕切りが外されて行きます
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 吊り下げられ固定されていた間仕切りが慎重に下ろされています。我々素人は危ないのでしばし休憩状態です。
 その後、指示に従って運搬します。
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 舞台装置が搬出されると、並行して吊り下げてあるライト類を下ろす準備が始まります。
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 搬出された道具類はトラックに積込まれていきます。熟練のいる仕事です。上手く収納しないと積み残しが出来る恐れがありますが、そこは百戦錬磨の強者たち、すべての収納物が何処に収まるか頭の中に入っているようで吃驚します。
 それらの積込みが終わると、夜を徹して次の公演地に移動し、また組立が始まります。このように地方を順次訪れて先遣隊の役割を果たしていかれます。大変な仕事だと頭が下ります。
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 暗幕や垂幕、紗幕などとライト類が順次下ってきます
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 怪我をしないように、「ライトを下ろします」と責任者の声が舞台上に響きます。
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 凄い数のライト類です。
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 ライト類の取り外しも、昭明さんでないと、素人には手出しは全く出来ません。
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 殆ど搬出が終わりに近づくと最後の清掃です。隅から隅まできれいに清掃していきます。
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 客席からの搬出の終わった舞台上を眺めてお暇しました。
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 舞台というのは本当に総合芸術だという感を深くします。出演者だけでなく、演出家を始め、大道具、小道具、音響、照明、その他多くの裏方さんの努力によって成り立っています。
 そして、その劇場という空間の空気を観客も含め、お互いに共有することによって、良い芝居ができ上がり、感動を分ち合えることができると思います。またこのような舞台装置の設営や、搬出などを見せて頂くことによって、より芝居をみる楽しみが倍加されていくように思います。
 やはり''舞台は楽し''
京都労演例会 トム・プロジェクトプロヂュース公演 「青空・・・!」 新妻聖子ひとり芝居 府立文化芸術会館 2013年7月28日
出演 新妻聖子さん  作・演出 東  憲司さん
 小学校教員の村野五月(新妻聖子)は、教育現場で挫折し、亡くなった祖母が、かって生活を営んでいた田舎へ逃避してくる。
 そこには戦争中、避難していた防空壕があり、三年間の生き様が、そのまま残っていた。
 折り紙で作った、数々の動物たち、一際、大きく、制作半ばのキリンが置かれていた、青空と題したノートと共に。
 そのノートを読む内に、祖母との対話を、自分自身で仮想しながら、自分自身を取戻し、現場へ戻る勇気を与えられる。
「夢、希望、そして青空」五月のラストに歌う歌声は、力強く、彼方の祖母へ届けとばかりに。
 難しい、独り芝居を、若さと演技力で乗切り、また、第一線のミュージカル女優として培われた、劇中で歌う、美しい歌声は、観客を魅了しました。 



            例会誌、表紙
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終演後、劇団のご好意で、舞台装置の見学が、二日間に亘って、少人数に分割されて、行われました。
 通常は、舞台に上がる事は、関係者以外、許されない事が多く(装置の一部が破損したり、精密な機械が設置されていて、もしもの事があると、公演が続けられない事態も起こり得るので)特別な計らいで、珍しい装置の秘密などを知り得て、面白かった。
 最初に、舞台監督の松本さんのご挨拶と、説明並びに、舞台上の見学の注意点が、話されました。
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    舞台装置の全体像
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     キリンと折り紙の数々 1
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     キリンと折り紙の数々 2
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舞台上で、いろいろの質問が交わされて、皆さん興味津々。
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キリンの首や、羽根が動き、青空に向かって、希望を持って、羽ばたこうとする。
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照明さんの操作によって、キリンの色が、、いろいろ変化する。
 出演者は一人であっても、吃驚するほど、多くの裏方さんの努力によって、舞台は成り立っている事に、改めて思い知らされ、演劇という総合芸術に、益々、魅せられていきました。
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 てがみ座 公演 「空のハモニカ」
 京都芸術センター(元、明倫小学校) 2013年7月5日
脚本 長田育恵さん 演出 扇田拓也さん 出演者 福田温子さん 今泉 舞さん 箱田暁史さん 他

東京で活動する、劇団てがみ座の初めての京都公演で、脚本の長田さんも、劇団の旗揚げ公演のように緊張していると話されていた。
 詩人、金子みすず(本名テル)の26才という若さで自ら命を絶った苦悩の人生を、大正末から昭和の始めに掛けての、あの男尊女卑の時代に、夫の確執、家族の問題を抱えながら、詩人として生きたいと願う、女性の生き様として描いた、見応えのある舞台であった。


      公演のチラシ
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公演を紹介した京都新聞の紙面         
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京都芸術センターは、廃校となった明倫小学校である。
 明治に京都のとりわけ呉服商で栄えた室町の商家たち町衆によって建てられ、昭和6年(1931年)に大改築を行い、現在の建物となりました。
 モダンな建物は、外観は既存のまま、内部を芸術センターとして一部改装して、一般の人々の使用に供しています。
 南観、西館、北館、正門及び塀が、国の登録有形文化財に登録されています。

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