「タヌキダニのお不動さん」として親しまれている、「狸谷山不動院」ご本尊は咤恕鬼(タヌキ)不動明王で、朋厚法師が享保3年の31歳のときに開山され、狸谷山修験道の礎を築かれ、その後、昭和19年(1944年)亮栄和尚が「寺験興隆」を目指し、「修験道大本山一乗寺狸谷山不動院」として寺法を制定されました。毎月3、16、28日は「お不動さんの日」として交通安全、厄除祈願として多くのお参りの人々が訪れます、特に新春1月28日は「初不動」として賑わいます。初不動のお参りを朝早く出掛けてまいりました。
案内のパンフレットです。
境内への「参道入口」です。ここから本殿まで250段の石段を上がっていきます。
参道入口左側には、たくさんの「たぬきの置物」が並んでいます。「たぬき、他抜き、他を抜く」の語呂合わせから、お参りの方々が置かれたのが始まりと言われています。
参道の途中左側に、お祀りされている「白龍弁財天」です。享保3年(1718年)木食上人が「一切衆生の苦難、恐怖を除き、財宝、福利を与え給え」との誓いをもとに奉安されたものです。
参道石段途中で参拝者を「お迎えする弘法大師像」です。全国を行脚した大師さまにあやかり、足腰の健康を願う「健脚わらじ」が奉納されています。
また参道左側には、商売繁盛の願いを込めて「七福神の像」も置かれています。
参道には「春日灯籠」が立ち並び「弘法大師光明殿」があります。
「弘法大師光明殿」です。弘法大師をお祀りする大師堂です。
急な石段を上がり切ったところから振返ってみました。
石段を上りきったところの本堂下、「道場」です。右手には「護摩壇」が据えられています。
本堂下から「懸崖造りの舞台と本堂」を見上げています。
「手水舎」です。
本堂下、道場脇の「三社明神堂」です。衣、食、住、愛の神さまです。玉姫大明神(衣)清隆大明神(食)白玉折木大明神(住・愛)がご祭神です。
「本堂」へお参りする男厄坂(42段)です。石段を上ると舞台と本殿です。
「初不動」「節分」行事のご案内です。
「舞台」です。
本堂前の柱「願かけ柱」です。たくさんの願事のお札が掛けられています。
懸崖造りの「本堂正面」です。奥に厄除け、難病退散の霊験あらたかなご本尊、「不動明王」が岩盤斜面の洞の中に安置されています。
「舞台」からは京都市内が一望できます。
「宮本武蔵修行の滝」の石碑です。慶長9年(1605年)武蔵が吉岡一門との一乗寺「下り松」での対決に備え、この滝にうたれ、修行の末、不動尊のお陰で極意を得て、打ち勝ったと言われています。
その「宮本武蔵修行の滝」です。
女厄坂(33段)でここから「水子地蔵」さまをお参りしながら「本堂」にも行く事ができます。
「水かけ水子地蔵尊」です。
「水子地蔵尊」より「本堂」です。
奉納された「供養塔」がぎっしりとお祀りされています。
「供養塔」を見守るように地蔵さまが立てられています。
「信徒会館」横から「奥の院」への道が山中に通じています。
またその道すがら「不動明王の使者」である「三十六童子の石像」が建立されていて、お参りをしながら奥の院に達することができます。
「奥の院への鳥居」です。
第四番 「こうもうしよう童子」です。
第十二番 「はらはら童子」です。
山道を進んでいきます。
第二十番 「いんだら童子」です。
冬枯れの樹間から「京都市内」が俯瞰できます。
「三十六童子」に導かれて、「奥の院」のある「東山三十六峰九峰目」の「瓜生山頂」に達します。「奥の院」は瓜生山の鎮守の「幸竜大権現」をお祀りしています。この瓜生山頂は、室町時代には城郭が築かれ、北白川城の本丸跡でもあります。
「奥の院」の裏にある、ひっそりと佇む、「将軍地蔵を安置した石室」です。
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