2015年1月アーカイブ

 「タヌキダニのお不動さん」として親しまれている、「狸谷山不動院」ご本尊は咤恕鬼(タヌキ)不動明王で、朋厚法師が享保3年の31歳のときに開山され、狸谷山修験道の礎を築かれ、その後、昭和19年(1944年)亮栄和尚が「寺験興隆」を目指し、「修験道大本山一乗寺狸谷山不動院」として寺法を制定されました。毎月3、16、28日は「お不動さんの日」として交通安全、厄除祈願として多くのお参りの人々が訪れます、特に新春1月28日は「初不動」として賑わいます。初不動のお参りを朝早く出掛けてまいりました。

 

  案内のパンフレットです。

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  境内への「参道入口」です。ここから本殿まで250段の石段を上がっていきます。

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  参道入口左側には、たくさんの「たぬきの置物」が並んでいます。「たぬき、他抜き、他を抜く」の語呂合わせから、お参りの方々が置かれたのが始まりと言われています。

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   参道の途中左側に、お祀りされている「白龍弁財天」です。享保3年(1718年)木食上人が「一切衆生の苦難、恐怖を除き、財宝、福利を与え給え」との誓いをもとに奉安されたものです。

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  参道石段途中で参拝者を「お迎えする弘法大師像」です。全国を行脚した大師さまにあやかり、足腰の健康を願う「健脚わらじ」が奉納されています。

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  また参道左側には、商売繁盛の願いを込めて「七福神の像」も置かれています。

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  参道には「春日灯籠」が立ち並び「弘法大師光明殿」があります。

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  「弘法大師光明殿」です。弘法大師をお祀りする大師堂です。

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  急な石段を上がり切ったところから振返ってみました。

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  石段を上りきったところの本堂下、「道場」です。右手には「護摩壇」が据えられています。

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  本堂下から「懸崖造りの舞台と本堂」を見上げています。

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  「手水舎」です。

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  本堂下、道場脇の「三社明神堂」です。衣、食、住、愛の神さまです。玉姫大明神(衣)清隆大明神(食)白玉折木大明神(住・愛)がご祭神です。

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  「本堂」へお参りする男厄坂(42段)です。石段を上ると舞台と本殿です。

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   「初不動」「節分」行事のご案内です。

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  「舞台」です。

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    本堂前の柱「願かけ柱」です。たくさんの願事のお札が掛けられています。

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  懸崖造りの「本堂正面」です。奥に厄除け、難病退散の霊験あらたかなご本尊、「不動明王」が岩盤斜面の洞の中に安置されています。

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  「舞台」からは京都市内が一望できます。

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  「宮本武蔵修行の滝」の石碑です。慶長9年(1605年)武蔵が吉岡一門との一乗寺「下り松」での対決に備え、この滝にうたれ、修行の末、不動尊のお陰で極意を得て、打ち勝ったと言われています。

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   その「宮本武蔵修行の滝」です。

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  女厄坂(33段)でここから「水子地蔵」さまをお参りしながら「本堂」にも行く事ができます。

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  「水かけ水子地蔵尊」です。

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  「水子地蔵尊」より「本堂」です。

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  奉納された「供養塔」がぎっしりとお祀りされています。

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  「供養塔」を見守るように地蔵さまが立てられています。

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  「信徒会館」横から「奥の院」への道が山中に通じています。

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  またその道すがら「不動明王の使者」である「三十六童子の石像」が建立されていて、お参りをしながら奥の院に達することができます。

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   「奥の院への鳥居」です。

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  第四番 「こうもうしよう童子」です。

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  第十二番 「はらはら童子」です。

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  山道を進んでいきます。

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  第二十番 「いんだら童子」です。

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  冬枯れの樹間から「京都市内」が俯瞰できます。

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  「三十六童子」に導かれて、「奥の院」のある「東山三十六峰九峰目」の「瓜生山頂」に達します。「奥の院」は瓜生山の鎮守の「幸竜大権現」をお祀りしています。この瓜生山頂は、室町時代には城郭が築かれ、北白川城の本丸跡でもあります。

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  「奥の院」の裏にある、ひっそりと佇む、「将軍地蔵を安置した石室」です。

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 2014年」昨年もまた、メディアが伝える映画評で、興味を持った作品を幾つか鑑賞してきました。後半は時間の余裕がなく、本数も少なくなりました、ちょっこと感想です。
 
 
 
14eiga1.jpeg 遙かなる勝利へ」 ロシア映画 1月 京都シネマ
  監督 ニキータ・ミハルコフ 出演者 オレグ・メンシコフ ヴィクトリア・トルストガノフ 他
 戦争というものは勝者敗者に関わらず、その渦中に巻込まれた人間の人生を翻弄し、運命を変えていくものです。
、この映画は政治犯の汚名をきせられ、第二次世界大戦のソ独戦争の最前線に送られた、ロシア革命の英雄だったコトフの姿をその家族の生き様と共に描いています。
 政治家(スターリン)の思惑一つで政治犯から将軍へ、その流れの中、ドイツ軍の堅固な要塞との戦いの中で、消息不明だった娘のナージャ(従軍看護婦)と喜びの再会を果たし、親子の絆を確りと確認し喜びもつかの間、衝撃的な結末となり、観るものの心を揺さぶります。
 
 
 
 
14eiga2.jpeg 「ある精肉店のはなし」邦画 2月 京都シネマ
 監督 纐纈あや(はなぶさあや)
 祝の島」(ほうりのしま)で監督として注目された、纐纈監督の二作目のドキュメンタリー映画です。
 貝塚市で、家族で支えあい、代々受け継いできた精肉店の日常を、温かい眼差しで淡々としたタッチで活写しています。
 自分たちで育てた牛を、家族の緻密な連携による屠畜場での解体、そして食肉として店頭で販売するという過程。親の代からその仕事に携わってきた思いを、各人が静かに語っているのが印象的で、「命を食べて我々の命は生きている」という言葉は重く、我々人間は、食としてあらゆる動植物への感謝を常に持ち続けなければならないとの思いを深くしました。
 
 
 
 
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 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」米国 2月 TOHOシネマズ
 監督 マーティン・スコセッシ 出演者 レオナルド・ディカプリオ ジョナ・ヒル 他
 ウォール街のウルフと呼ばれた実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートの回想録を映画化したドラマです。
 1980年代から1990年代、なんの経験も人脈もないまま、22歳でウォール街の投資銀行へ入行、そこで巧みな話術と発想で瞬く間に実績を上げていき、26歳で証券会社を設立して独立。約49億円の年収を稼ぐようになる、金遣いも荒く、セックスとクスリに溺れながら世間の話題を集めて、その後、証券詐欺の容疑で逮捕され転落し、破滅していく様を描いています。
 ウォール街を扱った映画をいろいろ観ていますが、この映画はアメリカンドリームに潜む裏の世界を見せられ、金に群がり、金に躍らされ、金に翻弄される、狂気の世界を描いていました。
 
 
 
 
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 「大統領の執事の涙」      米国  2月  京都MOBIX
 監督 リー・ダニエルズ 出演者 フォレスト・ウィテカー オプラ・ウィンフリー 他
 ホワイトハウスに実在した、黒人執事の人生をモデルにした映画です。
 セシルは南部の奴隷から懸命に働き、ホテルのボーイからスカウトされて、大統領の執事となります。 その間、七人の大統領に仕え、アメリカ現代史の表裏を垣間見ながら、妻と二人の男の子の家庭を守り働き続けます。
 黒人差別の激しい時代に、白人の従者である父に反発し、公民権運動に身を挺する長男、ベトナム戦争に参加して戦死する次男、酒に溺れる妻、家庭を巻込みながらの波乱の人生を描いています。
 最後はオバマ大統領の誕生を見て、家族との平穏な人生を味わって終わります。
 アメリカの暗部である、人種差別の問題を鋭く突いて、見応えのある映画でした。
 
 
 
 
 
 
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 「ワレサ 連帯の男」 5月 京都シネマ
 監督 アンジェイ・ワイダ 出演者 ロベルト・ビェンツ キェビチ  アグニェシュカ・グロホウスカ 他
 ノーベル平和賞を受賞した、レフ・ワレサ元大統領の生き様を、家族と共に絡めて描いた作品です。
 ポーランドの造船所の一電気工だったワレサが、1970年の物価高騰に対する抗議行動から、徐々に中心的存在となり、連帯の委員長として、東欧の民主化の英雄的存在となっていく過程が描かれています。
 家族との日常、特に奥さんとの固い絆と、彼の人間的な面も丁寧に描かれています。
 いつの時代であっても、どこの国でも、権力者に対抗していくには、本人はもとより周囲を取巻く人々の余程の覚悟がなければその意思を貫いていくことはできません。
 ワレサの人生を、少し美化しすぎたきらいはあるように思いますが、大統領にまで昇り詰めた彼の偉大さが伝わる映画でした。
 
 
 
 
 
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 「朽ちた手押し車」邦画 6月 京都シネマ
 監督 島宏 出演者 三国連太郎 田村高廣 初井言栄 長山藍子 他
 昨年亡くなられた三国連太郎の唯一のお蔵入りだった主演映画が30年ぶりに公開された映画です。
 新潟県の漁村一家の物語で、そこには認知症で徘徊する元漁師と、難病の末期患者の老夫婦を抱えた家族の苦悩を描きながら、現在大きな社会問題になっている、高齢化社会や安楽死といった問題を、その家族を巻込んで鋭く表現して我々に真正面から問い掛けている素晴らしい作品です。
 三国連太郎が、80歳の痴呆症の老人をものの見事に演じ、初井言栄など芸達者なキャストが素晴らしい演技を見せています。
 30年前に、この問題を正面から取り上げて世に問い、この映画制作に携わった人々の慧眼に驚きを禁じ得ません。
 
 
 
 
 
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 「太秦ライムライト」邦画 6月 TOHOシネマズ
 監督 落合賢 出演者 福本清三 山本千尋 本田博太郎 萬田久子 他
 時代劇の黄金時代を支えてきた大部屋の演技者たち、その中でも、日本一の名斬られ役として、その名を知られる福本清三さんをモデルに制作された映画で、主演はモデル本人の福本清三さんです。
 時代劇が、映画やテレビから減少し衰退していく中で、時代劇を愛する人たちの現在の姿を、撮影所の内幕も絡めて赤裸々に描き出している人間ドラマです。
 「老兵は死なずただ消え行くのみ」そこに悲哀と希望がないまぜになって、京都の映画のメッカ太秦の、時代劇を愛する誇り高き職人集団と、本物の時代劇再生を心から願わずにはいられません。
 
 
 
 
 
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 「春を背負って」邦画 6月 TOHOシネマズ
 監督 木村大作 出演者 松山ケンイチ 蒼井優 豊川悦司 檀ふみ 他
 立山連峰、大汝山の山小屋を舞台に、繰り広げられる山岳映画です。
 都会に勤める息子が、山小屋を経営する父の急死によって、周りの多くの善意の人の協力によって、山小屋の経営を引継ぎ、成長していく姿を描いています。
 監督はカメラマン出身で、映像には素晴らしいものがありますが、それ以上のものでなく、シナリオは、通俗的なホームドラマに終始して、最後に若い二人が踊るシーンは「アルプスの少女ハイジ」の世界で、全くの期待外れでした。
 
 
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 映画 「中村勘三郎」 邦画 8月 京都シネマ
 監督 松木創 出演 中村勘三郎 他
 2012年12月5日、急性呼吸窮迫症候群のため57歳で急逝した歌舞伎俳優、18代目中村勘三郎の生き様を描いたドキュメンタリー映画です。
 テレビ番組などで放送された、長期にわたる密着取材の映像をまとめたもので、平成中村座のニューヨーク公演に始まり、勘三郎襲名の全国行脚などを織り交ぜ倒れるまで走り続けた、希代の歌舞伎役者の情熱を傾けた舞台上の姿、そしてまた楽屋の準備や稽古姿に、数々の名言、示唆を含む言葉など、家庭でのプライベートな素顔など、余すところなく描いています。
 勘三郎の人気の原点が何処にあったのか知る事のできるドキュメンタリーでした。
 
 
 
 
 
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 映画 「パガニーニ」 ドイツ映画 8月 京都シネマ 
 監督 バーナード・ローズ 出演 デビッド・ギャレット  ジャレッド・ハリス 他
 19世紀イタリアの超絶技巧を駆使した、天才ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ。この悪魔のヴァイオリニストと呼ばれたパガニーニの女、酒、ギャンブルにまみれた破天荒な人生を描いた映画です。
 1830年敏腕マネージャ、ウルバーニの手腕により、富と名声を欲しいままにし、自堕落な生活を送っていたパガニーニは、ロンドン公演で指揮者ワトソンの娘、シャーロットと出会いその美しい歌声と共に、真実の恋に目覚めるというお話です。
 パガニーニ役を欧米で絶大な人気を誇るドイツ人ヴァイオリニスト、デビッド・ギャレットが演じて、スクリーンで超絶技巧を見せ、名曲を聴かせてくれます。
 
 
 
 
 
 
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映画 「白ばらの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」 ドイツ映画 12月 京都シネマ 
監督 マルク・ローテムント 出演者 ユリア・イェンチ アレクサンダー・ヘルト 他
 
 2005年公開の映画ですが、リバイバル上映されたの機会に鑑賞してきました。
 
 第2次世界大戦中のナチスへの抵抗運動を、史実に基づいて描いた人間ドラマです。
 ミュンヘン大学の女子学生、ゾフィー・ショルは兄のハンス、と共に反ナチス抵抗組織「白バラ」のメンバーとして大学構内で反戦ビラをまき、兄と共にゲシュタポに逮捕されます。
 最初は組織と無関係と主張しますが、執拗な追及の末、つぎつぎと証拠品が押収され、友人クリストフも逮捕され、ついに彼女は覚悟を決め、厳しい尋問に屈せず、ナチスを糾弾し、自らの信念と良心に従って行動していきます。
 その結果、国家反逆罪によりわずか5日間の尋問の末、兄、友人と共に21歳という若さで処刑されます。
 この映画は第55回ベルリン国際映画祭で、最優秀監督賞と最優秀女優賞を受賞しました。
 自分の信念に基づき、国家権力へ抵抗することは誰もが成し得ることではないでしょう。時の流れの中に身を任せていることの方がが無難だからです。日本が無謀な太平洋戦争に突き進んだころ、身を賭して抵抗した人は少数だったことを改めて思い浮かべました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 京都の新春恒例行事となっている「全国女子駅伝」これまで沿道で応援する事はありましたが、西京極陸上競技場までは足を運んだことはありませでした。今年は、競技場の雰囲気を楽しみ、また郷土の期待と名誉とそして誇りをかけた選手たちの活躍を見たいと、1月10日から11日と出掛けてきました。

 

 大会のPRチラシです。全国女子駅伝は、正式には「皇后盃 第33回全国都道府県対抗女子駅伝競争大会」と言います。今年で33回目を迎え、これまでこの大会に参加した中学生、高校生を始めとして、多くの選手が、女子の日本陸上界を背負って立つ、アスリートとして活躍しています。

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  「10日に京都市右京区のハンナリーズアリーナ」で開会式が行われました。

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  全国から選ばれた各地の選手や関係者が一堂に会しました。

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  前列には昨年優勝チーム京都を始め、上位チームが整列しています。

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  スタンドの一隅に「北海道を先頭に沖縄」まで、各チームの主将が都道府県旗を持って入場を待っています。

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  各チームの入場に合わせ、チームの解説がアナウンスされ、都道府県旗が順次立てられていきます。

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  各選手緊張の面持ちで見守る中、前年優勝チーム京都から、優勝旗や皇后盃などの返還が行われました。

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  日本陸運の横川会長や来賓の挨拶が行われています。

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  最後に和歌山チームの「菊池主将」の選手宣誓が行われ、開会式が無事終了し、明日の健闘を誓い合いました。

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  レース当日11日の西京極陸上競技場です。

 

  陸上競技場の一画に全国女子駅伝 「栄光の歴史」第1回〜32回のパネル展示が行われていました。左端は第1回の「増田明美」さんです。

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  競技場周辺では、京都在住の各県人会の皆さんの人気のふるさと屋台村が開村されていて、ふるさと自慢の郷土料理が提供され、多くの人々で賑わっています。

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  各、屋台は多くの人々の行列です。

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  一方、この大会を支援し、成功させるための後方支援(伴走車)や、テレビ中継のための車両などが待機しています。福知山自衛隊の後方支援車です。

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  レースのタイムを、刻々報せる5台の「タイマー車」です。

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  NHKの「テレビ中継車」です。いろいろな機材を装備した大型車です。レースに支障を来さないよう、運転も大変緊張されるだろうと感じました。テレビ中継では画面でよく見かけますが、間近でゆっくり見るのは初めてでした。

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  「テレビ中継車」の後部です。1号車と2号車とあり、装備などが相違しており、珍しいナンバープレートで品川1と品川99-22でした。

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  ちょっとお断りして車内を撮らせてもらいました。運転席方向の正面に、モニター画面など機材がぎっしり並んでいました。

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  「アナウンサー席」のある、機動力のある,取材用の「大型バイク」です。

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  同じく「カメラマン席」のある取材用の「大型バイク」です。

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  陸上競技場では少女ミニ駅伝が行われ、その応援に来られた、NHK連続テレビ小説「マッサン」出演の「浅香航大」さんがインタビューに答えていました。

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  競技場では第2区走者より順番に選手紹介が行われ、トラックを半周してスタンドの応援を盛んに受けながら、呉越同舟でバスで中継所に向かいました。

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  12時25分いよいよレースの始まりです。スタート地点に、花の1区を走るランナーが緊張を全身にみなぎらせて勢ぞろいです。

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 「12時30分」号砲一発、スタートです。陸上競技場をスタートし、国立京都国際会館前で折り返す、9区間、42.195キロの新春の都大路を、長年の練習の成果を発揮すべく、たすきを繋ぎながら走り続けます。健闘を祈るばかりです。

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  全員一丸となって「トラック」を一周して、競技場のゲートをくぐり抜けていきます。

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  「第2中継所」の様子です。(NHKテレビ中継画面より)

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  「第3区中学生区間」を力走する選手たち(NHKテレビ中継画面より)

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  「第5中継所」の混戦の様子です。(NHKテレビ中継画面より)

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  「第7中継所」でトップで走ってくる京都選手を迎える、本年最年長の39歳ママさんランナーの「小崎マリ」さんです。(NHKテレビ中継画面より)

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  トップで京都チームを迎える「第8区中継所」の様子です。(NHKテレビ中継画面より)

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  「第9区」のアンカー「京都、奥野有紀」さんと「大阪、松田瑞生」さんが西大路通りを熾烈なトップ争いをしながら並走しています。(NHKテレビ中継画面より)

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  陸上競技場の大型ビジョンでレースの成り行きを見ながら、競技場に帰ってくる選手の勇姿を待つ、スタンドの皆さんです。

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  待ちに待った選手が、競技場のゲートを潜って帰ってきました、そのトップを争う二人の姿をみて、スタンドは一瞬、興奮状態のどよめきのような歓声と続いて拍手がスタンドを揺るがしました。

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  競技場内に入り、トラックでの決着となり、観衆の興奮は更に高まります。

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  トラックを一周します。お互いにラストの仕掛けを図りながらの力走です。

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 「第4コーナー」を周り最後の直線です。逃げる京都、追う大阪、持てる力をすべて出し切り、競技場が沸き返る中、ゴールに向かいました。

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  大接戦の末、ゴールテープを切りました。トップは最後に京都をかわした「大阪チーム」が1秒差で逃げ切りました。両者の大健闘にスタンドからは万雷の拍手がいつまでも続いていました。優勝タイムは、2時間17分26秒で4位までのタイム差は3秒という、まさに大会史に残る記念すべき名勝負で、42.195キロを走っての1秒差、1秒の重みを痛感したレースでした。

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  優勝した「大阪チーム」の「岡本監督」とアンカーの「松田選手」へのインタビューが続いています。

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  レース終了後、午後4時から「ハンナリーズアリーナ」で「表彰式」が行われました。

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  「表彰式」です。

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  出場選手や大会関係者が集まる中で式が始まりました。

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  優勝した「大阪チーム」に優勝旗と皇后盃が渡されました。中央に大阪チームが勢ぞろいです。

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  準優勝の「京都チーム」です。背後に居並ぶ各チームの選手たちも、戦いすんで安堵感や満足感などのにこやかな表情が読み取れます。

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  「京都チーム」にもカップなどが贈呈されています。

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  レース終了後30分もしない内に「京都新聞の号外」が発行されているのには驚きました。競技場内に号外発行車が配置されて、直ちに印刷されているようでした。

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 勝っても涙、負けても涙、美しい涙を流す選手たち、このレースの為に、奮励努力し精一杯持てる力を出し尽くした結果を、順位など関係なく大いに称賛したいと思います。本当に良いレースでした。大いなる感動を与えてくれて有難う、選手を始め、大会の成功のために努力された関係者の皆さんお疲れさまでした。

 

 

 

 

 京都「ゑびす神社」は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され「えべっさん」の名で親しまれています。その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に、禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。御祭神は八大言代主大神、大国主大神、少彦名神です。(ゑびす神社由緒より)また、七福神の内の一人、恵比寿が祀られ、商売繁盛の笹が有名ですが、笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直ぐに伸び、弾力があり折れず、常に青々と繁る」といった特徴から家運隆盛、商売繁盛の印となりました。

 

  「ゑびす大祭」(初ゑびす)のポスターです。

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  神社前の通り、「大和大路通」りの賑わいです。

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  参拝者で賑わう「一の鳥居」です。

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  鳥居を潜ると縁起物を売る露店が並んでいます、縁起物の「人気笠」がぶら下がっています。

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  「福笹奉納の舞い」です。授与される笹は巫女さんによるお祓いの奉納舞の後、授与されます。

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   お祓いを受けた福笹を求めるお参りの人々です。

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  いろいろな「海の幸」や「山の幸」などの縁起物が並んでいます。鯛、のしあわび、米俵、打出の小槌、扇、鈴、大福帳、大判、小判、熊手、宝船など多種多様です。

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  「福笹」に付ける縁起物「吉兆」を求める人たちです。

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  「本殿」です。

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  「本殿正面」です。「まぐろ」が神前に奉納されています。

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  「宝印」を授かる人々です。

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   境内の「天満宮」です。

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   境内にお祀りしてある「白太夫社」です。ebe20.JPG

 

  「ゑびすさんの石像」です。

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   「普段のゑびす神社」の風景です。

  

  「大和大路通り」に面した一の鳥居です。

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  参道を進むと「二の鳥居」です。右にはゑびすさまや財布塚、名刺塚などが並んでいます。ebe26.JPG

 

   静かな佇まいを見せる「本殿」です。

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  「本殿左横」です。まっすぐ進むと「裏門」にでます。

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  本殿横の「たたき板」です。ゑびすさんはお年寄りの神様で、ちょっと耳が遠いので、本殿奥の神様が鎮座される横の壁板を叩いて、「お参りに来ましたえ」とお参りに来た事を念を押してお知らせするものです。

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   「天満宮」です。

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   左、「財布塚」 右 「名刺塚」です。

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  ここにも「ゑびすさん」がおられます。

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  立派な「裏門」です。

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 「初ゑびす」には多くの参詣者で賑わいます。アベノミクスの恩恵をまだ授からない多くの企業経営者や庶民に、どうか「えべっさん」「よろしゅうおたのもうします」。

 

 

 

 

雪の「妙心寺境内」

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 新年早々の元旦、京都市内は午後から夜にかけ粉雪が舞い、12センチという積雪に見舞われました。2日の早朝、自宅から歩いて3分の妙心寺の雪景色を見てきました。

 妙心寺は臨済宗妙心寺派の本山で、山号は「正法山」といいます。開創は建武4年(133年)花園法皇が自らの離宮を禅刹に改め関山慧玄(夢窓大師)を開山として迎えられたのが始まりです。広大な山内に四十六の塔頭寺院があり、その一寺一寺が名刹として知られています。(妙心寺案内によります)

 

  「南総門」です。「勅使門」の東側に並んであります。一般にはここから出入りします。

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  「勅使門」です。普段は閉じられています。昨年、住持の入山晋山時に開門され、この門より入られました。

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  「勅使門」を入ると、そこは「放生池」です。橋を渡ると正面に三門があります。

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  「南総門」からの参道です。総門を入るとまっすぐ大方丈にむかって参道が続いていて、その参道に沿って、左手に三門、仏殿、法堂、庫裏と伽藍が並んでいます。

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  「三門」(重要文化財)です。 慶長4年(1599年)の建立です。境内唯一朱塗りの建物で目を引きます。大方丈に向かう参道から見ています。

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  「放生池」から見る、「三門」正面です。

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  「仏殿」(本堂)(重要文化財)です。文政10年(1872年)の建立で、ご本尊としてお釈迦さまをお祀りしています。三門からの眺めです。

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  「仏殿」では朝の勤行が行われていました。

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  「法堂」(はっとう)(重要文化財)です。明暦2年(1656年)の建立です。天井には狩野探幽筆で8年の歳月をかけて描かれた有名な雲龍図(重要文化財)があります。

 

 

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  「仏殿」横の参道です。三門、仏殿、法堂の左には北総門に抜ける参道が続いています。参道の左側には、退蔵院など塔頭寺院が軒を連ねています。

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  「仏殿」と「法堂」を結ぶ廻廊です。

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  参道脇の「鐘楼」です。

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  「大方丈」(重要文化財)です。承応3年(1654年)の建立です。唐門と奥が建物です。

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  「経蔵」(重要文化財)です。一切経が納められています。江戸時代の建立です。

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   「北総門」に抜ける参道です。時代劇のロケーションでよく使用される場所です。

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   寺内には四十六もの塔頭塔頭寺院があるため、このような参道が縦横にあります。

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   塔頭、「大通院」の門内です。

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  「北総門」への参道です。左右に大きな庭園をもつ塔頭が並んでいます。

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  「北総門」です。後ろの穏やかな山は「衣笠山」です。この北総門から竜安寺や仁和寺への道が続いています。

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 この妙心寺は仁和寺や竜安寺と共に、私の時々の散歩道としてお世話になっています。このような場所が京都市内に点在することは、非常にありがたいことだと常に感謝しています。

 

 

 

 

 

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