小京都の「津和野」1

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 山口県を離れて島根県の小京都といわれる津和野市へ向かいます。JRの山陰本線と山口線を乗継いで行くと時間のロスが大きいので、急遽、防長バスを利用して津和野市へ向かいました。

 東萩駅前から乗車します。運賃は2,190円とちょっと高めですが、乗客が少ないので仕方ないでしょう、津和野までわずか5人でした。津和野のお天気は、今日は昼頃から雨の予報覚悟の上の出発です。

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  このような山間部を走り続けます。

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  「JR津和野駅前」です。辺りの風景に溶け込んだ立派な駅舎です。今日も駅前のレンタサイクルを利用して回ります。1日、800円これほど廉価で能率の良い交通手段はありません。

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   駅前から「本町通り」を進みます。この辺りは古くからのお店が多く軒を連ねています。お酒の醸造元華泉酒造で、江戸時代の享保年間から続く老舗です。

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  「本町通り」にある、「鯉の米屋」吉永米穀店です。中庭に水路を引き、池を造り、錦鯉がたくさん泳いでいることで知られています。

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  津和野の地酒は有名なのでしょう、何軒か見かけました。

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  「古橋酒造」です。初陣という銘柄は幕末まで遡るそうです。

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  「分銅屋七右衛門商店」(登録有形文化財)です。

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   「本町通り」の「今市通り」辺りです。和菓子屋さんです。

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   「沙羅の木」です。津和野銘菓「源氏巻」を製造して、喫茶店や土産物店を併設しています。散策に一休みの人で賑わっています。

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  「殿町通り」です。城下の中心部となっていました。「養老館跡」や町役場・多胡家老門など昔の門構えとなまこ塀の家が並んでいます。

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   「津和野カトリック教会」も建っています。ゴシック様式によって建てられ、内部は畳敷きの教会です。時を経て、異質なく付近の景観に溶け込んでいるのが不思議です。

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  「殿町通り」に面した、「大岡家家老門」となまこ壁です。

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   「大岡家家老門」を入ると、「津和野町庁舎」となっています。

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  塀越しに梅の香りも漂ってきます。

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   その掘割には錦鯉が泳いでいます。工事中で水が濁っているのが少し残念です。

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  「養老館跡」です。現在は民俗資料館になっています。養老館は藩校で西周や森鴎外も幼い時に通っていました。

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  この養老館の跡地に「森鴎外の遺言碑」が建っています。

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   津和野川畔に建つ「鷺舞」の像です。鷺舞は古式豊かな神事舞として、京都より天文11年(1542年)津和野城主十一代、大蔵正頼が五穀豊穰、災厄防除のため移したものです。現在、弥栄神社の例祭に舞われています。

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   「殿町通り」を南にあたると「津和野川」に出ます。遊歩道が完備されて町民の憩いの場となっているようです。小雨が降ってきました。

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   正面の橋は津和野川に架かる大橋です。

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  川向こうに「郷土館」が見えます。

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   「大橋」を渡った袂に、郷土館があります。

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   川沿いに郷土館のなまこ壁が続いています。

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  「本町通り」から「新町」への横道を入ると碑が多く建っています。高岡通りに面した「津和野藩家老多胡家表門」です。多胡家は亀井氏十一代に渡り家老職を勤め、藩に貢献した人です。

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   「小藤文治郎誕生の地」です。安政3年津和野に生まれ、明治3年上京し、ドイツにも留学。地質学の権威として世界的に知られた東京帝国大学名誉教授です。

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  「中村吉蔵生誕の地」です。中村吉蔵は明治10年(1877年)津和野町生まれ、早稲田大学に入学、渡米し演劇を学び、松井須磨子の芸術座に参加、舞台監督などを務め、日本の演劇家の草分けとして不滅の功績を残した人です。

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   「中田瑞穂生誕の地」です。明治26年津和野町生まれ、東京帝国大学医学部を卒業し、欧米各国に留学、最先端の医学を吸収して、脳外科医学者として文化功労者に選ばれた人です。

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このページは、Kが2015年3月 5日 08:17に書いたブログ記事です。

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