東京漫歩 小石川後楽園

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 今日は一度訪れてみたかった、小石川後楽園に足を延ばしてみました。JR水道橋駅から東京ドームを目指して歩きます、駅からは吐き出されるように東京ドームに向かう若い人々で賑やかです。小石川後楽園は東京ドームに隣接して70,847.17平方㍍という都心の庭園にしては広大な面積を持っています。江戸時代始め水戸徳川家の江戸上屋敷内に造られた池を中心にした築山泉水回遊式の日本庭園で、「天下の憂いに先立って憂い,天下の楽しみに後れて楽しむ」から後楽園と名付けられました。国の特別史跡、特別名勝に指定されています。

 

   入園者に渡されるパンフレットです。

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 「公園園内マップ」です。(東京都公園教会のホームページより転載しました)

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 「正門」(東門)です。現在は閉鎖中で出入口は西門となります。

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  「東門」から庭園の南側の塀ぞいに「西門」に向かう散策路です。長い塀ぞいに桜をはじめ種々の樹木が植えられ、花壇も設けれています。

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  植込みにはシャガも美しく咲いています。

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  「西門」庭園の出入口です。

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   園内に入ると正面に満開の桜が広がります。

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  樹齢約60年の枝垂桜です。

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   順路に従って進みます。

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   「西行堂跡」です。堂には西行法師の木像を安置されたことから、西行堂と名付けられましたが、堂は戦災で焼失しました。

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  西行の歌碑「駐歩泉」(ちゅうほせん)です。九代斉昭公が西行堂側の流れを、西行の和歌「道のべに しみづながるる 柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ」にちなみ、自ら筆をとり碑を建てたものです。

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  竜田川に掛かる「幣橋」ぬきばしです。

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 「延段」(のべだん)です。 大小の自然石と切石を巧みに組合せた中国風の素朴な石畳です。

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  「内庭」です.水戸藩書院のあったところです。

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  「内庭」を望むところ。

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 「大泉水」に浮かぶ「蓬菜島」と「徳大寺石」です。蓬莱島は亀の形をしており、先端の大きな鏡石は徳大寺石と名付けられて、弁財天を祀った祠があります。

   蓬莱島」です。

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  正面が「徳大寺石」です。

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 「痒鷂碑」(えいようひ)七代治紀は将軍家から賜った鷹を大切にしていましたが、治紀が亡くなった4年後に亡くなったため、八代斉脩がこれを悲しみ碑を建てました。

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  「九八屋」(くはちや)江戸時代の風流な酒亭を現したもので、戦災によって焼失しましたが昭和34年に復元されました。名前の由来は「酒を飲むには昼は九分夜は八分とすべし」と酒のみならず万事控えめにするとの教訓によります。

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   カルガモの親子が仲良く泳いでいます。

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  「小廬山」一面オカメザサで覆われた築山です。形が中国の景勝地廬山に似ていることから江戸の儒学者林羅山が名付けられたものです。

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   庭園北側の土塀が続いています。

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  都心にある庭園で桜が満開という贅沢な一時を過すことができました、入園者も少なく静かな雰囲気でゆっくり楽しむ事ができました。

 

 

 

 

 

 

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このページは、Kが2017年4月16日 16:05に書いたブログ記事です。

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