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宇治の「三室戸寺」

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 三室戸寺は西国観音霊場十番の札所で、本山修験宗の別格本山です。
 宝亀元年、光仁天皇の勅願により創建されました。
 ご本尊は、千手観音菩薩です。
 
 花の寺とも、アジサイ寺とも呼ばれています。広大な庭園が、お参りする人の楽しみの一つのようです。


 
 パンフレットです。
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 長い参道をいくと「山門」に出会います。
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 山門から参道です。参道の右側は庭園になっています。
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 参道から見下ろした庭園です。
 アジサイやツツジが植栽されていて、5月6月は素晴らしい眺めだと思はれます。
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 本堂への階段です。
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 階段を上り切ると、本堂が見えます。
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 「本堂」(京都府文化財)です。文化2年に建立された、重層入母屋造りの重厚な本堂です。
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 手水舎の「霊泉不動水」です。
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 不動明王の「石像」が据えられています。
 目立たないですが、非常に強いお姿と表情でした。
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 本堂前には、狛犬と思いきや、「狛兎」と「狛牛」が鎮座しています。
 「狛兎」です、兎と縁がある故事に因んで置かれているようです。
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 「狛牛」です。勝運祈願の「宝勝牛」と言われています。
 お百姓が飼っていた弱々しい牛が観音様のご利益により立派な牛になり、牛の仲買人として成功したという、故事によります。
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 「宇賀神」の像です。財運、金運の蛇神で、頭は翁、体は蛇で蓮に乗る姿です。
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 本堂から右手に、鐘楼や三重塔があります。
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 「阿弥陀堂」(京都府文化財)です。
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 「鐘楼」(京都府文化財)です。
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 「三重塔」(京都府文化財)です。
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 「宝蔵庫」です。
 平安時代の五体の仏像(重要文化財)が安置されています。
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 「十八神社本殿」(京都府文化財)です。
 本堂から奥まった階段を上ったところにあります。
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 十八神社から、本殿を見下ろしたところです。
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 「池泉回遊式庭園」 中根金作氏作庭です。
 5千坪の庭園には、四季を通じて花を見ることが出来、別名、花の寺と呼ばれています。
 特に5月のツツジ、6月のアジサイ、夏には蓮が、そして秋の紅葉です。
再度、花の季節に訪ねたいものです。
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 黄檗山(山号)萬福寺は、創建は寛文元年(1661年)中国の明から来た、隠元禅師の開基によります。
 そのことにより,日本の一般的な寺院建築と違って、総門から始まり伽藍に至るまで中国風の趣を持っています。

 お堂の中にも自由に入ってお参り出来ますので、仏像などもゆっくりと拝見出来ます。また写真なども自由に撮れますので、厳しい寺院が多いなかでは希有の存在です。



 案内パンフレットです。
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 境内案内図です。
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 「総門」です。
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 総門から参道を見ています。
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 一宇庵田上菊舎(山門を出れば日本ぞ茶摘うた)の歌碑です。
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 「三門」です。
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 三門から参道を経て、「天王殿」です。
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 「天王殿」です。中国寺院では一般的に玄関として見られるお堂。弥勒菩薩(布袋)の他四天王、韋駄天が祀られています。
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 広目天です。
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 多聞天です。
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 韋駄天です。
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 持国天です。
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 増長天です。
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  弥勒菩薩(布袋)さんです。
  拝見するだけで幸せな気分にさせていただけますね。
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 「大雄寶殿」(だいほうほうでん) 重要文化財で本堂です。
 用材はすべてチーク材が使用されている珍しい建物です。
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 「大雄寶殿」(だいほうほうでん)内部です。
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 「大雄寶殿」(だいほうほうでん)。 中央が、本尊釈迦如来像、右に迦葉尊者、左に阿難尊者、両側に十八羅漢を安置されています。ともに明朝時代の范道生の作です。
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 「斎堂」(さいどう)重要文化財です。 僧侶が食事をするところです、約300人が食事が出来ます。
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 「斎堂」(さいどう)前には魚の形をした開梆(かいばん)が吊るされています。木魚の原型になったもので、時を知らせる法具です。
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 「法堂」(はっとう)重要文化財です。 説法をする場所になっています。
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 法堂 前にある「卍くずし」の勾欄がいかにも中国風の寺院を感じさせます。
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 「禅堂」重要文化財です。
  座禅するところで、斎堂、浴場と共に三黙道場といわれています。
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  回廊より境内を俯瞰しています。
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 「壽塔」重要文化財です
 開祖、隠元禅師のお墓です。
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 「合山鐘」(がっさんしょう)です。
 回廊に吊るされています。珍しい釣鐘です。
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 庭の一角に石庭が設けられていました、禅問答が出来そうです。
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 「開山堂」(かいさんどう) 開山隠元禅師を祀る場所です。
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 萬福寺への案内図です。
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源氏物語「宇治十帖」

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 教科書にも取り入れられて、誰もが知る紫式部の「源氏物語」全編54帖のうち、その番外編ともいうべき、最後の十帖は、薫君と匂宮と宇治の三姉妹の恋物語が主な内容で、橋姫(一帖)で始まり、夢浮橋(十帖)で終わり、宇治川と宇治川周辺が、その主な舞台となり、宇治十帖と呼ばれています。
 その物語に因み、古くから古跡が点在しています、それらを訪ねて、遠く平安時代に思いを馳せるのも一興かなと巡ってきました。


 降り立った、ちょっと変わった姿の「JR宇治駅」です。ここから東に歩いて宇治橋に向かいます。
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 まず、宇治川にかかる宇治橋西詰めです。
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 宇治十帖の古跡の各所には、宇治市文化財保護協会が物語を要約して、この写真ように駒形高札にして立ててあります。
(各古跡のコメントは、この駒札を抜粋して転載しております)。
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 宇治橋西詰にある、紫式部の石像と、夢浮橋の古跡です。
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 源氏物語 宇治十帖(十) 夢浮橋(ゆめのうきはし)
 薫君は、小野の里にいるのが、浮舟であることを聞き、涙にくれる。
 薫君は浮舟の弟の小君に、自分の文を添えて持って行かせた。浮舟は、なつかしい弟の姿を覗き見て、肉親の情をかきたてられ母を思うが、心強く、会おうともせず、薫君の文も受け取らなかった。
 小君は姉の非常を恨みながら、仕方なく京へ帰って行った。
 「法の師とたづぬる道をしるべにして思はぬ山に踏み惑うかな」

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  源氏物語 宇治十帖(一)橋姫(はしひめ)
 「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり」と宇治十帖は書き始められる。
 晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、「あはれになつかしう」思い、
 「橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしずくに袖ぞぬれぬる」 と詠んで大君に贈った。

 (県(あがた)神社通りの大鳥居を越えたすぐ左側にあります。)
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 「県神社」に寄ってお参りしてきました。
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 県神社からすぐそばの「平等院南門」です。
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 平等院から塔の島へ掛かる「喜撰橋」です。
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  塔の島十三重石塔のそばの「柿本人麻呂」の歌碑です。
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 歌碑の揮毫者は、古谷蒼韻氏です。
 「もののふの八十氏河の網代木に いざよふ波の行く方しらずも」と刻まれています。
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 源氏物語 宇治十帖(五) 宿木(やどりぎ)
 秋、薫君は宇治の山荘を御堂に改造することとし弁尼を訪れる。そして共に大君の思い出に浸り、
「宿りきと思い出でずば木のもとの 旅寝もいかに寂しからまし」と口ずさみ、紅葉を中君への土産にお持たせになり匂宮に恨まれる。
 
 (宇治川左岸の平等院道の、料理屋さんや旅館街を抜けた、すぐの所にあります。)
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 源氏物語 宇治十帖(四) 早蕨(さわらび)
 年改まり、宇治の山荘にも春が来た。今年も山の阿闍梨から蕨や土筆などが贈られてきた。
中君は亡き父君や姉君を偲びつつ「この春はたれにか見せむ亡き人のかたみにつめる峰の早蕨」と返歌なさった。
 
 (宇治神社のはずれ、宇治上神社参道脇にあります。)
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 「与謝野晶子歌碑」です。
 源氏物語礼賛によって、宇治十帖の関連した詠歌が刻まれています。

  橋姫   しめやかに心の濡れぬ川ぎりの 立舞ふ家はあはれなるかな
 椎が本  朝の月涙の如し眞白けれ 御寺のかねの水わたる時
 総角   こころをば火の思いもて焼かましと 願ひき身をば煙にぞする
 さわらび さわらびの歌を法師す君に似ず よき言葉をば知らぬめでたさ
 宿り木  あふけなく大御女をいにしへの 人に似よとも思ひけるかな
      と刻まれています。
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  源氏物語 宇治十帖(三) 総角(あげまき)
  八宮の一周忌がめぐって来た。薫君は仏前の名香の飾りに託して、大君への想いを詠んだ。
 「総角に長き契りを結びこめ おなじ所によりもあはなむ」
  大君は父宮の教えに従い、自らは宇治の山住みで果てる意思が堅く、妹の中君をこそ薫君に委ねたいと望まれた。
 
 (源氏物語ミュージアム近く、与謝野晶子歌碑のそば、仏徳山(大吉山)の登り口にあります。)
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  「源氏物語ミュージアム」からしばらく歩いて、三室寺へ向かう三差路に立っています。
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 源氏物語 宇治十帖(八) 蜻蛉(かげろう)
 都では華やかな日々を送りながらも薫君は、大君や浮舟との「つらかりける契りども」思い続けて愁いに沈んでいた。
 ある秋の夕暮れ、薫君は、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを見て、ひとり言を口ずさむのだった。
 「ありと見て手には取られず見れば又 ゆくへも知らず消えし蜻蛉」

 (ちょっとわかりにくいですが、源氏物語ミュージアムから三室戸寺方向へ5分ほど歩いた、都倉病院と翔英高校との間の道を右に入ったところにあります。自然石に阿弥陀三尊が線彫がしてあります。)

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  源氏物語 宇治十帖(七) 浮舟(うきぶね)
  如月の十日頃、雪の中、宇治を訪れた匂宮は、かねて用意させていた小舟に浮舟を乗せ、橘の小島に遊び、対岸の小家に泊まって一日を語り暮した。
 「橘の小島は色もかはらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ」
  浮舟は、薫君との二人の間でさまざまに思い悩んだ末、遂に死を決意する。
  
 (三室寺境内の、本堂と鐘楼の間に建立されています。)
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  源氏物語 宇治十帖(九) 手習(てならひ)
  僧都はその夜、宇治院の裏手で気を失って倒れている女を見つけた。この女こそ失踪した浮舟であった。
 僧都の妹尼は、亡き娘の再来かと手厚く介抱し、洛北小野の草庵に連れて帰った。意識を取り戻した浮舟は素性を明かそうともせず、ただ死ぬことばかりを考え泣き暮らした。やがて秋、浮舟はつれづれに手習いをする。
 「身を投げし涙の川の早き瀬を しがらみかけて誰かとどめし」
 
 (府道7号線京都宇治線、京都銀行三室戸支店の前にあります。)
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  源氏物語 宇治十帖(二) 椎本(しいがもと)
  薫君は八宮を仏道の師と仰いで、宇治を訪れ、姉の大君に強く心を引かれていく。八宮は死期の近いことを感じ、姫君たちに身の処し方について遺言し、信頼している薫君に姫君を頼み、秋も深いころ、阿闍梨の山寺で、さみしく静かに波乱の生涯を閉じられた。
 「たちよらむ蔭と頼みし椎が本 むなしき床になりにけるかな」
 
 (府道7号線京都宇治線を手習いの古跡から、宇治橋方面に歩いて京阪宇治駅近く彼方(おちかた)神社にあります。)
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  源氏物語 宇治十帖(六) 東屋(あずまや)
  晩秋、宇治を訪れた薫君は、弁尼から浮舟の所在を聞き、ある時雨模様の夜に訪ねて行く。
「さしとむる葎(むぐう)やしげき東屋の あまり程ふる雨そそぎかな」
  翌朝、薫君は浮舟を連れて宇治へと向かった。薫君にとって浮舟は、亡き大君の形見と思われた。
 
 (京阪宇治駅前東側、東屋観音と呼ばれる石像が宇治橋東詰めにあります。)
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