この冬の京都市内は、例年になく雪が降る日が多く、1月31日夜から2月1日にかけても積雪を見ました。この機会にと、雪景色の金閣寺を見に出掛けてきました。
金閣寺の正式名称は鹿苑寺といい。臨済宗相国寺派の塔頭寺院の一つです。舎利殿「金閣」が特に有名なため、一般的に金閣寺と呼ばれています。元は、鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を、室町幕府三代将軍足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。
参道入口の「黒門」です。
入口を通り参道を「総門」に向かいます。
「総門入口」です。
「総門」です。
「鐘楼」です。鐘は西園寺家に由来し、鎌倉期に作られたと伝えられています。
「庫裏」です。禅宗特有の様式の建物で、明応・文亀年間(1492〜1504)の建物です。
「唐門」です。
「檪樫」(いちいがし)の巨木です。京都市指定天然記念物に指定されています。
舎利殿(金閣)への土塀の続く参道です。
参道を抜けると、眼前に「鏡湖池」(きょうこち)が広がり、奥に「金閣」が姿を見せています。境内約4万余坪の内、2万8千坪が鹿苑寺庭園として、特別史跡及び特別名勝指定地となっています。鏡湖池は約2千坪あり、正面に見える葦原島など、大小の島々、などの奇岩名石が配置され、池泉回遊式庭園となっています。
「金閣」は二層と三層は漆の上から金箔が張ってあり、屋根はさわらの薄い板を重ね張りした杮葺きで葺かれています。一層は寝殿造で法水院(ほっすいん)、二層は武家造で潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれ、三層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれています。三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物です。
「鏡湖池」の周りを巡りながら、「金閣」を近くから眺めることができます。
屋根の上には、中国ではめでたい鳥といわれる「鳳凰」(ほうおう)が輝いています。
「鏡湖池」を金閣側から眺めたものです。
「方丈」です。
「陸舟の松」(りくしゅう)です。足利義満公遺愛の盆栽を移し、帆掛け船の形に仕立てたとされる五葉の松です。樹齢約600年といわれています。
「銀河泉」(ぎんがせん)です。義満がお茶の水に使ったと伝えられています。今も清冽な清水が湧き出しています。
「巌下水」(がんかすい)です。義満公が手洗いに用いたといわれています。
「金閣」の後ろは小高くなっており、山路を順次辿って行くようになっています。
「金閣寺垣」です。真中の小さな石橋を「虎渓橋」(こけいきょう)といい、その両側の低い竹垣を「金閣寺垣」といい、小竹垣の代表とされています。
「安民沢」(あんみんたく)です。周りが樹林に囲まれたほの暗い池があります、雨乞の場ともされ、中央の小島に白蛇塚という五輪の石塔があり、西園寺家の鎮守とされています。
山路を辿り一番小高いところに「夕佳亭」があり、その前から「金閣」が眺められ、夕日に映える「金閣」がことのほか美しいと言われています。
「夕佳亭」(せっかてい)です。江戸時代、金閣を復興した鳳林丞章が、金森宗和に造らせたお茶室です。
「三帖のお茶室」で、南天の床柱と萩の違い棚で有名です。
「夕佳亭」から程なく庭園出口となり、参道へと戻っていきます。
(各コメントは、鹿苑寺のホームページより引用させていただきました。)
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