金子みすゞの故郷「仙崎・青海島」

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 JR西日本から発売された「おとなびパス」「JR西日本線3日間乗り放題!」を利用して一人旅を楽しんできました。

 第1日目は、早朝、山陽新幹線で厚狭駅へ、そこで美祢線に乗換え、山口県を横断、長門市駅から仙崎(せんざき)へ向かいました。仙崎は、近来とみに名高い童謡詩人「金子みすゞ」の故郷であり、また国定公園に指定されている「青海島」(おおみしま)の奇岩景勝で知られています。また漁業の町として、新鮮な魚介類が水揚げされ、名産の蒲鉾の製造も行われています。

 

  「厚狭駅」から美祢線へ、1両編成のワンマンカーの気動車が待っていました。

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  予報通りの雨の中、山口県の山間部を縫いながら走ります。途中列車に倒木の衝撃音があり急停車、運転手さんが司令室に連絡をとりながら倒木を処理、間々ある事なのか、鋸を持参して乗務されているのに驚きました。

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  予定より遅れて仙崎駅に到着、乗降客が少ないのに比例して、賑やかなホームの風景です。

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  改札口やコンコースなどの壁面には「蒲鉾板によるモザイク画」が迎えてくれます。

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  閑散とした「駅正面」で少し淋しい風景ですが、このような古風な駅舎は郷愁を感じます。

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  駅正面の通りが「みすゞ通り」と呼ばれ、駅から北へ約1キロ、海岸線まで延びる昔からの風情が残る道筋です。その始点に説明版が設置されています。

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  構内の一画にある、金子みすゞ詩碑「星とたんぽぽ」です。

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  「青海島」の奇岩景勝を海上から一周して眺める観光船は、海が荒れて欠航となり、やむなく車で島に渡り、遊歩道を歩いてきました。

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  整備された「遊歩道」です。

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  「青海島」を海上アルプスと命名し、全国に紹介した、横山白虹の句碑です。(鳥瞰路 黒潮へ 没る日の上を 鵜が翔くる)

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  断崖に砕ける波を見ていると引き込まれそうです。

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   「瀬叢」(せむら)と呼ばれる岩礁の集まりです。皇居宮殿の壁画として、東山魁夷によって描かれた場所です。

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  かもめ岩、十六羅漢、変装行列などと名付けられた岩石群です。

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  「静ヶ浦」周辺です。

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   日本海の荒波に揉まれた、このような奇岩の連続ですが、その一部しか眺められないのは残念です。

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  「青海島」からの帰途、「青海大橋」で下車。幸い雨も小降りとなり、仙崎の町を散策しました。正面の橋は青海島へ渡る「青海大橋」です。右の港は博多、舞鶴と共に敗戦後の海外からの引揚げ者を迎え入れた「仙崎港」です。 

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  「青海大橋」が開通するまで、青海島へ渡るための渡船の「瀬戸の渡し」の発着場の名残です。

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  その発着場の岸壁に取付けられた、金子みすゞの「瀬戸の雨」の詩銘板です。

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   「みすゞ通り」を南へしばらく行くとみすゞの墓所がある「遍照寺」があります。山門です。

 

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   このお寺にもみすゞの詩碑「こころ」があります。

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  「金子みすゞの墓所」です。常に多くの人のお参りがあるのでしょう、多くのお花が供えられていました。

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   「みすゞ通り」です。

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   仙崎の人々の郷土の誇り「金子みすゞ」を顕彰するために、多くの家々には、思い思いの詩を、また写真を掲げて彼女を偲んでいます。

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  「極楽寺」の山門です。みすゞもこのお寺の詩を詠んでいます。

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  広い境内です。「極楽寺の梵鐘」として有名です。

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   「極楽寺」のそばの民家に掲げられた「極楽寺」の詩です。

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   「みすゞ通り」に残る、大正時代から醤油屋を営んでいたいた「五嶋家」です。

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   「プロジェクト M2000」です。地元の若者が中心になって、取組んでいる「プロジェクト M2000」。仙崎名産の蒲鉾板を組合せ、みすゞの詩「大漁」をモチーフにした、巨大モザイク画を制作した一大プロジェクトです。蒲鉾板20.000枚に、市民や観光客などのメーセージが書込まれています。

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  浜辺で大漁を祝う漁師の姿が描かれています。

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  「蒲鉾板のメッセージ」です。

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  スイッチを切替えると「大羽鰯」の大群が浮かび上がります。市民の熱意による力作です。

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  なんともユニークな「喫茶店」です。内部は落着いた雰囲気でお茶を楽しむことができます。

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  仙崎名産の「蒲鉾屋」さんです。

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  みすゞの詩碑「角の乾物屋の」です。

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  「海の郷 錦町商店」のモザイク画です。金子記念館の前です。

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  「鯨捕り」のモザイク画です。蒲鉾板3.900枚使用されています。

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  「郵便局の椿」の詩の題材になった、実家の向いの郵便局です。

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  みすゞ直筆の「郵便局の椿」の銘板が掲げられています。

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   「みすゞの実家」「金子文英堂」です。みすゞが20歳になる、大正12年(1923年)まで過しました。みすゞは、大正後期に彗星のようにあらわれた詩人で、その後、下関に移り、26歳の若さで自らこの世を去りました。下関での詩人として西条八十に認められながらも、本名テルとして、虐げられた結婚生活は、東京の劇団「てがみ座」の上演で「空のハーモニカ」としてよく描かれています。短い生涯に、512編の詩を残し、その中にふるさと仙崎への思いを込めた作品が多くあります。

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  「金子文英堂」の内部です。

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   1階の座敷です。

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    2階の「みすゞの部屋」を再現したものです。

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   金子文英堂に併設されている「金子みすゞ記念館」です。彼女の短い生涯を展示物などで紹介しています。

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  「記念館前」から駅方面の「みすゞ通り」です。

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  仙崎の町西側に広がる「深川湾」です。

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  明治6年創立の「仙崎小学校」です。

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  校内にある、「わたしと小鳥とすずと」の詩碑です。

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   駅前の近くの「瀬戸崎小学校跡」です。

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  「観光船乗場」の公園にあるみすゞの詩碑「大漁」と胸像です。

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  仙崎湾に臨む「園究寺」です。

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  山門を入ったところに「山頭火の詩碑」があります。

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  早朝5時過ぎ、「仙崎港」に漁船が続々帰ってきます、活気の溢れる漁港を見にいきました。

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  広い漁協の建物に水揚げされた魚が並べられています。

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   「セリ」も始まりました。

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   宿に帰り、朝食を済ませて、次の目的地萩へ向かいます。

 

 

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このページは、Kが2015年3月 3日 13:16に書いたブログ記事です。

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