下京区の最近のブログ記事

 日本最大級で、鉄道ファンお待ちかねの「鉄道博物館」が、京都駅近くの梅小路公園に、この連休の4月29日にグランドオープンします。

 オープンに先駆けて内覧会が4月22日に催され、早速出掛けてきました。この鉄道博物館は「見る、さわる、体験する」をテーマーに、SLから新幹線まで53両の車両を展示し、また、鉄道の歴史や安全、最新の鉄道技術を学ぶ場として、子供から大人まで来館者を楽しめる施設として提供されます。

 

  グランドオープンを案内する、ポスターです。

te1-1.jpg

 
 
  梅小路公園の西北に位置する「JR嵯峨野線」の高架下がゲート入口です。この右側に、新に駅が計画されています。
駅が新設されるとアクセスが一段と向上し便利になります。
te1.JPG
 
 
  高架下を潜ると正面に博物館の入口があります。右手には、展示されている車両が入館者を招いています。
 左手には、旧の「蒸気機関車館」の出入口になっていた、旧「二条駅舎」があります。この駅舎は、この博物館の専用出口となりました。
 
te4.JPG
 
 
  期待を抱かせ、わくわくするような、エントランスホールです。
te5.JPG
 
 
  正面入口です。
te6.JPG
 
 
  入館すると、そこは広々としたホールです、オープンされると多くの人々でごった返すでしょう。
  案内所やチケット販売機などが並んでいます。
te7.JPG
 
 
  「館内案内図」です。(クリックで拡大します。)
 
railwaymuseum_map50.jpeg
 
 
   エントランスホールから、駅のプラットホームを模した、長いプロムナードが続いています。縦長3列に車両が展示されています。
 
  左に「C62蒸気機関車」、日本最大の旅客用蒸気機関車で、東海道、山陽本線で活躍しました。
te9.jpg
 
 
   真中に「クハ86形1号車」です。戦後初の長距離電車として登場、東海道、山陽本線で活躍しました。 
 
te10.JPG
 
 
  右端に懐かしい「新幹線0系21形1号車」です。開業当時、世界最速の200km/h以上での営業運転を実現した車両です。
te11.JPG
 
 
   「0系新幹線の運転席」です。もう少し広い空間を想像していましたが、ちょっと狭いのに驚きです。サイドから見たところです。
te12.JPG
 
 
 
  同上、前方を見たところです。
te13.JPG
 
 
   「クハ103形1号車」です。国鉄を代表する、通勤型電車です。
te14.jpg
 
 
 
  「DD54形33号機」西ドイツのエンジンを搭載したディーゼル機関車です。
 
te15.jpg
 
 
 
   「マロネフ59形1号車」戦前に製造された皇室、貴賓客用寝台客車で、1.2等合造車です。
te16-1.JPG
 
 
 
  長いプロムナードの車両展示を見ながら進むと、本館入口へと導かれます。本館は広大な吹抜け構造で、JR西日本を代表する多くの車両が展示されています。
 
<本館>です。
 
   まず目に飛び込むのは「500系521形1号車新幹線電車」です。世界最速の300km/hでの営業運転を実現した電車です。
te16.JPG
 
 
 
 
te17.JPG
 
 
 
   「500系新幹線」と「月光」が並んでいます。
te19.JPG
 
 
 
   「クハネ581形35号車」です。座席と寝台で両用可能な設備をもった、世界初の特急用交直流電車です。
 「月光」「新大阪〜博多間の寝台特急}
te20JPG.JPG
 
 
 
  「月光と並ぶ雷鳥」
te21.JPG
 
 
 
  「クハ489形1号車」国鉄を代表するボンネット型の特急用交直流電車です。
  「雷鳥」「大阪〜富山・新潟又は金沢・富山」に運転されました。
te22-1.JPG
 
 
 
  「EF66形35号機」1968年から量産された直流区間用電気機関車で、東海道・山陽本線の高速貨物列車を中心に牽引し、また寝台特急列車も牽引しました。
te22.JPG
 
 
 
  「EF66形35号機」の台車や動力装置を底部を見学できるように車両を上げて、底部下を眺めながら通れるようにしてあります。
te23.jpg
 
 
  「EF66形35号機」の床下の車輪部分を見たところです。
te24.JPG
 
 
 
 
   「DD51形756号機」全国で活躍した液体式ディーゼル機関車で、国鉄の無煙化に貢献しました。
 
DSC00651.JPG
 
 
 
   「キハ81形3号車」1960年に登場した国鉄最初の特急用ディーゼルカーです。「くろしお」名古屋〜天王寺間を運行され、ブルドッグの愛称で親しまれました。
 
te25.JPG
 
 
 
  「ワム3500形7055号車」大正時代の大型貨車で、昭和30年代まで多く使用されていました。子供の頃、この貨車を何十台も牽引した蒸気機関車が、踏切りを通過していくのを懐かしく思い出します。
 
DSC00634.JPG
 
 
 
   展示車両に間には踏切りが設置され作動します、また、工事用車両なども配置され、軌道自転車も乗車体験できるようになっています。
te27.jpg
 
 
 
  「230形233号機」イギリススタイルを持つ、現存する国産最古の量産型蒸気機関車です。
 
te28.JPG
 
 
 
 
 「1800形1801号機」イギリスから輸入された最初の勾配線区用の蒸気機関車です。
te29.JPG
 
 
 
  「新幹線100系122形5003号車」0系新幹線電車の後継機として活躍した新幹線電車です。
te30.JPG
 
 
  本館に附属して、「トワイライトプラザ」が設けてあります。
   その場所には、2015.年春に引退した「寝台特急トワイライトエクスプレスが展示されています。
 
 
  「EF81形103号機」関西から青森まで、直通運転を可能にした交直流電気機関車です。
te31.JPG
 
 
  「トワイライトエクスプレス」のエンブレムです。
te32.JPG
 
 
 
   「スロネフ25形501号車」「トワイライトエクスプレス」1989年(平成元年)に登場し、2015年春に引退した寝台特急「トワイライトエクスプレス」のA個室車両です。
 
te33.JPG
 
 
 
  「EF58形150号機」戦後を代表する旅客用の直流電気機関車です。
te34-1.JPG
 
 
  「EF65形1号機」1965年から製造された直流電気機関車で全国で活躍しました。
 
te35-1.jpg
 
 
 
  中央の車両展示場のサイドには、車両の構造や動力の仕組み、また安全に列車を運行するための施設、設備などが展示され、平易な解説で学ぶことができます。
 
  いろいろな「信号機」です。
te35-2.JPG
 
 
   大小の「車輪」が展示され、実物で見る車輪の重量感に圧倒されます。
 
te35-3.JPG
 
 
  車両を支える各種「台車」です。
te35-4.JPG
 
 
<2階>に上がります。
 
 
   1階の車両展示場を囲むよう、2階回廊が取巻いています。
 
te35.JPG
 
 
 
   正面回廊から、1階車両展示場を俯瞰しています。「500系新幹線」「月光」「雷鳥」が見下ろせます。
te36.JPG
 
 
  壮観な車両群を見下ろしています。
 
te37.JPG
 
 
   回廊サイドには展示施設として「体験を肌で感じる」「安全運行を支える装置」「日進月歩の技術を知る」コーナーが揃っています。
 
te41.JPG
 
 
 
  普段お世話になっている「自動改札機」です。券売機で得た切符を入れると、切符の動きが一目瞭然に見られるようになっています。
 
te42.jpg
 
 
  サイドから見ています。
 
te43.JPG
 
 
  体験コーナーの最大の人気になると思う「運転シミュレータ」コナーです。実際の運転士が訓練で使用するもので、新幹線用と在来線用とがあり、貸し出し用の帽子などを被りながら、車両運転の醍醐味を味わうことができるようになっています。
 
te44.JPG
 
 
 
  「鉄道ジオラマ」です。線路の総延長約1キロmという規模のレイアウトに、80分の1の精巧な模型車両が解説付きで定期的に運行されます。車両運行の朝から深夜まで、24時間が再現されます。関西を中心に「阪急電車」や「ドクターイエロー」なども登場します。
 「昼間」です。
te45.JPG
 
 
  「夜間」です
te46.JPG
 
 
 
  2階には「レストラン」「休憩室」もあります。
 
te47.JPG
 
<3階>に上がって来ました。
 
   3階にはホール、資料室などがありますが、なんと言っても素晴らしい展望の「スカイテラス」が待っています。
 
  「スカイテラス」全景です。
 
te48.JPG
 
 
 
  テラス東側の眺めです、京都駅や京都タワーも間近に見ることができます。
 
te50.jpg
 
 
 
  今しも嵯峨野線の4両編成の回送221系列車が通過していきます。
te51.JPG
 
 
 
  テラス南側には「東海道本線」や「新幹線」の運行を眺められます。
 
te52-1.JPG
 
 
 
  京都のシンボル東寺の五重塔をバックに新幹線が通過していきます。
te52.JPG
 
  
   東海道本線205系電車が通過していきます。
te53.JPG
 
 
<3階>の「スカイテラス」から<1階>に降りて「SL広場」に向かいます。
 
 「転車台」から「扇形車庫」を見ています。見慣れた風景です。
 
te54.JPG
 
 
 
  「扇形車庫」です。蒸気機関車が頭出しをせず、大人しく車庫内に収まっています。
te56-1.JPG
 
 
  「扇形車庫」内から、「転車台」、「SL広場」を見ています。
 
te57.JPG
 
 
 
  「C62形2号機」蒸気機関車が石炭を積込んでいます。完了すると扇形車庫に転車台を使用して入庫します。入館者のためのデモ運転を行います。
 「C62形蒸気機関車」は日本を代表する旅客用蒸気機関車で、特急「つばめ」を牽引していました。
 
te58.JPG
 
 
  汽笛一声発車、「転車台」に向かいます。
te59-1.JPG
 
  「転車台」に上手く収まりました。
 
te59.JPG
 
 
   転回していきます。
te60.JPG
 
te61.JPG
 
 
  「転車台」から汽笛を鳴らしながら、バック運転で扇形車庫に向かいます。
te62.JPG
 
 
  多くの見学者が見守る中、「扇形車庫」に入庫しました。
 
te63.JPG
 
 
 
  「在来線」から「鉄道博物館」への引込線です。本館内まで引き込まれていて、展示車両の入替えも可能なようになっています。
 
te64.JPG
 
 
 
  「鉄道博物館」の出口です。山陰本線(現、嵯峨野線)の旧二条駅舎です。旧の蒸気機関車館の出入口でしたが、内部はミュージアムショップとなっています。
te65.JPG
 
 
 ざっとひと回りしましたが、お天気も良くて楽しい一時となりました、小さいお子達から大人まで誰もが楽しめ、広く皆さんに受入れられる施設となるでしょう。
 
     (車両説明文などは京都鉄道博物館のホームぺージより引用させて頂きました)
 

東本願寺「渉成園」

| コメント(0)

 「渉成園」(しょうせいえん)は東本願寺の飛地境内で東本願寺の東、河原町通りに面してあります。一般には枳殻邸(きこくてい)と呼ばれて親しまれています。周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから、そのように呼ばれていました。この土地は第十三代宣如上人が将軍徳川家光から寄進を請け、隠居所として中国の詩人陶淵明の「帰去来辞」の1節をとって渉成園と名付けられました。作庭は石川丈山といわれ、池泉回遊式庭園です。

 

 「渉成園」紹介の小冊子です。

kiko1.jpeg

 

 「下珠数屋町通り」に面する正門です。

kiko2.JPG

 

   「間之町通り」に面する「西門」です。入園口です。

kiko4.JPG

 

  「高石垣」(たかいしがき)です.西門を入ると正面に見えます。石橋のような長い切石や、礎石、石臼、山石など様々な石を用いてユーモアを感じます。

kiko3.JPG

 

  庭園に入る「庭園北口」です.

kiko6.JPG

 

  「北口」から目の前に紅葉が広がります。

kiko7.jpg

  

  順路を行くと左に池に面して「臨池亭」(りんちてい)「滴翠軒」(てきすいけん)が建っています。左、池に張出して縁が広がるのが「臨池亭」で、正面が「滴翠軒」です。

kiko9.JPG

 

  広い庭園を巡っていきます。

kiko10.JPG

 

  「傍花閣」(ぼうかかく)です。一風変わった建物で、庭園には珍しい楼門作りで左右の側面に階段があり、2階に4.5帖の部屋があります。外観のみで内部は入れません。

kiko11.JPG

 

   「園林堂」(おんりんどう)です。「園林」とは仏典では浄土を表す表現です。

kiko13.JPG

  

  「廬菴」(ろあん)への露地です。珍しい屋根の形の中門があります。また左には、江戸初期の制作といわれる「春日灯籠」が据えられています。

kiko14.JPG

  

  「廬菴」(ろあん)です。2階建ての茶室です。2階に四畳半の主室と台目3帖の控の間を備えています。

kiko16.jpg

 

  「閬風亭」(ろうふうてい)です。慶応1年(1865年)の建物です。賓客をお迎えするためのもので、「閬風」とは中国・崑崙(こんろん)山脈の頂部にある山名で、仙人が住むといわれています。

kiko18.JPG

 

  「大玄関」(おおげんかん)です。大宮御所から移築されたものです。

kiko19.JPG

  

  「印月池」畔に建つ、「漱沈居」(そうちんきょ)の入口の枝折り戸です。

kiko20.JPG

  

  「漱沈居」は水上に乗り出すように建てられています。「漱沈居」の名は旅路にあることを意味する「漱流沈石」から採られています。

kiko21.JPG

 

   対岸から見る「漱沈居です。現実離れした夢のような空間です。

kiko23.JPG

  

   「印月池」(いんげつち)に架けられている「侵雪橋」(しんせつきょう)です。

kiko25.JPG

 

kiko27.JPG

  

   「侵雪橋」を通して、遠くに京都タワーが望まれます。

kiko28.JPG

  

   「回棹廊」(かいとうろう)です。池中に浮かぶ北大島への木橋です。中央の唐破風の屋根が特徴です。かってはその屋根に夜半は来客の折り金灯籠を吊って火を灯したそうです。

kiko32.JPG  

   「回棹廊」の中央から印月池を見ています。

kiko31.JPG

  

   「侵雪橋」です。北大島に渡ります。

kiko33.jpg

   

  「侵雪橋」を渡ったところです。

kiko34.JPG

  

   「侵雪橋」を渡った印月池に浮かぶ、北大島に建つ茶室「縮遠亭」(しゅくえんてい)です。

kiko35.JPG

  

 「縮遠亭」辺りから見る、印月池全景です。

kiko36.JPG

   

   一巡して出口へと向かいます。

kiko37.JPG

 

  (写真のコメントは渉成園の小冊子より引用させていただきました。)

 

 

 

 

「お東さん」「東本願寺さん」と親しく呼ばれている東本願寺、正式には「真宗本廟」と言いますが、京都駅を降り立つと、その大きな伽藍が目の前に広がります。
 ただ、この10年ほど、宗祖親鸞上人、七百五十回御遠忌記念事業として、平成の大修理が順次行われていて、その大きな伽藍を工事用の素屋根が覆っていて、全容を見ることが出来ないのが残念です。
 平成16年(2004年)に始まった御影堂の大掛かりな修復も、平成21年(2008年)に無事完成し、再びその美しい姿を現しています。
 そして翌年、引き続き阿弥陀堂と御影堂門の修復が始まり、来年平成27年(2015年)には完成する予定です。
 過日、御影堂の屋根の修復現場を見せていただきました。


 修復工事のパンフレットです。
higa-.jpeg

 烏丸通りに面した、阿弥陀堂門です。
higasi1.JPG

 阿弥陀堂門を入ると、目の前に阿弥陀堂を覆う、工事用の素屋根が大きく広がります。
 この素屋根は、北側に位置した御影堂工事の素屋根を終了後、そのまま南方向にスライドして、御影堂に再利用しています。
 素屋根は、間口92メートル、奥行79メートル、高さ51メートルという巨大なものです。
 環境への配慮から、雨水の再利用、太陽光パネルの設置などの工夫を凝らしてあります。
higasi2--.JPG

 階段を上がると、素屋根一階部分となります。
 仮設の工事用の素屋根は、工事が完成すれば不要となるものですが、長期に亘る工事中の建物を保護、風雨、塵埃、騒音を防ぐ事はもちろん、工事の安全を守るために不可欠なもので、多額の費用を掛けた大規模な構造に驚きます。
higasi3-.JPG

 工事用出入口のある、素屋根南側全景です。
 左側には工事用資材などが整理されて置かれています。
higasi4-.JPG

 エレベーターで3階まで上がると広々とした空間になり、見学者が自由にそこから工事を見ることができます。
 御影堂に比べて、阿弥陀堂は小さいので、工事用のスペースもゆったりした感じがします。
higasi5-.JPG

 既に屋根の瓦葺きも大半が終わり、大棟の工事中のようです。
higasi7-.JPG


higasi8-.JPG

 破風周りの工事が行われています。
higasi9-.JPG

 錺金物などが光っています。
higasi10-.JPG

 2階では多くの工事従事者が働いています。
higasi11-.JPG

 3階の窓から西山方面を眺めると、堀川通りに面した、西本願寺の伽藍が見えます。
higasi13-.JPG

 素屋根3階のテラスに出ると、完成した御影堂の屋根部分が目の前に広がります。
 古い瓦で再利用出来るものは、雨があまり当たらないような場所に使用し、また粉末にして、新調瓦に混入したりして、出来るだけ廃棄処分を少なくするよう、心掛けておられるそうです。
higasi14-.JPG

 反り屋根の流れが美しく見る事ができます。
higasi15-.jpg

 降り棟、隅棟、と美しい流れが見られます。
higasi16-.JPG

 降り棟の正面の獅子口も美しいです。
higasi17-.jpg

流れるように降り棟から、隅棟、稚児棟と治まって、屋根の美しさを改めて感じることが出来ます。
higasi19-.jpg

 破風部分です。
 破風板や懸魚には錺金物が美しく映えます。 
 この錺金物は、取外して再利用出来るものは、錆を落とし、金箔を張替えて美しい輝きを取戻し取付けてあります。
 このような機会でしか破風廻りなど、近くから見ることができません。
higasi21-.JPG

 拡大して見ています。
 大棟獅子口と隅巴瓦、そして破風部分と手の込んだ仕上がりです。
higasi22-.jpg

 大棟の実物の大きさの展示です。
higasi23-.JPG

 「毛綱」が展示されています。
 明治13年(1880年) 御影堂、阿弥陀堂の再建工事は難渋を極め、用材を引く綱が切れたりしました、その時、多くの女性の髪の毛と、麻を撚り合わせて編まれたのがこの毛綱です。
 両堂、再建への熱い想いと、多くの人々の無償の働きによって、再建されたもので、その記念として展示してあります。
higasi29-.jpg

 東本願寺撞鐘(梵鐘)が展示してあります。
 慶長7年(1602年)徳川家康から寺地の寄進を得た教如上人が、同9年(1604年)9月の御影堂の造営に合わせて鋳造したものです。
 高さ256センチ、口径156センチ、重量3800キロです。
higasi24-.jpg

 中央「池の間」には、飛天の図柄が見られます。
higasi25-.JPG

 梵鐘を吊下げる竜頭部分です。
higasi26-.JPG

 本願寺と彫込まれた、古い瓦が工事現場の隅に集積されていました。
higasi30-.JPG

 素屋根1階から、御影堂門の素屋根が眺められます。
 阿弥陀堂と共に、来年度はその美しい姿を再び見せてくれることでしょう。
higasi32-.JPG

 完成なった、美しい「御影堂」全景です。
higasi33-.JPG

 御影堂の廻廊です。
higasi34-.JPG

 御影堂
 世界最大の木造建築で、宗祖親鸞上人の御真影が安置されているところから、御影堂と呼ばれています。
 正面高さ76m、側面高さ58m、高さ38m、瓦数175.967枚、畳数927枚です。

 阿弥陀堂
 ご本尊阿弥陀如来を中心に、その左右に聖徳太子をはじめ、七高僧の御影がおかれています。
 正面高さ52m、側面高さ47m、高さ29m、瓦数108.392枚、畳数401枚です。 
                                  (パンフレットより転載しました)

祇園祭の「大船鉾」

| コメント(0)
  今年から後祭りが復活した祇園祭。
 その後祭りの話題を一段と盛上げている、150年ぶりに復活した「大船鉾」(おおふねほこ)、その大船鉾を追っ掛けてみました。
 大船鉾は、「蛤御門の変」の大火で焼失し、復興という年来の懸案をようやく本年実現したもので、関係者の喜びはそのお話を聞く言葉の端々に伺うことが出来ます。
 この鉾は名前の通り、鉾全体が船型をしていて、神功皇后の朝鮮出兵の伝説にちなみ、神功皇后など四神を安置して、後祭りの最後を飾り巡行します。
 僕の中学生時代は、友達が後祭りの区域で、後祭りは特に思い出が多く、三条通りや寺町通りを巡行する、北観音山や南観音山の行列に付いて回った懐かしい思い出が一杯です。
 この大船鉾の復活は、京都の衰えることのない、町衆の誇りと、力と熱意が結集した賜だとつくづく感じています。


 大船鉾の駒形高札です。
oofuna.JPG

 
 胴組の組立で、縄がらみの始まりです。上部に船底の木組みが見えます。
oofuna1.JPG

 
 縄がらみも順調に済み、石持も取付けられた状態です。
oofuna2.jpg

 
 船型が出来上がってきています。
oofuna4.JPG

 
 鉾の前面です。
oofuna5.jpg

 
 石持も、車軸も取付けが終わり、上部櫓も船型に仕上がっています。
oofuna7.JPG


oofuna8.jpg

 
 足場も組み立てられて、屋根の取付けも進んでいます。
oofuna10.jpg


oofuna11.JPG

 
 鉾の骨格は仕上がって、後は装飾品等の取付けです。
oofuna12.jpg


 順次、装飾品の取付けも進んでいきます。天水引幕(金地雲竜文様錦)です。
oofuna14.JPG


 雨に備えての障子屋根も取付けられて、足場も取払われ、全体像が見えるようになりました。
 船首を飾る、縦長の前掛幕(緋地波濤龍文様綴錦)です。
oofuna15.jpg

 
 裾幕も大海の荒波を疾駆するが如き勇壮果敢な図柄です。
oofuna16.jpg

 
 最後に鉾車の取付けです。
oofuna18.JPG

 
 車の取付けも終わり、装飾品も最後の仕上げです。
oofuna19.JPG

 
 船縁の水引幕(緋羅紗地波濤龍文様刺繍)や、胴懸けが華麗な色模様を見せています。
oofuna20.JPG

 
 前面を飾る「大金幣」も取付けられて、試し曳きを待つばかりとなりました。
oofuna22-1.jpg


oofuna22.jpg

 
 鉾の後部です。多くの人が試し曳きを待っています。
oofuna24.JPG

 
 宵山を迎えて、駒形提灯にも灯が灯りました。
oofuna28.JPG


oofuna29.JPG


 いよいよ待ちに待った24日、巡行当日です。
 朝早くから、関係者が準備に追われています。鉾後部です。
 楫(かじ)も取付けられています。
oofuna30.jpg

 
 障子屋根も外されて、堂々としてスッキリした形になりました。
oofuna31.jpg
 
 
 鉾の前部です。
oofuna32.jpg


 鉾の曳き手の方々も、今や遅しと待ち兼ねておられます。
oofuna33.JPG

 
 いよいよ鉾が出発です。
oofuna34.jpg


 町内の関係者や見物人が見守る中を動き始めました。
oofuna35.JPG
 
 
 新町通りを御池通りに向って北に進みます。
oofuna36.jpg
 
 
 音頭取りさんも緊張した面持ちです。
oofuna37.jpg


 南観音山に続いて大船鉾が続いています。
 狭い新町通りをきらびやかにお囃子や掛声と共に進んでいきます。拍手が沸き起こります。
oofuna38.jpg


 新町通御池で右へ廻る方向転換です。これから辻回しが始まります。
 広い御池通り中央に進んできました。
oofuna39.JPG


 一回目の辻回しが終わり、車方の人が準備に掛かっています。
 さすがに船鉾より一回り大きい大船鉾で堂々たる船出です。
oofuna40.JPG


 三回目の辻回しで、曳き手さんも力を合わせて引張ります。
oofuna41.JPG

 
 無事終了です。
 大船鉾にとっては、初めての辻回しできれいに回って、見物人から安堵と成功に大きな拍手が沸き起こりました。
oofuna42.JPG

 今年からの前の祭りと、後の祭りと分かれての鉾や山の巡行を、どうなるかと心配していましたが、目論見どおり上手く行きそうで嬉しいかぎりです。
 このお祭りが、後世にいつまでも盛大に引継がれていくことを心から祈っております。






祇園祭の「月鉾」

| コメント(0)
  京都の年中行事の中でも最もよく知られている祇園祭。今年は旧に復して、前の祭りと、後の祭りに分かれて執り行われることになりました。

 前祭りの月鉾の鉾立を見てきました。

 月鉾の名の由来は、鉾頭(ほこがしら)ほこのてっぺんに、新月(三日月)をつけていることからそう呼ばれています。
 山鉾32基の中でも、最も大きく、高く、重量も12トン以上あると言われています。
 また、懸装品や、装飾類は細部にいたるまで緻密で美しく、その豪華絢爛さから、動く美術館と称されています。


 月鉾の駒形高札です。
tuki.JPG

 真木(しんぎ)に飾付けを施し、立ち上げる準備です。
tuki1-1.JPG

 真木は地上から鉾頭まで25mあります、まず櫓(胴組)を縄絡みで組立、横にして、真木の本を胴組に指込み立上げます。
tuki1.JPG

 真木の立上げは、最も細心の注意を払い緊張の連続です。
 前後の手動のウインチを、肝煎の音頭に息をあわせて操作して行います。
tuki2-1.JPG

 いよいよ立上ってきました。
 音頭取りが櫓(胴組)に上って、前後を見ながら指示していきます。
tuki2.jpg

 榊や飾付けの重みで真木がしなります。
 手伝いの人々が固唾をのんで見守ります。
tuki3.jpg

 無事、櫓(胴組)と真木が立上りました。関係者や見物人から、大きな拍手が送られました。
tuki4.jpg

 立上った櫓(胴組)です。
tuki5.jpg

 続いて石持(いしもち)と呼ばれる部材を取付けます。
 この石持は櫓や屋根、囃子方など重量を車輪に伝えるための大きな部材で、重量もあり、鉾の転倒を防ぐための重要な部材です。
tuki6.JPG

 石持を取付けた状態です。
tuki7.jpg

 石持を取付けた櫓の下部です。
 美しい縄からみも、もったいないですが、見えるのはこの時だけです、裾幕や胴掛によって全部隠れてしまいます。 
tuki22.JPG

 石持と車軸です。この上に巡行の時は音頭取りが乗ります。
tuki8.JPG

 屋根部分です。
 鉾の組立前に「ホテルモントレ京都」で展示されました。
 見えない屋根部分にも、緻密な美しい錺金物が取付けられているのがよく分かります。
tuki9-1.JPG

 屋根鬼板部分には、雲の浮彫りを背景に、3本足の黒い鳥(ヤタガラス神話では太陽の使いとされています)の彫刻が置かれ。
 屋根下の破風部分には、時計草の緻密な金具彫刻で覆われ、その中央に、左甚五郎の作といわれる白い兎の彫り物、その下には亀が兎を見ています。
tuki10-2.jpg

 屋根裏の金地著彩(きんじちゃくさい)草花図は、円山応挙の筆と伝えられます。
tuki10-3.JPG

 屋根などの取付けが終わると、いよいよ組立の最終段階、鉾車の取付けです。
tuki12.jpg

 町屋の鉾収蔵庫から車が運び出されてきました。
 危険なので見物衆は遠ざけられます。
tuki13.JPG

 車方により、一輪づつ慎重に取付けが進みます。
tuki14.JPG

 鉾をテコの応用で浮かして、車軸に嵌め込みます。
tuki15.JPG

 無事、四輪とも装着終了して、拍手が沸き起こりました。
tuki16.jpg

 後は胴掛や前掛など懸装品が取付けられて。曳き始めが行われることになります。
tuki17.jpg

 駒形提灯も取付けられた、月鉾です。
tuki18.jpg

 月鉾の全体像です。
tuki19.jpg

 
 後は宵山と17日の巡行を待つばかりです。

 



2020年3月

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち下京区カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは上京区です。

次のカテゴリは中京区です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.2.10