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紅葉の龍安寺 2017

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 晩秋の寒気が身を包み込む早朝、紅葉真っ盛りの龍安寺の庭園を訪れました。大雲山龍安寺は方丈庭園が「石庭」としてよく知られていますが、それは戦後の禅ブームにより広く喧伝されてであり、以前は方丈の南側に位置する広い庭園が有名であったと言われています。

 

 龍安寺の参道正面です。山門に向って真直ぐ石畳の参道が続いています、ただ惜しむらくは、昭和38年(1963年)仁和寺から龍安寺、金閣寺への観光道路(きぬかけの路)が開通し、この参道が分断されたことでしょう。

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  分断されたきぬかけの路」から紅葉の『参道が続いています。多くの観光客はここから山門に向かいます。

 

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 「山門」です。早朝で未だ開門されていません。

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 「山門」を入ると「龍安寺境内の全景」が掲示されています。

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 その境内図前から、池の東側を巡り、「庫裏」や「方丈」へ向かう洗砂利の敷詰められた参道が続きます。参道の左側は広大な「鏡容池」(きょうようち)が広がり、「鏡容池」をを中心として「龍安寺庭園」(国の名勝)があります。

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 「鏡容池」です。この池は池泉回遊式庭園になっていて、周囲を散策路が作られています。

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  目の前に「伏虎島」が、そして「鏡容池」の全景が望めます。

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 「鏡容池」に浮かぶ「辧天島」が見えます。

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  池を隔て「大珠院」。後方には仁和寺から続く山並みが連なります。

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  「三笑橋」を渡って行きます

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  参道を進むと池の北側に回り込み、左右に「龍安寺垣」が見られるようになります。

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 やがて参道から左折れで「辧天島」に渡る「石橋」が見えます。

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  「辧天島」には「大辧財尊天」がお祀りされています。

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   「辧天島」から「鏡容池」を眺めています、ちょうど太陽が昇ってきました。

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    鏡容池」に掛かる石橋から見ると水鳥や多数の鯉、亀などがのんびり泳いでいます。

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  参道から左に折れると「辧天島」へ、右に進むと石庭のある「方丈」への参道が続いていきます。

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  その「方丈」への参道脇に「石の大佛」さまがお祀りされています。

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  「方丈」への石段が続いています。

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   紅葉のトンネルを経て「方丈」への参道です。

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   石段を上がり切ったところから振返って紅葉の美しさを愛でます。

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  「庫裏」に続く「方丈」の入口です。

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  池を巡る北側の散策路を「納骨堂」、「パコダノ塔」へと向かいます。

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  その途中に「方丈」への「勅使門」が見えます。

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  池を周遊する散策路の紅葉のトンネルがつづいています。

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  「納骨堂」の前の「パコダノ」仏塔です。「桜苑」への道筋です。

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  「納骨堂」です。

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  「桜苑」の入口です、後方には春は桜や梅が美しく咲き誇ります。

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  「桜苑」前から木立の中を小径が池の西側の散策路へとつながっています。

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  池の西側の大きな「藤棚」です。

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  池には初夏には「睡蓮」が可憐な花を咲かせます。

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  やがて、池の南側となり左手に池を眺めながら「山門」へと向かいます。

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  池に浮かぶ「伏虎島」です。

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  池の南側の散策路を振返ったところです。

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  素晴らしい紅葉に感動しながら最後に「山門」を退出します。

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  「山門」を出て「きぬかけの径」に向かいます。

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 京都の秋はどこへ行っても美しい紅葉が見られます。特に神社やお寺は庭の手入れが行き届いていて、一際美しい光景を目にすることができます。京都に生まれ京都で育った私は四季それぞれ常にその恩恵に恵まれ、幸せだとつくづく感じています、京都しかない京都の良さをいつまでも守り続けたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 5月15日、古都を彩る京都三大祭のひとつ「葵祭」の巡行が行われ、雅な平安装束に身を包んだ行列が、多くの市民や観光客を魅了しました。私も午後、新緑の加茂街道に出かけて、華麗な平安絵巻を見物しました。

 この「葵祭」は下鴨神社と上賀茂神社の例祭で、1400年前、欽明天皇が五穀豊穰を祈ったのが始まりとされ、江戸時代より行列などの飾りを、すべて葵の葉(フタバアオイ)で飾るようになって「葵祭」と呼ばれるようになりました。

 行列は、大きく分けて本列と斎王代列に分かれ、本列は勅使代を中心に、斎王代列は斎王代を中心にした女人列となっています。

「本列」

  「乗尻」(のりじり)です。行列を先導する騎馬隊です。

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  「検非違使尉」(けびいしのじょう)です。行列の警備の最高責任者です。

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  「山城使」(やましろつかい)と従者たちです。

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  「牛車」(ぎっしゃ)です。一般に御所車といわれ、天皇の使いで、行列中の最高位者の勅使(ちょくし)が乗る車で、藤の花などで軒を飾り、牛に引かせます。行列の最高の華として注目を浴びています。

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  「風流傘」(ふりゅうがさ)です。大笠の上に牡丹や杜若の花などを飾り、華やかさを演出します。

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  同じく「風流傘」(ふりゅうがさ)です。本列の最後を担います。

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「斎王代列」

  「命婦」(みょうぶ)の列です。高級女官の通称で、花笠を差し掛けられ参内します。

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   「命婦」列です。 

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  「女嬬」(にょじゅ)食事を司る女官たちです。

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  「斎王代」(さいおうだい)の行列です。   

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   「斎王」は葵祭の主役で、平安時代には内親王が選ばれて奉仕をしましたが、現在は斎王に代わるものとして、斎王代が京都市民の中から選ばれて、御祓をすませ、十二単の大礼服で、腰輿(およよ)という輿に乗って参内します。

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  「童女」(わらしべ)です。

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  騎女(むなのりおんな)斎王付きの巫女です。女官達と共に6騎が列をなしています。

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   采女(うねめ)です。朝廷での日常の用務にあたっていました。

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  蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)雅楽を演奏する文官です。

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   牛車(ぎっしゃ)です。斎王の乗る牛車で、葵と桂のほか桜と橘の飾られます。

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 牛車を最後に華麗な葵祭の巡行も終わりました。この行列には、多くの奉仕者を始め、多数の牛馬などが加わり、路頭の儀として行われています。また、この巡行前後に上賀茂、下鴨両神社では古からの多くの厳かな神事や儀式が執り行われ、王朝の伝統を忠実に守られています。これらの行事を受け継いでおられる関係者の労苦も大変なことと察しますが、京の町衆の大いなる力も、その支えの一端になっていることと思います。

 

 

 

 

 

桜の名所「平野神社」

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 今年の京都の桜シーズンは、天候不順で鬱陶しい日々が続いています。その合間を縫って、京都の桜名所の一つ、平野神社へ出かけました。この平野神社は、早咲きから遅咲きまで、桜の品種が非常に多く、長い期間お花見を楽しめるのが特徴です。

 

  「正面鳥居」と参道です。

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  参道の左右もさすがに桜の花盛りです。

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   「鳥居」を潜り参道を進みます。

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  参道脇の「末社」も満開の桜の樹木に覆われています。

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  「神門」脇の枝垂れ桜が参詣者の肩に触れるようです。この桜は「魁」(さきがけ)という品種で、平野神社発祥の枝垂れ桜で、平野神社の代表的名桜です。この桜が咲くと、京都のお花見が始まると言われています。

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  「魁」(さきがけ)です。

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   「神門」を過ぎて「拝殿」です。

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  「拝殿」を通して見る枝垂れ桜が満開です。

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  「八重紅枝垂桜」です。

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  「本殿」です。平野皇大神が祀られています。

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   可憐な「庭桜」です。

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  「衣笠」(きぬがさ)平野神社原木の桜です。

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  「衣笠」です。

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   「大内山」です。

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   「大内山」です。

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   白雲桜(しらくもさくら)百年余の古木であり、美麗で優雅、斎庭に相応しい花です。

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   「白雲桜」です。

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   「寝覚」(ねざめ)です。平野神社発祥の桜で、花は白い一重咲きで、葉が茂ると開花します。

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   「鬱金」(うこん)です。桜の品種の内、唯一黄色の花を咲かせる桜です。国内で見られるのは数少ないようです。

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   「鬱金」(うこん)です。

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   「楊貴妃」(ようきひ)です。

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   楊貴妃(ようきひ)です。

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    「芝山」(しばやま)花びらは白く円形で、しわ状のうねりがあります。

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    「芝山」(しばやま)です。

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    「朱雀」(すざく)です。花は半八重咲きで小花柄が長く下向きに咲きます。hi27.JPG

 

   「有明」(ありあけ)です。

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   「海棠」(かいとう)です。

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   「白妙」(しらたえ)です。

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   「桜苑」です。気楽にお弁当を持って、お花見ができるように、広大な桜苑が整備されています。桜苑をひと回りして、出口に向かいました。

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   「南門」です。お天気はあまり良くなかったですが、多くの品種の満開の桜に満足して、この南門から退出しました。

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「金閣寺」の雪景色

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 この冬の京都市内は、例年になく雪が降る日が多く、1月31日夜から2月1日にかけても積雪を見ました。この機会にと、雪景色の金閣寺を見に出掛けてきました。

 金閣寺の正式名称は鹿苑寺といい。臨済宗相国寺派の塔頭寺院の一つです。舎利殿「金閣」が特に有名なため、一般的に金閣寺と呼ばれています。元は、鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を、室町幕府三代将軍足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。

 

  参道入口の「黒門」です。

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  入口を通り参道を「総門」に向かいます。

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  「総門入口」です。

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  「総門」です。

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  「鐘楼」です。鐘は西園寺家に由来し、鎌倉期に作られたと伝えられています。

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  「庫裏」です。禅宗特有の様式の建物で、明応・文亀年間(1492〜1504)の建物です。

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  「唐門」です。

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  「檪樫」(いちいがし)の巨木です。京都市指定天然記念物に指定されています。

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  舎利殿(金閣)への土塀の続く参道です。

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 参道を抜けると、眼前に「鏡湖池」(きょうこち)が広がり、奥に「金閣」が姿を見せています。境内約4万余坪の内、2万8千坪が鹿苑寺庭園として、特別史跡及び特別名勝指定地となっています。鏡湖池は約2千坪あり、正面に見える葦原島など、大小の島々、などの奇岩名石が配置され、池泉回遊式庭園となっています。

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 「金閣」は二層と三層は漆の上から金箔が張ってあり、屋根はさわらの薄い板を重ね張りした杮葺きで葺かれています。一層は寝殿造で法水院(ほっすいん)、二層は武家造で潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれ、三層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれています。三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物です。

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  「鏡湖池」の周りを巡りながら、「金閣」を近くから眺めることができます。

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  屋根の上には、中国ではめでたい鳥といわれる「鳳凰」(ほうおう)が輝いています。

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  「鏡湖池」を金閣側から眺めたものです。

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  「方丈」です。

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  「陸舟の松」(りくしゅう)です。足利義満公遺愛の盆栽を移し、帆掛け船の形に仕立てたとされる五葉の松です。樹齢約600年といわれています。

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  「銀河泉」(ぎんがせん)です。義満がお茶の水に使ったと伝えられています。今も清冽な清水が湧き出しています。

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  「巌下水」(がんかすい)です。義満公が手洗いに用いたといわれています。

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  「金閣」の後ろは小高くなっており、山路を順次辿って行くようになっています。

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  「金閣寺垣」です。真中の小さな石橋を「虎渓橋」(こけいきょう)といい、その両側の低い竹垣を「金閣寺垣」といい、小竹垣の代表とされています。

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  「安民沢」(あんみんたく)です。周りが樹林に囲まれたほの暗い池があります、雨乞の場ともされ、中央の小島に白蛇塚という五輪の石塔があり、西園寺家の鎮守とされています。

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   山路を辿り一番小高いところに「夕佳亭」があり、その前から「金閣」が眺められ、夕日に映える「金閣」がことのほか美しいと言われています。

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  「夕佳亭」(せっかてい)です。江戸時代、金閣を復興した鳳林丞章が、金森宗和に造らせたお茶室です。

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  「三帖のお茶室」で、南天の床柱と萩の違い棚で有名です。

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  「夕佳亭」から程なく庭園出口となり、参道へと戻っていきます。

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   (各コメントは、鹿苑寺のホームページより引用させていただきました。)

 

 

 

植物園の「菊花展」

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 京都府立植物園の恒例の「菊花展」を見学して参りました。いずれも丹精込めた力作揃いで目を楽しませてくれました。

 

 「小菊」の部です。 「ポットマム」鉢植え(ポット)作りの菊です。可憐な小菊の鉢植えのいろいろは最も好きな菊花です。

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 「大菊3本仕立て」の部です。 頭花の直径が、18センチ以上を大菊と呼ばれます。1本の苗先端を摘心して、3本に枝分かれさせて、花を咲かせる栽培です。厚物(あつもの)と管物(くだもの)があります。

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 「厚物」 「国華星矢」です。

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 「厚物」 「国華蝉しぐれ」です。

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 「厚物」 「富士の新雪」です。

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 「厚物」 「国華国宝」です。

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 「管物」 「聖光金星」です。

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 「管物」 「泉郷流灯」です。 

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 「管物」 「泉郷微笑」です。

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 「管物」 「泉郷磯路」です。

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 「管物」 「泉郷夢蛍」です。

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 「管物」 「泉郷微笑」です。

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 「福助仕立て」の部です。大菊を最も草丈を低く(鉢底から花の頂部まで50センチ以内)一株に一輪の花を咲かせるその姿が、福助人形を思わせることからそのように呼ばれます。

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 「古典菊」の部です。

 「江戸菊」 江戸時代後期に発達した変わり咲きの菊です。

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 「嵯峨菊」 京都嵯峨大覚寺を中心に栽培されたものです。

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 「肥後菊」 肥後藩主細川重賢公が栽培を奨励した菊です。

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 「懸崖仕立て」の部です。 長幹種の小菊を使い、摘心を繰り返すことで枝数を増やし、伸びた枝を目標の大きさまで、平面上に広げたものです。大きさ、形は目的の応じて適時変えることが出来ます。

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 展覧会場の大芝生地のデコレーションです。

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