本町通りや殿町付近の散策から少し足を延ばして、津和野案内書のポイントを順次訪ねることにしました。
城址に行く途中の「徳川夢声句碑」です。徳川夢声は、大正から昭和にかけて、独特の話声でラジオや演劇で一世を風靡した話芸の名人です。夢声は幼少時代、母の生家津和野町で過しました。(山茶花の雨となりたる別れかな)
「永明寺」(ようめいじ)です。覚皇山永明寺といい、禅宗の古刹で、歴代藩主の菩提寺です。
「山門」です。
「中雀門」と「鐘楼堂」です。
前庭を通して見た茅葺の「本堂」です。
開梆(かいばん)です。来訪を知らせたり、時を知らせたり、木魚の原型です。
本堂から正面にある「中雀門」です。
「本堂内部」です。
「禅庭」と呼ばれています。
「津和野城馬場先櫓」です。この櫓は、旧津和野藩邸表門の左方の角地に配置されていた隅櫓で、南西に馬場があったのでこの名前がつけられています。一度焼失し、安政3年(1856年)に再建されました。旧津和野藩邸の建物で、もとの位置を変えずに残っている貴重な建物です。
津和野城址(国指定文化財)です。「三本松城、蕗城」ともいいます。城址に行くには、リフトで山頂近くまで行き、山道を15分ほど歩くと着きます。
このようなカエデなどの樹林帯を15分ほど歩いていきます。
津和野城は弘安5年(1282年)蒙古の襲来に備えて、吉見頼行氏が最初に築いたといわれています。その後、慶長6年(1601年)坂崎出羽守が入城して全域にわたって石垣を築き、その後、亀井氏代々の居城として引継がれてきました。
「天守台跡」です。
巨大な石垣が残るのみとなっています。
「三十間台跡」です。城址は県立の自然公園になっています。
眼下に津和野川の流れと、津和野市が俯瞰できます。
津和野城址へのリフト乗場から少し上ると、「太鼓谷稲成神社」があります。日本五大稲荷のひとつで、城山だった太鼓谷に、京都の伏見稲荷を勧請した神社です。稲「成」の字には大願成就の願いがこめられています。
「神門」です。
「社務所」と「参集殿」です。
「御本殿」です。
もとに戻り、リフト乗場から南へ下っていきます。民家が点在するなかに,西周(にしあまね)旧宅があります。西周は文政12年(1829年)津和野藩医、西寿雄の長男として生まれ、4歳の時この家に移りました、20歳で養老館教師となり。その後オランダへ留学、西洋哲学の思想にも影響を受けました。帰国後、開成所の教授となり、憲法草案などを著し、また「哲学」「感覚」などの言葉を生み出した、明治の啓蒙思想家で、文明開化の推進に多大な功績を残しました。
「西周旧宅」から津和野川を渡ったほど近いところに森鴎外の旧宅があります。記念館の一隅にある「鴎外の胸像」です。
文豪と謳われた「森鴎外の旧宅」(国指定文化財)です。津和野に生まれ、林太郎と呼ばれ、幼少期を過した場所です。
「正面玄関」です。
「室内の一部」です。
旧宅の南側に隣接して建てられた「森鴎外記念館」です。記念館には、正面の不透明なガラスの誘導路を進むとロビーがあります。この誘導路は、異質の世界に迷い込むような感覚をもたらしてくれます。展示室は軍医としての鴎外、文学者としての鴎外と、写真やパネル、遺品など貴重な資料が展示されています。
「ロビー」です。天井も高く、広々とした開放的なロビーです。
「ロビー」からは中庭を通して、鴎外の旧宅をのぞむことができます。
「津和野川」に面した小憩ホールです。
「鴎外記念館」から津和野駅近くまで戻り、乙女峠を目指しました。「マリア聖堂」のある、乙女峠への山道です。下にある駐輪場に自転車を置いてこの山道を歩いて上ります。
「乙女峠 マリア聖堂」です。明治元年に長崎から送られてきた153人の隠れキリシタンは、津和野藩の改宗の進めに応じず、ついに拷問によって36人が殉教の道を選びました。その際、日本で唯一、聖母マリアが降臨された地といわれています。殉教者を追悼するため建立されました。
「乙女峠記念聖堂マリア堂」です。もと光淋寺の跡地に建設されました。光淋寺は、慶応3年(1867年)長崎浦上の異宗徒御預所となっていたお寺です。雨の中しばし佇んでいると、敬虔な気持ちが自ずから沸いてくるのが不思議です。
「マリア堂」前から「殉教記念史跡」です。
「三尺牢跡」です。聖母マリアが降臨された場と称されています。
「殉教百年記念碑」です。昭和43年(1968年)に建立しました。
乙女峠への上り口にある浄土宗の「光明寺」です。山門の左右にお地蔵様が祀られています。
「本堂」です。
JR津和野駅越しに見える、「安野光雅美術館」です。
「安野光雅美術館」は高岡通りに面して建っています。光雅は大正15年、津和野町に生まれましたが、その後上京し、淡い色調の水彩画など、独特のやさしい雰囲気の作品で多くの人を魅了し、活躍が認められて文化功労者にも選ばれています。
「正面玄関」です。内部は展示棟と学習棟に分かれていて、プラネタリウムも併設しています。
「安野光雅美術館」を最後に、3日間にわたるこの旅も、JR津和野駅17:50分発、特急スーパー「おき」に乗車、新山口駅行に向い、新幹線「さくら」に乗継ぎ、終わりを告げました。
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