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 京都の西南に位置する洛西の大枝、大原野、向日市にかけては古くから京のたけのこの産地として有名でした。そこに広大な「洛西ニュータウン」が建設され、それを記念して昭和56年(1981年)竹林公園が開園されました。公園の面積約35000㎡、(甲子園のグランドやスタンドを含めた広さに相当します)約110種類の竹や笹を配し、生態園を含めた回遊式庭園です。

 

「竹林公園」のパンフレットです。

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 京都市内から「竹林公園」への道筋には、洛西地域に入ると竹林の生茂る「西の岡竹林道」を行きます。そこには道路脇両側に、オリジナルの竹垣が公園入口まで続いて、ほとんど車の往来の無い、絶好の静かな散歩道となっています。

    「かぐや垣」です。

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   「海道垣」です。

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    「竹穂垣」です。

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    「来迎寺垣」です。

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    「寺戸垣」です。

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    「竹穂垣」です。

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   このような「道」が延々と続いています。

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      「物集女垣」です。

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   「竹林公園」の入口です。

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   入口を入って、左右に植栽された各種の竹を眺めながら(竹の小径)を道なりに進んでいきます。

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   「竹の資料館」が建っています。

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   キッコウチク(亀甲竹)です。

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  「竹の資料館」の前から西方に「洛西ニュータウン」を眺めることができます。

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  遊歩道が続いています。品種名板が取付けてあり、竹の名称などがよく分かります。

   キンメイモウソウ(金明孟宗)です。

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    ホウオウチク(鳳凰竹)です。

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    カンチク(寒竹)です。

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  「竹の資料館」の内部です。パネルの展示や実物などを通して竹の勉強が出来るようになっています。

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    「京銘竹」の展示です。和風建築の装飾品として、床柱や壁止まり、天井材などに広く使用されて独特の優雅な趣を醸し出す材料です。

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   「資料館」のテラスにでると、目の前に手入れの行き届いた立派な庭園が広がります。

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   テラス前には新緑に映える「しだれもみじ」の深紅が一際目立ちます。

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   「資料館」のテラスから「茶室」を眺めています。キンメイモウソウと白砂の散策道が目を惹きます。

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  茶室「竹風軒」内部です。京銘竹や竹工芸品を用いて建築されています。

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   「茶室前」から「資料館」を見ています。

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  庭園に架かる「百々橋」(どどばし)です。応仁の乱の合戦で、京の宝鏡寺門前の小川を境に東軍、西軍の激しい戦いが行われました、その小川に架けられていた石橋が「百々橋」と呼ばれ、その後、いく度かの戦いの後、昭和38年(1963年)に小川が埋められ、その歴史的遺構としてこの場所に移築されたものです。

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  「百々橋」を渡り階段状の遊歩道を上っていきます。

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  「クマササ」が一帯に繁茂しています。

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  「見本園」です。日本各地のささ類を植栽しています。

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   「ミヤコササ」です。

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   小高い丘の一画に「石仏群」が安置されています。織田信長が、室町幕府最後の将軍、足利義昭のために築いた、旧二条城の石垣に使われたという石仏約350体が安置されています。

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  小高い丘から「資料館」を見下ろしています。

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   「竹林公園」を出て、「京都市域」から「向日市域」に入ると、「竹の径」と称して、また同じように静かで涼しい道が「寺戸方面」に続いています。時折散策する人々に出会うだけの得難い竹の道が、我々を迎えてくれます。

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洛西「十輪寺」

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 十輪寺(じゅうりんじ)は山号を小塩山といい、天台宗の寺院です。ご本尊は延命地蔵菩薩で、京都洛西観音霊場第三番の札所です。創建は、嘉祥3年(850年)文徳天皇の皇后染殿皇后が安産祈願をしたことが始まりとされ、また在原業平が、晩年このお寺に隠棲したとの由縁から「なりひらでら」と通称で呼ばれています。応仁の乱などにより寺運が衰えましたが、寛文年間花山院定好によって再建されました。

 

  正面参道ですが、参詣には、右の駐車場横からの参道を使用します。

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  「山門」です。

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  「山門」を入ると正面に「書院」があり、受付があります。参詣にあたって、ご住職から堂塔の説明や、在原業平との由縁など事前に説明を受けてから、本堂に向かいます。

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  「中門」を潜ると目の前に庭園と本堂が現れます。

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   「庭園」です。

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  「本堂」(重要文化財)です。創建当時の伽藍は、応仁の乱で焼失し、寛延3年(1750年)の再建です。屋根はお神輿の屋根によく見られる鳳輦型を型どった、非常に珍しいものです。

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   「庭園」の一画に「鐘楼」(重要文化財)があります。

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   「鐘楼」です。寛文6年(1666年)の建立で「不迷梵鐘」(まよわずのかね)と呼ばれています。

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   「業平紅葉」です。

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   「本堂」「業平御殿」に向かう「髙廊下」です。一段と高くなったこの廊下から眺めるお庭は、天上界から見下ろす天人になったつもりで感ずるという。

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  「庭園」「三方普感の庭」(さんぽうふかん)です。寛延3年(1750年)右大臣藤原常雅公が、本堂再興した時に造られたもので、髙廊下、茶室、業平御殿の三箇所から場所を変え、見る人に様々な想いを感じさせる癒しの庭です。大きな石3個は、過去、現在、未来を現し、この庭に大宇宙を観ずるというもの、中央はなりひら桜です。

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  「なりひら桜」です。樹齢200年ぐらいで、業平御殿から横に寝て手枕で眺めた「天蓋の桜}は緑濃いなりひら桜で、勧められた通り全くの違った趣を感じ取ることができました。

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  「本堂」から裏の山道を辿ると在原業平の旧跡が散在します。

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  「在原業平」のお墓です。

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  在原業平旧跡「塩竈の跡」です。平安時代の歌人、在原業平がその晩年に隠棲し、難波の海水を運び、塩焼きの風流を楽しんだと伝えられています。毎年11月23日には「塩竈清めの祭」が行われます。

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   「本堂」の「鳳輦型」の屋根の様子がよく分かります。

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 洛西大原野に点在する社寺を巡り、帰路、十輪寺に寄り、一日を終えました。さすがに疲労感は濃く、これほど多くを巡ったのは初めてでしたが、それぞれの社寺の仏像などをゆっくり拝観し、充実した気持ちで帰宅しました。

 

 

洛西「三鈷寺」

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 三鈷寺(さんこじ)は山号は西山で、その西山の中腹にあります。平安時代承保元年(1074年)源算上人が草庵をむすんで北尾往生院としたのが始まりです。その後、建保元年(1213年)西山上人が後を継がれ「不断如法念仏道場」とされ、背後の山容が仏具の三鈷杵に似ているところから、寺名を三鈷寺と改められました。ご本尊は如法仏眼曼荼羅で洛西観音霊場第五番、西山国師遺跡霊場第十二番です。拝観をお願いすると、ご住職が一緒に本堂など巡っていただき、懇切丁寧に説明していただけます。

 

  灰谷集落から、三鈷寺道の石柱(里程標)が村道の脇にひっそりと立っています、60里と彫ってあり、相当な距離を信仰心の強い人々がここからお参りしていたのでしょう。

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  「善峰寺」のバス停から上る参道があります。

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  山道を10分ほど上ると最後の石段で「三鈷寺」に到着します。

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  左右に「卒塔婆型」の「結界木柱」が立っています。

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  境内に入ると正面に「本堂」があります。

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  「本堂」の右手には、庭園と山門に通じる道があります。

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   山門側にある「華台廟」です。「西山上人」と「実信房蓮生」をお祀りしています。

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  「山門」を入った広場です。

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  一隅には「お地蔵さん」もお祀りされています。

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  「山門です」。善峰寺北門からの山道を来ると、この山門に至ります。

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   「書院」と「客殿」です。

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   本堂横の「庭園」です。

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  「客殿」から見る、参道と本堂です。

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  「客殿」からの眺めは最高です。比叡山から東山、京都市街、お天気の良い時には宇治、木津方面まで俯瞰できます。

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洛西「善峰寺」

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 善峰寺(よしみねでら)は山号は西山といい、平安中期の長元2年(1029年)源算上人により開かれた天台宗のお寺です。室町時代には、僧坊52に及びましたが、応仁の乱により大半が焼失しました。江戸時代、桂昌院の尽力により再興されました。ご本尊は千手観世音菩薩です。西国三十三所観音霊場第20番札所及び京都洛西観音霊場第1番札所となっています。

 

 

  善峰寺バス停からの参道です。

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  「座禅石」です。参道入口から山門に行く参道の山道の途中にあります。源算上人が開山を思惟するため、この苔むした岩石の上に40日座り開創したと伝えられています。

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  「東門」です。

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   「山門」(楼門)です。正徳3年(1716年)建立で、三間一戸の楼門形式のお堂です。

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  「山門」を潜ると正面石段の向こうに「観音堂」があります。

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  「観音堂」(本堂)です。元禄5年(1692年)桂昌院の寄進により、再建された入母屋造りのお堂です。ご本尊は千手観音です。

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  順路に従って境内を回っていきます。「遊龍の松」(ゆうりゅうのまつ)です。五葉松で、樹齢600年以上といわれ、全長37m、国の天然記念物に指定されています。幹が地を這うように伸びる巨大な松は、臥龍の遊ぶ姿に見えることから命名されました。

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   「鐘楼堂」(つりがね堂)です。貞享3年(1686年)五代将軍綱吉公の厄年にあたり、桂昌院により建立されました。故に「厄除の鐘」と言われています。

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  「護摩堂」です。ご本尊は五大明王で、元禄5年(1692年)桂昌院により建立されました。

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  「多宝塔」(重要文化財)です。元和7年(1621年)建立されました。ご本尊は愛染明王です。

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  「経堂」と「桂昌院しだれ桜」です。経堂は宝永2年(1705年)桂昌院により寄進されました。左は、桂昌院お手植えと伝えられる、樹齢300年以上のしだれ桜です。

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  経堂の近くから、山崎天王山方面が見渡せます。

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  「幸福地蔵堂」です。斜面にせり出し、「あじさい苑」を全体に眺めることができます。

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  「桜あじさい苑」です。あじさいが見頃を迎え、お寺の斜面や眼下に大きく広がります。

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  散策路が上手く配置されていて、参詣者の目を楽しませてくれます。

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  「桜あじさい苑」から「幸福地蔵堂」を見上げたところです。

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  「北門」付近から見下ろしています。

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  境内の高所にある「薬師堂」への石段です。

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   「薬師堂」です。元禄14年(1701年)建立されましたが、昭和時代に、現在地に移築されました。桂昌院出生の由縁により「出世薬師如来」と云われています。

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  「薬師堂」からの絶景です。京都市内から山崎天王山と一望です。

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   「けいしょう殿」昭和年代に、花山法皇西国札所中興一千年を記念して建立されました。

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  「稲荷社」です。 正一位稲荷大明神をお祀りしています。

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  「釈迦堂」です。寛文13年(1673年)建立です。ご本尊は宝冠阿弥陀如来です。

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  「阿弥陀堂」への長い参道です。

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  「阿弥陀堂」です。

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  「本坊」です。 

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 「善峰寺」の釈迦堂の近くにある「北門」から山道沿いに100m程で「三鈷寺」へお参りすることができます。昔は何もなかったのですが、今は回転ドアが設けられていて、一旦外へ出ると、再度入山する時は連絡して開けてもらう必要があります。善峰寺を巡ったあと、三鈷寺へと向かいました。

 

 

 

洛西「金蔵寺」

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 金蔵寺(こんぞうじ)は小塩山(標高642m)の東南斜面の中腹に建立されています。金蔵寺は奈良時代養老2年(718年)隆豊禅師によって開創された天台宗の寺院で、山号は西岩倉山で、応仁の乱以前は、寺中に堂塔伽藍49院の僧坊を擁する大寺でしたが、応仁の乱や永禄の兵火によって殆どの建物が焼失しました。その後、徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院により、幼少時に金蔵寺に寄食した縁で、復興に多大の援助を行いました.現在の本堂はじめ、庫裏、客殿、護摩堂、仁王門、開山堂など現存する建物は貞享4年(1687年)から宝永2年(1705年)の間に再建されたものです。

 

  大原野の田園地帯を、「小塩山」に向けて4キロ程進みます。

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  車の離合困難なような山道を上っていきます。

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  「仁王門」です。

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  立派な「仁王様」が出迎えてくれます。

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  「仁王門」をくぐり急な石段を上ると「庫裏」や「池」のある広場にでます。

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  「庫裏」です。訪いを告げても応答もなく、静かな空間がひろがります。

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 金蔵寺再建の祖、「桂昌院尼公」が生類を憐れみ造成された池があり、例年、放生の会式を勤められました、いつの頃から絶えていましたが、その後、復興し、放生会式が行われています。

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  「庫裏」を過ぎ、石段を上った高いところに「本堂」があります。ご本尊は「十一面千手千眼観音」です。

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 歴史を語るような扁額が掲げられています。

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  静謐という言葉がぴったりの本堂です。

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   「本堂」からの風景です。

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      「鐘楼」です。

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   苔むした石段を上がると「開山堂」です。

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   本堂奥、山の中腹に「愛宕大権現」がお祀りされています。その「前立尊奉安所」です。

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   「葉山神社」です。富士浅間大社の「木花咲弥姫大神」を勧請して建立し、桂昌院をも合わせてお祀りしています。

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   「下の川弁財天」です。

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  本堂横の「愛宕大権現への鳥居」です。鳥居を潜って長い石段の参道を上がっていきます。

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  「愛宕大権現」の社殿です。愛宕大権現は廃仏毀釈により愛宕神社の甲冑姿で騎乗する勝軍地蔵が、金蔵寺に移されたものです。

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  「桂昌院御廟所」です。桂昌院は金蔵寺復興の祖として、その功徳を顕彰してお祀りしています。愛宕大権現の近くにあります。

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  寺域の一画に見晴らし台が設けてありそこからの眺めは素晴らしいものがあります。

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  西山連山から長岡方面です。

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 京都市内からも遠く、このような山中に立派な古刹があることに驚きです。ご住職が一人黙々と、竹箒を手に斜面の多い広い寺域を清掃されている姿を見て、維持管理のご苦労を垣間見る思いでした。

この後、もときた道を灰方まで戻り善峰寺に向かいます。

 

 

 

 

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