源氏物語「宇治十帖」

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 教科書にも取り入れられて、誰もが知る紫式部の「源氏物語」全編54帖のうち、その番外編ともいうべき、最後の十帖は、薫君と匂宮と宇治の三姉妹の恋物語が主な内容で、橋姫(一帖)で始まり、夢浮橋(十帖)で終わり、宇治川と宇治川周辺が、その主な舞台となり、宇治十帖と呼ばれています。
 その物語に因み、古くから古跡が点在しています、それらを訪ねて、遠く平安時代に思いを馳せるのも一興かなと巡ってきました。


 降り立った、ちょっと変わった姿の「JR宇治駅」です。ここから東に歩いて宇治橋に向かいます。
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 まず、宇治川にかかる宇治橋西詰めです。
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 宇治十帖の古跡の各所には、宇治市文化財保護協会が物語を要約して、この写真ように駒形高札にして立ててあります。
(各古跡のコメントは、この駒札を抜粋して転載しております)。
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 宇治橋西詰にある、紫式部の石像と、夢浮橋の古跡です。
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 源氏物語 宇治十帖(十) 夢浮橋(ゆめのうきはし)
 薫君は、小野の里にいるのが、浮舟であることを聞き、涙にくれる。
 薫君は浮舟の弟の小君に、自分の文を添えて持って行かせた。浮舟は、なつかしい弟の姿を覗き見て、肉親の情をかきたてられ母を思うが、心強く、会おうともせず、薫君の文も受け取らなかった。
 小君は姉の非常を恨みながら、仕方なく京へ帰って行った。
 「法の師とたづぬる道をしるべにして思はぬ山に踏み惑うかな」

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  源氏物語 宇治十帖(一)橋姫(はしひめ)
 「その頃、世に数まへられ給はぬふる宮おはしけり」と宇治十帖は書き始められる。
 晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、「あはれになつかしう」思い、
 「橋姫の心をくみて高瀬さす 棹のしずくに袖ぞぬれぬる」 と詠んで大君に贈った。

 (県(あがた)神社通りの大鳥居を越えたすぐ左側にあります。)
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 「県神社」に寄ってお参りしてきました。
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 県神社からすぐそばの「平等院南門」です。
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 平等院から塔の島へ掛かる「喜撰橋」です。
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  塔の島十三重石塔のそばの「柿本人麻呂」の歌碑です。
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 歌碑の揮毫者は、古谷蒼韻氏です。
 「もののふの八十氏河の網代木に いざよふ波の行く方しらずも」と刻まれています。
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 源氏物語 宇治十帖(五) 宿木(やどりぎ)
 秋、薫君は宇治の山荘を御堂に改造することとし弁尼を訪れる。そして共に大君の思い出に浸り、
「宿りきと思い出でずば木のもとの 旅寝もいかに寂しからまし」と口ずさみ、紅葉を中君への土産にお持たせになり匂宮に恨まれる。
 
 (宇治川左岸の平等院道の、料理屋さんや旅館街を抜けた、すぐの所にあります。)
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 源氏物語 宇治十帖(四) 早蕨(さわらび)
 年改まり、宇治の山荘にも春が来た。今年も山の阿闍梨から蕨や土筆などが贈られてきた。
中君は亡き父君や姉君を偲びつつ「この春はたれにか見せむ亡き人のかたみにつめる峰の早蕨」と返歌なさった。
 
 (宇治神社のはずれ、宇治上神社参道脇にあります。)
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 「与謝野晶子歌碑」です。
 源氏物語礼賛によって、宇治十帖の関連した詠歌が刻まれています。

  橋姫   しめやかに心の濡れぬ川ぎりの 立舞ふ家はあはれなるかな
 椎が本  朝の月涙の如し眞白けれ 御寺のかねの水わたる時
 総角   こころをば火の思いもて焼かましと 願ひき身をば煙にぞする
 さわらび さわらびの歌を法師す君に似ず よき言葉をば知らぬめでたさ
 宿り木  あふけなく大御女をいにしへの 人に似よとも思ひけるかな
      と刻まれています。
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  源氏物語 宇治十帖(三) 総角(あげまき)
  八宮の一周忌がめぐって来た。薫君は仏前の名香の飾りに託して、大君への想いを詠んだ。
 「総角に長き契りを結びこめ おなじ所によりもあはなむ」
  大君は父宮の教えに従い、自らは宇治の山住みで果てる意思が堅く、妹の中君をこそ薫君に委ねたいと望まれた。
 
 (源氏物語ミュージアム近く、与謝野晶子歌碑のそば、仏徳山(大吉山)の登り口にあります。)
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  「源氏物語ミュージアム」からしばらく歩いて、三室寺へ向かう三差路に立っています。
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 源氏物語 宇治十帖(八) 蜻蛉(かげろう)
 都では華やかな日々を送りながらも薫君は、大君や浮舟との「つらかりける契りども」思い続けて愁いに沈んでいた。
 ある秋の夕暮れ、薫君は、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを見て、ひとり言を口ずさむのだった。
 「ありと見て手には取られず見れば又 ゆくへも知らず消えし蜻蛉」

 (ちょっとわかりにくいですが、源氏物語ミュージアムから三室戸寺方向へ5分ほど歩いた、都倉病院と翔英高校との間の道を右に入ったところにあります。自然石に阿弥陀三尊が線彫がしてあります。)

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  源氏物語 宇治十帖(七) 浮舟(うきぶね)
  如月の十日頃、雪の中、宇治を訪れた匂宮は、かねて用意させていた小舟に浮舟を乗せ、橘の小島に遊び、対岸の小家に泊まって一日を語り暮した。
 「橘の小島は色もかはらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ」
  浮舟は、薫君との二人の間でさまざまに思い悩んだ末、遂に死を決意する。
  
 (三室寺境内の、本堂と鐘楼の間に建立されています。)
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  源氏物語 宇治十帖(九) 手習(てならひ)
  僧都はその夜、宇治院の裏手で気を失って倒れている女を見つけた。この女こそ失踪した浮舟であった。
 僧都の妹尼は、亡き娘の再来かと手厚く介抱し、洛北小野の草庵に連れて帰った。意識を取り戻した浮舟は素性を明かそうともせず、ただ死ぬことばかりを考え泣き暮らした。やがて秋、浮舟はつれづれに手習いをする。
 「身を投げし涙の川の早き瀬を しがらみかけて誰かとどめし」
 
 (府道7号線京都宇治線、京都銀行三室戸支店の前にあります。)
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  源氏物語 宇治十帖(二) 椎本(しいがもと)
  薫君は八宮を仏道の師と仰いで、宇治を訪れ、姉の大君に強く心を引かれていく。八宮は死期の近いことを感じ、姫君たちに身の処し方について遺言し、信頼している薫君に姫君を頼み、秋も深いころ、阿闍梨の山寺で、さみしく静かに波乱の生涯を閉じられた。
 「たちよらむ蔭と頼みし椎が本 むなしき床になりにけるかな」
 
 (府道7号線京都宇治線を手習いの古跡から、宇治橋方面に歩いて京阪宇治駅近く彼方(おちかた)神社にあります。)
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  源氏物語 宇治十帖(六) 東屋(あずまや)
  晩秋、宇治を訪れた薫君は、弁尼から浮舟の所在を聞き、ある時雨模様の夜に訪ねて行く。
「さしとむる葎(むぐう)やしげき東屋の あまり程ふる雨そそぎかな」
  翌朝、薫君は浮舟を連れて宇治へと向かった。薫君にとって浮舟は、亡き大君の形見と思われた。
 
 (京阪宇治駅前東側、東屋観音と呼ばれる石像が宇治橋東詰めにあります。)
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このページは、Kが2014年2月24日 10:18に書いたブログ記事です。

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