東京漫歩 湯島界隈

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 リニア体験乗車の後、大月駅から中央本線に乗車し、夜遅く東京に着きました。久し振りの東京訪問となり、翌日、ホテルのフロントで貰った地図を片手にぶらぶらと桜目当てに周辺を散歩してきました。

 

 「霊雲寺」(れいうんじ)正式な名称は、真言宗霊雲寺派総本山 宝林山霊雲寺です。開基は浄巌律師で元禄4年(1691)に幕命により創建されました。徳川幕府の永代祈願所とし、幕府直轄の寺院として維持されてきました。御本尊は、両部大日如来で五代将軍徳川綱吉公、柳沢吉保侯の御位牌も祀っています。

   「惣門」です。

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  惣門を入ると満開の桜が出迎えてくれました。

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  「本堂(潅頂堂)」です。江戸時代の名刹といわれましたが、関東大震災、太平洋戦争による戦災などで焼失、戦後昭和51年(1976)再建され、落慶法要も営まれました。

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  「地蔵堂」です。

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   「麟祥院」(りんしょういん)正式名称は、臨済宗妙心寺派天澤山麟祥院といいます。寛永元年(1624)第三代将軍家光の乳母、春日局の願いにより開基され、渭川周劉禅師が開山されました。春日局のお墓があることで有名です。麟祥院は春日局の法名による菩提寺です。

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   「中門」です。奥が「本堂」です。

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   「麟祥院」の墓地です。

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   「春日局」のお墓です。

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    「湯島天神」正式には「湯島天満宮」と呼ばれています。いわずと知れた菅原道真公を祭神としてお祀りしています。社殿は、文明10年(1478)に太田道灌により再興され、平成7年全面改築されました。泉鏡花の「婦系図」の舞台として広く知られています、境内とその周辺は江戸時代より江戸百景の画題となり、その縁日は芝居小屋や植木市、そして富くじと、江戸有数の盛り場として多くの熱狂的な群衆で賑わいました。

  「大鳥居です」。春日通りの湯島天神信号のそばにあります。

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   「唐門」です。春日通りの大鳥居を入ったところにあります。

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   「表鳥居」(東京都有形文化財)です。この鳥居は銅製で寛文7年(1667)の銘刻があり、この時期に寄進されたものと言われています。

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   「表鳥居」を潜ると「手水舎と撫で牛」があります。 昔から天神信仰では、牛とは切っても切れない縁があり、京都の北野天満宮を始め、どこの天神さんでも牛を撫でて疫病から逃れる信仰があります。

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  「社殿」です。総檜造りの権現造りの建築様式です。

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   「筆塚」です。 「婦系図」で知られる泉鏡花の筆塚が昭和17年里見弴 久保田万太郎等の手によって建立されました。

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    「奇縁氷人石」です。この石柱の右側には、迷子が出た時、その子の名を書いた紙を貼り、迷子がいた時、その子の特徴を書いた貼り紙を貼り知らせた「迷子しらせ石標」の名残です。それほど境内が人々で賑わった盛り場だったということでしよう。

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  湯島駅方面への「男坂」です。

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    「男坂」です。三十八段の急な石段で、左にはゆるやかな女坂があります。

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   湯島天神のそばの「妻恋神社」です。ご祭神は 日本武尊他3神で、縁起によると日本武尊が東征の折、この地で稲荷神を祀ったのを起源としています。江戸時代には、「正一位妻恋稲荷大明神」と呼ばれ多くの人々の信仰を集めました、江戸にあった多くの稲荷社の中でも特別な地位にあったと伝えられています。妻恋神社という名前に惹かれて訪れましたが、往時の面影は見出せませんでした。

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  「神田明神」です。正式名称は「神田神社」です。なんと言っても日本三大祭の一つで、江戸時代より伝わる神田祭で全国に名を馳せた有名な神社です。平将門の御霊社で、元和2年(1616)江戸城の表鬼門守護の場所として、幕府により社殿が造られ、江戸の総鎮守として今も多くの氏子、信者によって守られています。

 

  本郷通りの「大鳥居」です。

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   「随神門」です。昭和50年総檜入母屋造りで建立されました。

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    正面左右には楠木の「随神像」が安置されています。

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  「随神門」を潜ると御神殿前の広いスペース、神田祭の神輿等が集結して、多くの熱狂的な人々が集まります。

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  「御神殿」です。

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     鳳凰殿」「参集所」です。

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   「神楽殿」です。

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   広い境内には摂社、末社が数多くあります。

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   「鳳輦神輿奉安殿」鳳輦や神輿の収納庫です。

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   「祖霊社」です。 神田明神の畏敬者、氏子など先祖をお祭りする社です。

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   「末広稲荷神社」です。ご祭神は「うかのみたまのかみ」です。

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    「合祀殿」です。籠祖神社など6社を合祀して平成24年に建立された新しい社殿です。

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     妻恋坂に通じる「裏参道」です。

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 「ニコライ堂」の愛称で親しまれている「東京復活大聖堂」です。JRお茶の水駅から本郷通りからすぐの所にあります、その美しい外観は目を瞠るものがあり、国の重要文化財に指定されています。ロシアから日本に渡り、正教伝道を広めたニコライは函館から東京に移り、目覚ましい布教を行いました。明治24年(1891)にロシアの美術家シチュルボフが設計し、建立したものです。平面は十字形のビザンチン式の日本最大の煉瓦造りの建造物で、関東大震災など幾多の試練を経て昭和4年(1929)に修復されました。

  本郷通りからの外観です。

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  「正門」を入った所にある十字架を掲げたアーチです。

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   「正門」を入った正面側の概観です。内部は時間外で見学はできませんでした。

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   「JRお茶の水駅」です。改装中のようでごった返しています。

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   「お茶の水駅」のそば「神田川」に架かる「聖橋」(ひじりばし)です。昭和3年(1928)に建造されたアーチ形のモダンな橋で、「湯島聖堂」と「ニコライ聖堂」を結ぶ橋として「聖橋」と名付けられたと「銘板」に刻まれています。現在大掛かりな補修工事中でシートで覆われて全体像を見ることが難しいようです。

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    「聖橋」の袂に置かれ、橋の由来を記した銘板です。

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 「地下鉄丸ノ内線」がお茶の水駅ホーム下近くから、地上に姿を見せる珍しい光景です。

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   「神田川」を渡る、手前が「地下鉄丸ノ内線」、向こうの鉄橋が中央本線のお茶の水駅から分かれ、千葉方面に向かう「総武本線」. 右側、神田川に沿って軌道の見えるのが「中央本線」です。

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    「聖橋」を渡り、下に降りて外堀通りの「昌平坂」を「湯島聖堂」に向かいます。

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   「湯島聖堂」です。元禄3年(1690) 五代将軍徳川綱吉によって、上野忍岡から移築、孔子を祀る大成殿(聖堂)を建立し、後に幕府直轄の昌平坂学問所となり「日本の学校教育発祥の地」となりました。

 

   「仰高門」(ぎょうこうもん)です。 昭和10年(1935)竣工しました。

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    正面「扁額」が掲げられています。 

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  「仰高門」を入ると、正面奥に孔子の墓所に植えられている名木の櫂(かい)の樹があり、孔子銅像や大成殿に通ずる参道となっています。

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   「櫂樹」左と櫂樹の由来の解説の駒札と記念石柱です。

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     「櫂樹」のそばの「孔子銅像」です。高さ4.57㍍で、孔子の銅像としては世界最大とのことです。

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   「入徳門」(にゅうとくもん)です。宝永元年(1704)建造されました。

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   「入徳門」を潜ると広々とした参道が続き、隔絶された空間の世界です。

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   「杏壇門」(きょうだんもん)です。間口20㍍奥行4.7㍍です。厳粛な気持ちになり自然と頭が垂れます。

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    「大成殿」(孔子廟)です。大成とは孔子廟の正殿の名称です。間口20㍍奥行14.2㍍高さ14.6㍍入母屋造りで、三方に回廊があります。関東大震災により焼失しましたが昭和10年(1935)に再建されました。森閑とした静寂が辺りを包みこみ、別世界の趣があります。

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   帰路は「西門」に向かいました。今回訪れた湯島聖堂は、雨降りのせいか、広い境内に人影もなく、静謐な一時を過すことができました。

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  湯島界隈だけでもまだまだ多くの見所があり、時間が瞬く間に過ぎて、また、歩き疲れて、切り上げることになってしまいましたが、またのお楽しみということでホテルに戻りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このページは、Kが2017年4月15日 16:04に書いたブログ記事です。

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