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 京都市営地下鉄の醍醐車庫の見学会が開催されましたので出掛けてきました。醍醐車庫は、東西線の醍醐駅に隣接した、京都市の商業施設、バセオダイゴロー西館の地下にあります。敷地面積は約14,500㎡もあり、地下2階に検査場と整備場、地下3階に留置線の2層構造となっています。列車検査及び月検査は検査場で、重要検査及び全般検査は、整備場で行われています。

 

 見学者へのしおりです。

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 一階入口のプレートです。

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 見学者の順次受付けが行われています。

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 「地下2階」の「検修作業階」です。ここでは、地下鉄が正確に安全運行出来るよう、点検整備が行われるところです。重要部検査は4年、全般検査は8年を超えない期間ごとに、分解、点検、整備、調整を行います。検査場、整備場、車体床下気吹き装置(空気の力で電車の床下の汚れを取る)に分かれています。

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 「RRトラック」です。電車を引張る牽引車です。レール上でも、路面でも単独で自由に走れます。

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 「RRトラック」に牽引されている車両です。ここには架線がありません。

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 検査のために多くの車両がピット線に入構しています。

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 子供たちが喜ぶように「ペイント車両」も特別に入構されているようです。

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 普段ホームから見えない「ATC/ATO装置」です。

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 普段見ることが出来ない、電車の下部を間近に見ることができます。ハンマー試験や、目視が出来るようになっています。

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 電車の床下に潜り込んでいます。もっとオイルなどで汚れているかと思いましたが車両といい、作業現場といい美しく清潔で、作業環境が凄く良いと感じました。

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  ご存知の電車の「車内」です。

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 「運転席」です。普段は安全運行のため、光を遮断するため、ブラインドを下ろして運行しているため見えません。

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 実際に運転レバーをモニターを見ながら操作をさせていただけます。

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 「パンタグラフ」の実物展示です。

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 「車輪」の実物展示です。

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 「地下3階」です。留置線、車体洗浄装置、車輪転削盤、などに分かれています。 広大な留置線(車庫)です。営業を終えた電車はここで次の出番を待ちます。7番線から15番線まであります。

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 「車輪転削盤」です。電車の乗り心地を良くするため、摩耗した車輪を削ります。通常は、電車が車輪を取付けたまま作業が行われますが、分かりやすいように、見学者のために、車輪を外した状態で展示しています。

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 左右の車輪の直径差が1ミリ以内になるように定期的に削っています。

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 「車体洗浄装置」です。電車が通ると自動洗浄します。ガソリンスタンドでよく見る、自動車洗浄装置の大型版です。

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 「建築限界車」です。軌道内などの付帯設備などと、電車が接触しないようこの電車を走らせて測定します。

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 「留置線」から「本線」に出入りするための軌道です。

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 幾つかの「イエロードクターカー」が登場します。

 「軌道モーターカー」です。材料の運搬や、作業台を装備していて、天井の点検や検査にも使用します。

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 「道床洗浄車」です。走りながら掃除をする機械です。機械の先から勢い良くお湯が出て、軌道内を清掃します。

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 「軌道検測車」です。レールのレールの凹凸や狂いを測定します、

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 地下鉄車両の地上から地下線への「搬入口」です。普段は分厚い鉄板で蓋をされて、自動車の駐車場になっています、必要に応じ鉄板を取除きクレーンで車両を搬入します。

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 地上での「全体像」です。北の端から南方向です、はるかに商業施設が見えますが、その地下まで醍醐車庫になっています。

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 多くの乗客の命を預かり、安全に快適に時刻を守りながら維持していくための努力と熱意が肌で感じられ、多くの人の輪でもって成されていることを改めて感じました。作業場も清潔で美しく、誇りをもって作業にあたられていることを嬉しく思いました。

 

 

 

 

京の「六地蔵めぐり」

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 京の六地蔵巡りは、毎年8月22日、23日の両日に、京への出入口となる、古い街道筋六ヶ所にあるお地蔵さんを巡拝して、厄除祈願、家内安全、無病息災をお願いする古くからの伝統行事で、多くの人々で賑わいます。
 駒形高札によると、六体のお地蔵さんは、平安時代の初期、小野篁が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵菩薩に出会って蘇った後、一本の大木から作った六体の地蔵菩薩を、伏見の六地蔵、大善寺に祀られましたが、保元2年、平清盛により、京への主要街道に地蔵堂を建立し(奈良街道、大善寺)(西国街道、浄禅寺)(山陰街道、地蔵寺))(周山街道、源光寺))(鞍馬口街道、上善寺)(東海道、徳林庵)それぞれに一体づつお祀りしたことから、六地蔵めぐりが始まったとされています。
 また、この時期、京都市内の各町内では、お地蔵さんをお祀りして、「地蔵盆」が行われて、子供達の無病息災と家内安全をお祈りします。
 8月22日に先立って六地蔵巡りをしてきました。


  大善寺  伏見区桃山町西町24
 伏見地蔵とも呼ばれています。六地蔵めぐり第一番札所です。
 大善寺は浄土宗の寺院で、六地蔵の名で親しまれています。
 慶雲2年(705年)に藤原鎌足の子、定慧によって創建されたと伝えられています。
 小野篁の六体の地蔵が、最初に祀られていたので六地蔵の名前がつきました。


 宇治を経て、奈良街道に向かう道筋にある山門脇の由緒書きの銘板などです。
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 「地蔵堂」への山門です。
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 「観音堂」です。
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 「本堂」です。阿弥陀如来像が安置されています。
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 「地蔵堂」です。地蔵菩薩がお祀りされています。
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 徳川二代将軍秀忠の娘、東福門院が、安産祈願成就の礼として寄進した「鐘楼」です。
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 「臥龍の松」の碑です。
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 浄禅寺 南区上鳥羽岩丿本町93
 京洛六地蔵巡り第二番札所で、旧の西国街道沿いに建っています。
 山号は恵光山で、浄土宗西山禅林寺派のお寺です。
 寿永元年(1182年)文覚上人の開基で、本堂には、本尊阿弥陀如来像が安置され、観音堂には十一面観音立像が祀られています。
 また地蔵堂に、地蔵菩薩が祀られて鳥羽地蔵と親しまれています。
 袈裟御前の首塚(恋塚)といわれる五輪石塔があることから恋塚浄禅寺ともいわれます。


 「山門」です。
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 地蔵堂への入口です。
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 「地蔵堂」です。六体地蔵菩薩の内の一体が祀られています。
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 「観音堂」です。十一面観音立像が祀られています。
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 「本堂」です。阿弥陀如来立像が安置されています。
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 「恋塚浄禅寺」の駒形高札と石碑です。
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 地蔵寺(桂地蔵寺) 西京区桂春日町9
 地蔵寺は浄土宗のお寺で、京洛六地蔵巡り第三番札所です。
 ご本尊は地蔵菩薩です。この地蔵菩薩は一本の木で六体彫られた内の最下部をもって刻まれたもので、姉井菩薩と呼ばれています。


 「山門」横の駒形高札と石碑です。
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 「山門」です。
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 「本堂」です。
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 「水子供養塔」です。
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 「六体地蔵菩薩」が祀られています。
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 源光寺(常磐地蔵) 右京区常磐馬塚町1
 平安時代の末期に、常磐御前により創建されたと伝えられています。
 地蔵堂に納めれている地蔵菩薩像は、常磐谷(ときわだに)地蔵と呼ばれ、上善寺の姉子地蔵に対して、乙子(おとご)地蔵とも呼ばれています。


 「山門」です。
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 「地蔵堂」です。
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 「観世音菩薩像」です。
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 上善寺 北区鞍馬口通寺町東入る上善寺門前町
 上善寺は浄土宗のお寺で、山号は千松山遍照院です。
 僧円仁により天台密教の道場として、千本今出川に創建されましたが、その後の変遷を経て、文禄三年(1594年)現在の地に寺域を移して、浄土宗に改められました。
 地蔵堂に安置されています地蔵菩薩は、鞍馬口地蔵、深泥池地蔵、姉子の地蔵などの愛称で親しまれています。京洛地蔵巡り第五番札所です。


 鞍馬口通りに面した「山門」です。
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 「本堂で」す。ご本尊は阿弥陀仏坐像で、行基作と伝えられています。
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 「地蔵堂」です。安置されている地蔵菩薩は、洛北の深泥池ほとりより移されたものです。
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 一隅にたくさんのお地蔵さんが集められて、お祀りされています。
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 徳林庵 山科区四ノ宮泉水町16
 室町時代、天文年間(1550年)頃に雲英禅師によって創建されました。山号を柳谷山と言います。
 ご本尊は、地蔵菩薩です。通称を山科地蔵とか、四ノ宮地蔵とかいわれています。
 京洛地蔵巡り第六番札所で、旧の東海道沿いにあります。
 また、琵琶法師の祖、蝉丸ゆかりのお寺です。


 伏見六地蔵の石碑が据えられています。
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 「地蔵堂」への玄関屋形と左に井戸があります。
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 地蔵堂の前の手の込んだ屋形です。
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 「地蔵堂」です。
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 東海道の街道を往き来する人々の賑わいを、彷彿とさせる井戸の石組です。
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 可愛い童子のお地蔵さんです。
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 人康親王 蝉丸 供養塔です。
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 赤い橋をくぐると、第2トンネル東口が見えます。
 第2トンネルは全長124mで明治20年12月完成しました。
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 第2トンネル東口上部の洞門石額です。
 「仁似山悦智為水歓歓」(じんはやまをもってよろこびちはみずをもってなるをよろこぶ) 井上 馨 筆 仁者は知識を尊び、知者は水の流れをみて心の糧とする(論語)
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 第2トンネルを抜けて、第2トンネル西口です。
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 ここ第2トンネル西口にも洞門石額があります。
 「随山到水源」(やまにしたがいすいげんにいたる) 西郷従道 筆 山に沿って行くと水源にたどりつく 
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  第2トンネルを抜けると、程なく第3トンネルに至ります。
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 第3トンネルの手前、右岸には、新山科浄水場へ水を送る、日ノ岡取水池があります。
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 トンネルの手前には、「日本最初の鉄筋コンクリート橋」が記念碑と共に保存されています。
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 第3トンネルの東口です。
 第3トンネルは日ノ岡山を貫通し、全長850mで、明治22年3月完成しました。
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 ここにも洞門石額があります。
「過雨看松色」(かうしょうしょくをみる) 松方正義 筆 時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる(唐・廬綸の詩)
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 第1疏水、第3トンネル西口です。
 ようやく蹴上インクラインまでやってきました。
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 第2疏水の蹴上の出口です。
 ここで第1疏水と第2疏水が合流します。
 (立入り禁止で写真を撮ることが出来ませんので、水道局の冊子より転載させていただきました。)
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 第一疏水、第二疏水合流トンネル出口です。
 残念ながら立入り禁止で上部しか撮れませでした。
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 この合流トンネルにも洞門石額があります。
 「藉水利資人工」(すいりをかりてじんこうをたすく) 田邊朔郎 筆
 自然の水を利用して、人間の仕事に役立てる
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 合流地点です。
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  合流地点です。
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 哲学の道等に流れる、疏水分線への水路の始まりです。
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 この疏水分線は、南禅寺境内を通っていきます。
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 疏水分線を流す、お馴染の水路閣です。
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 第1疏水、第2疏水が合流した、蹴上インクラインの船溜まりです。
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 蹴上インクラインの広場には、各種の顕彰碑や樹木が植栽されています。
 
 田邊朔郎の功績を讃えた顕彰碑と彫像です。
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 殉職者之碑 昭和16年京都市電気局建立
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 「一身殉事萬戸霑恩」(いっしんことにじゅんずるはばんこおんにうるおい)
 田邊朔郎 筆 昭和35年 田邊朔郎が私費建立した第1疏水殉職者慰霊碑
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 蹴上インクライン広場から京都市内を俯瞰しています。
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 インクラインの軌道下、南禅寺への道へ通じる、通称「ねじりマンポ」です。
 戦後昭和20年代まで、ここまで仁王門通りを通って市電が運行されていました、このねじりマンポが終点でした。
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 蹴上「ねじりマンポ」の石額です。
 「雄觀奇想」(ゆうかんきそう) 北垣国道 筆 見事なながめとすぐれた考えである
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 蹴上インクラインは、第3トンネルの掘削した土砂を埋立てて作られました。
 上部の蹴上船溜まりと、下部の南禅寺船溜まりを、複線の傾斜鉄道によって旅客や貨物を積載したまま昇降させるという画期的なものでした。
 着工は明治20年5月、竣工は明治23年1月です、翌年、蹴上発電所の運転開始により、インクラインの運転が始まりました。
 インクラインの延長は582m、落差は36mあります。
 ケーブルカーと同じような仕組みで、ドラム(巻上機)を回転してワイヤーロープを巻上げ台車を上下させる設計です。


 蹴上の船溜まりです、台車を牽引される軌道上部が見えています。
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 展示されている台車と水中滑車です。
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 台車と水中滑車の展示です。
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 蹴上軌道上部から南禅寺船溜まりへ下降する方向です。
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 南禅寺船溜まりへ下降する方向です。
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 蹴上合流点から、蹴上発電所への通水鉄管です。
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 蹴上発電所です。
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 インクラインの軌道下部です、奥は南禅寺船溜まりです。
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 軌道の下部(水中に没しています)と南禅寺船溜まり全景です。
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 琵琶湖疏水(3)に続きます。
   山科疏水沿いの桜が美しく咲き誇っていると聞き、早速出掛けてきました。疏水沿いの遊歩道を歩きながら、所々に設置されている説明板を読みながら琵琶湖疏水についてもっと知りたいと興味がわき、なんどか足を運びましたが、その拙い報告です。

 さて、京都市民の命の水を運んでくれている琵琶湖疏水、その恩恵を昔から当たり前のように享受してきたことに遅まきながら反省し、先人の偉業を偲びつつ、琵琶湖からの水の流れをたどってみました。

 京都市上下水道局発行の冊子を頂き、お話をお聞きしながら、ただ水を運んでいるだけでなく、京都の産業はもちろん日本の近代化の発展に欠かせない寄与をしてきたことを改めて深く感じました。

 琵琶湖疏水は第1疏水と第2疏水に分かれています。
私達に美しい景観を与えてくれている、馴染の第1疏水は琵琶湖取水口から伏見区堀詰町まで約20キロとなっています。
 特に明治時代の偉大な遺産と言われている、琵琶湖取水口から鴨川合流点までは延長19,968mで、明治18年6月に着工し、明治23年3月に完成しました。
 その後、疏水分線や第2疏水などが計画され明治時代に完成をみています。
 第2疏水は、琵琶湖取水口から蹴上まですべてトンネルで通水され、蹴上で第1疏水と合流して、私達の目に触れることはありません。
 
 この疏水を計画したのは、北垣国道京都府知事、工事を担当したのは大学を卒業したばかりの21才の田辺朔郎でした。
 紆余曲折のうちに、着工にこぎ着けたのは当時の知事であり、後押しをした京都の市民の力でしょう、工事担当者に若い田辺朔郎を起用した大英断など、驚く他ありません。
 この難工事を、日本の技術で、日本人の手で成し遂げた最初の工事として、忘れてはならないと思います。
 そして、明治の先人たちの西欧列強に、追付け追越せという気概に、学ぶべきことは多いと思います。                    
 

  京都市上下水道局発行の冊子です。
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  疏水の平面図と碑などの位置図です(冊子より転載しました)
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 疏水の断面図です。(冊子より転載しました)
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 第1疏水の琵琶湖取水口(大津市三保ケ崎、観音寺)に隣接している第2疏水取水口です。
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 取水口は、国道161号の橋を跨いで大きく広がっています。
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 これが第2疏水のトンネル手前の制水門でここからトンネルに入っていきます。
 この第2疏水は蹴上までトンネルで通水されて、地上には姿を現しません。
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 第2疏水、制水門です。
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 第1疏水の始まりです。

 琵琶湖第一疏水の水を取り入れるための、大津市三保ケ崎、観音寺の始点です。明治19年2月着工です。
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 国道161号線や、京津電車の鉄橋下を通り、疏水の流れが始まります。
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 まっすぐに長等山に向って流れて行きます。
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 琵琶湖疏水の大津分署です。                      
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 「大津閘門」明治22年10月完成(左)と大津分署(右)です。
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 第一疏水、第一トンネル東口(大津側)に向かいます。
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 第一疏水、第一トンネル東口(大津市側)です。
 全長2,436m 明治23年2月完成しました。
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 第1トンネル東口の上部の洞門石額です。
 「気象満千」(きしょうばんせん) 伊藤博文 筆 
 千変万化する気象と風景の変化はすばらしい(宋・岳陽樓記の一節)
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 長等山を貫く第1トンネル(2,436m 明治19年2月着工 明治23年2月完成)は、当時日本最長のトンネルとして計画され、完成を疑問視されたのですが、トンネル入口の東西から横穴を掘る工法に加え、山の上から2ヶ所で垂直に穴を掘る竪坑方式という画期的な工法を採用し完成しました。
 長等山への小関越えの途中にある第2竪坑です。記念の遺跡として最近整備されてフエンス越しに眺めることができます。
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 第1トンネルを抜けてトンネル西口(京都藤尾側)です。
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 第1トンネル西口上部に彫込まれた洞門石額です。
 「廊其有容」(かくとしてそれかたちあり) 山縣有朋 筆 
 悠久の水をたたえ、悠然とした疏水のひろがりは、大きな人間の器量をあらわしている。
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 トンネル西口を出て、四ノ宮方面に向かいます。
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 藤尾緊急遮断ゲートです。
 地震などの災害時に自動で閉鎖します。
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 重箱ダムと諸羽トンネルに向っています。
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 四ノ宮、一灯園を通って、水は滔々と流れていきます。
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 重箱ダムと諸羽トンネル東口です。
 諸羽トンネルは、国鉄湖西線開通により新設されました、全長520m 昭和45年5月完成です。
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 諸羽トンネル西口です。
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 諸羽トンネル西口と諸羽ダムです。
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 山科盆地の北の山裾に向っていきます。
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 毘沙門さんへの安朱橋を通ります。
 桜と菜の花が美しいところで、いつも人の通りの絶えないところです。
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 山科疏水として、川沿いの遊歩道を朝早くから散歩の人々が挨拶を交わしています。
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 この辺り、山沿いを大きく蛇行して第2トンネルへと向っています。
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 やがて永與寺への赤い橋が見えてきます。
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  琵琶湖疎水(2)に続きます


山科の「毘沙門さん」

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 「毘沙門さん」と親しまれている毘沙門堂は、天台宗の門跡寺院で、大宝3年(703年)行基によって開かれたました。
 当初は京都御所の北、出雲路にありましたが、戦乱など苦難の末に、寛文5年(1665年)現在地に再建されました。
 ご本尊の毘沙門天は、伝教大師のご自作で、商売繁盛、家内安全のご利益があるとされ、多くの人々の信仰を集めています。


 毘沙門堂への入口です。
 極楽橋の側の門跡碑も見えます。
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 門跡碑です。
 極楽橋の袂に立っています。
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 仁王門への急な階段が続きます。
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 仁王門です。
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 阿吽の金剛力士像に出迎えられます。
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 仁王門です。
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 仁王門を潜り、本堂に向かいます。
 本堂、仁王門などの修復が行われて、江戸初期、再建時の色彩、風情が蘇りました。
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 本堂へ入る唐門です。
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 本堂です。
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 本堂を囲む朱塗りの透塀が鮮やかです。
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 勅使門です。 
 檜皮葺きの総門で、陛下の行幸、勅使の代参、門跡門主の晋山式以外は開門されません。
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 薬医門への長い石段です。
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 薬医門から玄関へと続きます。
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 玄関と宸殿です。
 御所にあったものを、元禄6年(1686年)移築したものです。
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  宸殿前の名高い「毘沙門枝垂れ桜」です。
 樹齢、百数十年、高さ、約十メートル 枝張り、約三十メートルということです。
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  椿と桜の花が仲良く咲いていました。
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