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 わが家からすぐ近くの「大本山妙心寺」の「お精霊会と花燈路」を夕涼みがてらお参りしてきました。この「お精霊会」は毎年この時期に執り行われ、朝早くから夜遅くまで多くの信徒がお参りに訪れる恒例行事です。

 

  お盆行事を知らせる立て看板です。

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  正面の「南総門」に掲げられた雲竜図を模した行灯です。

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 「総門」を潜ると参道には露店が立ち並んで賑やかです。

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「三門」(さんもん)の正面です。お盆の期間はライトアップされています。

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「仏殿」から振返る「三門」です。

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  「仏殿」(ぶつでん)です、

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「仏殿」の周囲には仏徒から奉納された行灯が吊り下げられて、大きな伽藍を照らし出しています。

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 行灯にはいろいろの願い事が描かれています。

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「法堂」(はっとう)には読経の流れる中、多くの人々がお参りされています、天井の雲龍図(狩野探幽筆)重要文化財が垣間みえます。内部は撮影禁止です。

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 10万坪とも言われる敷地には、山内塔頭として公開されている有名な退蔵院や桂春院など46ヶ寺があり、一大寺院群となっています。また他に石庭で名をはせた龍安寺など境外塔頭が数多く存在します。塔頭に通じる東西の参道に行灯が置かれ参道を行き交う人の足下を照らしています。

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 8月には、京都市内のあちこちの寺院で、盛大にお盆行事が行われます、そのお精霊をお送りする最大の行事が、8月16日の京都五山の送り火でしょう、その送り火に手を合わせ、ご先祖を敬い亡き人を偲び、その後、下旬には、お地蔵様をお奉りする市内各町内での地蔵盆で、往く夏を惜しむ風情を感じるようになります、長く伝統を守り続けて営まれる行事の数々、今後どのように推移していくのか気になるところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都市内の町内の、あちらこちらで「地蔵盆」が催されている、丁度、同じ時期の、8月の23日と24日2日間、奥嵯峨、化野念仏寺で毎年行事の千灯供養が行われます。また、この日に合わせて、地元の皆さんや、嵯峨芸術大学などの協力で「愛宕古道街道灯し」(あたごふるみちかいどうとぼし)が夜の奥嵯峨を彩ります。奥嵯峨の有名な化野念仏寺の千灯供養は、この地が昔からの葬送の地として知られ、葬られたお墓や多くの石仏、石塔が長い歳月を経て散乱していたのを、地元の人々の手で集められ「西院の河原」としてお祀りしたもので、この日、ローソクに火を灯し供養しているものです。一方「愛宕古道街道灯し」は今年第20回目を迎えるもので、化野念仏寺を中心に、愛宕神社一の鳥居から祇王寺に至る約1キロあまりの街道沿いの各家の軒先に行灯が置かれ、芸術大学の学生さんが竹と和紙を用いて制作した巨大な提灯、行灯が和紙を通して照らす灯が、奥嵯峨一帯に幻想的な風景を醸し出して、訪れた多くの人々を魅了しています。

 

  宵闇が迫る、「高雄パークウエイ」高架下に吊下げられた「巨大提灯」です。

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  街道沿いの「お地蔵様」も飾られてお化粧しています。

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  「茅葺の民家」沿いに立てられた「巨大行灯」です。

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  多くの人が「愛宕古道街道灯し」の「点灯式」のために「愛宕神社一の鳥居」に集まってきます。

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   23日午後6時30分「点灯式」が始まり、松明に火が付けられ、各行灯に火がもたらされます。

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   祭り太鼓も華やかに式典を盛上げます。

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   鉦や笛を千頭に行列が愛宕街道を練り歩きます。

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  多くの人が見守る中、行列は進んできます。

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    「ひょっとこ踊りの会」の小さなお子さんから大人までのユーモア溢れ、思わず微笑む「ひょっとこ踊り」の行列です。

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   各家の前にも「行灯」が並べられて、山あいの集落をほのかに照らしています、その数800だそうです。

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   「千灯供養」が行われる「化野念仏寺」への参道です。

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   境内に入ると「西院(さい)の河原」までは、お地蔵さんの提灯が吊下げられ、卒塔婆の立つ「西院の河原」は数千体の無縁仏に、ろうそくが供えられて、辺りを明るく照らしています。墓地の周りは、手にお供えのろうそくを持った人々のお参りで混雑しています。

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    見上げれば木の間越しに、お月さんも顔をだしています。

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   「念仏寺」を後に、「愛宕街道」を多くの「行灯」や「提灯」を眺めながら、ぶらぶら散策しました。

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    ぐるりと巡って、うまく制作された、巨大な行灯や提灯を楽しく眺めながら「愛宕神社一の鳥居」まで帰ってきました。鳥居のそばの「つたや」さんです。

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    こちらは「平野屋」さんです。

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   「点灯式」の賑わいが嘘のような「一の鳥居」が、静かに行灯に照らされています。

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    「平野屋」さんの茅葺の屋根の上にも月が顔をのぞかせ、暑い京都といっても、さすがに奥嵯峨、9時近くになると、冷気が辺りを包みます。

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 引接寺(いんじょうじ)は正式寺名より通称「千本閻魔堂」でよく知られ、多くの人々の信仰を集めています。かって京都の三大風葬の地であった、化野、鳥辺野、蓮台野、その蓮台野の入口にあたり、千本鞍馬口にあります。百人一首で名高い小野篁卿(802〜853年)は、この世とあの世を行き来する神通力を持つとされ、昼は宮中に、夜は閻魔大王に仕えたとのいわれから、「精霊迎えの法」を授かり、その根本道場として篁卿自ら閻魔法王の姿を刻み、建立した祠が閻魔堂の開基といわれています。京都では、お盆に水塔婆を流し「迎え鐘」をついてその音にのって「おしょらいさん」とご先祖の精霊をお家に迎えします。その盂蘭盆行事に8月14日夜に六斎念仏が奉納されます。

 

   「千本通り」に面した入口です。

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   本堂「ゑんま堂」です。

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  本尊「閻魔法王」です。怖いお顔から恐れられていますが、実は人間界を司る、私達を三悪道にに行かせないための身近な仏様です。長享2年(1488年)仏師定勢により刻まれました。

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  「鐘楼」です。毎年8月のお精霊迎えの行事に「迎え鐘」「送り鐘」として撞かれます。

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   「梵鐘」(文化財)です。高さ148センチ、口径82センチです。南北朝時代の康歴元年(1379年)の刻銘があります。

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  「童観音」です。子供たちの災禍、除難を念じて建立されました。

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   「紫式部供養塔」(重要文化財)高さ6m 花崗岩製です。境内の西北隅に建てられています。南北朝時代の至徳3年(1386年)円阿上人の勧進により建立されたという銘刻があります。

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   「地蔵供養池」です。卒塔婆を流すことができます。

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   「千本六斎念仏」(無形民俗文化財)は、京都の14の六斎念仏保存会の一つで、他の保存会共々、8月のお盆を中心に活動しています。奉納は14日の午後7時から始まりました。京都の六斎念仏は、平安時代、空也上人が始めた空也踊躍(ゆうやく)念仏が始まりとされ、念仏踊りが中心の念仏六斎と 、音曲演技を取り入れた芸能六斎の二つに分類されます。今夜奉納される千本六斎は、芸能六斎に属しています。

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  「発願念仏唱和」から始まりました。

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   「保存会」の小さい子供さんが、四つ太鼓を一生懸命叩いています。微笑ましい姿です。

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  「四つ太鼓」の曲打ちです。

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   「祇園囃子」です。鉦や太鼓、笛など、祇園囃子を取入れ、楽しげに太鼓を振りながら踊る様は、見物客を引き込んでいきます。

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  同じく祇園囃子の中に組込まれた「奴姿」の「雀踊り」です。sen26.JPG

 

   「太鼓踊り」「堀川猿回し」です。

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    「引き抜き手踊り」「さらし」です。

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   「獅子と蜘蛛」 まず「獅子太鼓」です。

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   「獅子」の登場です。軽妙な仕草で跳ね踊り、「獅子舞」を演じ拍手喝采です。

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   難しい三段重ねの「碁盤」の上での宙返りなど、見ていてもハラハラします。

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   地元西陣織の金襴の衣装が華やかな「蜘蛛の精」が登場してきます。

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    「獅子と蜘蛛の精」の華やかな立ち回りです。

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    最後は獅子の「攻め太鼓」です。

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   「結願念仏ご挨拶と阿弥陀打ち」で無事目出度く終了です。

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 当初、宗教色の濃い念仏踊りが、江戸時代、京の町で広まった歌舞伎、能、狂言、祭囃子、神楽など芸能を取入れて、娯楽や楽しみが少なかった時代に、町衆に広く支持されてきたことがよく理解できます。鉦、太鼓、笛の音色と素朴な踊りとが相まって、演者と観客との一体感が醸し出されてあっという間の2時間が過ぎました。伝統芸能の保存と継承という熱意と市民の協力でこの素晴らしい芸能が将来に引継がれていくことを願っています。

 

 

 

 

五条坂「陶器まつり」

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 京都の夏の風物詩として名高い恒例の五条坂の「陶器まつり」。始まりは大正9年、清水焼発祥の地、五条坂に店を構える陶器店が、大谷本廟、六道珍皇寺へのお盆のお参りの人々を目当てに、一年に一度のバーゲンを始めたのが始まりです。その後、全国の窯元や卸店など400店が参加して、我が国最大規模の陶器まつりとして毎年8月7日から10日まで、多くの人に親しまれ賑わっています。特に最近では、若い陶芸家が南側歩道に意欲的な作品を展示しています。

 

 「陶器まつり」の西ノ端は、まず鴨川に架かる五条大橋を渡った京阪五条駅から始まります。

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  「京阪清水五条駅」から東に延びる五条通り幹線を挟んで「北側」と「南側」に出店をしています。テントの屋台が並んでいるのが見えます。

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  五条通りを東山に向って歩くと「大和大路通り」の角に道標が立っています。

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   陶器店が建ち並ぶ店舗と出店が、左右に所狭しと続きます。売り手と買い手の陶器に関する蘊蓄や、値段交渉はそばで聞いていても楽しいものです。

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   「五条坂」のほぼ中央に「若宮八幡宮」があります。別名「陶器神社」と呼ばれています。創建は天喜元年(1053年)後冷泉天皇の勅願によって、源頼義が勧請したといわれています。

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   長い石畳の参道が続いています。その参道に「京都造形芸術大学」の学生さんによる「戦後70周年×琳派400周年」をテーマに、地元の窯元さんたちが提供した陶器を使用し、陶器人形の展示が行われています。

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   「風神」像です。touki13.JPG

 

  「雷神」像です。

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  「ハレ神」像です。 (怒り悲しみそして希望)と銘うってあります。

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  「自転車妖怪」です。 (捨て置いて新たな二輪に不倫する)と表示されています。

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  「二の鳥居」を潜ると正面に「本殿」が見えます。

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  「本殿」です。照応3年(1654年)の建立で、八幡三神を始めとし、陶祖神 椎根津彦命が祀られています。

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  「蓬莱石」です。本殿の片隅に埋もれていたものを、650年ぶりに世に出された、御神威あらたかな石といわれています。

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  「鍾馗神社」です。古くから京都の町家の玄関庇の上に、守り神として置かれている鍾馗さん。今はだいぶ少なくなっていますが、まだ街中のあちこちに見られます。

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   「区民の誇りの木」「クスノキ」の大木です。

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   本殿横の「庭園」です。東門に通じています。

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   「若宮八幡宮」を出て「東山通り」に向かいます。「清水寺」に近く、多くの観光客も訪れています。

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   「東山通り」に出てきました。

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   「東山通」を隔てて「大谷本廟」が大きく広がります。

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「白雲神社」の例祭

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 白雲神社(しらくもじんじゃ)は御所(現在の京都御苑)の西南、蛤御門を入って梅林の東側、西園寺邸跡の敷地にあり、旧西園寺家の鎮守社です。このあたりに九条池、宗像神社、そして白雲神社と隣接しており、小さい頃はそばに住まいしていた関係で、私たちの格好の遊び場になっていました、久し振に例祭に訪れてまいりました。

 白雲神社は祭神は妙音弁財天といわれた市杵島姫命で、琵琶を家職とする西園寺家に楽神として伝えられ、西園寺公が金閣寺を造営する際に妙音堂として建立されたのが始まりとされています、明治11年になって、神仏混淆の作法を神式に改め、社号を白雲神社とされました。

 

  例祭を伝える「張紙」です。

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  右に入ると「白雲神社」への正面参道です。左手は梅林と桃林です。

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  正面参道です。白雲神社は神域はこぢんまりしていますが、周囲は鬱蒼とした御所の森に囲まれて、神社としての神聖な雰囲気を醸しだしています。

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   南側からの「参道」です。

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    「南門」です。

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    「拝殿前」です。

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    例祭が執り行われる「拝殿と本殿」です。

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  「本殿」内の「祭壇」です。

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  楽の上達などを願う琵琶の絵馬が奉納されています。

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     「稲荷社」です。

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    この日、同じく「稲荷社」での例祭も行われました。

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    「拝殿内」の準備です。

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    いよいよ例祭の神事が執り行われます

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    全員神主さんのお祓いを受けます。

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    神事が終わり、「白拍子舞い」の奉納です。

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   「白拍子舞い」は平安末期から鎌倉時代にかけて行われた歌舞で、女性が頭には高烏帽子、緋の長袴に白の水干、太刀を吊り、男装をして扇をかざして舞いました。平家物語に登場する祇王、祇女仏御前が舞ったとして有名です。

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   奉納を終えた「白拍子姿の井上由理子さん」が琵琶を手に拝殿を退出します。

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   続いて「茂山千五郎社中」の「茂山宗彦さん井口竜也さん」による狂言「舟船」奉納をが行われました。狂言「ふなふね」は主人の供をする太郎冠者と主人との舟(ふな)と船(ふね)との、歌を歌ったり、謳いを謳ったりとの軽妙なやりとりの狂言でした。

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    主人 「井口竜也さん」です。

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    太郎冠者 「茂山宗彦さん」です。

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  久し振の白雲神社でしたが、今も昔も変わらぬ佇まいに、少年期の思い出を重ね合わせ、素晴らしく有意義なひとときでした。

 

 

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